シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「無限労働中年になれた」が勘違いだった話

 
年齢とともに気持ちが変わり、ライフステージも変わる。すると、生活や趣味や働き方も変わる。そういうことに関心をずっと寄せていた私にとって、2023年という時は「オレ、無限に働ける中年になれたのでは?」と思える一年でした。
 
その気持ちを書いたのが『50歳が近づいてきた中年の人生は「香車」のよう』というタイトルの、books&appsさん向け文章だったのですが、12月も後半になってきて、だんだん「香車」やってられなくなってきまして。
 
blog.tinect.jp
 
上掲リンク先を書いたのは11月の後半ぐらいで、その頃はまだ仕事やミッションに全力投球を続けていたんですが、12月に入って疲弊してきて、年の瀬に入って「これじゃ身体かメンタルのどちらかがぶっ壊れる」と思って全力投球モードをやめました。で、全力投球モードをやめて最近は何をしているかというと、宇宙探索です。
 

 
2020年に紹介記事を書いたことのある『Elite Dangerous』というやや古い宇宙MMOですね。このゲームで私が一番気に入っているのは深宇宙探査です。人類未踏のエリアを探索し、地図を作って人類圏に持ち帰る。【未知の恒星系にワープする→惑星探査をする】だけのシンプルなお仕事です。この繰り返しが、作業感があって、果てしなくて、いいんですよ。
 

 
銀河でも星々の密集しているエリアはこんな具合で、探索できる恒星系はいくらでもあります。どれだけ個人が探索をしてもきりがないでしょう。この銀河がどこまでも広がっているのが『Elite Dangerous』の深宇宙です。
 

 
こーんなに広い銀河に約4000億もの恒星系が存在してるので、このゲームのスケールはどこか馬鹿げているし、個人のプレイヤーがチマチマ深宇宙探査したところで全体に与える影響なんてほとんどないでしょう。はっきり言って無駄です。
 
その無駄でしかないように思えるゲームプレイが、今はすごく気持ち良いです。
 
さきほど書いたように、2023年に入ってからの私はひたすら仕事とミッションに時間とエネルギーを費やしてきました。本業をやる。執筆活動をやる。資料を読む。将来に役立ちそうな学術書に目を通す。等々。ついこないだまで、「オレはぜんぜん遊ばなくても無限に働き続けられる中年になった、よって、能率的に働き続けることができるのである」と本気で信じていたので、そのように生活してきました。ゲームをやらず、アニメもあまり視聴せず、ブログやtwitter(X)もマトモに書いてきませんでした。まっすぐ働く。効率厨的に働く。すべての時間とエネルギーは、明日の戦いのためにその次の戦いのためにその次の次の戦いのために。そうやって効率と能率を突き詰めた生活を一年間近く続けてきました。
 
そういう生活を続けていたら、いつしか限界になっていました。今年の後半に入ってとうとう何度か体調を崩してしまい、インフルエンザにもかかってしまいました。それと息が詰まったり不整脈っぽいのが出たり、心身に問題が生じている相が出てきたのです。これは危ない。危なくなってから、ちょっとのんびりしたくなったと同時に何か無駄なことがしたくなりました。で、久しぶりに『Elite Dangerous』を起動させて、絶対に終わらない深宇宙探査を再開したわけです。
 
はじめは宇宙船の操作方法すら忘れてしまい、危うく恒星に突っ込みそうになったりしましたが、じきに思い出して深宇宙を散歩しています。金策や評判稼ぎに追い回されるゲームではないので*1、効率や能率について一切考えずに遊べます。そういう意味では、効率厨の毒を中和するにはちょうど良いゲームだったかもしれません。このゲームに比べたら、ソーシャルゲームなんてほとんど仕事。ゲームの内側でまで能率性や効率性を追い求めることに、私は疲れてしまったのです。
 
 

でも、半年ぐらいなら無限労働中年の気持ちになれるかも

 
12月に入ってからは、時間に空きができるたびに深宇宙探査をやっています。そのおかげか、身体の調子が少しずつ戻ってきて窒息しそうな状態も減ってきました。ノーゲーム・ノーライフ。「オレは無限労働中年になれた」と勘違いしていましたが、私のような人間には遊びが必要だったのですね。
 
でも、約一年近くワーッと無限労働中年気取りを続けた値打ちもありました。2023年に読んだ本・書いた原稿は数知れず。そうした成果の第一弾として、2024年1月20日には『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』が大和書房さんから発売され、第二弾として2024年2月20日には『人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』が早川書房さんから発売される予定です。一年間に二冊の書籍をほぼ同時進行で書いたのは初めてでしたが、それぞれテーマが大きく異なっていたため意外にできてしまいました*2。とはいえ、これらを作成できたのは無限労働中年だと自分自身を思いこんでいたからに違いありません。
 
この1年で得た教訓は、「自分は遊びの必要な人間だ」であると同時に「半年ぐらいなら無限労働中年の気持ちでやれそうだ」でもありました。私には遊びが必要ですが、20~30代の頃に比べれば息を止めて仕事やミッションに打ち込める時間が長くなりました。もうすぐ50代を迎えようとしている私の人生は残り短く、自分にやれる仕事は限られ、なすべきミッションも選ばなければならないと強く思うようになりました。だから精を出して働くべきなのですが、これは遊びにも言えることで、この先遊んでいられるゲームの数・みられるアニメの数は限られていると思っておかなければならないでしょう。
 
でも、そういう「残り時間が少ないから、効率的・能率的になんでもやっていこう」ってのにちょっと嫌気がさしてしまいました。人生の効率厨をきわめれば、確かに仕事もミッションもたくさんこなせるし、ゲームやアニメだってもっと多くみられるかもしれない。でも、それが極まって効率性と能率性のしもべみたいな生活を続けたら、やっぱり私はおかしくなってしまうし、ゲームやアニメからさえ、いわゆる「遊び」が失われてしまう。義務と効率でゲームやアニメを追いかけるって、どこかナンセンスですよ。でも、人生にたくさん詰め込もうと思い詰めてしまうと、そのナンセンスが避けづらくなる。効率を意識するのは大切なことだけど、度が過ぎないよう、来年からは注意していきたいと思います。
 
 

*1:それらを頑張ることもできますし、プレイし始めた頃はさすがに宇宙船の代金を支払うためにちょっと頑張りました

*2:『「推し」で心はみたされる?』は個人の心理的充足と社会適応の本で『人間はどこまで家畜か』は有史以前から現代までの文化や環境の移り変わりと私たちの精神性についての本です