シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

子どもが惰性でゲームやるとか、ないわー

 
 先日、Books&Appsさんに「惰性でゲームを遊ぶような姿は子どもにみせないし、子どもがダラダラ惰性でゲームやっていたら止める」みたいな記事を投稿しました
 
 そしたらtwitter側にたくさんのご批判が集まって、うわーマジかー、と思いました。
 
 「惰性でゲームを遊べないのは地獄」「カジュアルゲームをないがしろにしている」といったご批判が結構あったのです。
 
 私は、そこらのおじさんおばさんが通勤電車のなかで暇つぶしとしてゲームをやるのは否定しませんし、例えば、ソーシャルゲームのデイリーミッションに集中力を割いてもしようがあるまいと思っています。
 
 しかし、子どもが「暇つぶしとして、惰性で」ゲームを遊ぶことには、やはり不自然で不健康な印象を禁じ得ません。ゲームに限ったことではなく、子どもが遊びを「暇つぶしとして、惰性で」遊ぶこと自体が、望ましくないし、なんだか不自然なことのように思えるんですよ。
 
 これは私の観測範囲の問題かもしれませんが、子どもが遊びを楽しんでいる時って、夢中になって没頭しているところがあるように見受けられます。昆虫採集でも、ごっこ遊びでも、キャッチボールでも、縄跳びでも、なんでもそうです。傍にいると、遊びを楽しんでいる気配が全身にみなぎっているのが感じられるものです。
  
 私は、そうやって子どもが何かに夢中になったり没頭したりしている時間を、かけがえないものだと思っています。単に楽しいなだけでなく、将来、子どもが自分自身のために夢中になったり没頭したりしなければならない時の貴重な原資となるでしょう。
 
 世の中には、他人に命令されたことにはおとなしく従うけれども、自分自身の望みのまま、夢中になったり没頭したりできない人っていうのが結構います。カサカサした人といいますか。先天的にそうだという部分もあるでしょうけど、夢中になったり没頭したりする体験が足りなかった、という後天的な要素もあるように見受けられます。
 
 子どもが大人になるためには、遊びと勉強や仕事を分けて捉える姿勢も身に付けなければならないでしょうし、夢中になりにくい事をこなす能力も必要です。ですが、そういった小難しい社会的課題をこなすだけではダメで、その前に、夢中になって遊ぶ体験をしっかり積み重ねておかなければ「自分自身のために夢中になれない人」「自分自身のことに没頭できない人」になりかねないのではないでしょうか。
 
 ですから、子ども時代の遊びは、将来の勤勉性やライフスタイルや人生哲学に影響する、とても大切なものだと私は思います。子ども時代、遊びに対してどのような態度を取っていたのかは、将来、自分自身のために何かをやろうと思った時の態度に反映されることでしょう。子ども時代の遊びってのは、まさにハビトゥスなんです。その人の人生に対する態度を左右する、文化資本なんです。
 
 

「ゲームに夢中になる時間」を大切にして欲しい

 
 だから私は、子どもにゲームを禁止したいとは思いませんが、「遊び」としての値打ちの乏しい、ただの暇つぶしとしてコントローラを握るような、ディスプレイを濁った目で見つめるようなゲームプレイは禁止したいと思っています。
 
 ゲームに夢中になっていたり没頭していたりするなら、それはいいんですよ。そういうゲーム体験はどれだけあっても良いと思うし、まさに貴重な時間だと思います。だけど、身の入らない雑なプレイで散漫に時間を潰すのは百害あって一利なしです。そういう姿勢を、ゲームに限らず、他の遊びでも仕事でも勉強でも実践し、休むべき時には休むような、メリハリのある生活態度を家族全員で営もうってのが我が家が目指すべきハビトゥスです。
 
 「遊び」はダラダラやるもんじゃなくて、夢中や没頭を伴った、どこか研ぎ澄まされたものであるべきなんですよ。体力も集中力も落ちている時に、暇つぶしなどと称してダラダラやるのは望ましいものじゃないし、そんな非効率な生活習慣がベッタリこびりついても良いことなんて無いんじゃないでしょうか。
 
 うっかり者が勘違いするかもしれないので断っておきますが、私は「ゲームをスパルタ式にやれ」「ゲームの達人になれ」と子どもに望むわけではありません。ゲームに夢中になっている時間・没頭している時間を大切にしてくれればそれで良いのです。そしてゲームから経験値や思い出をたくさん吸い上げてもらいたい。だから、『スーパーマリオブラザーズ』で一生懸命にクッパを倒そうと頑張る時間だけでなく、『ポケモンGO』のポケモン図鑑を眺めてウットリする時間や、『マインクラフト』で気ままな一日を過ごす時間も、それはそれで貴重だと思います。
 
 ただし、眠いのを我慢するために惰性でゲームやるとか、やることが無いから気抜けしたサイダーのようにゲームをやるとか、そういうのはやめましょうよ、というのをルールにしているのです。
 
 ゲームも勉強も、夢中になる時間や没頭する時間ってのが一番経験値効率が良いし、そのためにも、体力や精神力を無駄遣いしないような生活習慣を身に付ける必要があります。それを、親がやってみせて、子どもにも身に付けてもらうことが、せっかちな“早期教育”のたぐいよりもずっと大切で、後々に効いてくるんじゃないかと私は思っています。
 
 「夢中になって取り組む時間」をできるだけ多くして「散漫な暇つぶし」をできるだけ少なくするのは、社会適応の基礎技術です。そういう基礎を、ゲームを介して親から子へと伝授したいものですね。こういうことは学校じゃあまり教えてくれませんから。