※この文章は、はてな村と呼ばれたブログコミュニティで活躍した元ブロガーへの手紙です。興味のない人は畳んでください※
インターネットで表舞台に立たなくなってから、もうずいぶんと長い年月が..
[B! 増田] 諸般の事情によりブログをやめざるを得なくなった。んで、なにも書かなく..(※元文章は差し替えられているため、ブックマーク貼付)
お盆の季節に、はてな匿名ダイアリーに相次いで二つの投稿があった。00年代~10年代にかけて活躍した元ブロガーが書いた文章であることは明白で、当時を知っている人ならすぐに判っただろう*1。
この元ブロガーさんはアニメやゲームに対しても、世間や人間に対しても独特の感性を持っていて、我流の文体とあわさって唯一無二の面白さをみせていた。単に面白いブロガーなのでなく、一度覚えたら忘れられないブロガーだったと思う。
二つ目のリンク先でご本人が吐露しているように*2、この元ブロガーは書き手としては「終わった」のだと思う。最盛期に比べると、ご自身の宿業と他人に読まれたいという望み(と同時に読まれ過ぎることを疎ましいする望みの二律背反)がかみ合っていない。在りし日の氏なら、ご自身の宿業と他人に読まれたい(が読まれ過ぎたくない)気持ちががっしりかみ合って、もっと生命力のある、ギトギトした文章になっていただろう。
それでも音信が伝わってくるのは嬉しく、私はありがたく思う。かつて「はてな村」と呼ばれていたブログコミュニティの、賑やかかりし頃を思い出しながら夕日を眺めた。そして元ブロガー氏にまた手紙を書きたくなった。
1.
ようやく梅雨が明けて夏が始まったかと思いきや、夕焼け雲に秋の気配が漂い始めた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
こうして店長の消息がつかめ、今もインターネットのどこかから娑婆世界をご覧になっていることを嬉しく思います。
今回の便りで店長は、自分は「親戚に一人はいる妙な大人」をやりたかったんじゃないか、とおっしゃりました。確かに店長は「親戚に一人はいる妙な大人」と呼ぶにふさわしい存在かもしれません。少なくともテンプレート的な成人男性の行く道を歩んでいるとは言えないでしょう。
ただ、この"やりたかったんじゃないか"、という気持ちは最近になって生まれてきたもので、戦略的に目指されたものでも、強い意志をもって貫徹されたものとも思えません。少なくとも、店長がご自身のことを(妙か妙でないかはともかく)大人と自認なさるようになる前は、そのような表明が無かったように記憶しております。店長がご自身を大人と自認なさるようになったのは、旧はてな村を出るか出ないかの頃ではなかったでしょうか。
「親戚に一人はいる妙な大人」になることがいけない、と申したいわけではありません。旧はてな村の出身者にも、SNS世界や動画世界にも「親戚に一人はいる妙な大人」と言えそうな人がたくさんいらっしゃいます。店長も含め、たくさんの「妙な大人、または妙な大人予備軍」が人生を前へ前へと進んでいきます。皆、後進のロールモデルになっていることでしょう。ロールモデルというと、一般的には憧れの対象や理想像とみなされるかもしれませんが、「ああいうふうにだけはなりたくない」と思われるのもロールモデルだと私は思っています。反面教師ってやつですよね。そして年を取っていけば、多かれ少なかれ人はロールモデルにならざるを得ません、ポジティブにもネガティブにも。
店長は、ブログを通してご自身の感性や価値観、人生、ワークスタイル、等々を赤裸々に語っていました。いずれも後進や同輩からみて参考になるもので、うまく言えないのですが、とてもリアルな手触りを伴っていました。だからこそ、たくさんの人に親しまれたし、たくさんの人に憧れられましたし、たくさんの人に疎まれました。
店長の人生そのものはコピー不可能で、文体も同様でしたが、まさにそのようにブログを書き綴るさまはロールモデルと呼ぶにふさわしいものでしたよ。知名度の階段を駆け上っていったphaさんが、旧はてな村における「親戚に一人はいる妙な大人」の表の代表だとしたら、店長は裏の代表、少なくともその一人ではないでしょうか。当時、店長がどこまで自分のことを大人と自認なさっていたのかはわかりませんが、年上のブロガーとして店長を仰ぎ見るような気持ちでみていた人は結構いたんじゃないかと思います。その必然として、「ああいうふうにだけはなりたくない」をも引き受ける結果ともなったでしょうけど。
店長は、インターネットの表舞台から退いて長い年月が経ったとおっしゃいました。インターネットでは、「親戚に一人はいる妙な大人」が誰かのロールモデルたりえるためには、ネットの表舞台──いや、舞台のすそでもいいのですが──に立っていなければなりません。なぜならロールモデルとは(おもに年下に)観測されてはじめて成り立つものだからです。
もし店長が本当に「親戚に一人はいる妙な大人」としてロールモデルになりたいのでしたら、文体を変えても変えなくても構わないので、即刻、インターネットに戻ってきてください。そこはもちろん世間から乖離していた00年代~10年代の旧はてな村と同じではありません。しかし「親戚に一人はいる妙な大人」が誰かのロールモデルたるには、メディアに戻ってくるしかないんです。少なくとも二次元美少女についての性癖などを語る存在としての店長がロールモデルたりえるには、そうするしかないのではないでしょうか。
いちおう、店長が勤務先や道端で二次元美少女について語ってみせることで「親戚に一人はいる妙な大人」のロールモデルとして努める道がないわけではありませんよ? ですが、きっとコミュニケーションに失敗するでしょう*3。店長がロールモデルとして輝く空間は、インターネットしかありますまい、と私は考えています。
でも、ここまで書いて勝手に思い始めたのですが、店長は、そうしたロールモデルとみなされることに倦み疲れてブログを捨てたのではないでしょうか。好かれ、喜ばれ、憧れられるばかりがロールモデルではなく、疎まれ、ときには憎まれることもあるなかで、店長がくたびれてしまった可能性を、私はなかなか否定できません。加えて、店長はまさに好かれ、喜ばれ、憧れられるということ自体にもくたびれてしまったのではないですか。
昭和時代にたくさんいたであろう「親戚に一人はいる妙な大人」は、お盆や正月に専ら観測されるものでした。今の店長の出現頻度は、そういう意味ではぴったりと言えるやもしれません。また、ロールモデルを引き受け過ぎると苦しくなってしまうに違いない店長の性質を思うと、その点でもちょうど良い、と言えるやもしれません。
だけど、
たとえば30とか40越えてなお「変」でありつづけるっていうのは、これはかなりの難事業だと思うんですよ。なぜ変なのかといえば、自分の内部にどうしようもなく世間と折り合いがつかない部分があるからで、その折り合いをつけないまま生きていくためには「どうしようもない部分」以外の折り合いはつけなきゃいけない。それってかなりの知性が必要な作業で、俺が「いいなあ」と思う変な大人は、みなそれを持っているように見える。変と見られることを恐れていないように見える。
それがね、いいなあと思うんですよね。そういう人が呼吸できる場があるということが。文章なりなんなりを発表できる場所があって、それに共感する人たちがいるということが。ひょっとしたら、変な人が変な大人でありつづけていることで、救われているだれかがいるかもしれない。かつて救われたかった子供だった俺は、そういう人たちを見て「いいなあ」と思うのです。
このようにお考えになっておられるなら、もう少しだけで結構ですから、あなたのおっしゃる難事業を引き受けて、ネットのどこかで呼吸して、発表して、あなたに共感している(いた)人やあなたの存在に救われていた人にメッセージを送っていただきたい。お盆と正月に加えて、春と秋の彼岸にも汚れたインターネットに戻ってこられて所感を語ってくださると喜ぶ人がいるように思います。
世俗化・世間化して汚れきった今のインターネットは、定めし、店長にとって窮屈なものでしょう。しかしそれは今を生きる「親戚に一人はいる妙な大人」という言葉が似あうすべてのブロガーやインターネット発信者にも当てはまることです。窮屈ではあっても、観測されるためには発信しなければなりません。だから店長、本当にその気がおありなら、はてな匿名ダイアリー界から衆生の世界に降りてきてくださいよ、ねえ。
2.
ところが二つ目のリンク先には、店長は終わってしまったと書いていらっしゃいます(しかも伝聞によれば、数年前の記事だそうでs)。
終わった自覚もなしに、発信する手段があるから声をあげているような状態に陥ったら老害と呼ばれるだろう、とも。
そうおっしゃられると耳が痛いですね。私も、自分が終わってしまった、終わっている真っ最中だと思うことが増えました。たとえばtwitterで年下のアクターたちが熱弁をふるい、あれこれの社会問題に言及するのを見ていると、現在の自分にはできないことだと感じます。noteの若い書き手を見ていても同じですね。私はnote時代の書き手になれないし、かないません。
この点では、終わったと割り切って匿名ダイアリー界に旅立ってしまわれた店長が羨ましい、と思うこともあります。店長は、
声をあげるというのは、やむにやまれぬ内的必然性によってすることだ。かつての俺がそうだったように。もちろん、そうでなくても声をあげる必然性を持っている人はいるが、俺はそうではなかった。聞いてくれる人がいるから声を出す、というのは俺にとっては本末顛倒だった。正しくなかった。
このように書いておられるし、聞いてくれる人々の磁場に巻き込まれていくことを潔しとしてませんでした。たくさんの人に読まれるブロガーでありながら、たくさんの人に読まれるという状況や影響に巻き込まれないよう意識すれば、人気が出る都度、ブログを畳むしかありますまい。ですが、そうすることで保たれていた純度やスタイルもあったことでしょう。
私は四十代の半ばになりましたが、まだブログを書いています。6月に出した新著は私にとって悲願の達成なので、勝利宣言をしたうえでブログをやめてもいいんじゃないかとも思うこともありましたが、結局、のうのうと文章を書き続けています。
さいきん私は、自分が声をあげる必然性を持っているのか、聞いてくれる人がいるから声を出しているのか、よくわからなくなっていました。と同時に、店長のおっしゃる人間が終わるときを迎えつつあるのも自覚しています。私の場合は、玉ねぎの皮をむくように一枚一枚、何かが終わっていくと感じています。私は自分の社会適応の限界年数を六十歳と想定し、とにかくそこまでは全力で生きようとつとめていますが、その想定でいけば私の盛期はもう間近か、もう通り過ぎたと考えられます。たとえばゲームプレイヤーとしての私はもう終わってしまいました。二次元美少女に萌える、という感情もそうでしょう。三十代まで終わっていなかったものがどんどん終わっていくなか、私はまだブログを書き続けています。
私は店長のように、その終わっていく私自身に対してどうでもいいなどと思うことができません。私は、終わっていく私を鏡に写して深刻な顔をせずにいられませんし、剥かれて地面に落ちている終わった私の抜け殻に未練を感じています。私は私自身に執着していますし、それは私のナルシシズムとも深くかかわっているのでしょうけど、とにかく、玉ねぎの皮をむくように終わっている私自身を諦めきれていません。私はエイジングについて二冊も本を書いてしまいました*4が、それは私が終わっていく私と折り合いをつけるための方法を必要としていたからだと思っています。そして私のことだから、五十代になってもまたエイジングを云々していることでしょう。そうやって云々しながら年を取っていくのが、私の妙な(多分に馬鹿げた)性質なのだと思います。あっ。ここには終わっていない課題があるか。ごめん、私まだ終われないかも。あと十年しても、執着に導かれて何か書いている自分が想像できる気がしてきました。
人間が、執着に導かれて何かを選び何かを捨てるのだとしたら、店長には、きっとブログや文章より大切なことがおありなのでしょう。私もそうだと思っていましたが、この手紙を書いているうちに、私にはまだ、ブログを書く(または書籍を書く)ための執着が残っていることをさきほど発見しました。私はまだ終わっていないし、終わってはいけない。終わらないついでに、こうして店長ことや旧はてな村のことをときどき思い出していきたいとも思います。
書き始めた頃は、「匿名ダイアリーの高みから、いけしゃあしゃあとロールモデルを語ってみせる店長を激詰めする手紙」を書くつもりでしたが、書いているうちにそういう気持ちが薄れてきて、挙句、最後には自分に都合の良い気持ちができあがってしまいました。これでは、施餓鬼のお供え物を用意して自分で食っているみたいですね。すみません。でも、旧はてな村にもこうやってお盆が到来したので私は嬉しいです。