シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

インプットする時間だけでなく、考える時間も必要

 
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リンク先で、筆者の安達さんは大事なことを言っているように思えたけれども、はてなブックマークではあまり評価されていない様子だった。
 
「浅い話と思われたくないなら・実際にこなれた話ができるようになるためには、誰かのコピペをリピートしているだけでは良くない。」それは本当だと思う。ネットの受け売り、本や雑誌の受け売りコピペは付け焼き刃と思われやすい。どれだけトリビアルな知識をトリビアルに集めても、それはトリビアルなものでしかなく、浅薄な知識でしかないと見抜かれてしまう。そして、トリビアルな人という評価に終わってしまうだろう。
 
安達さんは、
 

だから、社会で「値踏み」をされても良いようにしておくには
「ちゃんとした洞察を得るように、様々な事象について、普段から時間をとって考えておく」
以外の道はない。

と書いている。
 
本当にそうだと思う。知識を暗記することと、それについて考え、縦横に使いこなすことはイコールではない。暗記したばかりの知識は、そのままではなかなか使いこなせない。安達さんがおっしゃる「普段から時間をとって考えておく」は、それに対する解決法のひとつなのだと感じた。暗記しただけの知識は、糸の通っていない数珠や烏合の衆のようなものだと思う。
 
 

本を読み過ぎると"消化不良"を起こす

 
ここまでは安達さんの話。
ここからは私自身の話をする。
 
昔から私は、本を読み過ぎると"消化不良"を起こすと感じていて、本を読む質と量を制限してきた。難しい本を一度にたくさん読み過ぎると、理解の質が大幅に落ちてしまうのだ。「怠惰の言い訳だろ?」と指摘する人もいるだろう。しかし、げんに私には読書の適量がある。適量の時はある程度の効率と正確さをもって挑める読書が、用量オーバーになってしまうと効率も正確性も下がってしまう。
 
50歳になるまでに、そうした読書の最大用量はゆっくりと増えてきて、今は人生で一番たくさん本が読める状態だ。それでも、めちゃくちゃに読書を続けると読んでいることが頭に入りづらくなる基本性質は変わらない。だから読書の質・量を欲張りすぎてはいけない。
 
「難しい本を読破した」というカタルシスはそれはそれで貴重だが、せっかく難しい本を読破するなら、書いてあることを自分が使いこなす……とまではいかなくても、自分なりに知識を振り回せるぐらいでなければならない。
 
理想論を言えば、獲得した知識を適切かつ正確に振り回せるのが望ましい。でも、それは不可能だから、まずは獲得した知識で素振りぐらいはできるようになっておきたい。せっかく知識を獲得したなら、それで何かがわかるようになるとか、それで何かを考えるのに利用できるようになるのが好ましく思う。深海探査についての知識、人体の構造についての知識といった、純粋にサイエンティフィックな知識にしても、既知の自分の知識とどこが重なり合っていてどこが重なり合っていないのか、等々を振り返ってみる余地はある。
 
で、そのために何が必要かと言ったら、やっぱり安達さんがおっしゃったのと同じく、インストールした知識について時間をとって考えておくことなのだと思う。知識を獲得しっぱなしにするのでなく、知識で素振りをする・知識で色々なものを叩いてまわって音色を確かめてみる。その知識を何かに適用してみたり別の知識と比較検討してみる。そういった時間がないと、獲得した知識はお蔵入りしてしまうだろうし、なんなら、忘れてしまうのも早いんじゃないだろうか。
 
 

「隙間時間を使ってインプットする」はどこまで正解か

 
世の中には、インプットに余念のない人がいる。私はたくさん本が読める人、たくさんインプットできる人を羨ましいと思うと同時に、「でも、そんなに知識を仕入れたら、素振りする暇がなくなるんじゃないの?」「いつ、他の知識との互換性確認や接続をやるの?」と思ったりもする。
 
たとえば電車やバスに長時間乗って通勤している人が毎日読書しているとしたら。インプットという観点では時間効率が良いと思う。でも、インプットしてばかりで、そのインプットした知識を素振りしたりいじったりしなかったら、総合的にみて効率は下がってしまい、さっき私が書いた“消化不良”を起こしてしまうと思う。
 
だから効果的に学ぶためには、読書をはじめとするインプットと、そのインプットを使ってみたり血を通わせたりするための時間やトライアルの両方が必要で、両者のバランスを取ることが大切なはずだ。出勤の時間に学んだ知識を、退勤の時間に空を見上げながら思い出すぐらいのゆとりは必要なんじゃないだろうか。
 
 

昔の人が、いいこと言ってるじゃないか

 
ここまで書いて、ふと思い出した。
こういうのをピタリと言い当てた偉い人が昔いたじゃないか。
 
【学びて思わざれば則ちくらし、思いて学ばざれば則ちあやうし】
 
インプットだけでは身に付かないし、自分の頭で考えるだけも危ない。それは、論語の時代も今も変わらない。
 
 

ブログを書くのはおすすめです。

 
でもって、獲得した知識をさっそく素振りしてみる、とりあえずいじくりまわしてみる場所として、ブログはとても良い。SNSでも構わないと言えば構わないが、ブログのほうが文字数制限がないので伸び伸びと知識を素振りできる。SNSに比べて過去ログを振り返りやすいのも利点だ。
 
このブログ『シロクマの屑籠』も、そうした私の知識の素振りの場所、知識をいろいろ試してみる場所という側面が相当あって、約20年近くにわたって思考実験場として活躍してきた。間違ってもいいじゃん、ブログだもの。インプットして間もない知識で粘土細工をつくってみるワークショップとしては、ブログは今でも最優秀のメディアのひとつだと思う。インプットした知識をこねまわしたい人は、どうぞ。
 
 
 
(この文章の本文はここまでです。以下は、常連さん向けの短いつぶやきでしかありません)

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