シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

オフ会という一発勝負の舞台における適応の最適化

 

基本的なオシャレ推奨オフ会オフレポ - シロクマの屑籠 
 
 ネット上でしか普段遭えない人達が会うオフ会。オフ会ってのは、ネット上におけるゆっくりとしたテキストベースの情報交換に比べて希少で高速度の情報交換が個人間で行われる。即ち、非言語コミュニケーションを含めた、単位時間あたりのデータバスのでかいコミュニケーションが展開されるわけで、チマチマとしたテキストベースのネット上における関係や文脈を一気に変更出来る&してしまうターニングポイントとしても機能しちゃっている。
 
 そこで、オフ会における一時間は、テキストベースのやりとりを行う一時間とは随分違った性質を持つことになる。テキストベースほどの「粘着性」が無く、リアルタイムでどしどし進んでいく点は「軽い」と言えるかもしれないが、それでもテキストベースのコミュニケーションで持った印象を一気にひっくり返すぐらいのインパクトはやっぱりある。なにせ、言葉、イントネーション、第三者との関係、気配り、表情、などを人間たる私達はどうしても気にせずにはいられないわけで、テキストベースに比べればどうしてもそれらの時空間を濃密なものと感じてしまう。世の中にはテキスト個々の印象が大切だとか、テキスト個々を評価しようとか言う人もいるし、確かにそういう見方は忘れてはならないんだけど、やっぱり私は「人間」「なかのひと」を意識せずにはいられない。特に私のように、「テキストも大事だけれど、テキストを書く個人と、彼に属する歴史や文脈」に執着するような人間にとってはオフ会のインパクトは絶大だ。理解または誤解を一気にすすめることができる。テキストを何時間読んでいても手に入らない情報・文脈・為人が、僅か十数分で把握出来るチャンス!二つ三つのやりとりが、両者の溝を一気に埋めたり両者の誤解を一気に暴いたりするあの瞬間!だからこそ、私はオフ会をかけがえ無く思うし、そこで得られる情報とテキストから得られる情報が相反する時、それでも私はオフ会で得られた情報を「敢えて信じる」だろう。私ほど極端ではないにせよ、オフ会に臨む人は多かれ少なかれこういう感覚をもっているんじゃないかなぁ。
 
 もし、このようにテキストベースを遙かに超える単位時間当たりの収量があるなら、オフ会におけるコミュニケーションシーンというのは、自分自身のコミュニケーションをそれこそ精一杯最適化して挑むに価するに違いない(そのオフ会を使い捨てにする場合はともかく、オフラインオンラインともに継続的に付き合うならば)。テキストを垂れ流している時間よりも遙かに濃密な、砂金のように流れていく一時。私は、だからこそその場におけるコミュニケーションを最適化しようと試みる(皆さんもそうなんじゃないだろうか)。好もしい印象の人に対する方策、別に好かれなくてもいい人との適切な距離のとりかた、AさんとBさんが話している時にCさんがそれをどう眺めているのかの情報解析etc...。手を打とうとすれば幾らでも打てるし、情報を喰ったり吐いたりすることは幾らでも可能だ。また、お洒落も含めて、コミュニケーションを補佐する様々な手段も投入できるだろう。例えば今回のオフ会では、私は色んな人にビールを注いで回っていたが、あれだって、オフ会というコミュニケーションの場で自分自身のポジションを最適化しようと意図した私のコミュニケーション戦術として解釈することが出来る。私は、自分自身の適応や参加者との文脈を最適化するために、意図的に(いかにも日本的なビール注ぎという)利他行動を展開していたと思う。汚いと批判されようとされまいと、私の行動の背景に、「これからもネットでお世話になる人達との間に、望ましい関係を構築したい」という意図と願望があった事を直視したいと思う。
 
 嫌らしいか否かはともかくとして、私は自分自身がオフ会で過剰適応すら示していたことを認めなければならない。短く重要な数時間だからこそ、私はオフ会に全エネルギーを投入し、参加者との関係を最適化しようとあがきまくった。オフ会から一日経った今、私はエネルギーが枯渇し、喉を痛め、目が痛くてPCの画面をみるのも辛い有様だったりする。これは、少々過剰適応が過ぎたツケってものだろう。でも、だからと言ってオフ会のコミュニケーションにおける自分の全力投球っぷり(仲間と良い時間を共有するための、あるいは好かれるか否かをどうでも良いとするための)は適切かつ必要なものだったと思う。オフ会の濃密な数時間は、テキストベースのネット上のやりとりをどれだけやったって補えないものを含んでいる。その数分、その数時間に賭けた時間が、その後数ヶ月のネット上のコミュニケーションに影響を与えるのかを思えば、やっぱりあの瞬間にこそチップを賭けた私の選択は間違っていないと思う。少なくとも、オンライン上で同じエネルギーをぶっこむよりは効率的なエネルギーの使い方だった筈なわけで、今後も私はオフ会にまとまったエネルギーを費やそうと思っている。土日にオフ会連投した関係で、今夜の私は深刻なエネルギー不足に悩んでいるが、この辛さ・苦しさは甘んじて受けよう。はてなダイアリーへの連投が出来なくなったっていい、早く寝る日々が続いたっていい。私は敢えてオフ会において全力投球しよう、短期燃焼しよう。オンラインでは補い得ない、諸々を精一杯吸い上げて日頃のネット付き合いを望ましいものにするために。んでもって、明日は早く寝てぐっすり休もう。
 
[関連]:「一瞬で勝負が決まる」社会 - socioarc
 
 ※尤も、こういう発想はオフ会が数ヶ月に一回の人にだけ当てはまる考えだと思う。例えば毎月オフ会に出るぐらいの頻度でこんな事をしていれば、「一時的な過剰適応」ではなく「慢性的な過剰適応」になって、生活基盤を破壊されたり心身をやられたりするリスクを背負うかもしれない。オフ会に頻繁に出席する人の場合や、既にツーカーな仲間同士のオフ会では、過剰にエネルギーを摩耗しないよう留意するのも大切そうだ。