シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

AI時代の精神医療を想像する──1.診断と治療について

 
最近、AIが人間の機能や役割をやってのける話を耳にする機会が増えた。そうしたAIによる人間の機能の代替は、ある時期まではチェスや囲碁や将棋といった、ルールが厳格で判断の範囲が限定された機能に関する話題が中心だったが、2023年に話題になっているのは汎用的な機能、たとえば翻訳のような、旧来は人間でなければ困難と思われていた機能もAIがやってくれそうな気配が漂っている。
 
AIがチェスや囲碁や将棋をやるようになった時、そろそろ人間に追い付きそうだといわれてから実際に人間に追い付き、人間のずっと先にたどり着くまでの時間は長くなかった。それをなぞらえるとしたら、AIが翻訳や要約やデスクワークの領域でそろそろ人間に追い付きそうだといわれるようになってから実際に人間に追い付き、人間のずっと先にたどり着くまでの時間も長くないよう私なら想像する。電力や計算資源といった、物理的問題にもよるだろうが……。
 
先日、東京大学のウェブサイトに「人類はルビコン川を渡ってしまったかもしれない」と書かれていた。去年渡ったのか、今年渡ったのか、来年渡るのかは些末な問題だ。専門家の推測から読み取れそうなのは、「遅かれ早かれ、AIはさまざまな業務で人間のずっと先にたどり着く」だろう。同ウェブサイトに書かれているとおり、そうなれば産業構造も社会構造もドラスティックに変わろうし、変わらざるを得なくなる。従来人間が担っていた仕事の多くが、人間に任せておくのが不完全すぎてバカバカしくてAIに委ねるのが当たり前だ、と言われる日が近づいているように思える。たとえ責任の問題や身体性の問題から、人間が完全には除外されないとしてもだ。
 
さてそうなると、人間の役割はいったいどうなるだろう? ひいては、AIの発展と普及によって人間はどのように再定義され得るだろうか? そうしたことを私なりにいったん考えてみたくなったので、今回、三部作にわけてAIのいる近未来社会を想像してみる。
 
この1.では、「AI時代の精神医療の診断や治療」を中心に想像してみる。もちろんこれはブログ記事でしかなく、精神科医全般や精神科病院の考えを代弁しようとするものでもない。ブロガーとしての思考実験であることは断っておく。また、下書き段階では2.3.と回を追うごとに話題が広がっていきそうな感じだが、その点もご容赦いただきたい。
 
 


 
(以下、本文)
 
 
AI時代の精神医療を想像する時、真っ先に考えたくなるのが診断のAI化についてだ。
 
今日の精神医学では、ICDやDSMといった操作的診断基準がグローバルスタンダードとみなされている。それらは統計的に裏打ちされていて、従来バラバラになりがちだった精神科医の診断に互換性や標準化をもたらした、といわれている。批判はさまざまあるにせよ、そうしたグローバルで統計的に裏打ちされた診断基準のおかげで北海道でも東京でも沖縄でもだいたい同じように診断が行われ、その診断基準に基づいた国際的な治療ガイドライン(たとえばモーズレイの処方ガイドラインなど)に基づいて治療が行われるようになった、というのがここ数十年の流れだった。
  
では、そうした国際的な診断基準に基づいた診断はAIに可能だろうか?
 
私は、可能だと考えている。
もう、chatGPT4あたりは本当は凡庸な精神科医よりよほどうまく診断を下し、治療ガイドラインに基づいて、のみならず論文データなどまでリファレンスしながら治療指針をも選択できるのではないか、と疑っている。
 
AIに精神科の診断が可能だろうと考える理由の第一は、今日の診断基準がチェックリストのようなつくりになっていて、高度に構造化されている点だ。
 
今日の診断基準は多かれ少なかれ、チェックリストのようなていをなしている。診断基準を満たすためのリストがあって、そのうち幾つかを満たしていれば精神疾患と診断されるとし、そのうえで、除外診断の条件がつけられている(たとえばパニック障害と診断するにあたっては、それが脳の器質的な変化に由来していたり代謝疾患などの身体的な変化に由来していたりしないこと、等々)。リストを十分に満たしていて、除外診断の条件を回避できている場合、その患者さんはその診断に該当する──ということになる。
 
もちろん、国際的な診断基準は「バイブル」ではなく、精神科医はそれ以外のこともよく考えながら診断すべきだ、とはつとに指摘されることではある。とはいえ、国際的な診断基準をちゃんと守って診断し、その診断に基づいたかたちで治療ガイドラインを適用するのは簡単そうにみえて、案外簡単ではない。国際的な診断基準以外のことを考えながら診断しましょうといいながら結局は国際的な診断基準を逸脱し、わけのわからないことをやってしまう精神科医は(どこに・どれだけとは言わないが)ままあるだろう。そうした事態を減らすためのグローバルスタンダードではなかったか? 
 
AIがこなれていないうち、そうした「国際的な診断基準以外のことを考えながら診断する」技量はベテランかつ素養にも恵まれた精神科医がAIを上回るだろう──かつて、プロ棋士たちの囲碁や将棋がAIのそれを上回ったように。しかしAIがこなれてきた時、国際的な診断基準に忠実で、かつ国際的な診断基準以上のことまで考慮する能力においてAIが上回るのではないだろうか。
 
AIに精神科の診断が向いていると思う理由の第二は、今日の診断基準に、それに基づいた治療ガイドライン+たくさんの論文が互換性を持っている点だ。国際的な診断基準がグローバルスタンダードとなって以来、数多の論文が発表され続けてきた。そのなかには新しいものもあれば古いものもあり、被引用数が多いものもあれば少ないものも、エビデンスとして重たいものも軽いものもある。そうした論文たちは国際的な診断基準や治療ガイドラインだけではカバーできないさまざまな情報を提供してくれる。論文は今も発表され続けていて、全体としては日進月歩のていをなしている。
 
精神科医、とりわけ教育機関などで主導的な立場にある精神科医は、そうした論文の摂取にも積極的でアップトゥデイトな技量を維持していると想像されるが、とはいえ、ありとあらゆる分野のありとあらゆる論文を摂取し続け、国際的な診断基準以外のことを考える材料として利用している精神科医は、そこまで多くないように思える。自分自身の専門分野については最新の論文にキャッチアップできていても、そうでない分野についてはそうではない精神科医は珍しくなかろうし、あるいは、特定の論文にこだわり過ぎたり軽視しすぎたりしてしまうこともあるだろう。
 
理想論として、精神科医は、ひいては医師全般はあらゆる分野の最新の診断基準や治療ガイドラインに加えて論文の内容を比較吟味し、通暁しておくべきだというのはわかる。しかし現実を顧みるに、そのようなことは無理だし、精神医療の領域でもそうではないかと私は思う。で、だ。「あらゆる分野の最新の診断基準や治療ガイドラインに加えて論文の内容を比較吟味し、通暁しておくべき」という理想論に最も近いのは、スーパーマンのようなエリート医師より、これから益々の発展をみるであろうAIのように思える。
 
こうしたことを言うと「診断基準以外で考慮すべきは、論文だけじゃない」と声が聞こえてきそうだし、家族調整や環境調整や福祉の導入といったソーシャルなソリューションはどうなんだといった声も聞こえてきそうではある。患者さんのご家族の状況、職場との関係性、患者さんひとりひとりの来歴を踏まえた対応などは、なんだか機械的な診断基準の適用とはまったく異なった、人間ならではの複雑な判断を求められそうな印象を受けるかもしれない。
 
でも、精神医療/精神医学の論文は診断と薬物療法についてだけ書かれているわけでない。家族構成がこうだったら予後は良い/悪いだの、特定の背景を持った患者さんがそうでない患者さんに比べてどうであるだの、個別の症例の判断に役立ちそうなこともたくさん統計化され、論文化されている。ソーシャルなソリューションとその適用についても、診断基準や治療ガイドラインや論文に色々なことが書かれていることを忘れてはならない。もしAIが診断と治療を請け負うか支援するとしたら、AIはそうしたソーシャルなソリューションについても当然のように論文をリファレンスし、考慮したうえで判断するだろう。そうしたAIの判断がソーシャルなソリューションの導入の苦手な精神科医よりも優れ、論拠も豊富である可能性は十分あり得る。少なくともそんな未来は想像可能だ。
  
これが、20世紀も前半ぐらいの、グローバルスタンダードな診断基準や治療ガイドラインが未整備で、論文があるといってもアメリカとドイツとフランスと日本でそれぞれ異なった基準や考えに基づいて書かれている頃だったら、AIといえども統一性のないそれらの情報をとりまとめて判断するのが困難だったかもしれない。しかし20世紀の後半以降は診断と治療と研究が繋がりあい、それが世界じゅうで適用され、互換性を持つようになっている。これは、AIが役割を請け負う仕事領域としておあつらえ向きの条件であるようにみえる。
 
そして精神医療は、少なくともアメリカや発展途上国では十分行き届いているとは言えない。そうした国や地域では、たとえ人間の精神科医に若干劣る部分があっても、それか日本人には我慢ならない問題点を抱えていたとしても、安価に提供できるAIの診断-治療のシステムが導入され、多くの人の福音となる可能性を想像しやすい。でもって、そうやって途上国経由でAIがメキメキと実力を磨いていけば、日本人には我慢ならない問題点さえ次第に解消され、もはや誰もかなわないほどの精神科医AIができあがるやもしれない。
 
 
紙幅の都合もあり、ここでは精神科医の診断と治療に重きを置いて記したが、AIが看護や心理療法の領域に手を伸ばす可能性ももちろんある。精神科看護は、丁寧にやろうと思うほどとんでもないマンパワーを食う一方で慢性的なマンパワー不足に悩まされていて、なおかつフィジカルな対応能力が常に求められている。だからAIによる恩恵こそあれ、業界がAIに蚕食されることはあまりなさそうにみえるが、心理療法の領域、特に認知行動療法のような領域はAIが真っ先に占拠するだろうし、心理検査についてもAIがいろんなことをやってくれるように思える。全体として予想するに、精神医療へのAIの適用は精神医療のさまざまな営みに影響し、診断と治療の風景をさまざまに変え、(2.以降で触れる)患者さんのモニタリングをも変えていくだろう。そうした変化はAIが社会全体に与えるインパクトに比べれば小さなものかもしれないが、とはいえ、そうした変化じたいも間接的に社会を変え、社会の風景をも変えていくだろう。
 
続く2.では、患者さんの社会復帰、あるいは就職や復職といった問題について触れてみる。(続きは4月14日アップロード予定)