シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

おじさん、一生に遊べるソシャゲ・ネトゲの数はあと何本?

 
 だいぶ前に、小島アジコさん(id:orangestar)から、『FGO』始めようよーという、悪魔のようなお誘いを受けた。
 
 『FGO』。
 
 TYPE-MOONが長年手がけている『Fate』シリーズのソーシャルゲームである。思い出深いシリーズの最新作だから、稼働当初から気にしてはいた。 
 
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 しかし『FGO』に対するスタンスは、2016年の段階で決めていた。
 
 「『FGO』本体には手を出さない。いずれアニメ化・漫画化されるだろうから、そちらは見ておこう」というものだ。
 
 私は四十代のおじさんである。
 
 よって、おいそれとはソーシャルゲームを始めてはいけない。
 
 

『艦これ』『ポケモンGO』『スプラトゥーン2』で手いっぱい

 
 ファミコン時代~初代プレステ時代でゲームの記憶が止まっている人は信じてくれないかもしれないが、最近は、素晴らしい出来栄えのゲームがたくさんある。
 
 海外勢が作ったシミュレーションゲームやオープンワールドゲームも素晴らしいが、任天堂の『スプラトゥーン2』なども面白い。『ポケモンGO』も、ここに来て随分ゲーム然としてきた。
 
 これらのゲームはどれもやり込み甲斐があるので、コストパフォーマンスはすこぶる良い。長く遊ばないなんてとんでもない!
 
 それだけに、いったん遊ぶと決めたゲームと付き合う時間は長くならざるを得ない。「クソゲー買っちゃった、もう飽きたからやらない」なんてことはあり得ない。ほとんどのゲームは1年以上の付き合いになる。仕事と家庭と物書きの合間を縫って遊ぶ以上、同時進行できる作品数も限られている。
 
 で、ソーシャルゲーム、である。
 
 ソーシャルゲームが無尽蔵に時間を喰うことは、始める前からわかっていた。そもそも、オンラインゲームなるものが時間喰いであることを、十年以上前に私は思い知らされていた。
 
 我が家では、『パズドラ』が久しぶりのオンラインものだったけれども、本格的に時間喰いになったのは『艦これ』だった。ここに書いたように、私の脳内設定の『艦これ』は、他人様の娘さん達をお預かりしているようなものなので、なかなかやめられなくなってしまった。2017年の秋イベントも、なんやかんや言いながらこなしてしまっている。システム的にはいろいろ限界だが、私は『艦これ』が好きになってしまい、これに両足を突っ込んでしまったのだ。
 
 加えて、2016年から『ポケモンGO』を始めてしまった。
 
 『ポケモンGO』は、当初、ゲームとしてはあまり面白いものではなくて、ちょっとお出かけが増えて、地元のお寺やモニュメントに詳しくなる程度の代物でしかなかった。
 
 ところが、アップデートするにつれてゲームらしくなって、俄然、やり込み度が高くなった。ポケモンをゲットして育てるだけのゲームから、アイテムの補給やジムの討伐を意識させるゲームに変貌した。全国のジムを巡り歩いた記録を、ぼうけんノートに残せるようになったのも素晴らしい。『ポケモンGO』をやっていると、あちこちに旅がしたくなる。
 
 このような身上で『FGO』まで始めてしまったら、身の破滅は確実である。仕事も家庭もある人間が、一度に3つのソーシャルゲームに手を出すなんていうのは自殺行為にも等しい。『スプラトゥーン2』も、オンラインゲームとして勘定するなら、既に私の社会生活はゲームに蝕まれていて、もう死んでいるも同然なのである。
 
 このうえ『FGO』のような大柄な作品に手を出したら、ゲームゾンビどころでは済まされないだろう。
 
 おじさんになった私が一度に抱えられるゲームなんて、数が知れている。
 
 

出会ったゲームとの付き合いは大切にしたい

 
 こうやって、遊べるゲームを絞っている我が身を振り返ると、自分は、死ぬまでにあと何本のゲームが遊べるんだろう?と考えたくもなる。
 
 オンライン/オフライン含めて、一年間に本気で遊べるゲームを5本程度と考えた場合、20年間で100本増える計算になる。『アズールレーン』のような小さめの作品を、ほんのり遊ぶ程度のものを含めても、200本前後ではないだろうか。
 
 しかし、こんな予測なんて、急病や事故によって簡単に潰えてしまうだろう。
 もしかしたら、今、付き合っているゲームが今生で最後のゲームになるかもしれない。
 
 だったら尚更、本数を絞ってでも、出会いがあって、クオリティを実感できるゲームについてはしっかり遊んでおきたいと思う。
 
 とりわけソーシャルゲームは、時間やお金を溶かしてしまう傾向が強い。いったん始めたら数年程度は突っ込むという覚悟のうえで慎重に付き合うべきだろう。付き合う覚悟もないのにあちこちのソーシャルゲームに手を伸ばすのは、私の性に合わない。そもそもソーシャルゲーム一本にかけるリソースで非-ソーシャルゲームが何本か遊べてしまうわけだから、コスパが良いとは言い難い。「リセマラやって、ガチャに3万円ほど突っ込んで、それでおしまい」を繰り返すならともかく、長くしっかり付き合ってしまいがちな人間は、ソーシャルゲームの選定は、数年に一度程度、本当にやると決めたゲームにすべきなのだろう。
 
 たぶん、自分が60歳になるまでに付き合えるソーシャルゲームの数は、あと5~6本程度、多く見積もっても、10本程度じゃあないだろうか。ほんの少しの作品を選ぶと同時に、大半の作品を選ばない・遊べないということでもある。
 
 うちのtwitterのタイムラインでは、『FGO』はリリースされて半年ぐらいで話題になり、楽しそうな雰囲気でいいなぁと思った。しかし、出会ったタイミングが悪かったので、私は『FGO』を遊ばないと決意しなければならなかった。こういう、「遊びたいけれども遊ばないと決意する」決断を、これから先、何回も何十回も繰り返していくと思うと憂鬱になるが、自分がこれと選んだゲームと長く付き合っていくためには、取捨選択が必要不可欠なのもまた事実だ。
 
 最近のゲーム、とりわけソーシャルゲームには「シーン」や「ライブ感覚」が伴っていて、今遊んでおかなければ、今の楽しさを得ることはできない。その点を差し引いても、アップデートの繰り返しやサービス終了が存在するのがソーシャルゲームというジャンルだから、後日、ある時代の作品を当時の状態で遊ぶのはまず不可能だ。
 
 だから、私が選ばなかったソーシャルゲームは、これからもずっと遊べないと覚悟しなければならない。それだけに、出会ったゲームとの付き合いは大切にしていきたいし、記憶に留めたい。私は、自分の身の丈にあったかたちで、これからも末永くゲームと付き合っていきたい。