シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

愛別離苦な悲しい夢を見た

 
最近、命を削って原稿を書き続けているせいか、あまりうまく眠れない。昨日はひどくて午前1時と3時と5時に目が醒めて具合の悪い午前勤務になってしまった。こんなことが続いて日中活動に支障をきたすなら、もはや不眠症だろう。
 
そのせいか、最近はやたらと夢をよく見る。午前1時に目覚めた時の夢は『ヨーロッパユニバーサリス』の新作に取り組んでいる夢で、海南島のあたりに上陸作戦をしようとか夢のなかで考えていた。
 
もうひとつの夢は悲しい夢だった。私がみる夢には、ときどき伴奏のように悲しいや恐怖の感情が伴うことがある。こちらの夢もはじめから悲しさが伴奏として伴っていて、それはもう悲しかった。
 
夢のテーマは「時間の流れ」だと私にはわかっていた。
暗い部屋、目の前には還暦をとっくに過ぎた私の母が背中を丸めて座っていて、私はその肩をなでていた。そうしながら、鬼籍に入って久しい父方/母方それぞれの祖父母の顔を思い出していた。時間は人を容赦なく老化させていき、やがて命は失われ、二度と会えなくなる。母の肩をなでながら祖父母の死を思い出し、やがて、母とも会えない日が来るのだろうと思った瞬間、暗かった部屋の照度がさらに下がった。悲しさの感情的伴奏は、ますます高まっていく。
 
夢のなかで誰かが泣いているような気がした。それは母ではなく、私でもなく、小さな子どもの泣き声だった。やがて暗闇のなかから、私が4歳の時に撮ってもらった写真が登場し、そうか、この泣き声は4歳の時の自分自身で、悲しいのも自分自身なのかと理解した。ところが直後、その写真から別の誰かが飛び出してきた。それは幼児期の頃の私の子どもだった。実は泣いていたのは私の子どもで、それは悲しみによるものとも限らなかったのだ。飛び出してきた幼児期の私の子どもは、しっかりと子どものにおいがして、身体、特に頭がとてもあたたかかった。そうだった、子どもは頭があたたかくなるものだったよな、と覚醒の直前に私はうれしくなったけれども、いざ目が覚めてみれば、残ったのはいつか来る別れの予感と、決して戻れない過去への哀惜ばかりで、いたたまれない気持ちは覆されなかった。
 
私たちはただ真っすぐに年を取り、今、夢中になっていることごともたちまち過去に属していく。生前の祖父母も、幼児期の頃の私の子どもの頭のあたたかさも、夢のなかでしか会えない記憶となってしまった。やがては現在の母も、現在の私自身さえもそうなってしまうのだろう。私は仏教をとおして定命のさだめを自分自身に言い聞かせているつもりだけど、実際にはまったくだめで、こうして喪失と無常を思い出すたびに涙ぐむ。
 
それは執着にほかならない。それも、追いかけても仕方のないタイプの愛別離苦のたぐいだ。頭では理解している。しかし私たちは容赦なく年を取り、別離のブラックホールへと着実に吸い込まれていき、私の悲しみと喪失へのおそれは糊塗しきれない。私たちは人の間で生きなければならないのに、人と別れなければならないようにできている。そのことが、今朝の私にはただただ悲しかった。