シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

助言を受けとめられない精神疾患(状態)も多い

 
anond.hatelabo.jp

 
はてな匿名ダイアリーで、「精神疾患治すのに、栄養が大事だよと伝えても伝わらないのはなんでですか?」という短文が記されていた。以下がその内容だ。
 

精神疾患治すのに、栄養が大事だよと伝えても、伝わらないのは何でですか?
食事内容が目茶苦茶で元気になれるわけないのに。。。
辛くて余裕がないと言うけど。。
辛くない日もあるよね? そういう日を使って考えるのはどうなの?

 
しかし、精神疾患の治療に際して、「栄養が大事」と伝えても患者さんに伝わらないか、伝わらなかったようにみえる況はいろいろ思いつく。
 
 

「栄養が大事だよ」というコメントが伝わったっぽい場合もあるかも

 
はじめに、精神疾患の患者さんに「栄養が大事だよ」というコメントが伝わる場合を想定してみたい。
 
精神疾患にも色々あるが、最近は診断基準が緩くなった精神疾患もあるため、比較的軽症例の患者さんの場合、そうしたコメントを聞き、行動を変える余地があるかもしれない。たとえば軽症のうつ病と診断された人の場合、助言を受けてライフスタイルを改変する・食生活に注意するといったこともできるかもしれない。
 
それにしても「栄養が大事」とは曖昧きわまりない助言だ。精神疾患に限らず、およそ治療において睡眠や食事が重要なのは事実ではある。食べやすく、おいしく、栄養価のバランスにも優れた食事が摂れるにこしたことはない。
 
でも、その優先順位はどれぐらいだろう? 睡眠、食事、通院、服薬、社会的援助の手続き、リハビリ等々、患者さんがやったほうが良さそうなことはかなり多い。そのなかで「栄養が大事」という助言をどれぐらい重視すべきかは、ケースバイケースとしかいいようがない。
 
比較的軽症のうつ病の患者さんが、すごく粗末なものしか食べていない例なら、「栄養が大事」という助言がベストチョイスかもしれない。だけど栄養状態が心配されるほどの人は、えてして精神疾患としての重症度が高い。その重症度が高ければ、「栄養が大事」と言われても行動を変えられない背景があることが大半だ。
 
 

重症度が高い精神疾患では、考えるのも行動するのも困難になる

 
重症度が高い精神疾患においては、助言はそう簡単に実行されない。なぜなら、助言に耳を傾けるのも、助言を理解するのも、助言どおりに行動するのも困難になっていることが多いからだ。
 
たとえば重症度の高い状態の統合失調症の患者さんを想定してみる。統合失調症の症状としては、世間では幻覚や妄想がよく知られている。それらも含め、統合失調症では思考プロセスに障害が生じていることが多い。甚だしい場合、滅裂思考とか言葉のサラダと呼ばれる状態に陥り、意思疎通が困難になる。
 
そんな状態の患者さんには、助言に耳を傾ける余裕はない。聞いていたとしても、助言を咀嚼することも、助言どおりに行動することも難しくなっている。一般に、そうした思考プロセスに大きな障害を呈している患者さんの治療には、抗精神病薬というカテゴリーの薬物療法が重要とされている。そうした状態の患者さんは食事摂取ができていないことも多く、水分摂取も不十分なために点滴治療を必要とする場合も多い。
 
うつ病も、重症度が高くなれば助言どおりに行動できなくなる。うつ病では、統合失調症の患者さんと同じタイプの思考プロセスの障害は起こっていないと一般に考えられている。しかし、うつ病の重症度が高ければ高いほど、思考は普段よりもスローになり、考えること自体も苦痛になる。思考抑制などといわれる症状だが、そうした状態で、誰かの助言に耳を傾けるのは簡単なことではない。まして、助言どおりに生活を改善させるのは困難だ。うつ病では、自分がいつも楽しみにしていた娯楽ですら、前と同じようには楽しめないことが多い。
 
そしてうつ病の患者さんの多くは、食欲や食事摂取になんらか異常をきたしている。過食や体重増加がしばしばみられるが、食欲低下と体重減少はそれよりもっと多くみられる。こうした患者さんに「栄養が大事」と助言しても「こちとら、食べたくても食べられないんだよ」としか答えようがない。
 
食べ物の味がわからなくなっていたり、砂をかむような感覚になってしまっている患者さんもいる。そうした患者さんは、「食欲はないけど栄養が大事だとわかっているから、可能な範囲で、無理矢理でも食べている」ことがままある。睡眠と並んで食事摂取はとても大切な要素なので、そうしていただいて助かる部分もある。でも、そういう患者さんにかけるべき言葉は「栄養が大事」よりも「頑張って食べててくださって助かります」や「今はそれぐらい食べてもらえれば御の字です」のような気がする。
 
こんな具合に、重症度が高い精神疾患では「栄養が大事」という助言が伝わらないか、実行困難であることがとても多い。「わかっちゃいるけどできない」場合や「わかっているから無理して食べている」場合もあるだろう。病気を治すうえで栄養が大事なのはそのとおりだけど、精神疾患の重症度が高い状態の人の場合、それが伝わらない可能性や伝わっても実行困難な可能性を考えておきたい。患者さん自身が一番それをわかっていて悩んでいる場合もあるので、そういう患者さんに追い打ちをかけるような言い方にならないようにも気を付けたい。
 
 

「一人じゃ難しい?」 そう思います。

 
ここまでを読んで、「こんなに思考や行動が障害されたら、一人で対処できないんじゃないの?」と思った人もいるかもしれない。実際問題、一人で対処しきれないことは多いように思う。
 
思考や行動が障害されてしまうと、なにもかもが遅延し、なにもかも手に付かない。そうなると、食事もとれない、部屋も散らかる一方、寝床も整えられない、挙句の果てに部屋の真ん中でぼーっとしている……といったシチュエーションすら起こり得る。
 
だから、孤立した状態の患者さんの治療はそうでない患者さんの治療よりも難しいと言える。家族やパートナーが援助してくれるのと、孤立無援であるのはまったく違う。昨今は、孤立無援の患者さんに福祉や行政による援助が伴うこともある。とはいえ、それらも万能ではないので、社会的孤立はなおも大きなハンディキャップとして意識される。
 
さらに厄介なのは、精神疾患そのものが、患者さんをじわじわと孤立や孤独へと向かわせがちだ、という点だ。多くの精神疾患では、コミュニケーションの礼儀作法やTPOがうまくできなくなったり、著しくしんどくなったりする。もともとはコミュニケーションが非常に上手だった人でも、たとえばうつ病が長引いた場合、誰に会うのもおっくうで、誰に会ってもネガティブなことしか言えないからと長くひきこもっていれば社会関係がだんだん切れてしまう。双極性障害や統合失調症の重症度が高く慢性の状態も、患者さんの社会関係を大きく阻害する。
 
さきほど書いたように、昨今は福祉や行政による援助システムがある。訪問看護や訪問ヘルプサービスなどが孤立や孤独によるハンディキャップを一部補ったり、栄養摂取に関連した援助(買い物や食事準備の手伝いなど)を手伝ったりすることはあるだろう。
 
とはいえ、それらも完璧ではない。思考や行動の障害度合いが重ければ一人暮らしは相当に大変だと考えなければならない。思考や行動は、生活にも仕事にも社交にも休息にも、いや、あらゆることについてまわる。だから精神疾患は(社会)適応の根幹を揺るがす。重症度の高すぎる精神疾患においては、入院治療が勧められることがあり、ときには医療保護入院や措置入院といった当人の同意がない状況での入院制度も存在している。思考や行動の障害があまりに重たく、自身で対処ができないだけでなく、判断も困難になっている患者さんを目の当たりにする時、そうした制度が存在するのもやむを得ないと私は感じる。
 
 

なお、いわゆる発達障害の話は今回はしていません

 
これでこの話は終わりにするけど、念のためお断りを。
 
今回の話は、神経発達症群(発達障害)についての話はしていない。神経発達症群に当てはまる人には、それはそれで別の思考や行動の問題……というより特性があるだろう。だが、ここで私が雛型として挙げているのは、うつ病や統合失調症といった、人生の中途で新たに発症した精神疾患であって、幼少期から引き続いて特性がみられるタイプのものではない。
 
ただし、神経発達症群に当てはまる人も人生の中途で精神疾患を新たに合併することは珍しくないので、そうした場合には、ここに書いたことはある程度当てはまるか、もっと甚だしくあてはまるかもしれない。