シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。現在、忙しいうえブログは実験モードに移行しています。

BLOGOS閉鎖とブロゴスフィアの黄昏と個人ブログのゆくえ

 
blogos.com
 
先日、さまざまなブログからの寄稿記事やオリジナル記事の一大集合体である「BLOGOS」が閉鎖されるというアナウンスメントを見かけた。BLOGOSが開闢したのは2009年で、その名からブロゴスフィアという語彙を連想するのは、00年代にブログを読み書きしていた人、特にはてなダイアリーのブログを読み書きしていた人には難しくないように思う。けれども今、ブロゴスフィアという語彙を連想する人は少ないだろう。
 
私は、BLOGOSという名前がブロゴスフィアという語彙にちなんでいると勝手に思っていて、その、ブロゴスフィアという語彙と、BLOGOSの開闢~終焉までの流れはだいたい重なっていたように思う。でもって、その一部始終はブログを書き続けている私みたいな人間にとって思い入れを喚起するもので、BLOGOSの思い出話とブロガーとしての個人的な考えのごった煮を作りたくなったので、それを書き残す。
 
 

ブロゴスフィアの栄華とBLOGOSが実現したこと

 
BLOGOSが始まる数年前、私がこのブログを書き始めた頃から、ブロゴスフィアという言葉は見かけていた。ブロゴスフィアとは、ブロガー同士が集まり、コミュニケーションし、トラックバックなどをとおして繋がりあう空間のことだったはずで、検索して調べた限りでもおおよそそんな意味だった。
 
00年代のブログの書き手には、すでにライターや著者として立場を確立していた書き手もいれば、10年代以降に立場を確立していく書き手もいて、発信メディアとして濃度が高く、それらがトラックバックによって繋がりあうことにで密度も形づくっていた。なにしろSNSといえばmixi、動画サイトやtwitterがこれから始まるぐらいの時期だったからだ。もちろん玉石混交ではあったけれども、言論空間の先っちょと言って良いような、面白い場所だったと思う。だから右肩上がりに人が集まったりもした。
 
そうやって、ブログがイノベーターのものからアーリーアダプターのものへ、そしてレイトマジョリティのものへと変わりつつある2009年に、BLOGOSは誕生した。そうした状況だったから、イノベーターなブロガーのなかには、早くもブログに見切りをつけて別天地を探す者、ブロゴスフィアに砂をかける者がいた。そうした人々がまだ新しかったtwitterやFacebookを持てはやし、早くもそれらに代わる場所を求める気の早い人すらいた。
 
けれども開闢した時期が良かったのか、寄稿記事を集めるストラテジーが上手かったのか、そうはいってもBLOGOSはひとつのスフィア、広場たり得ていたと思う。さまざまな個人ブログの転載に加えて、さまざまなプロの書き手やさまざまな立場の人間の寄せ集め……のようでいて、その寄せ集めの数をとおして、BLOGOSはひとつの空間を形成していた。それは、にほんブログ村とか、アメブロ世界とか、はてな村とか、そういった個別のブロゴスフィアともまた違った、かといって後日のハフィントンポストのようなメディアとも違った、BLOGOSならではの味と雰囲気のあるひとつの空間だった。他のブログ世界に比べて、サバサバしていたり集まりの特性がわかりにくかったりしたかもしれない。けれども振り返ってみれば、BLOGOSがアナウンスしていたところの、
 

BLOGOSは多様な意見を左右の隔たりなく同列に並べることをモットーに、提言型ニュースサイトとして運営してまいりましたが、12年の間多くのオピニオンを発信するなかで、ニュースサイトとして一定の役割を果たせたのではないかと考えております。

この、一定の役割は間違いなく果たしていたように思う。
 
実際、BLOGOSにこの「シロクマの屑籠」の記事が転載されるようになって以来、このブログ(と、それが所属していたはてな村の読者圏)の外側からお手紙をいただいたり、お誘いをいただいたりすることが重なった。BLOGOSへの記事転載については、それが無料であったり、何かゴタゴタしたことがあったりして、否定的にみるブロガーもいたように記憶しているし、実際、転載にはブロガーにとって良くない副作用だってある。けれども私の場合、BLOGOSは想定外の読者層にリーチする手段のひとつで、今でいうスマートニュースや昔でいう「かとゆー家断絶」等々の個人ニュースサイトに近い役割を担ってくれていた。だからブロガーとしての私はBLOGOSをとおして失ったものより、獲得したもののほうがずっと多かったと感じている。そうやって恩恵を受けながら、私は2010年代をBLOGOSとともに過ごしてきた。
 
 

斜陽のブロゴスフィアと、BLOGOSの終わり、そして

 
口さがないイノベーターたちがどう言おうとも、だから2010年代においてもまだ、ブログと、その繋がりあいであるブロゴスフィアにはそれなり存在感があったはずなのだ。(株)はてなのブログにしても、はてなダイアリーからはてなブログへと切り替わり、新旧の書き手がPV数やはてなブックマーク数を競い合い、やがて、売り上げを競い合った。
 
しかし「売り上げを競い合う」戦場となったことで、少なくともはてなブログのブロゴスフィアは変質していったし、折から、SNSや動画配信がレイトマジョリティやラガードにまでリーチするようになるなか、ブログがブログでなければならない理由、ブログを書かずにいられない理由とブログを読まずにいられない理由は(多くの人には)見えづらくなった。ブログぐらいの文章量を書くことと読むことが好きな人を除けば、そうだったに違いないと思う。
 
そうやって、ブログとブロガーとブロゴスフィアがインターネットの主要なコンテンツの座から、ひょっとしたらラジオに近いような座へと移り変わっていくなかで、BLOGOSの「多様な意見を左右の隔たりなく同列に並べることをモットーに、提言型ニュースサイトとして運営」は勝負がしづらくなっていったのかもしれない、個人的にはそう思ったりする。
 
こと、はてなブログの世界を振り返っても、拝金主義的なブログがわっと蔓延り、そうした人々がお金を求めて出ていった後には、だいぶ寂しくなってしまった。や、寂しくなったと言わずに寂静の境地に至ったと言うべきか。BLOGOSと違ってはてなブログの世界は、あくまで個人ブログの、個人が書きたいように書く世界だから、その命脈はまだ大丈夫だろう。しかし、変わりゆくネットメディアの需給関係のなかで、新しくて面白い人の草刈り場としてブロゴスフィアを巡回する人はたぶん減ってしまっていると思う。これからだって、ブログぐらいの文章量を書くのが好きな人、上手い人、読みたい人がいるに違いないとしてもだ。
 
私は、結局ブログを読むのも書くのも好きだから、寂しくなろうが騒がしくなろうがここに居続けるだろうし、はてなブログをはじめ、ブロガーの文章を読み続けるだろう。noteの記事だってきっと読む。だけどBLOGOSの閉鎖はブロゴスフィアの盛衰に直結した出来事だから、そうしてブログの世界全体が静かになっていくことを寂しく思わずにいられない。
 
盛者必衰。振り返ればテキストサイトの盛衰があり、個人ニュースサイトの盛衰があり、ブログとブロゴスフィアの盛衰があった。たくさんの面白いブログが現れて消え、書き手もまた、そうだった。しかしてブロガーとブログが死に絶えたわけではないのだから、寂しくなったと嘆いた後は、私は手を動かそう。いやしかし、寂しいものですね。
 
BLOGOSとそのなかのひとの皆さん、お疲れさまでした。私は皆さんの活動に助けられて今もここにいるので、もうしばらく頑張ってみたいと思います。