シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「俺の『艦これ』」。

 
 他人がどんな風にゲームと向き合い、どんなゲーム体験をしているのか、本当のところは誰にもわからない。
 
 『艦これ』もそうだ。
 
 『艦これ』はリソース管理ゲームだ。つまり、ゲーム運営によってプレイヤーがリソースを管理されるタイプの、あれである。だから、プレイヤーのやる事も、プレイヤーが欲することも、基本線としては同じだ――毎日、艦娘をキラキラになるまで磨き上げる。リソースが破綻しないよう“適切に”管理する。仲間になった艦娘を育てる。そんなところだろう。
 
 でも、プレイヤー個人の脳内で繰り広げられる、それぞれの「俺の『艦これ』」はどう考えても同じじゃない。ルールがシンプルで、戦闘も艦娘も疎な情報で構成されているので、『艦これ』は脳内補完や空想や妄想のたぐいに向いている。二次創作が流行るのもわかるし、贔屓の艦娘が誰なのかによっても、プレイヤーの体験は違ってくるだろう。台詞や史実を材料として、あれこれカップリングを想起する人がいるのもよくわかる。
 
 いやいや、そういう、わかりやすい二次創作性だけが問題じゃない。
 
 なんと表現すれば良いのか……「手つき」「拝み方」と言えばいいのか。
 
 例えば、1-1でキラ付けをする時。あの時に用いるレベル1の艦娘を、どのように遇しているのか?即座に解体するのか、必ず近代化改修に使うのか、そもそも禁止しているのか?
 
 もし即座に解体するとしても、その時に何を感じながら解体ボタンを押すのかが、これまた重要だ。全く何も感じずに解体ボタンを押すのか?そこで何か引っかかりを感じながら解体ボタンを押すのか?大破中波をくらったレベル1の艦娘の姿に、何か思うところがあるのか無いのか?
 
 たぶん、いや間違いなく、レベル1の艦娘を解体する際の手つきや感慨によって『艦これ』の主観的体験はぜんぜん違ってくる。
 
 世の中には、大破したレベル1の駆逐艦を眉一つ動かさずにすり潰す提督もいるだろうし、むしろ嬉々としてすり潰す提督もいるだろう。俺のように、引っかかりを感じながら、こいつら、どうしてくれようか、ちゃんと故郷に帰って普通の娘っ子として暮らしていけるのか、心配をしながら解体ボタンを押す提督もいるに違いない。そんな心配はしないって?だが考えてもみろ、こいつらは新兵だぞ、何の事情があってかは知らないが、キラ付け要員とはいえ、ともかくも前線を一度はくぐり抜けなければならぬとしたら……。
 
 こういった脳内補完のバリエーションが、艦隊決戦にも、遠征にも、近代化改修にも、イベントにもついて回るから、プレイヤーの数だけ「俺の『艦これ』」世界が存在していると思われる。そして、プレイヤーの性向や欲求、妄想技術力に応じて、そのプレイヤー自身の映し鏡のような“艦これ世界”が脳内にべっとりとこびりつく。だから、表面的には同じゲームをやっていても、脳内補完される「俺の『艦これ』」イメージは、プレイヤーごとに天と地ほどにも違う。
 
 そして、そのプレイヤー自身の脳内補完がクソのように積み重なってできた「俺の『艦これ』世界観」によって、プレイヤー自身の采配までもが影響を受けはじめる。特定の艦を贔屓する提督、すべての艦に過保護な提督、“戦争をやっている”提督では、出撃や補給のテンポ、俺ルールは変わる。例えば、疲労で真っ赤になった中破の艦娘を3-2-1に何十回と出撃させて憚らない提督もいれば、そんな不憫な事はとても出来ない、やろうと思いつくことすらない提督もいるだろう。そういった日頃の行いの積み重ねもまた、一巡巡って脳内補完の色彩にフィードバックされていく。そうやって、「俺の『艦これ』」にますます磨きがかけられていく。
 
 何を求め。
 何に満足し。
 何に躊躇するのか。
 
 そういうプレイヤーの選択のひとつひとつと、プレイヤー自身がつくりあげた「俺の『艦これ』」世界観は、たぶん一対一の対称をなしている。少なくとも、「俺の『艦これ』世界観」をせっせとこしらえている妄想的プレイヤーなら、そのはずだ。そしてプレイヤーの細かな采配に、「俺の『艦これ』」の魂が宿っていく。
 
 

「俺の『艦これ』」には、プレイヤーの執着がこびりついている

 
 そういえば、自分自身の「俺の『艦これ』」をメタの高みから眺めると、自分自身の執着を突きつけられているようで、気恥ずかしくなる。
 
 俺は、『艦これ』のキャラクター達を、なかなかぞんざいに扱うことは出来ない。提督としてお預かりしている以上、心身ともに健康な状態で終戦を迎えて貰わなければならないのだ*1。俺の「俺の『艦これ』」脳内補完では、艦娘が戦わざるを得ないことには相応の必然性がある、という設定になっている。戦いが終わるまで、やつれないよう気を配りながら、お預かりせざるを得ない。
 
 こうした“お預かり感”は今に始まったものではなく、『ファイヤーエンブレム』や『水滸伝』を遊んでいた頃からずっと続いている。データの塊であるところの、データの塊でしかないところの“ユニット”を、丁寧に扱うこと自体が、どうやら俺の愉しみらしい。戦闘経験を経て“ユニット”を育てていかなければならないゲームジャンルにおいて、そういう欲求はどこか矛盾しているような気がするが、それが俺の喜びであり、脳内補完のベクトルの向きなんだから、しようがない。
 
 それと、『アドバンスド大戦略』の記憶も、艦娘を丁寧にお預かりする手つきに拍車をかけているような気はする。あの時、手塩にかけて育ててきた“ユニット”達は、無残に散っていった。莫大な時間を共に戦ってきた“私の部下達”は、1ヘクスを守るために出撃しては全滅し、作戦遂行のための捨石として消えていったのだ。二年以上かけて育ててきたユニット達が、数日足らずで溶けていくのは堪えた。「俺の『艦これ』」では、あのような惨劇を決して繰り返してはならない。
 
 「お前は、たかがゲームのキャラクターデータに、何を思い入れしているんだ」と訝しむ人もいるだろう。
 
 否定はしない。だが、抽象度の高いゲームってのは、思い入れや脳内補完に対して前のめりにならなければ、あんまり面白くないのではないか。少なくとも、思い入れや脳内補完に適したゲームデザインの場合は、そうなんじゃないかと思う。せっかく「あなたの思い通りの脳内補完をどうぞ」って素材が与えられているんだから、物語のバックグラウンドや細部を自前で膨らませるための手続きを疎かにするなんて、もったいない。
 
 幸運にも、俺は今、『艦これ』という、壮大な脳内補完体系をこしらえるのに最適なプラットフォームに巡り会った。
 
 思い入れたっぷりに、解体ボタンを押そう。
 出撃する彼女達には細心の気配りを施そう。
 そういう一つ一つの繰り返しによって、自分が欲してやまないゲーム体験、ゲーム空想をくっきりさせよう。そして、自分自身の欲望やイメージに悪びれることなく、自分だけの、自分自身にとって最高の「俺の『艦これ』」世界を積み上げていくのだ。
 
 ……たぶん、何を言っているのか分からない人には全く意味不明な文章だろう。それでも、この文章がガッチリ伝わる人が全国に一万人ぐらいは存在するはずだ。すべての脳内補完プレイヤーに、幸いあれ。
 

*1:そういえば、年を取ったせいか、『艦これ』のデザインの妙のためか、俺は艦娘にエロを殆ど感じない。エロを感じないというのは、すがすがしいものですよ!