シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

常連さんへ

 
 うちのサイトと屑籠(はてなダイアリー)の常連さんにしか通じないっぽいけれど一応書いておこう。
 
 私の議論は、「全ての生物の行動には、性淘汰または自然淘汰の視点において適応価が上昇するような意図が含まれている」という前提のもとで行われている。
 
 ポトラッチも絵画も自己犠牲も自殺すらも、社会的生物としての人間の複雑さと、生活ニッチとしての現代社会の複雑さを反映した驚くべき適応多型として再把握することが可能だと思う。それらの行動も本質的には、無駄に根ざしたものではないのではないか?もちろん、こういった再把握は個人の適応の原理を理解するうえで役立つ一視点に過ぎず、そのほかの様々な視点や議論を妨げるものではない。