ロシアがウクライナに戦争を吹っかけてから、ブログに何を書きたいのかわからなくなってしまった。戦乱のせいで気が萎えていると思う。以下の文章は、リハビリがてらに書いた、社会的なことのようにみえて個人的なことしか書いていない、そんな随想でしかない。
ゆうべ珍しく午前2時に突然目が覚めてしまい、そんな時間に目が覚めたせいか、自分がもう47年も生きてしまったことを思い出して震えが走った。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と言うけれど、四捨五入して約50年生きた間に自分がこれほど成長して衰え、日本国も世界情勢も変わり果ててしまったことが、寝覚めの瞬間に一塊となって襲ってきて、半ばパニックになってしまったのだ。
1990年、校長先生は「激動の時代」と評したが。
私は冷戦下の日本で生まれ育ち、冷戦終結の頃に十代を迎え、冷戦後の秩序がゆっくりと壊れていく時代を社会人として生きてきた。
冷戦下の思い出は、幼くて遠い。大韓航空機撃墜事件、赤の広場でのブレジネフ書記長の葬儀、それからアンドロポフ、チェルネンコという短命の書記長たちを覚えているが、それらを今に結びつけるのは難しい。
今に結びつけて考えられるのは、冷戦が終わってからの記憶だ。
32年前の1990年の3月の卒業式の時、校長先生は「激動の時代」という言葉で当時の社会状況を説明していた。前年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦というひとつの体制が終わろうとしていたのだから、まず間違った評ではなかったはずだ。
それから間もなく、テレビや新聞で「新世界秩序」という言葉を見かけるようにもなった。冷戦が終結し、新しい体制が始まろうとしている:ソ連という対立軸を失った以上、それは1991年の湾岸戦争からイメージされるような、欧米主導のもののように私には思われた。
けれども日本人の少年でしかなかった私にとって、「激動の時代」も「新世界秩序」もあまりに遠い出来事で、元号が昭和から平成に変わったからといって日常生活が大して変わらなかったのと同じく、自分にはあまり関係のない話として受け取っていた。
それから30年が過ぎて2022年。
世界情勢も日本の国内情勢も大きく変わった。
2022年から眺めると、1990年代初頭の「新世界秩序」という言葉は、冷戦の勝利におごった国々の幻想に見えてしまう。その新秩序や新体制は、アメリカ同時多発テロ事件で幕を開けたミレニアム以来、少しずつ侵食されて変質していった。今、中国は力をつけ、アメリカは世界の警察官ではなくなり、ロシアがウクライナに侵攻するに至っている。あの頃の「新世界秩序」という言葉に宿っていた高揚感は、2022年の欧米社会からは感じられない。
と同時に、1990年から眺めた2022年は、ものすごく遠く隔たった未来のように思えて、三十余年の歳月の重みにめまいがする思いだ。
本来、中国の台頭や日本の少子高齢化は予測されてしかるべきものだったし、実際、90年代の書籍を読み直すと、それらの可能性が語られている。けれどもどこか本気ではないというか、あたかも形而上の問題を扱うかのような、それか遠い国の問題を取り扱うかのような、他人事感が漂っていて2022年の私をいらだたせる。
特に少子高齢化に関しては、あなたたちの世代が未来を展望せず、対策しなかったからこうなったんじゃないかと言いたくなってしまうことが多い。いや、当時の政治状況やバブル崩壊以降の諸々を思い出せば、そんな未来を展望した政策が90年代にできなかったのは頭で理解できるのだけど。
そして空飛ぶ自動車こそ実現しなかったにせよ、今はやっぱり未来なのだ。世の中がインターネットで縦横に繋がりあい、録画も配信もその場でできるツールを、誰もが所持している時代がやってきた。そういったなかで、人間関係も、正義や倫理や道徳も、期待される人間の機能も、すっかり変わった。なるほど1990年から見れば、確かにこれは圧倒的な未来に違いない。
で、たどり着いた二十一世紀の未来とは、たくさんの進歩があっただけでなく、日本が衰退し、混乱や戦乱がだんだん近くに迫ってくるような、そんな未来でもあったわけだ。大国の正規軍が大挙侵攻することがあり得る未来、核の脅威が脳裏をよぎる未来でもある。
これらも当時の私にはまったく予測できていなかった、圧倒的な未来だ。未来は、わからないものだなー。うろたえるしかない。
世の中は変わる。自分は年老いる。
冒頭でも書いたように、こうしたことが、真夜中の寝覚めの瞬間に全部私に入ってきたから、すっかり怖くなってしまったのだった。
世の中は変わっていく。
自分も年を取っていく。
時間は流れ、元に戻ることはない。
そこに希望を見るより恐怖を見るのは、老い、それもあまり良くない老いのカテゴリーに属するのかもしれない。では、この情勢で希望を見るには一体何が必要なのか? どう自分が行動すればいいのか? もちろん日常の水準では、私はすべきことを今までどおりに積み重ねていくだろうし、それができないほど衰弱してはいない。でも、それだけでは後ろ向き過ぎる。
すべきことの外側で、私は何に希望を持って生きていけばいいのだろう? もちろん希望のはけ口も色々と思いつくけど、そうしたはけ口のどれもこれもが、この戦争によってなんだか色褪せてしまったように思え、まただからこそ寝覚めの衝撃に見舞われたのだろうと思う。
5年前に私は、平和であって欲しいが戦火が近づいている、といった正月放言を書いたけれども、その時の疑念は、パンデミック以来、ますます高まり続けている。こうした疑念から自分の「文章を書きたい」という欲求をきっちり守っていきたいのだけど、ここ10日ほど完全に失敗してしまっている。練習がてら、これを書いてみたけれども、気持ちは晴れなかった。