シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

再考・『涼宮ハルヒの憂鬱』のどこが新しかったのか

 
 
はてなブックマーク - ハルヒ革命と保守・新自由主義化するハルヒ世代 - 美少女と僕らのセカイ
涼宮ハルヒ美顔革命論について各方面の反応 - Togetter
 
 先日、「ハルヒ革命と保守・新自由主義化するハルヒ世代」というタイトルのブログ記事が書かれ、たくさんの人から批判や嘲笑を集めた後、消えてしまった。「エヴァ以降、ハルヒ以前のキャラクターにみられなかったのは『顔の良さ』」という持論からはじまって、「保守・新自由主義化するハルヒ世代」という世代論的な話にうつっていったが、やけに難しい言葉遣いだった。
 
 書き手は1995年生まれを名乗っていて、『涼宮ハルヒの憂鬱』に関するの過去の議論についてあまり知らない様子だった。『ハルヒ』について語りたい意気込みは伝わってくるものの、それを伝えるための文章力も知識もデリカシーも足りておらず、批判や嘲笑を集めるのもやむなし、といったところではあった。
 
 だが、20代前半の若者が大上段にアニメを語るとはそういうものではなかっただろうか。
 
 インターネットが普及していなかった頃のローカルなオタクコミュニティでは、世間を知らず、知識も乏しい若いオタクが、要領を得ない作品論をぶちあげることは珍しくなかった。そういう、意気込みの空回りした作品論がオープンなインターネットに晒されるようになった時、批判や嘲笑を集めるのは理解できることではあるけれども、せっせと作られた若者の作品論が一蹴され、消えてしまうのは悲しいと私は思った。
 
 それでも熱量にほだされ、私も「ハルヒのどこが新しかったのか」を再考したくなった。似たようなことは4年前にもやっているけれども、好きな作品の話は、何度やったって悪いものじゃない。
 
 

「女の子たちが歌って踊ってライブする作品群」の先駆けとしての『ハルヒ』

 
 

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 私は、『涼宮ハルヒの憂鬱』がそれ単体で"革命"を起こしたとは考えていない。
 
 それでも、アニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』が流行が変わっていく時期の人気作品なのは間違いなかろうし、同時代の幾つかのコンテンツやプラットフォームとともに記憶されるべきだとは思う。
 
 まず、ライトノベル版『涼宮ハルヒの憂鬱』がよくできていたことを断っておく。SF的要素や(90年代後半~00年代に流行した)心理主義的要素をちりばめ、キョンの独特な語り口を特徴とするライトノベル版は、同時代の愛好家の需要に応えていたと思う。
 
 ただし、それだけの作品ではなかった。
  
 たぶん、アニメ史のなかで重要だと思われるのは、「女の子たちが歌って踊ってライブする作品群」の先駆けのひとつが、アニメというジャンルでは『涼宮ハルヒの憂鬱』だったということだ。
 
 『涼宮ハルヒの憂鬱』は、「ハルヒの顔が良い」という曖昧な理由によって特別だったわけではない。絵やストーリーでいえば、ほかにも優れた作品はそれなりあった。たとえば『エウレカセブン』や『アイドルマスター(アイマス)』あたりと比較して、『涼宮ハルヒの憂鬱』が突出して2010年代寄りのデザインだったとは思えない。今、『涼宮ハルヒの憂鬱』を観ると、その絵柄は2010年代よりも90年代後半に近いとすら感じる。
 
 だが、「女の子たちが歌って踊ってライブした」00年代のアニメとしては『ハルヒ』が早かった。エンディングテーマ『ハレ晴レユカイ』もそうだし、文化祭でハルヒが熱唱するシーンもそうだった。現代アニメではもはやテンプレートとなっている「女の子たちが歌って踊ってライブする」センスを、アニメというジャンルで最初に開花させたのは『涼宮ハルヒの憂鬱』ではなかったろうか。
 
 この時期には「女の子たちが歌って踊ってライブする」コンテンツが立ち上がってくる機運があった。Xbox360版の『アイドルマスター』がリリースされたのが2005年だし、AKB48が始動したのも2005年。『ハルヒ』だけが特別だったわけではない。ゲーム・アイドル・アニメという複数のジャンルで同時多発的にそれは起こり、燎原の大火のように広がっていった。
 
 ハルヒダンスの生みの親である山本寛さんは、2018年6月の公式ブログで、ハルヒダンスの流行への戸惑いと嫌悪感を表明しておられる。
 

当時は戸惑ったものだ。
なんでこんなに受けるの?
 
嬉しいというよりは、変な感じだった。
幸いにして「朝比奈ミクルの冒険」や「サムデイ イン ザ レイン」など、しっかり仕掛けて作った部分も充分に評価されたので、まだ違和感は薄かった。
 
しかし「ハルヒダンス」、なんでこんなに受けたんだろう?
作画スタッフに罪はない、あくまで演出上の問題だが、この程度で??
 
僕にとっては「刺身のツマ」がえらく評判になったようなものだ。
そこを褒められてもなぁ、という。

 

もうウンザリだ。
死ぬまで踊ってろサルども。
 
結局「一番解りやすいもの」が受けるのだ。
『エヴァ』での庵野さんの悩みも、そういうところだったのかなぁと、想像してしまう。

 
 「ハルヒダンス」は山本寛さんにとって「刺身のツマ」だったという。だが振り返ってみれば、まさにその「『刺身のツマ』がなぜ流行ったのか」が問題であり、00年代前半に流行ることのなかった何かが流行り始める先駆けを、たまたま山本寛さんが掴みかけていたと推察される。
 
 「ハルヒダンス」が流行した後には、『らき☆すた』や『けいおん!』が続き、もっと後発の『ラブライブ!』も大ヒットした。『アイマス』も今日まで太い命脈を保ち続けている。AKB48の台頭と発展は言うまでもない。そうしたプロが仕立てたコンテンツたちの裾野には、アマチュアたちが投稿した無数の「歌ってみた」「踊ってみた」系の投稿作品、『アイマス』や『初音ミク』などを使った投稿作品が広がっている。
 
 

『マクロス』や『サクラ大戦』とは位置づけが違う

 
 『ハルヒ』以前にも「女の子が歌う」「女の子たちが踊る」コンテンツが無かったわけではない。twitterでやりとりしていて思い出させてもらったが*1、たとえば『マクロス』や『サクラ大戦』はそれに近いようにもみえる。
 

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 しかし、『マクロス』や『サクラ大戦』がヒットしたからといって、似たようなコンセプトで女の子が歌う・踊るコンテンツが広がるとまではいかなかった。
 
 あまりにも早すぎたとも言えるし、似て非なるコンセプトだったとも言える。たとえばリン・ミンメイは、AKB48よりも昭和アイドルに近い存在ではなかったか。帝国華撃団にしても、あれは銀座に本部を置くような歌劇団であって、平成アイドルとは路線が違う。
 
 『マクロス』や『サクラ大戦』は、その時代の作品としてそれほどおかしくないし、じゅうぶんヒット作と言えるけれども、00年代の中盤以降に急速に広まっていった「女の子たちが歌って踊ってライブする作品群」の直近の先祖とするには、コンセプトも時代も違い過ぎる。
 
 インターネットの普及や動画投稿サイトの登場といった、メディアのプラットフォームにかかわる変化がなければ、『涼宮ハルヒの憂鬱』は「それなりに売れたライトノベル」で終わっていたかもしれず、『マクロス』や『サクラ大戦』よりもマイナーな存在として終わっていたかもしれない。『アイマス』にしてもそうで、00年代の複雑で広範な背景に支えられてヒットしたのだろう。
 
 だが、たとえそれが僥倖だったとしても、『涼宮ハルヒの憂鬱』は、そうしたテンプレートの最初期の作品と位置付けられる程度には早かったし、新聞に一面広告を出すぐらいには存在感も示していた。そのことは、アニメ史やサブカルチャー史の一幕として憶えておいてもいいように思う。
 
 「ハルヒの顔が良い」だけでは、こうはならなかったはず。
  
 

*1:特に @stdaux さんに感謝