シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

正月放談・2024年は戦前か?

 
 
新年あけましておめでとうございます。このブログではお正月に世間について放談することがしばしばですが、久しぶりに放談したい気持ちになったので放談します。
 
7年前の2017年のお正月に、私はこんなことを書いた。
 
 
p-shirokuma.hatenadiary.com

もう、各方面の偉い人が散々述べていることではあるが、私も、2010年代は「新しい戦前」と「閉じこもり」への十年と記憶されるだろう、と思う。
10年代の前半から、軍靴の足音を想像せずにいられない出来事が何度も何度も続いている。
北朝鮮。尖閣諸島。アラブの春とその顛末。欧米で繰り返されるテロ。シリア内戦と難民問題。ロシアと中国の跳梁。そして、ホワイトカラー層の好むレトリックで言うところの“ポピュリズムの台頭”と“反グローバル主義”。
思想という意味でも、勢力という意味でも、90年代には盤石にみえて、00年代にも優勢が続いているようにみえたこれまでの「秩序」が、この数年間で大きく揺らいだ。ソ連が崩壊した頃には想像もできなかったような国際社会の地平が、眼前に広がっている。

これを書いてから7年が経過した。世界は、日本はどうなっただろうか? 7年前に起こっていたことが悪化したようにもみえるし、7年前に起こったことが順当に進んでいったともみえる。
 
間違いなさそうなのは、2017年に懸念されていた路線が、そうでない、より安全で、より既存の秩序が安定する方向には世の中は動かなかった、ということだ。
 
前回放談と今回放談の間にはコロナ禍が起こった。スペイン風邪やペストに比べればずっと防疫がうまくいったとはいえ、ある程度の死亡超過が起こった。世界の行く末という次元でみるなら、死亡超過よりもコロナ禍がもたらした経済的困難、それが顕在的/潜在的に世界各国の統治に与えた影響のほうが大きいのかもしれない。もともと経済的に脆弱だった国々にとってコロナ禍はどれぐらい痛手だっただろう? コロナ禍にまつわる経済的・社会的困難によって民心は乱れただろうか?
 
中国のようにコロナ禍を押さえつけるために非常な努力を支払っていた国々にとって、この数年間がどのような意味を持っていたのかは、現段階ではよくわからない。それ以外の国々にとってコロナ禍がどのような意味を持ち、これから何をもたらそうとしているのかも、現段階ではわからない。「現段階ではわからない」という時、しぶとく居残るコロナウイルス系列のこれからの感染状況がわからないだけではない。2020年から今までコロナウイルスに痛めつけられて生じた経済的・政治的ダメージが結局どれぐらで何をもたらそうとしているのかもわからない。
 
どうあれ、アメリカを中心としたG7などと名乗っている国々を中心とする世界秩序が回復に向かったわけではなさそうだ。911の頃に比べてパックス・アメリカーナ的な秩序はだいたい後退してきたが、この数年で一層後退した、G7のプレステージも低下したようにみえる。ウクライナで起こっていることの先行きは見えず、中東~コーカサスで起こっていることも随分な感じがする。
 
 

世界大戦のフラグを私たちは見ることができない

 
現在進行形で起こっている戦争や騒乱は局地的なものに過ぎず、世界大戦にはまだ遠い……ようにみえる。では、さきの世界大戦前はどうだっただろうか。
 
イタリアがエチオピアやアルバニアを侵略した時、それは世界大戦と呼ぶようなものではなかった。似た時期に起こり、さまざまな軍隊の兵器テストや実践経験の場となったスペイン内戦もそうだった。日本が本格的に戦争状態に入っていった日中戦争も、それ単体では第二次世界大戦と呼ばれたり意識されたりはしていなかったはずだ。
 
そうした、さきの世界大戦に先駆けて起こった戦争や戦乱はどこまで第二次世界大戦に先立つ「フラグ」として当時認識されていたのか。
 
それらと比較し、2023年にウクライナや中東やコーカサスの方面で起こったことは「フラグ」視され得るものなのか、それとも偶然に起こった別々の出来事なのか。東アジアや東ヨーロッパで加速していく軍拡はいったいどういうことなのか。2020年代に進行している軍拡の流れは90年代や00年代、いや10年代でさえ世論に容認されなかったもののようにみえる。ところが2020年代の世論は基本的にはこれを容認しているようにみえる。少なくとも激烈な反対運動が起こっているようにはみえない。世論、日本でも日本以外でも、なんだかモードが違っていませんか。
 
さきの世界大戦が世界大戦と認識されたのは、一応、1939年のドイツのポーランド侵攻とそれに続く英仏の対独宣戦布告だったよう記憶している。世界大戦という語彙には、いわゆる列強同士・大国同士が相争う必要性、それから青組赤組それぞれがチームのようにまとまりあい、広範囲の国々が戦争に参加させられる状況が似あう。ために、2023年末の状況を世界大戦と同一視するわけにはいかない。
 
でも、今から思い出すとテンションが高まりまくっているようにみえる第二次世界大戦前夜の出来事たちも、たぶん当時は「それでも世界大戦にはなるまい」的な出来事たちだったんじゃないかと想像したりする。私たちは、ひとつひとつの戦争や騒乱を世界大戦の「フラグ」として認識することはできない。しかし戦争や戦乱が続き、既存の世界秩序が動揺に動揺を重ねているありさまから、テンションの高まりをみてとることはできる。それは実生活から感じ取れるものとは思えない。本当に世界大戦に突入するそのときまで、フランスだって日本だって案外生活は豊かで呑気なものだったじゃないか。
 
当時と違ってヒトラーのように極端な指導者も、ドイツ第三帝国のような国も、今は存在しない……と信じたい。が、2020年代も中盤に差し掛かり、既存の世界秩序が力を取り戻す気配はなく、多極化と混迷の度合いは深まっているようにみえる。これから7年後の2041年、私はどんな気持ちで年初の放談をするのだろうか。心配しているだろうか。安堵しているだろうか。それとも……。
 
世界に対してはそうした心配をしつつも、個人としては今を精一杯生きていかなければならないですね。私も、あなたも。本年もよろしくお願いいたします。年初に災害や事故が続きましたが、それでも2024年が少しでも私たちにとって良い年でありますように。