シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「リツイートしあうも他生の縁」

 
 
インターネットをとおして私はいったい何人と縁を結び、やがて別れていったろうか。
 
人生の半分以上を、インターネットと共に生きてきた。
 
いまどき、人生の半分以上がインターネットと共にあるなど珍しいことでもあるまい。が、四半世紀以上をインターネットと共に歩いてきた人は、いぜん少数派だろう。
 
手の甲に静脈が浮かびやすくなり、うるおいを失い、腱鞘炎になりやすい手でキーボードを叩きながら、過去に出会ってきた人たちのハンドルネームやアイコンを思い出す。あるいはオフ会で出会った記憶を。
 
パソコン通信や個人ウェブサイト時代に出会った人のなかには年上が多かった。彼らは昭和から平成初期の男性の振る舞いを身に付けていたり、古式ゆかしい「おたく」であったりした。古式ゆかしい「おたく」でも案外妻子持ちが多かった時代でもある。そうした年上のオタクから様々な古事や古典を教わったりもした。
 
テキストサイト時代に出会った人には同世代が多かった。まだ若く、社会的ポジションもアイデンティティも不確かな、けれども表現やプロダクツをとおして何かをやりたい人たちの集まっている場所の隅っこに私も加えてもらっていた。そうしたなか、素早く頭角をあらわす人、才能を輝かせる人もいた。人並みにそうした人たちを羨んだりリスペクトしたりしていた。
 
ブログの時代、特にはてなダイアリー周辺が「はてな村」などと呼ばれていた時代になって、ちょっと年下が増えてきたなと感じた。ここでもたくさんの出会いがあり、別れがあった。私も周囲も血気盛んで、稚気があり、当時のブログ界隈のコミュニケーション作法はそれらを正当化することこそあれ、妨げるものではなかった。それを不毛と呼ぶか、遠慮のないやりとりが可能だったと呼ぶかは人によるだろう。
 
それからSNSの時代がやって来て、そのSNSのコミュニケーションのルールや流行廃りも10年ぐらいの間に変わり続けた。SNSの時代になって以来、いったい何人と言葉をかわしたのか見当もつかない。お互いにリツイートをしあうぐらいの距離、同じような意見に共感をおぼえたような距離の人は100人や200人ではきかない。もう、顔もアイコンも覚えきれないほどの人と出会って、たぶん別れてきた。そうした出会いと別れのすべてを記憶することなど、もはや不可能だろう。
 
「袖振り合うも他生の縁」というが、「リツイートしあうも他生の縁」、だと思う。インターネットの縁の大半は、儚い。しかしそのリツイートがとりもつ程度の縁でも、出会いには相応の必然性があり、たかがリツイートといえどもコミュニケーションがあったのだろう。インターネットが無かった頃の出会いやコミュニケーションに比べて簡易で、安易で、はかないものだとしても、それも人の縁には違いない。リツイートをとおして私たちは気持ちを共有したり、なにごとかをコミュニケートしたり、ひとまとまりになったりする。そして次の瞬間、リツイートで繋がった者同士はもう別々のネットライフに立ち戻っていく。
 
 

もうしばらく、こうして人の間にいてみたい

 
そうした無数の出会いと別れを振り返ると気が遠くなってくる。なかには十~二十年以上にわたって交流が続いている人がいて、そうした人たちは私の思想や人格、人生に大きな影響を与えてきた。そこまでいかなくても、5年ほどインターネットを共有していればおのずと影響は受けているし、そういう人だけでも無数にいる。ありがたいことだ。
 
他方、それよりずっと多くの人と別れもしてきた。別れた人のなかには、直接のコミュニケーションこそしなくなったにせよ、あちこちの第一線で活躍している人もいて、活躍を耳にするたび嬉しく思う人もいる。かと思えば、いつしかアカウントもなかの人も行方が知れなくなった人、鬼籍に入ってしまった人もいる。何か言葉をかけたいと思いながら、結局別れ別れになってしまった人もいる。
 
縁というのは、人間には計り知れないところがあるから、私はそうした出会いと別れのひとつひとつがどれぐらい役立っているのか、どれぐらい害となってきたのかを判断できない。縁を利得というモノサシで考えすぎることには抵抗もある。それでも縁があったことだけは確かだ。その縁をとおして私がなんらか影響を受け、きっと相手のひともなんらか影響を受けた、そんな出来事が過去に積み重なったことだけは確かだ。縁をとおして人と人は出会い、なにごとかを受け取って未来に向かって歩いていく。あとどれぐらい、そんなことが続けていられるのかわからないけれども、もうしばらく、こうしてインターネットの人の間にいてみたいと私は願望する。