アニメ見放題とかアニソン聴き放題のサービスどんどん増えて、これで面倒な録画の手間から解放されて移動中も時代の最先端のアニメ観られるぞいと思ってたのに、最新どころか学生時代に何度も見たアニメを無限リピートして昔に思いを馳せるだけになってしまった。もう新しいものに全然ついていけない。
— Caren (@caren_eth1) 2018年4月16日
歳とってやっと懐古おじさんの気持ちがわかってきたけど、アニメは好きなはずなのに、新しいものを24分観るのに体力使うし話受け入れるまでに昔より時間かかるしキャラの名前覚えるのが苦痛に感じてしまう……だからいにしえの作品”も”観られると無意識にそっちに逃げ込んでしまう(◞‸◟)
— Caren (@caren_eth1) 2018年4月16日
上掲のツイートをした方は、たぶん、私よりも幾分年下のオタクなのだと思う。そんな彼がこのように書いているのを読み、それを肯定したくなったので、今、反射的にこれを書いている。
どうにも趣味が古くなったことを否定できなくなった
最近はアニメやドラマが見放題になるサービスがいろいろあって、オタクなら一つや二つぐらいは加入しているだろう。かく言う私もアマゾンプライムには常時お世話になっていて、ときどき、他のサービスに課金したりもしている。
で、そういう見放題サービスで何を観ているのかというと、新作アニメを観るために使っているつもりだけど、うっかりすると過去の作品をゲロゲロ眺めてしまうことがあり、先日もつい、初代『ガンダム』に出てくるジムの雄姿を確かめるために一時間も突っ込んでしまった。

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00年代懐古用のマイリストを覗くと時間が溶ける。「萌える」という言葉が生き残っていた時代の思い出に首まで浸かっていると忘我の境地になる。しかしそれは青春時代を懐かしむ中年であり、NHKの火曜コンサートを楽しみにしている高齢視聴者とたいして変わらない。
かろうじて私がオタクの残骸ではないと自覚できる瞬間があるとしたら、新作のゲームやアニメを楽しんでいる時、だろうか。
ゲームに関しては私はまだ息が続いていて、今は『スプラトゥーン2』をさんざんやりまくっている。生活と趣味の兼ね合いを考えるなら、今、私はあまりゲームをすべきではないのかもしれないが、こと、ゲームに関しては貪欲さを失っていない。人生の残り時間の何%かをゲームに費やすことに躊躇いがなく、ゲームは自分の人生の必須アミノ酸だと思っているふしがある。
だが、アニメの新作を選ぶ際には「古い趣味だ」と自覚することが増えた。
今季のアニメも、視聴継続が確定しているのは『シュタインズ・ゲート ゼロ』と『銀河英雄伝説 Die Neue These』。そのほかは模様眺めとなっている。前季のアニメでは『りゅうおうのおしごと!』という、ある方面のテンプレートを洗練させきった、しかし00年代じみたセンスの作品が肌に合っていると感じてしまった。
どんなに新しいアニメに触れているつもりでも、チョイスに長年の嗜好が染みついていて、自分が疲れないアニメ・異物が入ってこないアニメを、どこかで選びたがっている。ゲーオタがメインでアニオタがサブという位置づけの私にとって、アニメ視聴はオタク=アイデンティティの大黒柱ではないから、アニメに存在理由を求めているわけでもあるまい。だとしたら、私は思春期以来の惰性と習慣にもとづいてアニメを視聴し続けているのだろうか──。
マーケットは、そういうオタクおじさんを上手に回収している
とはいえ、現在のオタクおじさんにとって、ゲームやアニメの近況は悪くない。むしろ非常に恵まれている。
『カードキャプターさくら』『ゲゲゲの鬼太郎』『キャプテン翼』などは、21世紀に蘇るとは思ってもみなかった。今更『ガンダムW』が再放送されているのも、要はそういうことだろう。数年前にヒットした作品の続編やスピンオフまで含めると、後ろ向きな中年でも楽しみやすいタイトルが、結構な割合で放送されている。こうした状況が若いアニメファンにとって好ましいものなのか、疎ましいものなのかは、私にはわからない。どうあれ、いくらか年を取ったオタクおじさんには手を出しやすいレパートリーではある。
ゲームの世界でも、オタクおじさんが喜びやすい作品は少なくない。『ドラゴンクエストビルダーズ』のような作品は、感性がファミコン時代に止まってしまったドラクエファンでもマインクラフトっぽい遊びができる(しかも、イコールではない)ゲームとして、やりやすいものだと思う。また、我が家では、『ドラゴンクエストビルダーズ』や『ゼルダの伝説 Breath of the Wild』などを通して、耳馴染みのゲームBGMが子ども世代に継承されている。それはおじさん冥利に尽きることだ。
『FGO』にしたって、エロゲー時代の遺産がこんなに立派に復活して、それでいて『パズドラ』風の……というより『ビックリマンチョコ』風のテイストをも取り込んでいて、老若男女が遊んでいるのを目にしていると、「これでいい、これでいいんだ……」という奇妙な安堵感に包まれる。
また、Nintendo SwitchやSteamには、レトロなゲームを遊び直したり、レトロなゲームをリファインした新作に触れたりする機会がたくさん取り揃えられている。オタクおじさんやその錆びた残骸が、認知症になるまで懐古し続けても遊び飽きないぐらいにレパートリーが整備されつつある。
私は、現在のアニメ界隈やゲーム界隈をこんな風に体感している。おじさんでも楽しみやすく、それでいて若い人にも何かを提供している作品が界隈に溢れているのは、本当にありがたいことだ。そういうご配慮(と言う名のマーケティング)のおかげで、私は安んじてゲームを遊び、アニメを観ていられるのだろう。
「俺のようにはなるな」とは言わない
こういう後ろ向きな趣味生活に対して、若い人のなかには「こんなオタクおじさんにはなりたくない」と思う人もいるかもしれない。正直に言うと、私も若い頃は、年上の錆びた残骸を反面教師のように捉えていたふしがある。けれども今の私は「俺のようにはなるな」などと言うつもりはない。
このような保守的で、時計の針が止まってしまったかのような愛好家の姿は、新しいコンテンツにも目を通している若い愛好家からはまったく誉められないものでしょうし、反面教師にしたいと感じる人もいるに違いありません。
ですが、サブカルチャーを心底楽しんでいた青春時代が終わって、もっと他のことにも目を向けなければならない年頃になってからの落としどころとしては、いちばん無理がありませんし、そういった道を選んだからといって、人生の選択を誤っているとは私には思えません。むしろ、自分にとって本当に大切なコンテンツに的を絞ることで、最小の労力で自分の趣味の方面のアイデンティティをメンテナンスし続けられているとも言えます。
『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』より
どだい、三十代や四十代にもなって、十代や二十代と同じ感性・同じ態度でアニメやゲームに接しているほうが、中年のありかたとしてはどこかおかしい。いつまでも続く夏休みなんて存在しないのだ。
それよりは、精神的・肉体的な加齢にあわせて趣味生活を軌道修正していくほうが、人として無理が無いだろう。過ぎていくものを嘆くより、来るものを喜び、あるがままに生きたほうが人生はきっと生きやすくなる。それは、アニオタの道やゲーオタの道だって同じではないか。
思春期に思春期らしいオタクライフを過ごすのは、もちろん素晴らしいことだ。そういう時期に出会ったアニメやゲームは魂の一部になる。でも、そういう時期が終わった後も人生は続くし、魂の特等席をなにがしかの作品が占拠してしまった後も趣味生活は続く。私はそういうのを投げ捨ててしまうのでなく、ぎりぎりまで楽しんでいきたいと思う、たとえそれが、後退戦のような趣味生活になったとしても。