シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

映画『パラサイト』にみる、におい・ハビトゥス・階層

 
www.parasite-mv.jp
 
久しぶりに韓国映画を見てきた。
 
『パラサイト 半地下の家族』が私の周囲で話題になっていたのと、最近読んだ『韓国 行き過ぎた資本主義』という本にも半地下住宅のことが書かれていて、気になったからだ。
 

韓国 行き過ぎた資本主義 「無限競争社会」の苦悩 (講談社現代新書)

韓国 行き過ぎた資本主義 「無限競争社会」の苦悩 (講談社現代新書)

  • 作者:金 敬哲
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/11/13
  • メディア: 新書
 
『韓国 行き過ぎた資本主義』は、韓国社会の悪いところをちょっと大げさに記しているのではないか、と私は思っていたし、たぶん、今でもそう思いたがっている。ただ、そこに記されている統計的な傾向、たとえば韓国が超競争社会であること、社会保障が日本に比べて整備が遅れていること、世代間格差や世帯間格差が大問題になっていることは、あちこちで報じられている。たとえば、
 
www.ifengweekly.com
 
外国のメディアでも、韓国社会の困難な状況はやはり報じられていた。
 
 

『パラサイト』で描かれた「におい」(たぶんネタバレ無し)

 
予想どおり、『パラサイト』は韓国社会の格差に思いをはせずにいられない作品だった。これが本当に公正な社会の姿なのか、あるべき社会の姿なのか、『パラサイト』を見て考えずに済ませられる人はあまりいないだろう。
 
映画館には「ネタバレ会話厳禁」と張り紙がしてあったし、たぶんネタバレしないほうが楽しめると思うので、作品のメインストーリーについては触れない。
 
それでも、半地下住宅に住む貧乏一家と、山の手の豪邸に住む金持ち一家の「におい」にまつわる話はセーフではないかと思い、「におい」とその周辺の「ハビトゥス」について記す。
 
冒頭、半地下に住む貧乏一家は、路上で立小便する酔漢に悩まされ、路上に散布される消毒剤にせき込む。半地下住宅は足元の高さに窓があるため、窓を開けるといろいろな路上の災厄が入ってくる。なら、窓を閉めればいいかというと、半地下はジメジメしていてカビ臭いからそうもいかない。住まいとして到底満足できるものではないけれども、高い家賃を払えない貧乏一家は半地下に住まざるを得ない。
 

韓国映画パラサイトにでる半地下は住めるの?
 
ちょうど、韓国じんのすけさんというYoutuberが半地下について語っている動画を見たけれども、なかなか大変そうだ。
 
半地下に住み続けていれば、洗濯物は生乾きになってしまう。そのうえ住まいがカビ臭ければ、臭いが身体と衣服に染みついてしまうだろう。長いこと半地下に暮らしている貧乏一家の面々は、そのことにはじめ気づかない。
 
いっぽう金持ち一家は、カビ臭さを身にまとった貧乏一家の「におい」に気付く。だが、半地下の暮らしを知らない金持ち一家は、その「におい」の正体を見抜くことができない。作中のセリフを正確に思い出すことはできないが、確か、「我慢ならないにおい」「何度も絞った布巾のような」「地下鉄利用者のにおい」などと言っていたと記憶している。
 
金持ち一家は、その「におい」を良くないものとみなしているが、それがどういった境遇の産物かは知らないし、そのせいか、きわめてカジュアルに不快がっている。
 
私の記憶では、金持ち一家が貧乏一家のメンバーに、面と向かって「におい」が不快だと言い放った場面は無かったように思う。それでも「におい」をめぐる感覚の不一致が、金持ち一家と貧乏一家の間に埋めがたい溝をつくっているように見えてならなかった。
 
 

「におい」や「ハビトゥス」の階層化

 
してみれば、半地下という住まいは「におい」を「階層化」してしまう社会装置、ということになる。
 
快適で清潔な住まいに暮らす金持ち一家は、カビくさい「におい」とは縁のない生活をしているし、それゆえ「におい」には敏感だ。そこまで富裕でなくとも、日当たりの良い場所で生活している中産階級も「におい」とは縁のない生活ができるし、同じく「におい」に敏感になれるだろう。
 
ところが半地下に住んでいれば「におい」が生活に、身体に染みついてしまうし、自身の「におい」にも敏感になれない。誰かが自分を「におう」と言っているのを耳にした時はじめて、自分自身の「におい」に気付き、それが半地下という住まいに由来していること、もっと言えば貧困に由来していることを自覚させられる。
 
もし、「におい」が無精の所産なら、言い訳の余地もあろうし、改善の余地もあろう。しかし住まいに由来し、貧困に由来していると自覚した時、「におい」を巡るギャップはのっぴきならないものになる。
 
「階層化」という視点でみるなら、『パラサイト』の金持ち一家のさまざまな性質も階層を象徴していた。彼らは穏やかな言葉遣いで、「とても素直ないい人」で、「だまされやすい人」だった。わかりやすい金ピカ趣味によって階層が露わになるだけでなく、身のこなし、考え方、趣味、性格傾向といったハビトゥスまでもが階層をにじませていた。
 
貧乏一家のメンバーは、そうした階層によるハビトゥスの違いをはっきりと読み取っていたが、「におい」と同様、金持ち一家はあまり気付いていない様子だった──このハビトゥスを巡るギャップも、『パラサイト』は高い解像度で描いていた。
 
 

このギャップは日本にも潜在している

 
日本に引き寄せて考えた時、『パラサイト』で描かれていた「におい」や「ハビトゥス」を巡るギャップは目立たないように思える。1980年代にデオドラント革命が起こった後、日本には無臭無香料な生活習慣が定着したし、IMF通貨危機を経てバトルロワイヤル状態に突入した韓国社会に比べれば、生活保障もマトモだし、格差や階層にもとづくギャップは表面化しにくいかもしれない。
 
それでも時折、ギョッとするような状況に出会うことはある。
 
ふだんは穏健な意見を言う、おそらく良識的と思われる人が、こと「におい」や「ハビトゥス」にかかわる話題になったとたん、排除の意志表明をしたり露骨な嫌悪を浮かべたりする、そういう瞬間は珍しくない。ふだんから排他的で良識を欠いている人なら驚きもしないが、いかにも良識的な人の口から排除や嫌悪がナチュラルに漏れ出ると、それが殊更キツく感じられたりする。ところが「におい」や「ハビトゥス」についての感覚はあまりにも当たり前になっているから、自覚しようと思ってもそう簡単にはいかない。
 
そういう、当人には簡単には自覚できないギャップと、それに関する排除や嫌悪のしぐさが「におい」や「ハビトゥス」の領域に潜在していること自体は、日本社会も同じだと私は思う。
 
『パラサイト』は実に盛りだくさんな作品なので、こうした「におい」や「ハビトゥス」の差異は小道具のひとつにすぎない。が、これならネタバレを避けられるし、これもこれでのっぴきならない問題系なのでブログに書き残すことにした。
 
関心を持った人は、ぜひ映画館へ行って実物の作品をご覧になっていただきたい。とにかく、『パラサイト』はのっぴきならないものを描いた作品に違いないから。