シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

残り時間を気にしながらいつも走っている

 
president.jp
 
4月に入ってからいろいろ忙しいため、しばらく読むのを後回しにしていたけれども、読んで得心するものがあった。そうか、私はこれを読むのを怖がっていたわけだ。
 
リンク先の文章は『裸の大地 第一部 狩りと漂白』という書籍からの抜き出しであるという。そこに書かれている、冒険家の筆者が43歳という年齢を迎えて思うこと・実行することは私には身近なことと感じられ、他人事で済まされるものではなかった。
 
四十代になって見えてくるいくつかの問題。
 
ひとつめ、厄年の問題。
 
古来、日本では42歳は厄年と言われ、忌み嫌われてきた。実際には、女性の厄年としての33歳、子どもの厄年としての13歳もあり、それら厄年みっつの合計数である88が、四国遍路の霊場の数だったりする。
 

「四十二歳は日本人にとって不吉な年なんだろ。ナオミだって死んだ。カナダで氷に落ちて死んだのもいただろ。日本人はみんな四十二歳で死ぬんだ。たぶんあんたも北方の旅から村にもどる途中、イータの地に立ち寄り、そこで命を落とすことになる。あんたの遺体はオレが六月に鴨の卵を取りにボートでイータにむかったときに発見することになるだろう。本当だよ」
(上掲リンク先より)

この、イヌイットのシャーマンの言葉をひいたうえで、筆者は日本の探検家たちが43歳前後で相次いで命を落とした事実を振り返る。確かに、それぐらいの年齢で亡くなった探検家は多い。でもってリンク先の文中にも書かれているように、これは、職業によっていくらかのズレを含むものでもあるのだろう。たとえば瞬発力を必要とするスポーツなら危機の年齢は早まり、たとえば結晶性知能で勝負の職業なら危機の年齢は遅くなるだろう。eスポーツ選手などは、もっともっと早くに危機の年齢が訪れるのかもしれない。
 
危機の年齢と言って語弊があるなら、人生の曲がり角、とでも言えばいいか。とにかく、発展と発達の一途にあった人でさえ上り坂から下り坂に変わりやすい時期を、いにしえの人々は厄年と名付け、注意を払った。思春期の盛りを過ぎた後、人間の肉体は少しずつ衰え、いっぽうで経験は少しずつ蓄積していく。その能力の総和として、これから下り坂に入っていく直感が得られる時期が厄年のあたりなのだろう。
 
ふたつめは「今ならできる」という問題。
厄年のあたりで自分が下り坂に入っていくという直感が得られたとて、本当に衰えてしまう時期はまだ遠い。これも職業によるが、基本的にあと何年かは全盛期に近いアウトプットが期待できるし、衰えを補えるぐらいの経験蓄積も期待できる。全盛期そのもの、ではないかもしれないが全盛期に近いアウトプットを、残り何年かは叩き出せるという目算が立つ。
 
これも私自身にはわかる感覚で、今の私は30代の頃にできなかった幾つかのことが楽々とできるし、30代の頃には読めなかったものが読め、書けなかったことが書けるようになっている。ああ、もし今の私ぐらいの能力が20代や30代の私自身に宿っていたらどんなことができたんだろう、という思いと、いやいや、40代になってようやく今の私ぐらいの能力なのだから、この先は知れているという思いが相半ばする感じだ。と同時に、おそらく人生のなかで現在ほど高い打点でヒットやホームランを狙える時期は無いはずだ、という直感もある(これが、後述する残り時間に対する焦りをも生む)。
 
だから、物書きとしての私は今、全力で、できれば、全裸で走りたいと願っている。おそらく人生のなかで一番高い打点でヒットやホームランが狙えるのは、今を置いて他にないからだ。私よりもずっとずっと偉大な物書きの先人たちを見ていても、代表的な作品が50代を過ぎてから出ている人はいないわけではないが少数だ。だから統計的に推定しても、自分自身の直感に問いただしても、まさに「今ならできる」だとしか思えない。
 
しかし、リンク先にはその「今ならできる」について以下のように記されている。
 

実際にできるかどうかより、たぶんできるはずだと思えるようになるところがポイントだ。

若くて経験値がひくく想像力が貧困であれば、実際の経験の外側にある未知の世界は、純粋に未知で、予測がつかないぶん恐ろしく、そこに手を出すことなど考えられない。あるのは体力だけ、だから思いつく計画のレベルもたかが知れている。

ところが経験値が増して世界が大きくなると、その外側にある未知の領域のこともなんとなく予測できるようになり、いわば疑似既知化できる。予測可能領域がひろがり、本当は未知なのに、なんだか既知の内側にとりこんでしまっているような感覚になり、それなら対応可能だろう、と思えてくるのだ。だからカヤックの経験が皆無でも、北極で長期の旅を何度もこなしていれば、つぎは北極をカヤックで旅するか、という発想がおのずとうまれる。経験と予測の相関関係はこのような仕組みになっている。

この文章を読むと、中年期の「今ならできる」の感覚のなかには、経験の蓄積や世界の拡大に伴って可能になった、ある種の先読みによる疑似既知化が含まれていると記されている。つまり「本当はやっていないことでも」「これまでの経験と照らし合わせて、おそらくこれぐらいでできる」という読みをきかせてしまっている部分。
 
たぶん、ここが中年が人生を滑落を滑落させるポイントのひとつなのだろう。中年の「今ならできる」という手ごたえの内側には、先読みによってだいたいできると推測しているもの、逆に言えば、本当は踏破していないものが含まれている。「今ならできる」と思ってトライするものに対する予備調査能力も若い頃よりは高まっているに違いない。けれどもそれはどこまでも推測の域であり、予備調査でしかない。それらに基づいて大股なトライをした時、何%の確率かはわからないが、足を滑らせたり、脱出不能の穴に落ちたりする可能性は否定できない。だのに、「今ならできる」と思い込んでいると、推測や予備調査にうつらない穴の存在を忘れてしまう。
 
なにより、みっつめは残り時間の問題。
どんなに「今ならできる」と思っていても、中年には残り時間がない。

このように四十になると、人の世界は経験によって拡大膨張し、その大きくなった世界をよりどころに様々な局面を想像できるようになり、冒険家にはなんでもできるという自信がうまれる。つまり経験値のカーブは上昇線をえがく。その一方で、肉体は衰えはじめ、体力や勢いや気力などが低下し、個体としての生命力は下降線をしめす。

リンク先の筆者は、経験が増えても体力が、気力が、生命力が落ちていく、その交叉点として40歳か41歳を挙げている。繰り返すが、これは冒険家の場合で、スポーツ選手なら、医者なら、それぞれまた異なった年齢が交叉点になるだろう。いずれにせよ、その交叉点を越えてからは経験の蓄積を生命力の衰えが凌駕していくようになり、総合的なスペックは下降線を辿るようになる。
 
「今ならできる」という感覚と、総合的なスペックの翳りが重なる時、人は焦りを感じる。「今ならできる」が「今やらなかったら、もうできない」になっていく。ゆえに筆者はこう書いている。
  

南極大陸犬橇横断を最終目標としていた植村直己が、やらなくてもいいように思える冬のデナリにあえてむかったのは、なんでもいいから身体を動かしておかないと、南極が、すなわち彼固有の、彼にしか思いつけない最高の行為が遠のくという焦りがあったからだ。北極点から愛媛の自宅に帰るという旅に出発した河野兵市にも、おなじような焦燥があっただろう。
 
すくなくとも、二〇一八年三月に私をシオラパルクにむかわせた原動力として、この年齢の焦りは確実に作用していた。私がやりたかったのは、北極で狩りをしながら長期に漂泊することだ。それは今年やらなければ、もう永久にできないことだと思われた。

植村直己の挑戦とご自身の挑戦とを、筆者はここでダブらせている。「今年やらなければ、もう永久にできない」。私もまた、それにシンパシーを感じた。私も物書きとして、今年とは言わないにしても2020年代にやらなければ、もう永久にできないという気持ちを抱えている。「今なら書ける」が「今書かなかったら、もう書けない」になるきわの淵に、私は立っている。
 
 

中年期危機のリアリティ

 
中年期危機(midlife crisis)とは、言い古された言葉ではある。
アメリカ精神医学の教科書である『カプラン精神医学』では、日本語版第二版までこの言葉が使われていて、第三版からは人生中期の過渡期(midlife transition)とソフトな言い回しに「改正」している。「改正」とは同教科書の編集陣から見てのことで、政治的にあまり正しくない私がこのソフトな言い回しを改正として鵜呑みにするのはやや難しい。というのも、内容的にはだいたい同じで、そのボリュームを縮小したうえで、言葉遣いをソフトにしているからだ。まるで、今日日の世の中みたいだし、私はここに、アメリカの加齢フォビアな世相に対する、精神医学界の配慮や譲歩を勘繰りたくなってしまう。
 
さておき、中年期危機や人生中期の過渡期のリアリティに、私はようやくたどり着いたという手ごたえが今はある。
 
43歳の時、私は中年期の面白さやできることの増えるさまに感化され、『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』という一種の賛歌を作ったが、この時点では、「今ならできる」→「今やらなかったら、もうできない」の感覚がまだよくわかっていなかった。今は、それがビシバシわかる! 中年には、残り時間がもうないのだ!
 
ここに、私の場合は「今もこれからもすべきこと」が加わる。本業のこと、家庭のこと、物書き以外でなすべきこと、そういった事々を背負った状態で、私は私だけの南極大陸犬橇横断に挑まなければならない、いや、挑みたいと思ってしまう。こういうイカロスの太陽特攻じみたトライアルに心惹かれる感覚は、43歳時点ではほとんど感じなかった。中年期は比較的長い穏やかな時期という人もいるが、いやいや、たった数年でも景色は結構変わるものじゃないですか。
 
その景色の変化を楽しみにしている、と数年前の私は言ったし、実際これも新鮮に感じるのだけど、心身ともに少しずつ衰えていくなかで、手持ちの、もはや20代の人々からはアナクロとみられるであろう手持ち兵装で全力撤退戦をやる時の景色には、ほろ苦さと、アドレナリンを伴った加齢臭が伴っていて、ちょっといたたまれないものがある。けれども、それをやるっきゃないし、今やらなかったらもうできないのだから、私は老骨(失礼、もっと年上の人々からみればまだ若い、けれども20代からみれば気力集中力もそぞろになった、と訂正する)に鞭打って手を動かすのだ。もう、それすら十年後には思い出になってしまうと確信しながら。
 
こうなってみると、中年期危機の項目に書かれていた、「人生最後の勝負と銘打ってみずから人生をひっくり返してしまう中年」のことが他人事ではなくなってしまう。数年前までの私は、中年期危機のうち、抑うつや空の巣症候群や男性の更年期障害などは恐れていたが、「人生最後の勝負」のたぐいをせせら笑っていた。ところが今の私はそういう心境にシンパシーを感じてしまう。『機動戦士ガンダム』シリーズで言えば、旧式モビルスーツをかき集めて一旗あげようとするジオン残党と今の私はたいして変わらないのかもしれない。
 
と同時に、かつてここで書いた、駆け抜けるような研究人生や臨床人生の彼岸にたどり着いた50代の先輩がたを思い、ああ、あの先輩がたはこの危機のサバイバーだったんだな、とも回想する。走り抜けて50代にたどり着くことを、今の私はまだ羨ましいと思いきれていない。まだ戦いはおわっちゃいない──たとえその思いが、遭難してしまった冒険家たちの思いに相通じるものがあるとしても。
 
戦わなきゃ、と思う。
誰と?
自分と。
迫りくる時間と。
何かを書く、何かを表現する、何かを伝えるということと。
あるいは世間と。
  
後悔は、どのようにも起こるものだ。だとしたら私は、走って、走って、前のめりに転んでも構わないから走って、そのうえで後悔というものを手にしてみたい。中年の危機ではなく、人生中期の過渡期、か。ふん、悪い言い回しじゃないのかもしれない。そう思いながら、今日も私は、ありとあらゆる空き時間を文章を書くためのタスクで埋め尽くす。