シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

基本的なオシャレ推奨オフ会オフレポ

 
 http://blog.livedoor.jp/yuikoinu/archives/50701068.html
 
 私もギャラリーの一人として、一介の参加者として飛び込んでみた。これまで、非モテ関連のオフ会には出席したはあったけど、脱オタ系オフ会やファッション関連オフ会には参加したことが無い。随分と色々勉強になったり考えさせられたりしたし、何より色んな人と色んな話が出来たことが最高だった。ネット上では、剣闘試合をやったりあれこれ言っている者同士でも、実際に会って話さなければわからないこと・実際に話すことによって「ああ、この人こんな人なんだな〜」って分かりやすくなることは幾らでもある。ご多分に漏れず、このオフ会においても私は沢山の人のことを知ったし、きっと幾人かの人に知っていただいたのだろう。オフ会を通して、沢山の楽しみ・沢山の情報・お互いの文脈交換を堪能しましたよ!
 

  • id:Masao_hateさんと天馬さんの低コストおしゃれ合戦

 
 二人とも思ったよりもハイレベルに仕上げてきやがった!二人のファッション技術力がここまでのものとは正直予想していなかった。仮にお粗末さにプギャーしようと目論んでいた人がいたとしても、容易ではなさそうな出来。あの金額であの装備を収集し、コーディネイトするのは自分には絶対無理だ(仮に自分自身が十分に若かったとしても)。
 
 なお、私個人は、春物が好きだったりする影響だからか、
 ローコストの服はMasaoさん、ハイコストの服は天馬さん
 と感じたが、これはもう私個人の嗜好の問題で、どちらも必要十分な服飾を達成しているようにみえた。素直に脱帽。
 
 あと、もう一点彼らに驚かされたことは、「彼らはブランドにおんぶにだっこじゃなかった」という点だ。彼らは安い服だからといって萎縮していたように見えないし、そこで萎縮するようではこの企画は成立しなかっただろう。私はたっぷりと意地悪なので、安い服を着ている時と高い服を着ている時で、天馬さんとMasaoさんの萎縮度が変化するのかを測定していたんだけれど、彼らはローコストの服を着ているからといって萎縮しているそぶりはあまりみられなかった。そりゃ「プギャーしてくださいね!」と天馬さんは言っていたけれど、少なくとも硬さや緊張感は思ったほどじゃなかった。そして、だからこそサマになっているんだと確信した。彼らがローコストの服でそれなりにお洒落にみえた一因に、彼らの心理的“勝利”があったように思う。どうあれ、彼らはローコストファッションを、オドオドすることなく提示出来ていたわけだ。即ち、彼らはうまくやったんだと思う。彼らは、ファッションをまなざす他人に勝利する前に、自分達自身に勝利していた。だからこそ、サマになったんじゃないのかな。
 

  • 俺の自意識――国道沿いの服を着てみたシロクマ

 
 これに触発され、自分自身が国道沿いの服を着てみたらどうなるのか私は実験したくなった[参考:地方オタクの衣料品を探索する旅(国道沿いにて) - シロクマの屑籠]。オフ会参加時に着ていた服の十分の一程度の価格のシャツに替えた時、自分の自意識はどうなったのか?硬くなったのか?緊張したのか?私は、自分が心の中で僅かな緊張感と「この恰好で大丈夫かなー」という不安を持っていることを発見していた。勿論、オフ会会場の雰囲気や参加者各位の(実は)お洒落な恰好と自分自身の恰好の比較もあったかもしれないにせよ、私はファッションセンターゴフゲフ国道沿いの服装を着用した時に「自分の服装で大丈夫かなぁ」と思ってしまったわけだ。これはもう敗北である。自意識の敗北。素早くその事に気付いた私は、ダミー表情を提示するなどの対策を講じると同時に、「ああ、俺は服飾アイテムやブランドにあぐらをかいているな」と自覚した。金銭でセンスを代替する戦略としてはそれでもいいんだけど、「ああ、俺ってお洒落じゃないんだ」とは自覚しておくしかあるまい。
 
 確かに、国道沿いのそのシャツは、裁断に意図が感じられないうえに色合いが伝統的オタクファッションにありがちなカラーで、しかもポケットの位置とデザインが気に入らないところがあった。だけど、その前に着ていたポールスミスとそんなに違うのかな?確かにディテールに違いがある事を私は知っている。だけど、そのディテールによって影響を受けているのは、果たして視ている他人なのか、着ている自分なのか?もし、“ポールスミスのシャツのディテール”を見つめているのが他人ではなく自分自身の自意識だとしたら、その『ファッション』は『恰好良い』だろうか?コストパフォーマンスに優れているだろうか?私は、自分自身に今一度問うてみなければならない。
 

  • みんなお洒落だと思う

 
 ごく単純に、みんなお洒落だと思う。うぉっちゃーさんも、id:cyclolithさんも、のも、piroさんも、私の目には歳相応の服飾にみえた。新宿駅前で女の子と待ち合わせしていたとしても、全然不思議じゃないと思う。私は彼らのコミュニケーションの有様にも着目していたわけだけど、そんなに違和感が無いようにみえた。もちろん、女性との実際のコミュニケーションにおいて彼らがどのような共通基盤を構築していくのかは定かではないけれど、審美的ハードルはみんなクリアしてるんじゃないかな?歳の影響もあるかもしれないけど、少なくとも俺よりあんたらお洒落じゃない?!
 

  • 三年後のファッションを見越して

 piroさん達と話した時、自分の服飾の選び方と、piroさんの服の選び方に相違があった点について。私は、脱オタ全盛期も含めて、数年先の自分がどんな服を選ぶのか&自分がどんな服飾を嗜好していくのかを意識しながら服を選ぶことが多かった*1。例えば私は今、35歳頃の自分がどんな服装に軟着陸するのかを模索している真っ最中だったりする。一方、無印良品のストライプに袖を通したあの時、私はやっぱりこう思ってしまった。「あー、無印のストライプってやっぱり俺大好きだよなー」って。確かに、あの服はもうじき着られなくなる品なんだけど、やっぱり今一番好きなモノを着るっていいもんだよなー。
 
 piroさん達と同じくに、「今一番おしゃれで若くみえる服」を好んで着よう。その一方で、将来老いた自分の為に、今、自分に何が出来るのかを模索しよう。三十路を迎えた今、私は将来の自分のスタイルをどうしようか一生懸命考えている。 
 
 [参考:Latest topics > 基本的なオシャレ - outsider reflex]
 

  • 俺もお前も、オフ会を通して成長してないか?

 
 Masaoさんも天馬さんも、前にオフ会で出会った時よりも屈託なく話しているようにみえた。環石館の人も同様だ。かつて、非モテオフ会で会った時よりも(良い意味で)図太く、リラックスして、楽しげに話しているようにみえた。勿論、オフ会の参加者の種類や話題などにも依るのかもしれないけれど、ともかくこうしたコミュニケーションの成功体験を積み重ねるのは大事だよなーと思わずにはいられなかった。ラジオクリルタイオフ会なんかもそうなんだろうけれど、ホモソーシャルだろうが同好の士の集まりだろうが、コミュニケーションにまつわる不安感を抱えている人にとってオフ会は良い体験を蓄積する機会として無視出来ないんじゃないかなと思った。
 
 思えば、自分自身もかつてそうだったような気がする。最初のオフ会は、それはもう自信が無かったしどう振る舞えば良いかわからなかった。だけど、見ず知らずの人達を相手に何とかコミュニケーションをとろうと一生懸命がんばって、時には相づちうちまくったりもして、溶け込もうとしてたように思う。オフ会では、共通理解・共通基盤・共通話題が予め用意されていることが多いので、初対面の相手ともコミュニケーションがとりやすい。まして、ネット上である程度やりとりをしている場合には尚更だ。これって、存外コミュニケーションの練習場としては無視し得ないメリットじゃないかな?私も、Masaoさんも、天馬さんも、その他の参加者さん達も(それこそ中途参加して下さったkanoseさんさえ!)、オフ会というコミュニケーションの場でコミュニケーションの手応えなり成功体験なりを蓄積しているんじゃないかと思う。オフ会は、ときとして一期一会な場合もあるわけだけれど、その一期一会なり一つ一つのコミュニケーションなりは、もし成功すれば忘れられない経験値として自分のなかに蓄積するんだと思う。
 
 (或る話題に関する)オフ会とて、“一発勝負”を経験する場には違いない。けれど、その他の一発勝負なコミュニケーションシーンよりは、楽しく、有意義な時間を引き出しやすいものかもしれない。だとしたら、個人個人のコミュニケーション経験値集めという視点からみても、オフ会の意義は大きいと感じた*2。もちろん楽観しきるわけにもいかず、今回のオフ会においても周囲に溶け込むことに難しさを感じていた人はいたと思う。うーん。
 

  • あの場に「非モテ」はいたんでしょうか?

 
 私の感触からいえば、「非モテ」を自称するに相応な人が誰なのかさっぱりわからなかったり。みんなちゃんとした恰好をして、自意識の足枷にそんなに苦しまずに話し合っているようにみえる彼ら。それでも「非モテ」はいたのだろうか?いや、女の子とセックスできているできていないかは私にはわからないけれど、コミュニケーション上の致命的欠陥を抱えている人っていたのかな?という疑問。答えはNoだろう。以前、私はid:kiya2014さんに魅力を感じ、正直なかなかの好男子だと思ったわけだけど、今回の参加者達においても同じようなモノを感じた。少なくとも、同性知人として避けたい人はいなかった。今後もご縁があればいいなと思うオフ会参加者達を、私は「非モテ」だとは思うことができないし、思わないでおこう。今回のオフ会の趣旨上、みんな必死にコミュニケーションしていた、とみるむきもあるかもしれない。しかし、そもそも任意のコミュニケーションシーンにおいて自分にとって最適と思われるコミュニケーションをとろうとしない人なんていないように思えるので、ともかくも彼らとまた遭えたらいいなという自分の感覚に素直でいたいと思う。
 

*1:ああ、服だけじゃなくて他のあらゆる分野でもそうかもしれない

*2:もちろん、コミュニケーション経験値集め以外の視点からみても意義は大きいですよ!