シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

リスクを回避し、利益を最大化させるために

 
 男性は低コストな精子を造り、女性は精子よりもハイコストな卵子を造る。ハイコストな卵子を持った雌を巡って雄達は競争し、雌は雌で雄を選り好む。*1この違いがなければ、性淘汰にまつわる複雑怪奇な物語は生まれて来なかっただろうし、生物の行動はもっともっと単純なものに留まっていただろう。
 
 子どもの養育に雄が雌以上にコストを支払う希少例を除けば、一般に、生物の雌は雄よりも子育てにおいて大きなコストを背負っている。複数の雌に(低コストな)精子をばらまける(し事実やっている)雄とは違い、雌は比較的高コストの卵子を孕まなければならず、精子よりも遙かに少数の卵子だけが繁殖を期待できるチップとなる(哺乳類ではこの雌の縛りはさらに大きなものとなる)。この“原則”のなかで最も淘汰に生き残るのは、どんな遺伝的傾向を持った個体の遺伝子だろうか?雄の場合は精子をいっぱい撃てるので、一匹の雌を厳選するよりも、出来るだけ多くの雌を引っかけて出来るだけ沢山の雌と交尾したほうが遺伝子を残しやすくなるだろう。一方、雌のほうは、幾ら沢山の雄の気を惹いてみたところで自分の遺伝子を残せる子どもの数はあまり変わらない。むしろ、最高の遺伝子を持った雄一匹を選び抜き、生き残る確率が高そうな(そして、次世代の繁殖競争でモテモテになって勝ちそうな)子どもを産む確率を高める戦略をとったほうが遺伝子が残りやすい。雄が子育てに参加することによって子どもの生存確率が大幅に上昇するような種では、雄も一緒に子育てをする&遺伝子を賭ける雌を厳選する傾向が生まれるにせよ、大まかには、有利な繁殖戦略は雌と雄とで正反対だという原則が大抵の種に当てはまる。
 
 
 人間の雌(女性)も、この原則から自由なわけでは無い。
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2006/06/post_8f9c.html は、そこの重要なポイントに触れていると思う。雌は雄を選り好みしないわけにはいかないと思うし、だからこそ嫌悪感なり何なりで雄を選別し、決まった相手だけをセックスの相手とするのだろう。
 
 雄は手当たり次第雌に精子を送り込むだけでも遺伝子が残るかも知れない。選ぶ選ばないに拘わらず、遺伝子を遺す余地は残っている。だが、雌はそういうわけにはいかない。精子を送り込まれたら、それで妊娠するしかないのが雌の悲しみ*2。どれだけ病弱で馬鹿で醜い雄の遺伝子でも、中に出されてしまえば孕んでしまうかもしれないのだ*3。手当たり次第交尾する雌は、どんな外れクジ遺伝子&子育てに非協力的な雄を引くか分かったものではない。これらの繁殖上のリスクを最小化するためには、雌は雄をえり好みしないわけにはいかない。狩猟採集社会の厳しい生存と繁殖の競争のなかで、えり好みしない雌は、えり好みする雌よりも雄に見捨てられやすかったかもしれないし、病弱な子や馬鹿な子を授かりやすかったかもしれない。結果として、“無邪気に男性を受け入れる”雌は、えり好みする雌よりも後世に遺伝子を残しやすく、淘汰はえり好みをする雌ばかりが残るように傾いたことだろう。そうでない雌の遺伝子は、有史以前の幾星霜に渡る淘汰によって、(確率論的に)とうの昔にいなくなっていたと考えるのが、あの学問の考え方だと思う*4
 
 淘汰の視点からみた時、今の人間の雌、特に強い雌が雄をえり好みする事に疑問を差し挟む余地はあまり無い。えり好みの評価基準そのものは文化ニッチ・時代・状況によって変化するだろうし、“好みの個体差”はあるが、とにかく雌は雄をえり好みをするだろう。事実、現代日本を含むあらゆる文化・時代において*5女性は男性をえり好んできたと思う。文化的・環境的に狩猟採集社会から引き継いだ遺伝子を、私達は今も引き継いでいる。避妊技術と民主主義と平等思想が生まれた現代社会においても、こうした遺伝的傾向は死滅していないし、当面は死滅しないだろう。この手の遺伝的傾向を無視したまま男性側・女性側の適応戦略を論じるのは軽率に過ぎると私は考えている。例えば「セックスボランティア」に関する議論と実践を、雌と雄の遺伝的傾向を無視したままゴリ押すことには、私は強い警戒感を抱かずにはいられない。自然淘汰・性淘汰が示唆する新しい所見を意識しながら、その手の議論を眺めていこうと思う。
 
 ※なお、私達が遺伝的に様々な傾向を引きずっていることと、「私達がどうあるべきか」は別個の命題である点は忘れるわけにはいかない。遺伝子が残りやすいか否か・サルの雄として繁殖するか否かは、人間として価値ある人生を送るか否か・現代日本の処世術として適切かどうか等とは別の問題だろう。また同様に、男性に「チャンスがあれば浮気する遺伝子」が含まれている事が、ある男性が浮気を正当化する理由とはなり得ない。同様に、女性が男性を選り好みする問題に関しても、「女は男を選り好みしなきゃ遺伝的にまずいもん!」の一言で何でも正当化するのはまずかろう。有史以前の世界で繁殖に適していた選択肢が、今日日の世界で最も適応したり最も幸せにやっていったりする事と必ずしもイコールではない。モラルともイコールではない。そこの所は、弁えておかないと。
 

*1:なお、有性生殖においてデカくてコストがかかってミトコンドリアDNAを提供し、しばしば卵を養う為の養分すら提供するほうの性を雌と呼び、遺伝子のカケラ以外には殆ど何も提供しないほうの性を雄と呼んでほぼ差し支え無かったと思う。確か。間違っていたら誰か教えてください

*2:雄は雄で、雌の腹から出てきたのが本当に自分の子どもかどうかが分からない悲しみを持っているが、それはまた別のお話。

*3:補足:実は強姦された時の妊娠率は比較的比較的低い、という研究があると聞いた。あくまで“比較的”だが、もしかすると気に入らない相手の精子が入ってきた時は、精子を妨害すべく免疫システムが強化されるような仕組みがあるだろうか。もし、狩猟採集社会に強姦が一定数発生していたとしたら、そのようなブロックを女性側が発達させている可能性は、あるかもしれない。だが、いつ、誰の精子で妊娠するのかは基本的には女性の意志では決定しきれないっぽい。

*4:同様に、雄はまた、行きずりの女に手を出す時はともかく、正妻として選ぶ相手をそれなりにえり好みする筈だ。ヤリ逃げの相手は別に選ぶ必要は無いが、本命と目される女性には男性側もえり好みを働かせる余地は十分にあっただろう。貞操、容姿、子育てに向いた性格etc...。正妻をえり好みすることによって、雄は自分が子育てに割くコストが正当に報われる確率を高めることが出来るのだから。

*5:氏族の長同士が結婚を取り持つような部族においてすら、ある程度!