シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

現代人の超自我と、逃れられない「こころ」の問題

 
最近は見かけることも少なくなったが、かつては神経症とかノイローゼとかいった「こころ」の病名をよく見かけた。
 
これらはフロイト以来の精神分析にかかわる「こころ」の病名で、おおざっぱにいえば「こころ」の内面の葛藤やこじれに関するものだった。1990年代に目立った境界性パーソナリティや自己愛パーソナリティなども、「こころ」の成熟を問題としていたから、「こころ」の病名の一部とクローズアップされたとみていい。
 
しかし現在は違う。
 
精神医療の診断の多くは、アメリカ精神医学会の診断基準(DSM)に基づいて行われるようになり、その診断基準には、神経症やノイローゼといった病名は存在しない。現代の精神医療は、患者さんの「こころ」に関して病名をつけるのでなく、第三者にも観察可能な振る舞いを診断基準としている。「こころ」に深入りしなくなったからといって、精神医療が衰退したわけではない。むしろ逆で、「こころ」にこだわらず、エビデンスに基づいた診断と治療を心がけるようになったことで、精神医療はテクノロジーとしてますます強力になり、より信頼できるものとなった。
 

 二〇世紀の終わりには、精神科医は「こころ」を司る者だったし、世間の人々も精神科医にそのような役割を期待していた。ところがこのように、現代の精神科医はもう「こころ」を診ていないし、司ってもいないのである 。
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

 
 

病名が消えても「こころ」の葛藤やこじれは無くならない

 
では、神経症やノイローゼといった病名がなくなったことによって、「こころ」の葛藤やこじれは消滅したのか?
 
そんなことはない。
現代でも、「こころ」の葛藤やこじれを抱えている人は珍しくないはずだ。少なくとも世間には、「こころ」の葛藤やこじれを思わせる呪詛や嘆きが遍在している。
 
たとえば、少し前に流行った漫画『東京タラレバ娘』で描かれた葛藤やこじれにしても、多かれ少なかれ心当たりのある人がいるからこそ、人々のリアクションを呼び起こし、話題となったのではなかったか。
 

東京タラレバ娘(1) (Kissコミックス)

東京タラレバ娘(1) (Kissコミックス)

 

かつて、(古典)神経症と呼ばれる「こころ」の病、いや葛藤状態がありふれていた時代があった。
 
古典的な神経症とは、家父長的な抑圧に基づいた「かくあるべし」をタイトに内面化し過ぎて、それに束縛されるあまり、人生の生き幅が狭められたりメンタルヘルス上のトラブルが生じたりする状態だった。
 
……彼女達は、古典的な神経症には該当しない。だが、「少女としての正解」「自立した都会の女性」といった「かくあるべし」を強固に内面化し、それに束縛されているさまは、東京というフリーダムな街ならではの神経症的葛藤のようにみえて仕方ない。さしずめ、彼女達は“少女神経症”といったところか。
 
昔の人は、「家父長的抑圧がなくなれば子ども達は自由になれる」と考えたらしく、実際、家父長的抑圧が緩和されて古典的な神経症が減ったのは事実である。だが、今にしてみれば呑気な考え方だったと言わざるを得ない。父がいなくなっても、よしんば母がいなくなってさえ、なにかが強固に内面化されれば人間はそれに束縛されるし、状況に合わせて人生のギアチェンジをし損ねれば、神経症的葛藤は顕れるのである。
 
私は、『東京タラレバ娘』に「少女」や「自立した都会の女性」にまつわる自縄自縛をみずにいられない。本作品が示唆しているように、たとえ自由な街に住んでいても、価値観や人生観の融通が利かないのなら、その人は不自由な人である。
『東京タラレバ娘』という神経症的葛藤 - シロクマの屑籠より

 
『東京タラレバ娘』で描かれていたのは、自立した都会の女性にありがちな「かくあるべし」「かくあらねばならない」だった。マスメディアが女性に吹聴しつづけてきた「かくあるべし」「かくあらねばならない」でもあるだろう。とはいえ、これはメディア漬けの東京女性が陥りそうな「こころ」の葛藤やこじれではあって、現代人の大半に当てはまるほど幅広いものではない。
 
世間には、もっと幅広く皆に受け入れられ、常識のように思われている「かくあらねばならない」「かくあるべし」が存在している。
 

・清潔であれ。無臭であれ。
・他人に迷惑をかけたり不審感や威圧感を与えない個人であれ。
・誰ともコミュニケーションできる個人であれ。
・できるだけ健康であれ。できるだけ不健康を避けるべし。
・経済的に自立した個人であれ。

 
現代社会は多様なライフスタイルを許す、といわれているが、その多様なライフスタイルの大前提として、私たちには無数の「かくあらねばならない」「かくあるべし」が課されていて、それが私たちの「こころ」に内面化されている。上で箇条書きにしたものは、現代人の超自我のリストである、と言っても差支えないだろう。
  
このリストを苦も無く守れる人々は、こうした一つ一つの「かくあらねばならない」「かくあるべし」が葛藤の源になることなどなく、むしろ現代社会を颯爽と生きていける。フロイトが活躍した社会*1も現在もそうだが、その時代の「かくあらねばならない」「かくあるべし」を難なくこなしてみせる人を、超自我は祝福してやまない。
 
一方、ここに挙げた「かくあらねばならない」「かくあるべし」が簡単にはこなせない人、現代人の超自我のリストの命ずるとおりに生きられない人にとって、このリストは束縛、劣等感、罪悪感、不全感、コンプレックスの源たりえる。フロイト時代と同様の「こころ」の葛藤やこじれを抱える人は珍しくなったが、キモいか否か、コミュニケーションできるか否か、経済的に自立しているか否か、そういった現代人の超自我のリストに妥当せずに悩んでいる人・葛藤している人・過敏になっている人はとても多い。
 
「清潔であれ。」
「迷惑や不審感を与えない個人であれ。」
「コミュニケーション可能な個人であれ。」
「健康であれ。」
「経済的に自立した個人であれ。」

こうしたメッセージは街にもテレビにもインターネットにも溢れていて、誰もが常識だと思っていて、幼い頃から家庭でも学校でも「かくあらねばならない」「かくあるべし」として教えられるから、逃げ場所が無い。逃げ場所がなく、おのずとインストールされ、社会全体でも常識とみなされている「かくあらねばならない」「かくあるべし」から「こころ」を自由にするのはとても難しい。
 
 

精神医療は、超自我リストのオルタナティブというより推進者では?

 
ところで、精神医療はこうした現代の神経症的葛藤から私たちを自由にしてくれるだろうか。
 
私には、あまりそう思えない。ひとつひとつの精神疾患の症状についてはよく治療してくれるが、診断基準に記されていない「こころ」の葛藤やこじれ、現代の超自我にまつわる問題に真正面から取り扱ってくれるとは考えにくい。
 
むしろ、清潔ではない者をより清潔に、コミュニケーションが困難な者をよりコミュニケーション可能な者に、不健康な者を健康に、経済的に自立できていない個人を経済的に自立した個人へと変えていくのが、精神医療が担っている事実上の役割ではないか。入院治療にせよ、外来での認知行動療法にせよ、それらは現代人の超自我のリストのオルタナティブではなく、被-支援者を現代人の超自我のリストのほうへと招き入れる営みではないだろうか。
 
そうした現代の「かくあらねばならない」や「かくあるべし」の中心には、「経済的自立」という金科玉条が居座っている。
 

沖縄県の民間セラピーをルポルタージュした心理学者の東畑開人は、著書『野の医者は笑う』のなかで、民間セラピーの治療効果のうちに「セラピストとしての起業」という、一事業者としての自立までもが含まれていることを指摘している。ブルジョワ的な考え方 が浸透した社会環境では個人の経済的自立が強く要請されるのだから、セラピーに経済的自立の方法が含まれているのは、とても理に適っている。
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

拙著でも引用した東畑さんの著作では、セラピーと資本主義、精神医療とお金の問題について、鋭い意識が投げかけられている。お金という問題系は、患者さんやセラピストや医療機関も捉えて離さない (このあたりについては、東畑さんのご著書をお読みいただくのが一番だと思う)。
 

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

 
経済的自立が困難な人に経済的自立のすべを提供するのは、ともあれ、重要に違いない。ただ、そうやって現代社会の「かくあらねばならない」「かくあるべし」に寄り添うからこそ、民間療法も正統な精神医療も、現代人に課せられた「かくあらねばならない」「かくあるべし」から私たちを自由にしてはくれない。もちろん、そうした超自我のリストによる締め付けを緩和してくれることならあるだろう。だが、緩和してくれても自由にしてくれるわけではないし、むしろ「かくあらねばならない」「かくあるべし」から遠いところで暮らしていた精神的マイノリティまで、現代人の超自我リストの傘下へと招き寄せるきらいがある。
 

いわばこの、お金によって傷つき、お金によって癒やされ、家庭でも学校でも医療機関でも資本主義と個人主義と社会契約がついてまわる社会のなかで、精神科医もカウンセラーもソーシャルワーカーも、この壮大なシステムと思想を当然のものとみなし、日常業務のなかでは意識すらしない。彼らは、いや私たちは、そうしたシステムにそぐわない思想、システムからはみ出した言動に出くわした時、それらもまた多様性の範疇とみなすことができるものだろうか?
それともやはり、秩序からのはみ出しとして、つまり症状や疾患として取り扱わずにはいられなくなるのだろうか?
※『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

 
もし21世紀に神経症的葛藤があるとしたら(いや、あるに決まっているのだが)、その葛藤から自由になれる場所はいったいどこだろう? 少なくとも、精神医療や福祉の現場ではあるまい。もちろん、ここで挙げた「かくあらねばならない」や「かくあるべし」は現代人の超自我であるだけでなく、現代社会の常識であり通念でもあるから、"長い物には巻かれろ"というか、馴れてしまったほうが生きやすくはあるし、馴れるよう援助すべきニーズが存在するのは理解しているのだけれど。
 
私は、そういった援助のニーズとは別に、現代の「かくあらねばならない」や「かくあるべし」から距離を置ける場所、「こころ」の葛藤や束縛から自由なライフスタイルがあっても良いように思う。ところが昭和から平成、平成から令和へと時代が変わるにつれて、人々は行儀良くなり、社会は清潔になり、コスパ主義や効率主義はますます私たちの「こころ」に刻み付けられてしまったから、どこに行けば現代人の超自我のリストの彼岸にたどり着けるのか、さっぱりわからなくなってしまった。
 
"そんなリスト、気にせずに生きたって構わないんだよ"と言ってくれる人は、今、いったいどこにいるだろう? 清潔でもなく、コミュニケーションが得手なわけでもなく、不健康で、不経済で、それでいて葛藤せずに生きる人・生きていける境地は令和の日本にも残っているのだろうか?
 
清潔であるよう、コミュニケーション可能であるよう、健康であるよう、経済的であるよう命じる「こころ」の声に服従しながら暮らしている私には、それがわからない。少なくとも全部わかったとは到底言えないから、もっと知りたいと思いながら本を書いている。
 

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

  • 作者:熊代 亨
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
 

*1:ここでいうフロイトが活躍した社会とは、ヴィクトリア朝時代、とりわけフロイトが診療や研究の対象とした中~上流階級の子女の社会を指す。そこでの「かくあらねばならない」や「かくあるべし」は現在よりもずっと家父長的制度の力が強く、性規範も厳しく、それらが社会全体、階級全体に浸透していて逃れがたいものだった

あの頃のネットは貧しい土地で、俺らは火事花みたいなものだった

 
パイオニア樹種、という言葉をご存じだろうか。
パイオニア樹種とは、まだ植物が地面を覆っていない空き地や荒地にいち早く適応する、そういう樹木のことだという。火事の跡地などをいち早く緑で覆うのはこのタイプの植物だ。しかし、土地が緑でいっぱいになり、もっと多様な植物が入ってくるようになると、パイオニア樹種はほかの植物との競争力を失い、いなくなっていく<参考:こちら>。
 
ところで最近、以下のようなツイートを見かけた。
 


 
同感だ。
私も、「インターネットらしいインターネットをやった」という手ごたえを失ってだいぶ経つ。ブログもSNSもそれなりやっているけれども、自分がインターネットと呼んで愛したネットライフがここにあるとは感じない。上掲ツイートの人と同じかはわからないが、とにかく、2010年代の中頃あたりから、私は自分が愛したインターネットが失われつつあると感じはじめ、過去に郷愁を感じるようになっていった。
 
ネットは“コミケ”から"“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠
「俺は2010年代のブロガーになれない」 - シロクマの屑籠
インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠
コピーのはびこるインターネットで、個人ブログにできること - シロクマの屑籠
ネットの炎上火力が強くなった話と、ネットが狭くなった話 - シロクマの屑籠
あなたの文章を真剣に読んでいた人は、今はガチャを回すのに忙しい - シロクマの屑籠
 
現在のインターネットを上下水道や電気と同じ感覚で利用している人々に、私の郷愁が伝わるのかよくわからない。が、インターネットはアンダーグラウンドなものからパブリックでフォーマルなものに近づいた。あのtwitterでさえ、気が付けば企業がアカウントを所有しているのが当たり前で、国会議員や市会議員もアカウントを運営していて、さまざまな職業の人々が「フェイスブックとは違った、けれども結局フェイスブックと地続きのような」投稿を心がける場に変わっていった。
 
いまでもインターネットやSNSに仄暗い投稿、00年代以前に見かけた暗い情熱をみる場所はいちおう残っているけれども、圧倒的に強まったパブリックの光、フォーマルな光、マジョリティの光によって暗がりの占める割合は小さくなった。それだけではない。インターネット上でどのような暗さが許容される/許容されないのかの線引きが、それまでのインターネットの通念によってではなく、パブリックやフォーマルやマジョリティの基準によって、もっといえば【世間の基準】によって線引きされるようになった。それだけではない。何が楽しいのか、何がウケるのか、何が癒しになるのかも、世間の基準によって線引きされる。それは、00年代以前の決まりかたとは大きく異なっている。
 
そうだ、私にとって「ご無沙汰になって久しいインターネット」とは、世間とは異なった投稿や表現が、世間とは異なった価値基準や評価軸にもとづいて見定められ、自分も周りもその異なった価値基準や評価軸の一部であると感じている、そういうインターネットだったのだと思う。世間とギャップがあり、世間と異なった投稿や表現があり、世間と異なった受け止められ方をしていて、世間と異なった時間が流れている──「ご無沙汰になって久しいインターネット」というフレーズから私は、そういったインターネットの過去を連想する。
 
もちろん過去のインターネットでも、世間と同じ話題が流通することはあった。ただ、そのような場合でも、世間の世論とインターネットの世論には断層があり、世間での語り口とインターネットでの語り口にも違いがあった。

たとえばもし、2003年にトランプ大統領が当選したら。たとえばもし、2005年に新型コロナウイルス感染症と同等の感染症が起こったら。そのときのインターネットでの語り口は、世間での語り口とかなりの距離があっただろう。少なくとも2020年のような、インターネットが世間とシームレスになった……というよりインターネットが世間を引っ張っていくような社会状況とは異なったかたちで、種々のニュースは取り扱われていただろう。
 
その世間とインターネットの間にあったギャップを、私のような旧式のネットユーザーは愛していて、そのギャップのおかげで、世間との距離を保ったコミュニケーションがあったことを懐かしんだりする。この懐古は、インターネットと世間がシームレスになってから・世間の一部としてインターネットを利用しはじめた人にはわからないものだろう。そのような人々にとって、インターネットとは世間であり、インターネットとは世間でやるべきことをやるべき場所であり、「世間と距離があるから、世間とギャップがあるからインターネットはいい」などというセンスは理解できないし合理的でも効率的でもない。
 
こうした、世間とマジョリティに理解されそうにない過去のインターネットの話をすると、私は興奮してくる。今も、キーボードを打ちながら鼻息が荒くなって、はじめに考えていた文章の構成のこととか、過去の似たような投稿記事とどう違いをつくるのかとか、どうでもよくなってきた。過去のインターネットを懐古するのは、今の私には自己セラピーの一種なのかもしれない。口の悪い人は、自慰的だと言ってのけるだろう。ちっ。うっせーな。
 
そうだパイオニア樹種の話をしていた。
 
私たち旧式のネットユーザーはパイオニア樹種のようなものだったのかもしれない。
 
私たちはインターネットという更地に草木が生え始めた頃にやってきて、成熟しきっていない土地を愛し、成熟していない土地に我が物顔で繁栄していた。成熟した土地で栄えている者たちが侵入してくる気になるまでの、つかの間の繁栄。しかし、インターネットが豊かな土地へと変わり、成熟した土地で栄えている者たちが押し寄せ、根付くようになればつかの間の繁栄は終わる。森が豊かになるにつれてパイオニア樹種が衰退していくのと同じように、インターネットが豊かになるにつれ、旧式のネットユーザーはマジョリティからマイノリティへ、繁栄するものから衰退するものへと変わった。
 
これは、"旧式ネットユーザー史観"とでもいうべきものであることはわかっている。ほとんど詩のようなものに近い。や、詩としての体裁も技量も伴っていないから、これを詩と呼ぶのは失礼かもしれないが、ともかく、主観的な文章であることは心得ている。
 
それでも、世間とシームレスになってからインターネットを使い始めた人々とは異なった思い出を持っている者として、この史観はおりにふれて思い出しておきたいと思う。「こんな時代があって、こんな風にネットのことを覚えている人々がいた記憶」を蒸し返しておきたいとも思う。たとえ、「おかしな史観を壊れたスピーカーのように繰り返す人」と後ろ指をさされたとしてもだ。よろしい、ならば私は壊れたスピーカーであり続けよう。
 
私たちはパイオニア樹種のようなもの、火事花のようなものだった。マジョリティが栄え、切磋琢磨している土地では生きづらいと感じる私たちは、土地が豊かになれば次の新天地を求めて旅ただなければならない、のだろう。それか、マジョリティのあいだに入って、マジョリティの作法にのっとって同じ土地に暮らし続けるか。
 
一時期、マストドンというサービスが次なる新天地を予感させてくれた時期があったけれども、私はマストドンに居着くことができなかった。年を取って動けなくなったからかもしれないし、私も少しは世間というものに馴れてしまったからかもしれない。どうあれ私は、ときどき「ご無沙汰になって久しいインターネット」のことを思い出す。そして壊れたスピーカーのように、それについての郷愁やエモーションについて文章にする。世間からネットを取り戻そうとか、世間に抵抗しようとは、もう思わなくなった。
 
 

書籍を作り終えて憂鬱になり、「何者かという問い」に呪われている

 
 6月に出す新著についての作業工程がだいたい終わって、脱力状態になった。新しい本が発売される前の一か月ほどは、いつもこんな感じだ。少し憂鬱にもなる。
 
 そうしたなか、手斧アイコンの方のはてなブログで「何者かという問いは呪いである。」という文章を読んだ。
 
 何者かという問いは呪いである。 - てのひらを、かえして
 
 「何者か」という問いは、たいてい「何者でもない」という答えを導く。「いや、自分は何者かである」と答えられたとしても、どこか土台がグラリとする感覚はなくならない。四十年以上生きてきて、いくつかの点では何者かになったはずなのに、まだリンク先の文章を読んでグラリとしている。そんな自分自身を、自嘲せずにはいられない。
 
 今の私にとっての「何者か」は欲の残骸、未練、そんな感じのものだろうか。
 
 "何者にもなっていない若者の焦り"みたいなものでなく、"もう選べない可能性への未練"と、"できあがってしまった自分に対する不安"。私がウェブサイトやブログを書き始めた頃は「まだ何者でもないけど何者かになってやるから!」みたいな気概があった。今はそうじゃなくて「あの者にも、この者にも自分はなりきれなかった……」と、自分の領分や身の程をこえたところに未練を感じている。自分の領分や身の程を自覚していること自体、若い人には奇妙に思えるかもしれないが、まあ中年にもなって、自分の領分や身の程をクルクルひっくり返せるわけでもなく。
 
 領分や身の程を自覚しているってことは、もう自分は本当は何者かになっていて、その領分や身の程こそが自分自身なのだろう。ところが隣の何者かの芝は青くみえる。あの人素敵だな、あの人上手だな、そういうものを見た直後に「おまえ何者?」と疑問を挟むと、良くない気持ちがもたげてくる。そこには嫉妬もあるだろう。情けないことである。
 
 はてなブログには、phaさんやgoldheadさんのような、洒脱な文章をすらりすらりと書くブロガーがいる。
 ああいう「何者」かになりたいと思った時期もあったが、なれなかった。
 
 つい先日、精神科医の斎藤環先生の興味深いnoteを読んで、似たようなことを感じた。
 
 “感染”した時間|斎藤環(精神科医)|note
 
 斎藤環先生の文章を読むのはしばらくぶりだったが、私が憧れた人の文章がそこにはあった。ブログを書き続け、自分の書籍も書くうちに「私は斎藤環先生と同じにはなれない。だから同じを目指すべきでもない。自分は自分の道を行くしかない」と気づいたはずなのに、こうして文章を読んでしまうと「斎藤環先生みたいになれなかった自分」という未練を思い出す。
 
 昔、口の悪いはてなブックマーカーが、斎藤環先生と私を比べて「どうして差がついたのか… 慢心、環境の違い」と述べていたことがあった。ああそうとも、世代も環境も、頭脳も違ったのだろうよ! そのかわり私にしか書けないもの・私が書きたいことを追いかけてきた先に、悲願の新著が作れたのだから後悔は無い……と言いたいはずなのに、まだどこかで未練があるらしい。
 
 私は本業として精神科医を勤めながらほうぼうのオフ会にでかけ、ブログを書き、それらが不可分になった書籍を書くのが夢だったし、実際にそのような書籍をついに書ききった。
 
 しかし、本当に書きたかった書籍を書ききってしまった今は、そのブロガー兼精神科医という自分の領分が、砂上の楼閣に思えてならない。実際それがあと何年続けられるものなのか、続けさせてもらえるものなのか、わからなくなってしまっている。それでいて、私には洒脱な文章なんて書けないし、アルファツイッタラーのような閃きも備えていない。アカデミックな肩書を育ててきたわけでもない。だとしたら、この、鈍重なるp_shirokumaという人間はいったい何者なのか。
 
 ああそうか、こういう気持ちになっているから「何者かという問いは呪いである。」という冒頭の問いに反応し、言及してしまったわけですね私は。
 

「インターネットの妖怪」はなることよりあり続ける方が大変で、あり続けることを諦めたときに「俺は果たして何者だったのか」との自問自答がひどくなりそうだ

https://b.hatena.ne.jp/NOV1975/20200515#bookmark-4685700307171768130

 私がいま自問自答しているのも、まさに「インターネットの妖怪」、自分風に言い換えれば「はてなブロガーとしてのシロクマ」をどうすべきか迷っているからだろう。
 この先、ブログでいったい何をやるのか? 自分はこれからどうしたいのか?
 わからなくなっている。
 わからなくなってしまったから、「何者」という言葉を、呪われたルービックキューブみたいにこね回している。
 
 

ゲームの想像や妄想に溺れながら生きるのは(中年には)難しい

 
 
「昔のゲームの方が想像力を刺激されて良かった」は本当か|てっけん|note
俺たちは、ゲームを遊ぶ時に何を「想像」していたのか: 不倒城
 
ゲームをよく知っている人たちが、ゲームを遊ぶ時の想像・想像力について文章を書いてらっしゃった。
 
ここで私がゲームを遊んでいる最中のことを書いても二番煎じ、いや三番煎じになってしまうので、どちらかといえば私は、ゲームをプレイしていない時に想像していたこと、その想像を膨らませる際に役立ったものについて書いてみようと思う。
 
 

1.ドラゴンクエスト3,4の場合

 
ドラゴンクエスト4を初めてプレイした時、私の想像はドット絵のなかで完結していたと思う。アリーナ、クリフト、トルネコ、ミネア、マーニャたちが冒険していれば、もうそれだけで良かった。戦闘があり、メインストーリーがあり、カジノがあれば満ち足りていられた。ドラゴンクエスト3を初めて遊んだ時も、あの粗いドット絵の物語世界がすべてだった。何かを足す必要も、何かを引く必要もなかった。
 
ところがドラゴンクエスト3,4の場合、プレイした後に公式ガイドブックや「ドラクエ4コマ」に触れることによって想像の質と量が大きく変わった。
 

 
公式ガイドブックや4コマの"漫画絵"を眺めているうちに、ドラゴンクエスト3と4の世界はだんだん変わっていった。はじめに、ファミコンから離れている時にドラクエ世界をぼんやり想像するとき、キャラクターの図像が"漫画絵"で浮かぶようになった。その後、ドット絵の向こう側に"漫画絵"を思い浮かべるようにもなり、ドット絵の見え方が変わった。ちなみに、こうした変化の一部は漫画『ダイの大冒険』によっても促された、と思う。
  
いちばん大きく変わったのは、ドラゴンクエスト3の女賢者だ。ドット絵で完結していた頃、ドラゴンクエスト3の女賢者のグラフィックは正直よくわからない感じだった。ところが公式ガイドブックの女賢者の"漫画絵"に馴らされていくうちに、ドット絵が"漫画絵"に引き寄せられるようになってきた。正直よくわからない感じだった女賢者のグラフィックが、かわいくなってしまった。
 
ドラゴンクエスト3の"漫画絵"には熱心なファンが結構いたはずで、たとえば、女僧侶の二次創作絵は今でもときどき見かける。これは、ゲームそのものが刺激した想像力というより、ゲームの場外で育まれた想像というべきかもしれないが、とにかく、ゲームの外で想像力や妄想力が拡張されて、ゲームプレイに逆流した人は私以外にもいると思う。
 
 

2.ザナドゥの場合

 
 
パソコンゲームの大傑作、ザナドゥは小中学生の私にはあまりにも難しく、ただ生き残ること、少しでも前進することに無我夢中だった。プレイの真っ最中に想像力がどうこう言っていられるゆとりなんて無かった。
 
そのかわり、ザナドゥをやっていない時間に私はザナドゥについて書かれた書籍(取り扱い説明書も含む)を繰り返し読んでいた。ザナドゥは高価なパソコンゲームだったので、長らく、友達の家でしか遊べなかった。そのせいで私はゲームそのものをプレイする時間より関連書籍を眺めている時間のほうがずっと長かった。
  

 
自分のプレイを思い出しながら関連書籍を眺めると、モンスターの恐ろしさも、マジックアイテムの素晴らしさも特別なものとして感じられた。レッドポーションは必要不可欠な回復アイテムで、アワーグラスはすさまじい効果のアイテムなのだ! ザナドゥの取り扱い説明書には、モンスターの知性の程度や所持品について、かなり細かな解説がつけられていて、想像力に彩りを添えてくれた──「そうか、今日は腹の減り具合ぐらいしかわからないモンスターに食われて死んだのか!」
 
ゲームプレイと関連書籍と取り扱い説明書の相乗効果で、私はザナドゥというゲームを「本格的なファンタジーロールプレイングゲーム」として体験した。そして次の冒険こそ、もっと迷宮の奥深くにたどり着きたいと毎日のように夢想した。そうした夢想のひとときは、プレイしている時間と同じぐらいか、ひょっとしたらそれ以上に豊かだったかもしれない。
 
 

3.アドバンスド大戦略の場合

 

 
「あれは私のドイツ電撃作戦だった」。これに尽きる。このゲームを始めた頃、私は第二次世界大戦の戦闘機や戦車にまったく興味を持っていなかったが、ゲームのキャンペーンモードを始めてしばらくの頃──だいたいポーランドを撃破し、フランス戦が始まるぐらいの頃──に取り扱い説明書の兵器解説を読んでしまい、虜になってしまった。つい先日までただのゲームの駒に過ぎなかったユニットが、にわかに精強なドイツ機甲部隊のような気持ちになって、びっくりするほど入れ込んでしまった。
 
アドバンスド大戦略のユニットは、進化させにくく全滅しやすい。長い長い時間をかけて辛抱強く育てていかなければならない。アドバンスド大戦略の待ち時間が恐ろしく長いこともあって、私はユニットたちと寝食を共にするような気持ちになった。失いたくない将兵を率いて、ますます難しくなる戦争に向かっているという想像がいつも燃えたぎっていた。

「手ごわいシミュレーションゲーム」という言葉だけでアドバンスド大戦略を説明することは不可能だ。愛するユニットが全滅するたびに心が痛むぐらいには、私はアドバンスド大戦略に物語をみて、想像力を肥大化させていた。そして手塩にかけて育てたユニットたちがウラル山脈で全滅していくのを見て、すっかり打ちのめされた。
 
ゲームがある程度難しく長い時間を必要としたこと、取り扱い説明書の兵器解説がよくできていたこと、私がまだ若くすれていなかったこと、そういった色々な条件が重なったおかげで、私はアドバンスド大戦略をそのようなゲームとして受け取った。ウラル山脈でのあの出来事は、生涯忘れないだろう。
 
 

ここまでを振り返って思うこと

 
 
この文章を書き始めた段階では、この後、4.としてSkyrimを、5.としてStellarisを挙げて、「今も昔もゲームは想像や妄想を刺激してくれる」なんて間違いの少ないことを書こうと思っていた。
 
が、書いているうちに気が変わった。 
ここから私は、「だけどあの頃にはもう戻れない」ことについて書く。
 
あらかじめ断っておくが、新しいゲームが想像や妄想を膨らませる力を欠いている、と主張したいわけではない。たとえば私にとって、Skyrimで殺生がしづらかった思い出も、Stellarisで宇宙探索や宇宙艦隊の夢に溺れた思い出も、どちらも素晴らしく、プレイ中は想像と妄想が膨らみまくっていた。
 
けれどもドラゴンクエスト3,4やザナドゥやアドバンスド大戦略の頃にはあって、今は欠けているものがある。
 
それは、「ゲーム世界やゲームのキャラクターについて想像していられる時間、妄想していられる時間」だ。
ゲームの想像や妄想に溺れていられる時間が、圧倒的に足りない。
 
新しいゲームだからといって、グラフィックが立派だからといって、想像や妄想が膨らまないなんてことはない。小中学生の頃と同じぐらい想像や妄想を膨らませ続けるのは不可能だと、気が付いてしまった。
 
ドラゴンクエスト3,4やザナドゥやアドバンスド大戦略の頃は、ゲーム機から離れている時もゲームのことばかり考え、ゲームの想像や妄想に溺れながら生きていられた。学校でも勉強部屋でも上の空のまま、眠りにつくまでゲームの想像や妄想に溺れていられた。そうすることによって辛い現実から距離を置けるというメリットもあった。
 
今の私には、そんなことは絶対に不可能だ。授業中にゲームの想像や妄想に溺れるのは簡単だったが、仕事中にそんなことはできないし、すべきでもない。帰宅してからも、家族があり、付き合いがあり、手元にあるゲームたちは可処分時間を奪い合っている。
 
2020年になっても、まだ私はゲームプレイヤーとして現役のつもりでいるし、これからも新作ゲームを開拓していくだろう。けれども、新しいゲームをあれこれ遊ぼうと思えば思うほど、ひとつのゲームに立ち止まり、ひとつのゲームにかんする想像や妄想に浸っていられる時間は短くなってしまう。
 
 


 
新旧のゲームのどちらが想像力を刺激するのか、それを議論することにも意味はあろう。けれどもゲームが好きでしようがなかった少年少女もいつかは大人になり、"事情"を抱え、可処分時間を失っていく。体力や集中力にも余裕がなくなっていくだろう。そういう後退戦のなかで「昔のゲームのほうが想像力が刺激されて良かった」という思い出ができあがってしまうのは、いかにもありそうな成り行きではないだろうか。
 
小中学生の頃からゲームを愛してきた者の一人として、私は、あの一日じゅうゲームのことばかり考えていられた、想像して妄想して上の空に過ごしていた日々を懐かしく思う。この先、どんなに素晴らしいゲームに巡り合ったとしても、あの頃と同じような、想像と妄想に耽溺した日々を取り戻すことは、できないんじゃないだろうか。
 
新旧のゲームを比べるよりも、中年の"事情"のほうが私には差し迫った問題と思えたので、予定を変え、帰らぬ日々のことを詠嘆することにした。そして少し寂しい気持ちになった。

 
 

熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第一章(下)を公開します

 
 
熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第一章(上)を公開します - シロクマの屑籠の続きです。
 
 
  
【「誰が救済されるべきマイノリティなのか」という問題】
 
 
もうひとつは、こうした救済の対象は、医療や福祉が可視化したもの、あるいは世間の人々が可視化したものに限られる、という点である。
 
世の中には、障害者やマイノリティとすでに認定され、医療や福祉がサポートし、社会全体で配慮すべきとみなされている属性やカテゴリーがいくつもある。重度の精神障害や知的障害、身体障害は昭和時代からそのような対象だったし、大人の発達障害のように、最近になって対象に加わったものもある。マイノリティの側でいえば、たとえばLGBTのように、最近になって配慮すべき対象としてとみに知られるようになったものがある。
 
だが裏を返せば、弱者やマイノリティと認定されなければ、あるいは医療や福祉の対象と認定されなければ、医療や福祉は援助してくれないし、世間の人々も配慮すべきとみなしてくれない、ということでもある。
 
たとえば境界知能と呼ばれる一群が存在する。医療や福祉の現場で用いられる知能検査で、おおよそIQ70~84と算定されるものが境界知能にあたる[15]。IQ70未満の知的障害にしても、障害程度の比較的軽い人々(軽度知的障害)はしばしば社会のなかでは見過ごされ、援助の対象になっていないが、それよりIQが高い境界知能の人々は、それ以上に医療や福祉の援助の対象となっていない。
 
では、この境界知能の人々は、美しい国の秩序にうまく適応できるのか? テキパキと働かなければならず、コミュニケーション能力を求めてやまない令和時代の正規雇用の座を、他の人々と同様に勝ち取っていけるものなのか?
 
かなり難しいのではないか、と私は考える。私が精神医療の現場で遭遇する境界知能の人々の場合は、なんらかの精神疾患にかかり、なんらかの不適応を呈している。そうした人々は、能力にそぐわないものを社会から求められた結果としてメンタルヘルスを損ねていたり、不適応を呈していたりする。先天的な素因に加えて、恵まれない環境に曝されてきたとおぼしき人々も多い。
 
子どもにも大人にもハイクオリティが求められがちな現代社会において、境界知能の人々の立場は脆弱だ。なぜなら彼らは、高学歴や高収入にアクセスすることが難しいだけでなく、消費という次元でも食い物にされやすく、搾取されやすい人々だからである。クレジットカードのリボ払いやオンラインゲームの高課金といった消費の罠を見抜けず、それを社会契約のもと、個人の自己責任とされてしまうのが彼らである。
 
IQ70~84の境界知能は、その統計的定義からいって全人口の一割以上が該当する[16]。実際問題として、これらの人々をまとめて医療や福祉が背負うのは、今日の制度下では非現実的だろう。とはいえ、社会がますます美しく、ますます便利で、親にも子にも就労者にも、サービスの提供者にも消費者にもハイクオリティが期待される風潮のなかで、最も割を食いやすく、最も搾取されやすく、にも関わらずサポートの対象とされにくいのは彼らである。現代社会が期待するとおりの子育てをやってのけられないのも彼らかもしれないし、ヘイトスピーチやネット炎上といった、情報リテラシーからの逸脱に陥ってしまいやすいのも彼らかもしれない。
 
社会全体が雑然としていた昭和以前の社会には、そうした人々でも働ける仕事がまだあり、第四章で触れるとおり、子育ての際に親子に求められるクオリティの水準も今日とは違っていた。そうした人々を騙し、搾取する人はもちろん昭和以前にもいたが、消費者にお金を使わせるべく行動経済学を駆使し、動機付けをコントロールしようとする巨大情報企業を相手取らなければならない場面は無かったはずである。
 
境界知能の人々は、こんな具合に社会の矢面に立たされている。しかし、より重度の知的障害者や精神障害者、身体障害者に比べれば目立ちにくく、みずからの活きづらさや疎外を言語化することも組織化することもできないままでいる。美しい国の秩序からはみ出してしまいがちな彼らは、その生きづらさや疎外をディスカッションや運動をとおして自己主張できないし、従って、救済されるべき弱者としてクローズアップされることもない。
 
社会が進歩するにつれて、子どもや女性の権利が尊重されるようになり、障害者へのサポートも進んできた。身体障害者の国会議員が選出されれば、障害者として困っているさまが可視化され、真剣にディスカッションされることは、2019年に参議院議員となった木村英子氏と舩後靖彦氏の例を見ればよくわかる。
 
しかし障害者と認定されにくい人々、マイノリティとみなされにくい人々はこの限りではない。障害者やマイノリティと誰にでもはっきりわかる人々や自分たちの生きづらさや疎外を自己主張できる人々はサポートの対象たりえるが、障害者やマイノリティとしてわかりにくい人々や自分たちの生きづらさや疎外を自己主張できない人々は、サポートの対象たりえない。いや、それどころか「そこには生きづらさや疎外など存在しない」とみなされてしまう。
 
そういう意味では、身体障害者の国会議員は誰の目にもわかりやすく、生きづらさや疎外を認知されやすく、そのうえ生きづらさや疎外を自己主張できる人々であった。これと同じことを境界知能の人々、それこそ低賃金労働に甘んじ、消費の罠やネット言説の食い物にされがちで、知的なディスカッションの苦手な人々が為しえるだろうか。また世間の人々は、そのような人々が国会議員として選出されることを歓迎するだろうか。
 
 
【際限のない健康志向】
 
 
医療や福祉が救済をとりなし、「一億総活躍社会」に向かう美しい国というだけあって、もちろん健康には細心の注意が払われている。
 
60歳は還暦と呼ばれ、かつて、これが人生の一区切りとみなされていた。還暦を過ぎても生き続ける人がいないわけではなかったが、還暦の前に亡くなる人は大勢いたし、だいたいそれぐらいが人間の一生であるというのが人々の通念だった。
 
現在では、そのように考えている人はほとんどいない。還暦はキャリアの終わりや余生のはじまりですらなく、第二の人生の始まりとみなされるようになった。昭和時代に60代で死ぬことは、「老人の死」「年齢相応の死」とみなされていたが、令和時代に60代で死ねば「そんなに若いのに」と気の毒がられる。実際、平均寿命は平成の30年間も伸び続け、2018年の記録では日本の平均寿命は女性が87.32歳、男性が81.25歳となっている [17]
 
なぜ、これほどの長寿が達成できたのか。それは、人々が健康リスクに注意を払うようになり、医師による指導や治療をきちんと受けるようになったからだ。昭和以前は健康リスクに注意を払っている人はそれほど多くなかったが、いまどきの高齢者はコレステロールや血圧に注意を払い、適度な運動やバランスのとれた食事を心がけている。喫煙者は、昭和以前は世の中の多数派だったが平成時代の終わりには少数派となり、手狭な喫煙エリアへと隔離された。
 
こんなに誰もが健康リスクに注意を払い、健康にお金を払う社会はいまだかつて無かった。この現代の様子を数十年前の人々に見せたとしたら、過剰な健康志向と、それによって実現した健康長寿ぶりに目を見張ることだろう。
 
第三章で詳しく触れるが、健康や長寿は多くの人が求めてきたものだから、基本的にこれは良い変化に違いないし、健康が脅かされれば個人の自由な生活が制限されるわけだから、個人の自由を成り立たせるうえでも重要な変化だったと言える。
 
だが、本当に良いことずくめだったのだろうか。私たちはかつてないほど健康で長寿になったと同時に、健康で長寿にならなければならなくなったのではないか。
 
メタボリックシンドロームやロコモティブシンドロームといった概念が行き渡っていなかった頃の日本人は、もっと健康に対していい加減な態度をとることができた。平均寿命が短かった頃の人々は、もっと自分の身体を自分の好きなように取り扱っていたし、好きなように取り扱うことがいけないことだとは思われていなかった。
 
だが、現代人は健康に対して注意深くなければならなくなっている。健康にまつわるあらゆるものに気を配るあまり、健康が人生の手段ではなく、人生の目的になってしまっている人々などはそのきわみである。彼らの人生は、健康に、乗っ取られている。
 
そこまで極端ではないとしても、健康を義務のようなものとして捉えている人は少なくあるまい。健診のたびに医師から指導を受け、メディアにも健康を勧めるメッセージが溢れる現代社会のなかで、健康に背を向けて生きることは簡単ではない。いつまでも健康でいることは現代人にとって望ましいだけでなく、期待されることでもあり、たとえば平均寿命あたりまで生きるのは当たり前だと、多くの人々は漫然と考えている。
 
元来人間は、もっと簡単に生まれて、案外簡単に死んでいくものだった。少子化の進む現代では、前者はそう簡単でもなくなったが、後者については今でもそうである。人目につきにくく、日常生活のなかで意識しにくいだけで、現代人も病気や事故であっさり死ぬことはある。
 
ところが、生死も病気も病院や施設に隔離され、健康が社会の隅々にまで浸透していくにつれて、私たちはあたかも健康でさえいれば死なないかのような思い込みのなかで生きられるように──そして生きなければならなくなった。
 
有史以来、最も健康長寿となった現代社会の通念には、死生観というものが見当たらない。どうしても生きて何かを成し遂げなければならないことがあり、その目的のために健康に気を配っている人は現代社会では少数派だ。大多数は、とにかく健康でいなければならないという強迫観念にもとづいて、あるいは健康が当たり前だからという漫然とした思い込みのうちに、健康に時間とお金を費やし続けている。
 
だが健康は太古の昔からの通念ではなかったはずである。昭和時代から令和時代にかけて少しずつ浸透し、いつの間にか常識と言って良い水準にまで肥大化し、権利というより義務に近い色彩を帯びるようになった通念なのだが、あまりにも当たり前になっているものだから、だれもこれに反対することはできないし、そもそも、過去の健康観や死生観を思い出すことも難しくなっている。
 
そうした通念のもと、私たちはますます健康長寿になり、ますます多くの医療費を必要とし、ますます多くの老後資金を貯えなければならなくなっている。どうしても生きなければならない目的があって健康長寿を目指すのでなく、健康長寿を当然とみなし老後資金を貯えるために身を粉にして働く現代人の生きざまは、過去の人々には不可解なものとうつるだろう。あるいは後世の人々からみても、この目的と手段のひっくり返ったような二〇二〇年の健康をめぐる風景は、健康のためのテクノロジーや知識に通念が引っ張られた、アンバランスな一時代として顧みられるのではないだろうか。
 
 
【個人の自由を追いかけて孤独になった私たち】
 
 
それでも社会は進歩し続け、街は清潔になり、暮らしも快適になり、私たちは長生きするようになり、より多くの自由を享受しているはずである。
 
自由について考えるこの本では、そうした自由の享受をさしあたって賛美しておきたい。
 
ただし、ここでいう自由の享受とは、「過去にあったさまざまな不自由からの自由」を受け取っているという意味だ。たとえば前世紀から批判されてきた家父長的制度は、イエ制度や地域共同体の衰退もあいまって、国内ではごく限られた領域で、ごく少数を抑圧しているに過ぎなくなった。だが家父長的制度を解体したからといって、現代人が何者からも自由になったわけではない。
 
昭和以前の社会、典型的には農村社会では、生まれたイエや身分や地域によって仕事も人間関係もほとんど決まっていた。そのような制度や通念にそぐわない人、たとえば、個人として自由に仕事や人間関係を選びたいと願っている人は、そのような願いを徹底的に抑圧され、葛藤を抱えずにはいられなかった。
 
令和時代はどうだろう。生まれたイエや身分や生まれた地域によって仕事や人間関係を強制されることは少なくなった。農家や床屋の子どもが、親と異なる職業に就くことは珍しくもない。交通機関の発達とインターネットのおかげで、距離による制約も大幅に解消した。
 
だが、過去の不自由から自由になったのと引き換えに、私たちはイエや身分、あるいは地域共同体をつてとして仕事や人間関係を獲得できなくなった。人的流動性の高い社会のなかで、みずから仕事や人間関係を勝ち取らなければならなくなった。
 
仕事に関しては、さきに述べたとおりである——いまどきは、コミュニケーション能力や淀みなく働く能力などが自由な仕事選びの大前提になる。流動性の極度に高まった社会のどこででも働いていくためには、実際そのような能力が必要にもなろう。
 
と同時に、社会人にハイクオリティが期待されるようになり、リストラや派遣労働が一般化したことによって、昭和時代には正規雇用になれたかもしれない人が非正規雇用に甘んじる事態が日常茶飯事となってしまった。
 
能力に恵まれていれば仕事を選べる社会が、能力に恵まれていても仕事が選べない社会に比べて自由なのは間違いない。だがこの自由は、社会人に期待される要求水準が高まり、職業選択の自由の前提条件が厳しくなっていった進歩の歩みについていけることを大前提としたものではなかったか。
 
令和時代の社会人に期待されるクオリティに達しない人は、この職業選択の自由の恩恵をほとんど受けられない。
 
友人や恋人や知人といった、私生活の領域でも似たような問題が起こる。現代社会では、友人や恋人や知人を自由に選ぶことができる。とりわけ首都圏には人材が集まり、網の目のように交通機関が整備されているため、人間関係の選択肢はほとんど無限に近い。インターネットの普及によって出会いの選択肢はますます増え、男女関係も含め、インターネットを経由して誰かと知り合うことは今では珍しいことではない。
 
しかしこのようなハイレベルな自由がいきわたったことで、私達は、自己選択にもとづいて友人や恋人や知人を選ばなければならなくなった
 
人間関係が自由選択になったということは、人間関係が自己責任になったということでもある。人間関係の不首尾を「他人のせいにできなくなった」と言い換えてもいいだろう。人間関係がイエや身分や共同体に束縛されていた昭和以前の社会であれば、人間関係の不首尾を宿命や生まれのせいにできた。自分を呪うのでなく、宿命や生まれを呪っていれば良かった。
 
対照的に、現代社会には人間関係を宿命のように束縛するしがらみが乏しい。唯一、親子関係がそれに相当するとは言えるものの、NHK「中学生・高校生の生活と意識調査」を見ても、いまどきの親の大半は、子どもの自由選択を尊重しようとしている[18]。このような意識の親元で育てられた子どもが、成人後の人間関係を親のせいにするのは難しい。たとえ人間関係に用いることのできるリソースが遺伝的負因や家庭環境によって左右されているとしても、である。
 
と同時に、私たちは友人や恋人や知人として選ばれなければならなくなった。付き合う相手を自由に選べる以上、他人もまた付き合う相手を自由に選ぶ。たとえ自分が付き合いたいと思っていても、相手も同じ気持ちかどうかはわからない。人間関係の自由とは、付き合いたくない相手とは付き合わない自由でもあるからだ。
 
たとえば大多数の東京の市民のような、人間関係が自由選択であるという通念を共有している者同士は、無理矢理に相手を付き合わせるのは良くないと自覚しているし、自分が誰とどれぐらい付き合えるか、おおよその〝市場価値〟を自覚してもいる。すっかり内面化されたこの通念は、たとえばストーカーに関する法整備が示しているように、ある程度は法制度によって支持されている。そしてインターネット上では、SNS上におけるフォロー数/フォロワー数といったかたちで人間関係の〝市場価値〟が数値化されるようになった。
 
人間関係が自由選択になり、市場的側面を深めている以上、そこからあぶれ、疎外される人々が現れるのは必然的なことだった。人間市場のなかでたくさんの人間関係を獲得する人がいる一方で、まったく人間関係を持てずに孤立を余儀なくされる人もいる。孤立していなくても、自分の望む人間関係と現実とのギャップを感じる人は少なくない。
 
「人間関係の自由のもと、自由に人間関係をつくる」という通念は、子ども時代から親に教え込まれるだけでなく、テレビでもインターネットでも良いこととみなされ、喧伝されているから、これを通念として内面化しないで済ませられる人はきわめて少ない。だからこの通念は、現代人の権利であると同時に義務であり、道徳でさえある。
 
このような通念にもとづいて行動し、人間関係にも恵まれれば、さしあたり幸せには違いあるまい。だがもし人間関係に恵まれず、孤立に至ってしまったなら、社会関係資本[19]を欠いてしまうだけでは済まず、義務や道徳の不履行にも心を蝕まれ、劣等感や罪悪感を抱え込む羽目になるだろう。
 
確かに私たちは旧来の不自由から自由にはなった。しかし現代社会の通念と、その通念にそむいた時の劣等感や罪悪感からは自由とは言えない。そうした義務や道徳の不履行に不安をおぼえる人々は、人間市場で勝ち上がるべく、フェイスブックやインスタグラムに好もしい投稿を心がけてやまない。そうした取り繕った投稿から、不安が透けてみえることがあるとしても、である。
 
 
【街の構造が私たちの認識や行動を管理している】
 
 
私たちに不自由を与えているのは、もちろん通念やそれに由来した劣等感や罪悪感だけではない。
 
私たちの快適な暮らしの土台となり、人と人とを結びつけているインフラ全般は、私たちに通念を押し付けたりはしない。けれどもいつの間にか、私たちの認識や行動に影響を与えている。
 
たとえば東京の電車や地下鉄はとても複雑で、短い運転間隔で運行されているが、それでも電車は時間通りにやって来るし、定められたホームにきちんと停まる。東京に住む人々にとって、これは当たり前のことではあるけれども、当たり前であるがゆえに、「電車は時刻どおりに、定められたホームにきちんと停まるもの」という認識が気づかぬうちにできあがっていく。
 

 
その電車や地下鉄に向かうまでの道のりも、数多くの標識と決まりごとによってガイダンスされている。通勤通学でよく馴染んだ路線でも、普段は利用しない路線でも、頭上の標識を確かめれば目的地に辿り着ける。地下道で右側を歩くべきか左側を歩くべきかも、すべて記されているから、初めての地下道でも道を間違えにくいし、ラッシュの時間帯でもちゃんと移動できる。
 
電車や地下鉄に限らず、東京では万事がこうだ。約束事どおりに交通機関が運行され、標識やガイダンスのとおりに移動し、実際そのとおりに目的地に辿り着ける。街は、人の住む場所、売買する場所、ここは公園、ここは図書館といった具合に、標識や看板で記されているとおりに区画が定められている。
 
もちろんこうした特徴は東京に限ったものではないし、昔から、都市というのは多かれ少なかれそういうものではある。だが現在の東京は、過去のどの街と比べてもそれが徹底されていて、間違いや隙間が少ない。
 
東京では、何も記されていない曖昧な場所がなかなか見つからない。たとえ空地があったとしても、そこには「私有地 立ち入り禁止」といった看板が立っているし、東京の市民はそうしたことをよく弁えているので、立て看板がない空地ですら、私有地や公有地に違いないと判断してむやみに立ち入らない。まして、そこで寝転がったり立小便をしたりすることなどない。
 
東京での生活は、標識や看板やガイダンスで記されたものに完全包囲されていて、記されたとおりに生活しなければならない、とも言える。どんな場所にも、文章や記号でその場所の役割やその場所でとるべき行動指針が記されていて、東京の市民はそのとおりに行動しなければならないし、実際、やってのける。外国人が驚く、渋谷のスクランブル交差点の秩序だった人の動きも、大混雑しても機能する新宿駅や池袋駅にしても、それらは標識やガイダンスによって人の流れをさばいていると同時に、そうした標識やガイダンスに馴らされている人々が大多数を占めているから機能しているとも言える。
 
こうした暮らしは東京ではあまりにも当たり前になっているし、この当たり前に馴れてしまったほうが東京では生きやすくもある。だが、記された約束事に依存した認識と行動に馴れれば馴れるほど、私たちは標識や表記に頼らずに対象を見たり触ったりすることが難しくなるし、街のインフラのなすがまま、されるがままということになる。
 
 
【認識や行動を制御するインターネットの構造】
 
 
インターネット上では、こうしたことがもっと徹底していて、何も表記されていない曖昧な場所がどこにも存在しない。
 
私たちはインターネットを、そのページやアプリを、コードが記しているとおりに眺める。というよりコードに記されていないものは眺めようがないので、インターネットで目にうつるものはすべて、誰かがプログラミングしたコードの結果として現れる。早くからインターネットを始めていた人々は、そうしたプログラムやコードを個人で書き、それぞれがウェブサイト(ホームページ)を作っていたが、現在はSNSやアプリや検索エンジンのプラットフォーマーが、インターネットで私たちの目に映るものを、ひいてはネット上の私たちの認識や行動を実質的に形づくっている。
 
インターネットで私たちが目にするもののなかには、個人になんらかの行動をとるよう促すものも多い。たとえばネット通販でアウトドア用品を頻繁に買う人のスマホやPCには、アウトドア商品の広告が繰り返し表示され、ますます買いたくなるよう仕向けてくる。ネット検索にしても、ユーザー自身の履歴に基づいて検索結果が偏るよう、現在の検索エンジンはつくられている。たいていのネットユーザーはそんなことを気にもしないでインターネットを眺め、表示される検索結果をあてにしている。
 
SNSも同様だ。現在のSNSは、好みの思想信条のアカウントや情報を集めるには非常に適しているが、好みではない思想信条のアカウントや情報に目を配るにはまったく向いていない。たとえば自民党の政策に反対している人がツイッターを覗く時、タイムラインに並ぶのは同じく自民党の政策に反対している人々の文章や動画ばかりで、自民党の政策に賛成している人々の文章や動画はなかなかタイムラインには現れない。よしんば賛成者の文章や動画が目に留まるとしても、それは反対者が否定的な文脈でリツイート(シェア)したものとしてタイムラインに現れてくる。
 
SNSのインフラ、ひいてはインターネットのインフラは、自由に考え、ディスカッションするのに最適化されているとはまったく思えない。むしろ、インターネットのインフラは私たちが持っている特定の思想信条を強めたり、特定の行動を促すようつくられている。
 
そうしたインフラに依存したネットライフの果てに、極端な思想信条を常識や正義だと思い込んでしまう人々が現れ、マスメディアが「分断」と呼ぶような、政治的妥協やディスカッションのまったく困難な社会状況が生まれている。
 
他方、インターネットのインフラに依存し、流されてゆく人々をよそに、グーグルやフェイスブック、リクルートといった大企業は個人の売買情報や位置情報などをかき集め、これからのビジネスのために──つまり私たちの認識や行動をますます制御し、より効率的にマネジメントするために──努力を積み重ねている。
 
こうした状況のもと、いったい私たちはどこまで自分の自由意志によって認識・行動していると言えて、どこまでインフラに誘導されるままに認識・行動させられていると言わざるを得ないだろうか。
  
 
 【現代の自由、ひいては不自由とは】
 
 
本章で挙げてきたものはすべて、私たちの生活を快適かつ便利にし、高度に発展したメガロポリスを成り立たせ、昭和以前の不自由からの解放に貢献してきたものである。インターネットにしてもそうだ。これらの進歩によって私たちは自由になって、きっと、幸せにもなっているはずだった。
 
だが2020年の現実を振り返れば、過去の不自由や不便を克服してくれた進歩が私たちに新しい不自由をもたらし、簡単には逃れられなくなっているようにもみえる。過去には進歩的とみなされ、現在では当たり前の通念となった諸々は、私たちの認識や行動を、通念のテンプレートへと嵌め込んでいるのではないだろうか。そのことに新しい生きづらさを感じている人、通念どおりに社会適応するために背伸びを余儀なくされる人、なかには力尽きてしまう人もいるのではないだろうか。
 
インターネットにしてもそうだ。インターネットがまだ少数の研究者と先駆者だけのもので、皆が自分でプログラミングしていた頃、そこを自由な表現の場、自由な思想とディスカッションの場、日常生活から距離を置ける防空壕のような場とみなしていた人は多かったように思う。ところが誰もが当たり前のようにインターネットに接続するようになると、そこはビジネスと政治の草刈り場となった。巨大情報企業やプラットフォーマーによって個人の認識や行動が蒐集され、誘導(ナッジ)され[20]、情報弱者がインフルエンサーによって簡単に食い物にされるのが、2020年のインターネットの現実だ。
 
これほど不自由な今日のインターネットのなかで、しっかりと自分の頭で考え、物事を認識し、自由に行動を選択できていると言える人がいったいどれぐらいいるだろうか?
 
東京のような、あらゆるものが標識や表記に覆われている街で暮らすのも、それとあまり違わない。標識や表記のなすがままに歩き、ショーウインドーのディスプレイや広告に気を惹かれ、インスタ映えする場所で立ち止まり、タピオカミルクティーが流行ればタピオカミルクティーに群がる私たちは、多忙で移り気な現代社会を案外楽しんでいる。だが、こうした日々のなかで、私たちの認識や行動は、どの程度まで自由だと言えて、どの程度まで不自由だと言わざるを得ないものなのか?
 
私たちはどこまでも清潔で健康で道徳的な社会に生きていて、昭和以前の人々よりもずっと自由でハイクオリティな暮らしを営んでいるはずである。
 
だが、そのハイクオリティな暮らしが進歩的なものから一般的なものになり、守って当然の道徳として私たちに内面化されていくなかで、まさにそうした進歩自身が私たちの認識や行動を束縛しはじめているとしたら。と同時に、ハイクオリティな暮らしを支えるための街やインターネットのインフラが、私たちの認識や行動を操作するようになり、気づかぬうちに管理し始めているとしたら。
 
こうした、進歩のもうひとつの顔は20世紀以前からあったことではある。だが、従来と大きく違っているのは、通念や習慣がこれほど社会のなかに徹底していたことなど無かったし、法制度がこれほど守られるようになったことも無かったし、私たちの認識や行動に影響を与える街やインターネットのインフラがこれほど強力になったことも無かった点である。
 
どんな進歩も、どれほど良いことも、あまりにも当たり前のこととして徹底されれば、人々に葛藤をもたらし、ともすれば閉塞感を与えるものではないだろうか──この美しい国と一億総活躍社会をそのような目で振り返った時、私は、この秩序ならではの生きづらさや、私たち自身が気づかぬうちに背負わされている課題に思いを馳せずにいられない。
 
そしてこれらの新しい生きづらさや課題を作り出している現代社会のメカニズムがどのようなものか、確かめておきたくなるのである。
 
 



 
『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第一章は以上です。第二章「精神医療とマネジメントを望む社会」から先は拙著をご覧ください。
 
<おことわり>
・これは、版元さんから承諾をいただいて当ブログにアップロードしたものです。
・出版直前のプロトタイプ原稿です。
・行送りや漢数字など、ブログ用に整形してある部分があります。
・オレンジ色の注釈は、ブログ版では略してあります。