シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「生だけでなく死まで管理してようやく、生政治は完成する」

 
以下に書く文章は完成度が低い。
もうしばらく調べものをしてから書き直したいと思っているものだ。
なので重要部分は有料記事エリアに格納して、壁打ちモードにしておく。
 
 
命は生誕で始まり、死によって終わる──その命がどうであるべきかは、昔から議論と実践の対象になってきた。特に近代以降は医療や福祉が発展し、その命をより良く生かすこと・より良く生きることにさまざまな努力が積み重ねられた。結果、今日では未曾有の長寿が達成され、100歳を迎えられる人が増えただけでなく、以前なら早逝していたはずの人の命も長くなった。命のマネジメントが達成した成果は決して小さくない。
 
では、その長寿なり、早逝の回避なりは一体どのように成し遂げられたのか?
自然科学的なテクノロジーに注目する人は、医学や生理学や栄養学の進歩に注目するだろうし、工学寄りの人なら公衆衛生のインフラの整備を思うかもしれない。もちろんそれらも重要だが、命を管理し、より良く人を生かすための人文社会科学的テクノロジーの役割も大きかった。
 
ちょっと大げさに言うなら、人文社会科学的な進歩は自然科学を従僕として命が管理される社会をつくりだし、より良く人を生かすための諸制度をつくりあげた。健康について啓蒙を行い、健康診断や健診といった制度をつくりあげたのは、自然科学の知識だけでなく、人文社会科学的なノウハウがあってのことだ。たとえば抗生物質の登場やワクチンの登場も重要だったが、診療録を整え、食生活や血圧をモニタリングし統計的に見据え啓蒙するシステムまわりは人文社会科学のノウハウだったと言える。
 
そうしてゆりかごから墓場までが医療化されると同時にモニタリングされマネジメントされることが当たり前の社会ができあがった。少なくとも2024年現在の日本社会とは、そのような社会である。
 
 

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