シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

BLOGOS閉鎖とブロゴスフィアの黄昏と個人ブログのゆくえ

 
blogos.com
 
先日、さまざまなブログからの寄稿記事やオリジナル記事の一大集合体である「BLOGOS」が閉鎖されるというアナウンスメントを見かけた。BLOGOSが開闢したのは2009年で、その名からブロゴスフィアという語彙を連想するのは、00年代にブログを読み書きしていた人、特にはてなダイアリーのブログを読み書きしていた人には難しくないように思う。けれども今、ブロゴスフィアという語彙を連想する人は少ないだろう。
 
私は、BLOGOSという名前がブロゴスフィアという語彙にちなんでいると勝手に思っていて、その、ブロゴスフィアという語彙と、BLOGOSの開闢~終焉までの流れはだいたい重なっていたように思う。でもって、その一部始終はブログを書き続けている私みたいな人間にとって思い入れを喚起するもので、BLOGOSの思い出話とブロガーとしての個人的な考えのごった煮を作りたくなったので、それを書き残す。
 
 

ブロゴスフィアの栄華とBLOGOSが実現したこと

 
BLOGOSが始まる数年前、私がこのブログを書き始めた頃から、ブロゴスフィアという言葉は見かけていた。ブロゴスフィアとは、ブロガー同士が集まり、コミュニケーションし、トラックバックなどをとおして繋がりあう空間のことだったはずで、検索して調べた限りでもおおよそそんな意味だった。
 
00年代のブログの書き手には、すでにライターや著者として立場を確立していた書き手もいれば、10年代以降に立場を確立していく書き手もいて、発信メディアとして濃度が高く、それらがトラックバックによって繋がりあうことにで密度も形づくっていた。なにしろSNSといえばmixi、動画サイトやtwitterがこれから始まるぐらいの時期だったからだ。もちろん玉石混交ではあったけれども、言論空間の先っちょと言って良いような、面白い場所だったと思う。だから右肩上がりに人が集まったりもした。
 
そうやって、ブログがイノベーターのものからアーリーアダプターのものへ、そしてレイトマジョリティのものへと変わりつつある2009年に、BLOGOSは誕生した。そうした状況だったから、イノベーターなブロガーのなかには、早くもブログに見切りをつけて別天地を探す者、ブロゴスフィアに砂をかける者がいた。そうした人々がまだ新しかったtwitterやFacebookを持てはやし、早くもそれらに代わる場所を求める気の早い人すらいた。
 
けれども開闢した時期が良かったのか、寄稿記事を集めるストラテジーが上手かったのか、そうはいってもBLOGOSはひとつのスフィア、広場たり得ていたと思う。さまざまな個人ブログの転載に加えて、さまざまなプロの書き手やさまざまな立場の人間の寄せ集め……のようでいて、その寄せ集めの数をとおして、BLOGOSはひとつの空間を形成していた。それは、にほんブログ村とか、アメブロ世界とか、はてな村とか、そういった個別のブロゴスフィアともまた違った、かといって後日のハフィントンポストのようなメディアとも違った、BLOGOSならではの味と雰囲気のあるひとつの空間だった。他のブログ世界に比べて、サバサバしていたり集まりの特性がわかりにくかったりしたかもしれない。けれども振り返ってみれば、BLOGOSがアナウンスしていたところの、
 

BLOGOSは多様な意見を左右の隔たりなく同列に並べることをモットーに、提言型ニュースサイトとして運営してまいりましたが、12年の間多くのオピニオンを発信するなかで、ニュースサイトとして一定の役割を果たせたのではないかと考えております。

この、一定の役割は間違いなく果たしていたように思う。
 
実際、BLOGOSにこの「シロクマの屑籠」の記事が転載されるようになって以来、このブログ(と、それが所属していたはてな村の読者圏)の外側からお手紙をいただいたり、お誘いをいただいたりすることが重なった。BLOGOSへの記事転載については、それが無料であったり、何かゴタゴタしたことがあったりして、否定的にみるブロガーもいたように記憶しているし、実際、転載にはブロガーにとって良くない副作用だってある。けれども私の場合、BLOGOSは想定外の読者層にリーチする手段のひとつで、今でいうスマートニュースや昔でいう「かとゆー家断絶」等々の個人ニュースサイトに近い役割を担ってくれていた。だからブロガーとしての私はBLOGOSをとおして失ったものより、獲得したもののほうがずっと多かったと感じている。そうやって恩恵を受けながら、私は2010年代をBLOGOSとともに過ごしてきた。
 
 

斜陽のブロゴスフィアと、BLOGOSの終わり、そして

 
口さがないイノベーターたちがどう言おうとも、だから2010年代においてもまだ、ブログと、その繋がりあいであるブロゴスフィアにはそれなり存在感があったはずなのだ。(株)はてなのブログにしても、はてなダイアリーからはてなブログへと切り替わり、新旧の書き手がPV数やはてなブックマーク数を競い合い、やがて、売り上げを競い合った。
 
しかし「売り上げを競い合う」戦場となったことで、少なくともはてなブログのブロゴスフィアは変質していったし、折から、SNSや動画配信がレイトマジョリティやラガードにまでリーチするようになるなか、ブログがブログでなければならない理由、ブログを書かずにいられない理由とブログを読まずにいられない理由は(多くの人には)見えづらくなった。ブログぐらいの文章量を書くことと読むことが好きな人を除けば、そうだったに違いないと思う。
 
そうやって、ブログとブロガーとブロゴスフィアがインターネットの主要なコンテンツの座から、ひょっとしたらラジオに近いような座へと移り変わっていくなかで、BLOGOSの「多様な意見を左右の隔たりなく同列に並べることをモットーに、提言型ニュースサイトとして運営」は勝負がしづらくなっていったのかもしれない、個人的にはそう思ったりする。
 
こと、はてなブログの世界を振り返っても、拝金主義的なブログがわっと蔓延り、そうした人々がお金を求めて出ていった後には、だいぶ寂しくなってしまった。や、寂しくなったと言わずに寂静の境地に至ったと言うべきか。BLOGOSと違ってはてなブログの世界は、あくまで個人ブログの、個人が書きたいように書く世界だから、その命脈はまだ大丈夫だろう。しかし、変わりゆくネットメディアの需給関係のなかで、新しくて面白い人の草刈り場としてブロゴスフィアを巡回する人はたぶん減ってしまっていると思う。これからだって、ブログぐらいの文章量を書くのが好きな人、上手い人、読みたい人がいるに違いないとしてもだ。
 
私は、結局ブログを読むのも書くのも好きだから、寂しくなろうが騒がしくなろうがここに居続けるだろうし、はてなブログをはじめ、ブロガーの文章を読み続けるだろう。noteの記事だってきっと読む。だけどBLOGOSの閉鎖はブロゴスフィアの盛衰に直結した出来事だから、そうしてブログの世界全体が静かになっていくことを寂しく思わずにいられない。
 
盛者必衰。振り返ればテキストサイトの盛衰があり、個人ニュースサイトの盛衰があり、ブログとブロゴスフィアの盛衰があった。たくさんの面白いブログが現れて消え、書き手もまた、そうだった。しかしてブロガーとブログが死に絶えたわけではないのだから、寂しくなったと嘆いた後は、私は手を動かそう。いやしかし、寂しいものですね。
 
BLOGOSとそのなかのひとの皆さん、お疲れさまでした。私は皆さんの活動に助けられて今もここにいるので、もうしばらく頑張ってみたいと思います。
 
 

1990年から見た2022年。とても遠く、暗い未来。

 
 
ロシアがウクライナに戦争を吹っかけてから、ブログに何を書きたいのかわからなくなってしまった。戦乱のせいで気が萎えていると思う。以下の文章は、リハビリがてらに書いた、社会的なことのようにみえて個人的なことしか書いていない、そんな随想でしかない。
 
 
 



 
ゆうべ珍しく午前2時に突然目が覚めてしまい、そんな時間に目が覚めたせいか、自分がもう47年も生きてしまったことを思い出して震えが走った。
  
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と言うけれど、四捨五入して約50年生きた間に自分がこれほど成長して衰え、日本国も世界情勢も変わり果ててしまったことが、寝覚めの瞬間に一塊となって襲ってきて、半ばパニックになってしまったのだ。
 
 

1990年、校長先生は「激動の時代」と評したが。

 
私は冷戦下の日本で生まれ育ち、冷戦終結の頃に十代を迎え、冷戦後の秩序がゆっくりと壊れていく時代を社会人として生きてきた。
 
冷戦下の思い出は、幼くて遠い。大韓航空機撃墜事件、赤の広場でのブレジネフ書記長の葬儀、それからアンドロポフ、チェルネンコという短命の書記長たちを覚えているが、それらを今に結びつけるのは難しい。
 
今に結びつけて考えられるのは、冷戦が終わってからの記憶だ。
 
32年前の1990年の3月の卒業式の時、校長先生は「激動の時代」という言葉で当時の社会状況を説明していた。前年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦というひとつの体制が終わろうとしていたのだから、まず間違った評ではなかったはずだ。
 
それから間もなく、テレビや新聞で「新世界秩序」という言葉を見かけるようにもなった。冷戦が終結し、新しい体制が始まろうとしている:ソ連という対立軸を失った以上、それは1991年の湾岸戦争からイメージされるような、欧米主導のもののように私には思われた。
 
けれども日本人の少年でしかなかった私にとって、「激動の時代」も「新世界秩序」もあまりに遠い出来事で、元号が昭和から平成に変わったからといって日常生活が大して変わらなかったのと同じく、自分にはあまり関係のない話として受け取っていた。
 
それから30年が過ぎて2022年。
世界情勢も日本の国内情勢も大きく変わった。
 
2022年から眺めると、1990年代初頭の「新世界秩序」という言葉は、冷戦の勝利におごった国々の幻想に見えてしまう。その新秩序や新体制は、アメリカ同時多発テロ事件で幕を開けたミレニアム以来、少しずつ侵食されて変質していった。今、中国は力をつけ、アメリカは世界の警察官ではなくなり、ロシアがウクライナに侵攻するに至っている。あの頃の「新世界秩序」という言葉に宿っていた高揚感は、2022年の欧米社会からは感じられない。
 
と同時に、1990年から眺めた2022年は、ものすごく遠く隔たった未来のように思えて、三十余年の歳月の重みにめまいがする思いだ。
 
本来、中国の台頭や日本の少子高齢化は予測されてしかるべきものだったし、実際、90年代の書籍を読み直すと、それらの可能性が語られている。けれどもどこか本気ではないというか、あたかも形而上の問題を扱うかのような、それか遠い国の問題を取り扱うかのような、他人事感が漂っていて2022年の私をいらだたせる。
 
特に少子高齢化に関しては、あなたたちの世代が未来を展望せず、対策しなかったからこうなったんじゃないかと言いたくなってしまうことが多い。いや、当時の政治状況やバブル崩壊以降の諸々を思い出せば、そんな未来を展望した政策が90年代にできなかったのは頭で理解できるのだけど。
 
そして空飛ぶ自動車こそ実現しなかったにせよ、今はやっぱり未来なのだ。世の中がインターネットで縦横に繋がりあい、録画も配信もその場でできるツールを、誰もが所持している時代がやってきた。そういったなかで、人間関係も、正義や倫理や道徳も、期待される人間の機能も、すっかり変わった。なるほど1990年から見れば、確かにこれは圧倒的な未来に違いない。
 
で、たどり着いた二十一世紀の未来とは、たくさんの進歩があっただけでなく、日本が衰退し、混乱や戦乱がだんだん近くに迫ってくるような、そんな未来でもあったわけだ。大国の正規軍が大挙侵攻することがあり得る未来、核の脅威が脳裏をよぎる未来でもある。
 
これらも当時の私にはまったく予測できていなかった、圧倒的な未来だ。未来は、わからないものだなー。うろたえるしかない。
 
 

世の中は変わる。自分は年老いる。

 
冒頭でも書いたように、こうしたことが、真夜中の寝覚めの瞬間に全部私に入ってきたから、すっかり怖くなってしまったのだった。
 
世の中は変わっていく。
自分も年を取っていく。
時間は流れ、元に戻ることはない。
 
そこに希望を見るより恐怖を見るのは、老い、それもあまり良くない老いのカテゴリーに属するのかもしれない。では、この情勢で希望を見るには一体何が必要なのか? どう自分が行動すればいいのか? もちろん日常の水準では、私はすべきことを今までどおりに積み重ねていくだろうし、それができないほど衰弱してはいない。でも、それだけでは後ろ向き過ぎる。
 
すべきことの外側で、私は何に希望を持って生きていけばいいのだろう? もちろん希望のはけ口も色々と思いつくけど、そうしたはけ口のどれもこれもが、この戦争によってなんだか色褪せてしまったように思え、まただからこそ寝覚めの衝撃に見舞われたのだろうと思う。
 
5年前に私は、平和であって欲しいが戦火が近づいている、といった正月放言を書いたけれども、その時の疑念は、パンデミック以来、ますます高まり続けている。こうした疑念から自分の「文章を書きたい」という欲求をきっちり守っていきたいのだけど、ここ10日ほど完全に失敗してしまっている。練習がてら、これを書いてみたけれども、気持ちは晴れなかった。
 
 

強者の道徳だよ、二重の意味でー『21世紀の道徳』

 

 
去る12月、『21世紀の道徳』という書籍が出版された。筆者は、日本暮らしのアメリカ人にしてブログ『道徳的動物日記』を書いているベンジャミン・クリッツァーさんで、これまでも活発に議論をしてらっしゃった方だ。
 
そういう出自の方がアップトゥデイトな書籍と古典を紐解きながら、現代の道徳的問題を縦横に論じたのが本書、である。
 
とはいえ、同書を21世紀の道徳ダイジェストとみるのはたぶん違うと思う。いや、もちろん同書には『学問の意義』『動物倫理』『ジェンダー』『進化論とリベラル』といった道徳と縁の深い話題が並び、さまざまな書籍が紹介されているのだけど、総花的に紹介されているわけではなく、たとえば『ブルシット・ジョブ』や現代フェミニズムの書籍の幾つかなどは、かなり批判されている。でもって、通読すると筆者の道徳観が浮かび上がってきて、「なるほど、ベンジャミンさんはこのように現代の道徳的問題を考えているのか」……とみてとれる。
 
ベンジャミンさんは、同書の後書きに「啓蒙」という語彙を引っ張り出し、その啓蒙の一端として『21世紀の道徳』が世に問われることを願っていると述べている。私は、これはひとつの態度だと思う。少なくとも日本人の同世代が道徳について書いた時、こうも率直に書くのは難しいのではないだろうか? こういった点も含めて、『21世紀の道徳』には一種の率直さがあり、救われる思いがする。また、そのおかげで筆者から直接道徳について語りかけられているような気持ちにもなった。
 
ベンジャミンさんが喜ばない寸評かもしれないけれども、私が『21世紀の道徳』から受け取った授かり物は、ベンジャミンさんがみずからの道徳観を、ほとんど明け透けと言って良いほどに披歴し、ご自身の恋愛や仕事とも関連づけながら率直に語る、その姿勢に依っていたように思う。浅学のうえ、その姿勢に依って読解していたから*1、同書がどれぐらい客観的で同時代的なものなのか、私には判断できない。同書をとおして私は筆者であるベンジャミン・クリッツァーさんと「あまりにも喋りすぎてしまった」。
 
このため、以下に書くことは「あまりにも喋りすぎてしまった」産物だ。『21世紀の道徳』の書評というより主観的な感想、あるいは感傷として読んでいただきたい。
 
 

これは強者の書籍、強者の道徳だと思う。二重の意味で。

 
はじめに断っておくと、私は、同書に記されている道徳的提案や引用に対して大きな違和感をおぼえかった。すべての提言に賛同しているわけではなく、各論的には賛同しづらいところもあるわけだけれど、そんなのは筆者と読者という異なる人間同士なのだから当然である。でもって、「この筆者なら、ここはこう論じるだろうな」という読みがだんだん可能になる程度には、論旨に首尾一貫したところがあり、私はそれを好ましく受け取った。
 
いやしかし、これは強者の書籍、強者の道徳である。
それも、二重の意味で。
 
たとえばベンジャミンさんは、ギリシア哲学に則って幸福について論じるくだりでテイラー『卓越の論理』を引用し、以下のように述べる。
 

 古代の道徳学者たちが考えていたように、道徳哲学の目的が「人間の自然本性」についての理想を描き、その実現への道筋をつけることであるとするなら、「賢者も愚者もみな等しく理想に到達できる」と想定するのはほとんど不可能である。事実はその反対であって、「少数の人を除けば、どのような人でもいずれは理想に到達できる」などということはなさそうだ。だから、理想を実現した人は理想を実現できなかった大多数の人々よりも文字通り「善い」のである。このような前提なしに古代の古典的道徳学者たちを理解しようとするのは、義務の観念を削除してカントの道徳哲学を理解しようとするようなものである……

 テイラーの示すような幸福論とヘドニズムの幸福論とを並べられたら、大半の人は、後者のほうが正解であってほしいと思うはずだ。幸福になるためには「偉大な善」を獲得することが要求されるなんて、ずいぶんとしんどい話であるだろう。
 しかし……ヘドニズムの幸福論がいくら魅力的であるとしても、それが真実であるかどうかは別の話だ。おそらく、世界はそこまで都合よくできていない。だからこそ、幸福になりたいと願うなら、わたしたちは理性を駆使したり意志力を鍛えたりして徳を実践しながら人生における目標を定めなければいけないのである。結局のところ、パンクで民主主義的な快楽賛歌よりも、道徳の時間で聞かされるようなお説教のほうが正解であるということなのかもしれない。
『21世紀の道徳』より

 
どうだろう、これはマッチョな幸福観ではないだろうか。
 
確かに、古代の哲学者やベンジャミンさんが述べた理想の幸福に辿りつけるなら、大変結構に違いない。しかしここで記されているように、これは誰もが目指せる幸福ではなく、たどり着けない人もたくさんいるような「偉大な善」なのだ。
 
この幸福観に加えて、ベンジャミンさんは弱者を慰撫するような言説やルサンチマンの発露のような言説に対し、全体的に手厳しい。存在を否定しているほどではないが、ともかくも手厳しく、代わりに、ある種のエリーティズムを迂回しない王道を披歴する。
 
だから駄目だと言いたいわけではない。せっかくだから、ベンジャミンさんの歯に衣着せぬ物言いを味わおうではないか! ここまで真っすぐに強者の、強者による、強者のための道徳とでもいうべき言葉を連ねることのできる同世代の日本人がいったいどれだけいるだろうか。同書の真っ直ぐさは、読解を妨げるものではなく、助けるものだと私は思う。
 
それに、弱者を慰撫するような言説やルサンチマンの発露が道徳や倫理の形式をとると、それもそれで歪みやすい、とは私も思うところだ。『21世紀の道徳』には通奏低音のようにマッチョイズムやエリーティズムがついてまわるが、それらが道徳を論じる際に絶対禁忌かといったら、私は違うと思う。むしろ現代日本では、道徳や倫理を論じる際にマッチョイズムやエリーティズムを無理やりに回避しすぎて、かえってわけのわからなくなっている部分がありはしないだろうか。
 
 

強者の道徳は強者の統治と仲良しだったはず。

 
それと、同書を読みながら私がずっと問い続け、どこかに言及が無いか探したけれども最後まで言及の無かった、もうひとつの「強者の書籍」「強者の道徳」問題がある。
 
それは、ベンジャミンさんが述べるような道徳が、既存の秩序──それは西洋哲学を育むと同時に、西洋哲学の提供する倫理や正義や政治を後ろ盾にしながら成長し続けてきた、欧米的秩序と同義と思っていただきたい──と蜜月の関係にある点だ。
 
ベンジャミンさんが語る西洋哲学や倫理は、少なくとも東洋人としての私には、まったくのニュートラルな概念には見えない。道徳、倫理、価値、幸福とは、その世界における統治とがっしりと結びついたものだ。徳もそうである。ギリシア哲学を論じた人々、スコラ哲学を論じた人々、その後の西洋哲学をリードした人々も、そうではなかっただろうか。
 

 
たとえばこの『中世の覚醒』には、アリストテレスの再発見も含めた知の拡大にあわせて自分たちの道徳や倫理や哲学をアップデートさせていった中世の人々の活躍が記されている。私の理解では、西洋哲学はこうした知の拡大や(新世界の征服や地動説・ニュートン力学の発見なども含めた)世界の拡大にあわせて弛まずアップデートし続け、哲学と宗教が切れた(とされている)以降もアップデートを続けてきた。だから私の理解では、『21世紀の道徳』で紹介されているアップトゥデイトな書籍たちも、その正統な末裔である。
 
しかし、そうやってアップデートされてきた西洋の道徳や倫理や哲学の歩みは、統治と二人三脚の歩みでもあった。植民地支配→産業革命→ウィーン体制やベルサイユ体制→ポストコロニアリズムといった時代ごとの正当性の移り変わりの根拠の歩みでもあっただろう。時代時代に最適化された道徳や倫理や哲学は、ある部分において歯止めになりつつ、ある部分において大義名分となって統治の片棒を担いできた。今日でもそのはずだし、ポリティカルコレクトネスの周囲で起こっている政治闘争もまた、その統治を巡る実践的闘争だと私は理解している。
 
そういう意味において、あれらは絶対に虚学でも虚業でもない。
欧米を、いや、世界を主導し統治する、統治者の営みの一端ではなかったか。
 
こうした歴史的経緯を振り返るにつけても、いや、西洋以外でも道徳や倫理や哲学が生臭く動員されてきたことを思い出すにつけても、道徳や倫理や哲学を語るとは、政治的なことであり、統治にコミットすることでもある。高尚であるがゆえに、なまぐさによって利用され、時にはなまぐさを利用することすらある、そういう間柄であると私は思い込んでいる。マキャベリの政治哲学ほど露骨でなくてもだ。
  
ベンジャミンさんの語る道徳や倫理や哲学は、強者のソレであるのだけど、それと不可分である統治とののっぴきならない関係が、同書には記されていない。それが、意識されたうえで記されていないのか、それとも無自覚のまま記されていないのか、一読者である私にはわからない。ついでに疑問を書いてみると、アメリカやヨーロッパでいまどきの道徳や倫理や哲学を議論している人たちは、自分たちの議論が統治と根深く結びついた、そういう意味で実践的な営為であり、なまぐさであることをどこまで理解し、どこまで自己言及しているのだろうか? 理解はしているけれども言及はしないのが作法なのか、それとも正真正銘の無自覚なのか、誰か教えてほしい。
 
でもって、アメリカやヨーロッパに出自を持たず、そうした統治の言説を拝聴している後進世界の人間のなかには、そのあたりの自覚があるのか無いのか、知ったうえで頬かむりしているのかそうでないのか、知りたい人間が時々いるんじゃないだろうか。
 
と同時に、マインドの水準ではベンジャミンさんの考えを概ね肯定しながら、ソウルの水準では大乗仏教とアニミズムに根ざしている東洋人としての私は、欧米に決して届かない悔しさをも思い出す。
 
道徳や倫理や哲学を語り、また統治と結び付けてきたのは西洋世界だけではない。
 
インドや中国、日本や南米のおけるそれらも、統治とのっぴきならない関係を結んできた。たとえそれが、キリスト教と西洋哲学がたもとを分かった頃と同等の発展段階*2に至らなかったとしてもである。 
 
では、インド伝来のウパニシャッド哲学の潮流がギリシア哲学やスコラ哲学の潮流に伍し得たか? たぶんノー。
では、天台宗や曹洞宗や浄土真宗で語られていたことが、今日の日本の統治を支えているか? たぶんノー。
 
大昔に、仏教の僧侶が「西洋哲学が発見してきたことは唯識や俱舎がずっと前に通過したことである」と述べたのを聞いて、そうだそうだと思っていた時期があった。けれども今はそんなにイノセントにはなれない。たとえば唯識は構造主義に似ているかもしれないが現代の統治のコンテキストに結びつけられるものではない。浄土真宗とプロテスタントについても同様である。
 
唯識や浄土真宗が現代社会の統治の実践と結びついた、いわば21世紀の哲学の一部として活きているかといったら、私は死んでいると思う。控えめに言っても、西洋哲学ほどには生きていないし、西洋哲学ほどにはワールドワイドな統治にかかわるイシューとはみなされていない。
 
欧米世界の動物愛護についてもそうである。少し古い本だが、『肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見』という書籍のなかで、ヨーロッパに渡った日本の歴史家がこんなことを書いている。
 

 
 かれらはしばしば、日本人は動物に残酷であると非難する。竹山道雄が、「日本人でも小鳥ぐらいなら頭からかじる」といって、反対に残酷だと逆襲されているのも、その一例である。
 このような相違は、「残酷」という言葉の意味・内容が、日本人とヨーロッパ人ではまるでちがうからである。動物愛護というと、日本人は、ともすれば、動物を人間と同じように扱い、動物を絶対に殺さないことだ、と考えやすい。なかには菜食主義を動物愛護の極致だと主張したりする人もたくさんある。
 欧米諸国の動物愛護運動は、そうではない。そこでは動物を殺すこと自体はけっして残酷ではない。残酷なのは不必要な苦痛をあたえることである。
 (中略)
 事実、ヨーロッパ人なら、飼犬などの面倒をみきれなくなると、あっさりと殺してしまう。しかし、日本人はちがう。殺すのは残酷だと考え、だれかが拾ってくれるのをあてにして、生かしたまま捨てる。その結果は野犬の増加である。ヨーロッパ人にはこれがわからないという。かれらにとって、飼犬を野犬にするぐらい残酷なことはないのである。

 『肉食の思想』は20世紀に書かれた書籍であり、ヴィーガニズムが日本にやって来る前の書籍である点に留意していただきたい。しかし、ここに記されたヨーロッパの動物愛護は、たとえば日本人になじみ深い(大乗仏教の)慈悲の考え方とは根本的に異なっているし、ヨーロッパの食文化や生活とコンテキストを共有している。その後継であるヴィーガニズムもまた、同様にコンテキストを共有しているだろう。表向き、ヴィーガニズムが精進料理や慈悲に似ているとしても、それは似て非なるものだし、欧米に格別の関心を持たない日本人には容易に飲み込める思想ではないはずである。少なくとも私は、自分のなかにある慈悲や菩薩道の考え方とヴィーガニズムの間に、重ならない何かをいつも予感している。
 
そしてヴィーガニズムがワールドワイドになり得るとしても、慈悲や菩薩道がワールドワイドになり得るとは到底思えないのだ。そしてこれらは、大乗仏教の衰退とともに(思想として)化石になっていくのだろうと悲観する。
 
 

もちろん、同書がこうした疑問に答える筋合いはないのです

 
このように、私には『21世紀の道徳』は二重の意味で強者の書籍、強者の道徳とうつる。強者でなければ実践しがたいという意味でも、強者が導き、強者だからこそ導かれた思想体系の道徳であるという意味でも。そして東洋やその他の地域の道徳や倫理や哲学は、西洋の思想と同じことができないまま、活きた思想としては滅んでしまうかもしれない。
 
ゆえに、ギリシア哲学以来の西洋のフォーマットに基づいて道徳や倫理や哲学を論じることは、ワールドワイドな道徳や倫理や哲学を論じることと近似しても構わない、ということになろうし、少なくとも強者の側にはそれをやってのけられる状況がある。私はそのことを仕方ないと思う一方で、自分自身のマインドとソウルの分裂を自覚せずにもいられない。舶来の思想の卓越を賛美せずにいられないと同時に、それがあくまで舶来の思想で、自分たちにはコンテキストがわかりづらく、ウインドウズやF-35のような輸入品であることを自覚せずにもいられない。
 
ここでも断っておくが、だからベンジャミンさんが悪いとか、『21世紀の道徳』が読み足りなかったとか、そんなことを言いたいわけではない。
 
むしろこの場合、私がここでグチグチと書いたようなことは書いてないほうが良いのだ。ベンジャミンさんがそれを書くのはきっと似合わないし、書くべき人は別にいて然るべきだろう(というか、それを本来書くべきは日本人のはずである)。ベンジャミン・クリッツァーさんにおかれては、その持ち味を生かし、これからも伸び伸びと道徳や社会を論じていただきたいと一読者としては願う。
 
今回こうやって、グチグチとした後半パートを書けたのも、筆者の実直さにあてられたからに他ならない。グチグチとした後半パートは、アメリカ人としてのベンジャミンさんにどううつるか見当もつかないが、この愚痴を言語化できる程度には、『21世紀の道徳』を読むのは刺激的で、スリリングなひとときだった。
 
これからも応援しています。ご活躍ください。
 

 
 

*1:『21世紀の道徳』の文中の語彙でいえば共感に依っていたからでもあると思う

*2:発展段階とは、civillizationという言葉と同じぐらい面倒な響きを持っているのだけど、すぐに語彙が思いつかなかったのでここでは用いることとする

生きに生きて40歳、俺らは結構長く生きた

 
pha.hateblo.jp
 
phaさんのエッセイは、焼きたての手作り菓子のようで、そのようなエッセイにツッコミや言及を入れるのは野暮であり、無粋でもあるのだけど、寒くてどこにも出かけたくない気分だったので、これを書くことにした。
 
まずphaさんへの私信のようなものとして。
 

「過ぎ去った若さについて書くとしても、50代になってから書くと、もう完全に枯れきった感じの遠い目線になってしまうと思うんですよ。でも、40代初めの今ならまだみずみずしい喪失感を書けるんじゃないでしょうか」
確かに、それはそうかもしれない。それは今しか書けないことな気がする。
40代くらいで、僕と同じような虚無を抱いている人は他にもいるだろう。そういう人たちに向けた文章になるのだろうか。中年には中年にしか書けないことがあるのかもしれない。そういう方向性でちょっとやってみようか。

https://pha.hateblo.jp/entry/2022/02/05/181449

これは本当にそのとおりだと思う。もし、スッと何かが出てきそうなら是非言語化していただきたい、と思った。
 
私の場合、まさに上記のようなコンセプトで『「若者」をやめて、「大人」を始める』を作った。phaさんなら、私が書いた本よりサラサラしたテイストで言語化できるんじゃないかと思うし、そういう本を必要としている読者は2022年にもいそうな気がします。
 

 
で、上掲本を書いた者として憚りながら申し上げておくと、「40代初めの今ならまだみずみずしい喪失感」が書けるのは、せいぜい43歳ぐらいまで。企画するならお早目に、だと思う。私が『「若者」をやめて、「大人」を始める』を出版していただいたのは43歳の時だけど、それから数年経った今では、もう、その内容が遠い出来事のように感じられる。今の私には、その「みずみずしい喪失感」は当たり前になってしまったので、もう言語化するのは難しい。
 
こうやって人生の先へ先へと進むたび、みずみずしいと感じられるもの・目新しいと感じられるもの・少し前まで無かったものが現れ、今までそうだったものが色あせていくのだから、一個の人間の行く先はまだわからないし、人生の総括など死ぬまで到底できそうにない。phaさんは、冒頭リンク先の文章で
 

カッコ悪くたっていい。才能なんてなくてもいい。若さなんて必要じゃない。どうせそのうち死ぬんだから、中年になっても老人になっても何もできなくても、生きているうちは自分の精一杯をやっていくしかない。そう開き直れる気がしてくる。

こんな風に書いてらっしゃるけれども、まったく同感だ。精一杯やっていくしかないし、精いっぱい見つめていくしかないんだよ、と思う。若い世代も含めた他人から何と言われるか、どう自分の人生が寸評されるかにかかわらず、この目が黒いうちは生きて、生きて、トートロジーと言われちゃうかもだけど死ぬまで生きるしかないのだと思う。格好良いか、格好悪いか、そんなのも知ったことではない。偉大な誰かが書物にまとめてしまった車輪のなかをグルグル回っているだけかもしれないとしても、そんなことも知ったことではない。
 
とにかく違う景色が見えてきて、違った所感が現れる限り、私は生きてみたいと願望する。もう、若者の境地に帰ることはできないとしても、まだ見ぬ境地、新鮮な境地はたぶんある。でもって、そんなことに気づけたのも、思春期が過ぎてからもダラダラと、またはオメオメと生きてこられたおかげなのだ。
 
 

40歳で「どうせ俺らは早く死ぬ」はないよ

 
ここからは、人の歌詞にかこつけた愚痴のようなものだ。元記事からはだいぶ離れてしまうのであしからず。
 
 
「どうせ俺らは早く死ぬ」。
 
私には聞き慣れたフレーズでもある。
このフレーズは、1990年代の私の周囲に充満していたし、そのバリエーションとして「30になったら死ぬ」「30になるまでに死ぬ」といったものもあった。聞くところによれば、現代の若者のなかにも似たようなことを言っている人がいるのだとか。
  
しかしですね、俺らは実際には早く死ななかったわけですよ。
 
40代後半にさしかかって私が思うのは、「どうせ俺らは早く死ぬ」ではなく「生きに生きて40代」だ。狩猟採集社会の男性と比較すれば十分長く生きたし、少なくとも思春期をこれ以上延長できないぐらいまでは生きることができたのだ。40年という時間は、ホモ・サピエンスである私たちにとって決して短いものではない。本来なら世代がひとめぐりしている年齢だし、たどり着くまでに幾人もの脱落者が出ておかしくない年齢でもある。
 
平均寿命が伸びに伸びた21世紀の日本で「生きに生きて40代」などと言ったら笑う人がいるのは知っている。平均余命の延長。高齢化社会。そうしたものを念頭に置きながら、あるいは70代ぐらいの高齢者が自分よりも余命のある私たちを指さしながら、「『生きに生きて40代』というのは早すぎる」と指摘するのは想像しやすい。
 
けれども私は、そういったものをまやかしだと思っている。
なるほど平均余命は伸びた。
高齢化社会になった。
あなたは私よりもずっと年上ですね。
 
じゃあ、私がそんなに長生きするという保証はどこにある? 私がそんな高齢まで生きられるという確証をどこに求めればいいのか? ない。どこにも見当たらない。統計上のファクトはあくまで統計上のファクトでしかなく、個人の未来を予言するものではない。絶対に確かなのは、自分がこれまで生きてきた歳月の長さと、その歳月のなかで得たものと失ったものだけだ。
 
そうした獲得と喪失に基づいて40代になった自分自身を省みる時、浮かぶ気持ちは「生きに生きて40代」しかありえない。いやはや、ずいぶん長く生きたものだ。長く生きてしまったとも言えるし、長く生かしていただいた、とも言える。健在な同世代たちも、おのずとそういう目線で見たくなる*1───お互い、生きて生きてここまで来ましたね。ありがたいことですね。じゃ、お互い、生きられるだけ生きてみましょうか。
 
平均余命が長くなったとはいえ、40代まで生きると、少なくない同窓が命を落としていったことを思い出す。社会の前線や表現の前線から退いた人などいくらでもいるだろう。そう思った時、40代とは、どうせ早く死ぬと嘆く年齢ではなく、ここまで何とか生きてこれたなと振り返る年齢であるよう、私は思う──もっと長く生きられる可能性があるとしてもだ。
 
もちろん世の中には、80歳まで壮健に生きることが保証されていて、現役といえる時間がずっと長くて、60歳からが第二の人生だと確信している人もいるだろうから、そういう人からみれば、私の考えは意味不明とうつるかもしれない。が、私はちっともそんな自信がないし、毎年毎年、精いっぱい生きるのに手いっぱいで、こうしたことがいつまで続けられるかもわからないし、続けていられる今がありがたくて仕方がないので、ここまで活動できた天命に感謝するとともに、毎年毎年を精いっぱい生きてみたいと願望するしかない。そうとも、俺らは結構長く生きた。
 
 

*1:でもって年上の人たちは「生きに生きて50代」だったり「生きに生きて60代」だったりするのだから、大変なことだと思うほかない。少なくとも、彼らが生きた時間の長さ、その長さだけ見てももう荘厳だ

今までの人生で脳汁が出たコンテンツ62本

 
 
今までの人生で脳汁がでるほど嵌ったコンテンツ125 +α本 - orangestarの雑記

 
数日前に、小島アジコさんが「今までの人生で脳汁がでるほど嵌ったコンテンツ125 +α本」という長ったらしい文章をブログに書いておられた。あの滅茶苦茶な長文は、不特定多数が読むことを度外視した、ふた昔ほど前のブログの文章、というよりウェブサイトの文章のようだった。
 
で、読んでいるうちに自分も同じことをやってみたくなった。そうすることで、私と小島アジコさんの嗜好の違いや来歴の違いだけでなく、「脳汁が出るほどハマッたものの定義の違い」みたいなものも詳らかになる気がしたからだ。このブログの常連読者さんでない人には読む価値の無い文章なので、それでも読みたい人だけ付き合ってやってください。
 
 

小学校低学年まで

 
小学校低学年だったのは昭和56年~59年ぐらい、ファミコンはまだ普及していなかったしビデオ録画もできなかった。だから今の子どもより本の占めるウエイトが大きかったし、ゲーオタ(ゲームオタク)としての私を準備したのはゲームウォッチだった。
 
そういう状況だったので、この時代、本はバリエーションの面でもクオリティの面でも他を圧倒していたと思う。アニメからは『機動戦士ガンダム』を選んだけれども、これも、いまどきとは違ったプロセスでしみ込んでいったというか、だんだん脳汁が出る作品に育っていった感じで、今では考えられない出会い方をした。
 
 
【1】ゲームウォッチ版『ドンキーコング』
 

 
上に貼ったサムネイルはアーケード版。自分にとって最初の重要なゲームは、祖父が買ってきてくれたゲームウォッチ版『ドンキーコング』だった。当時としては画期的なマルチディスプレイで、どこでも遊べたし、どこまでも遊べた。アラームの鳴らし方や時刻の合わせ方まで楽しみの一部だった。これ以前にも『テレビゲーム15』を触らせてもらう機会があったけれども、そこまで面白いとは感じなかった。
 
 
【2】ゲームボックス 『ペンタ』
  
ゲームウォッチからはもうひとつだけ。6種類のゲームが遊べるこれもよく遊んだ。『ペンタ』が来た頃にはファミコンも出ていたけれど、自分の家にファミコンが来たのは小学校4年生だったので、小学校低学年のうちはゲームウォッチこそがゲーム小僧の花形だった。
 
 
【3】福音館の科学シリーズ『海』『地球』『宇宙』
  
小学校低学年に読んだ本のなかで、一番リピートしていて、一番インパクトのあったのがこの三冊。海の場合、日本の遠浅海岸→沿岸→大陸棚→大陸斜面→外洋へ、宇宙の場合も昆虫の飛行速度→飛行機の速度や砲弾の飛距離→第一宇宙速度→太陽系→銀河系→銀河団といったぐあいにスケールアップしていくのを読むたびに楽しいと感じていた。世界の広がりを見たい・知りたいという願望を準備してくれたのは間違いなくこの三冊。楯状火山とか鐘状火山とか、そういう理科の知識を小学校1年生の段階で完全インストールしてくれた点でも、たぶん自分の血肉として役に立った。
 
ちなみにこの三冊を自分の子どもの生活圏にそれとなく配置してみたけれども、興味関心は沸かない様子だった。そうかもしれない。この三冊に自分が出会ったのは、本こそが最もバリエーション豊かな子ども向けメディアだった時代だったから。とはいえ今読んでもやっぱりわくわくする。
 
 
【4】機動戦士ガンダム
  
私が一番最初にガンダムを見たのは昭和54年、保育園で母親が迎えに来るのを待っていなければならない時だった。ホワイトベースが宇宙を飛んでいる様子ばかり映って、ガンダムがロボットアニメらしく活躍するシーンは観られなくて「ぜんぜん面白くなかった」。小学校では、1年生の頃にガンダムチョコボールとガンダムメンコが流行して、2~3年生の頃にガンプラが流行した。再放送が繰り返されるたびに、自分の学年でも手が届く範囲の関連グッズが売れまくって話題になっていくあの感じは、いまどきのコンテンツの流行のしかたとはだいぶ違っていた。で、そうやって繰り返される流行は『Zガンダム』や『ガンダムZZ』に引き継がれていったわけだ。
 
小学校1年生の頃は、アムロも含めたホワイトベースのメンバーが好きで、小学校3年生の頃になるとシャアやランバラルが恰好良いと思うようになった。思春期を迎えた頃にギレンやキシリア、ハヤト・コバヤシやフラウ・ボゥあたりも良いと思うようになったり。歳を取っても関連作品や関連グッズが出続けているので、全体として振り返るとめちゃくちゃ長い付き合いになってしまった。
 
 

小学校高学年

 
小学校高学年になってファミコンがやっと手に届くようになり、アーケードゲームやパソコンゲームに触れる機会も出てきた。この時期に、自分のゲーオタ人生というか、自分にとって一番重要なコンテンツがゲームであることが確定した。ちなみに漫画はノミネート無し。少年ジャンプの漫画ぐらいは読んでいたし、それなり楽しんでいたけれども、影響を受けるっていうほど受けた作品は(今から振り返ると)無い。

 
【5】ゼビウス
 

 
ゼビウスとの最初の出会いは、駄菓子屋に設置されていたPC-88版のゼビウス。それがものすごく美しく、恰好良く見えて、「こんなゲームが遊びたい!」の筆頭になった。その後、ファミコン版、アーケード版を実際に遊びこんで、その地形、その多彩な敵キャラクターをとおして浮かび上がってくる世界観、いわば「ゼビウス軍が侵攻してきた世界」を想像することに夢中になった。
 
自分の場合、ゼビウスそのものと同じぐらい重要だったのは上掲の『アドベンチャーブック版のゼビウス』。体力制・攻撃力制の、ロールプレイングゲームっぽいシステムのアドベンチャーブックとして最初に出会ったのがこれだった。ここからアドベンチャーブックを買いあさる友人も多いなか、自分は、アドベンチャーブックを「自作」するグループに属していて、ここから自分の自作ゲーム作り趣味、創作趣味、mod趣味みたいなものが始まった。これが無かったら自分はブログを書いていなかったかもしれないし、シヴィライゼーション3でmodを自作していなかったかもしれない。そういう意味でもゼビウスは世界線を変えてくれた。
 
 
【6】ドルアーガの塔
  
これもリリース直後には遊べなかった。けれどもベーマガの特集や『ドルアーガの塔のすべてがわかる本』をとおして、たくさん遊べるようになる前から頭のなかがドルアーガの塔でぱんぱんになっていた。ファミコン版がいつでも遊べるようになった後も、255階バグで楽しんだり、アーケード版のワンコインクリアに挑戦したり、かなり長い付き合いになった。ゼビウスもこのドルアーガの塔も、作品そのものに加え、イラストやサイドストーリーがメチャクチャよくできていて、世界観を脳内補完するための環境が完備されていた。ゼビウスとドルアーガの塔は、二次創作のスタート地点。
 
 
【7】ザナドゥ
  
ドルアーガの塔と並んで最初期に出会ったロールプレイングゲーム。以前に書いたことがあるので、略。
 
 
【8】ザナック
  
小学生時代までにじゅうぶんアクセス可能でじゅうぶん難しくて、じゅうぶん奥深いシューティングゲームといえばこれしかない。当時のファミコンシューティングゲームとしては完全にオーパーツで、攻略するのに長い時間がかかった。さすがに遊び過ぎて飽きてしまったけれども、大学を卒業するぐらいまで現役だった。
 
 
【9】機動戦士Zガンダム
  
Zガンダムをここで挙げる理由の一部は、中学生時代に再放送をビデオで繰り返し見たせいもある。けれども本放送の時もずっと欠かさず見ていたし、おかしくなっていく登場人物たちを固唾をのんで眺めていた。モビルスーツや宇宙戦艦のデザインも自分好みな感じだった。クワトロ・バジーナという人物については、初見では格好良いと感じていたように記憶している。年齢が上がるにつれて、情けないシャアという印象が勝るようになった。あと、小説版のZガンダムをとおして「恫喝」「増長」「自嘲」といったボキャブラリーを手に入れた。
 
 
【10】くまのパディントン
  
この頃は児童向けの本もまだ読んでいて、くまのパディントンは全シリーズを何度もリピートした。自分の性格に足りなかった成分を補ってくれていたように思う。
 
 
【11】名前のわからない、めちゃくちゃ分厚い宇宙解説書
  
上記リンク先は最近の、子ども向けの解説書。そうではなく、名前は忘れてしまったのだけど、1980年代につくられた分厚い宇宙解説書がめちゃくちゃ良くて、これを市立図書館で借りては読んでいた。自分が知らないことが山のように載っていて、その一部は理解できなかったけれども、それがかえって世界を知りたい欲求を刺激してくれた。
 
  

【中学校~高校時代】

 
不登校の時期を筆頭に、社交の範囲がすごく狭かった時期。とはいえ完全にひきこもっていたわけでなく、既存の交友関係のなかでテーブルトークRPGをやったり、ゲームについて情報交換したりもしていた。高校生時代からはアーケードゲームの割合が急激に高まっていく。
 
 
【12】ファミコン版ウィザードリィ(I-III)
 

 
不登校時代の自己セラピー的存在。話すと長いので、知りたい人はこちらこちらを読んでやってください。
 
 
【13】スーパー大戦略(メガドライブ版)
  
メガドライブ版のスーパー大戦略をたくさん遊んだのだけど、ゲームそのものと同じぐらい同梱の兵器カタログを読みまくった*1。「資料を読みながらゲームを遊ぶと、脳内二次創作がめちゃくちゃ鮮明になる」という体験をシミュレーションゲームで最初に強く感じたのはこれ。軍オタ方面の知識に傾倒していくきっかけにもなり、小松基地の航空祭に出かけたりもした。
 
 
【14】アドバンスド大戦略
  
メガドライブ版のスーパー大戦略を遊んでしまった以上、アドバンスド大戦略を遊ぶのは避けられなかった。当然のように遊んで、当然のように深い傷を負った。取扱説明書と合体した兵器マニュアルは、今でも時々読み返している。第二次世界大戦の兵器の知識は、まずアドバンスド大戦略の兵器マニュアルで覚えた。
 
 
【15】信長の野望戦国群雄伝
  
この時期のコーエーのシミュレーションゲームにはたいがい影響を受けていて、どれを挙げるのか毎回迷う。今回はこれを挙げておくけど、提督の決断や武将風雲録も良かった。
 
 
【16】メタルホーク
 

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※この動画はエミュレータとアケコンを使ってやっているっぽくて、ぜんぜんこのゲームの楽しさが伝わってこない。もっとターゲットにぐわんぐわん降下したほうが楽しい。
 
ゲーセンのゲームで最初にワンコインクリアしたのは、最高の急降下爆撃ゲームであるメタルホーク。これより爽快な急降下爆撃ゲームって、今でも無いんじゃないだろうか。高田馬場のミカドで稼働していたので、新型コロナウイルスが蔓延するまでは遊んでいた。ぐりぐり動く大型筐体ならではの、急降下や急旋回の体感が気持ち良い。当時のナムコの大型筐体モノ、メタルホークとスターブレードとソルバルウとプロップサイクルは、今のテクノロジーでリメイクしてほしい。
 
 
【17】雷電(I,II,DX,IVも含めて)
 
雷電DX

雷電DX

  • 日本システム
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バトルガレッガや怒首領蜂といった弾幕シューティングゲームに出会うまでは、雷電シリーズがマイベストシューティングゲームで、高校時代は雷電を、大学時代以降は雷電DXを遊んでいた。今でも夢に出てくることのある作品で、シューティングゲームの基礎を叩きこんでくれた。
 
 
【18】ドラゴンクエストⅢ
  
本当の意味で好きになった、そして遊びまくった最初のドラゴンクエスト。当時からバグを使った遊びが盛んで、ゾーマを倒してからも楽しみが長かった。
 
 
【19】女神転生2
  
本作とスーパーファミコン版の真・女神転生をとおして、善ー悪、秩序ー混沌という例のゲーム的分類を叩きこまれた。音楽、世界観、悪魔合体、銃、全部好き。
 
 
【20】SDガンダムワールド ガチャポン戦士2 カプセル戦記
  
対戦ゲームとして完成され過ぎていて、社会人になってからもまだ対戦するほど。シンプルなようで非常に奥が深い。続編はいろいろ出たけど、完成しているのはこれだと思う。
 
 
【21】機動戦士ガンダムZZ
  
主人公のジュドーをはじめ、登場人物の性格に救われた。希望のあるエピローグも好きだ。ビデオ録画で何度も見られるようになった最初のアニメ作品で、不登校の時期とも重なっていたので、これは本当に何度も何度も見て、自分もいつか新天地に旅立ちたいと夢見たりした(だからダライアスバーストのゾーンKエンディングはとても好きだし、ヨーロッパユニバーサリス3をやるとつい植民プレイになってしまう)。
 
 
【22】ダンジョンズアンドドラゴンズ(新和版、赤箱、青箱、緑箱、黒箱)
  
「自分でゲームを作る」「脳内補完する」が好きな自分にとって、80年代後半のテーブルトークRPGブームはうってつけだった。その中心はD&Dで、自分もダンジョンマスターをやっていた。ゲームは遊ぶだけじゃない。作るのも、動かすのも楽しい。そういう気持ちが際立つ遊びだった。カプコンが作ったアーケードゲーム版のD&D『タワーオブドゥーム』『シャドーオーバーミスタラ』ももちろん遊びまくった。
 
 
【23】銀河英雄伝説
  
何度読み返したかわからない。ローエングラム伯ラインハルト、ヤン・ウェンリー、ロイエンタール、ヨブ・トリューニヒト、ベーネミュンデ侯爵夫人、みんな忘れられない登場人物だ。うちは物語の探索が貧困だっただけに、銀河英雄伝説がもたらした衝撃は大きかった。新世紀エヴァンゲリオンに出会うまでは、ゲーム以外のジャンルで一番影響の大きかった作品だ。
 
 

大学生時代~研修医時代

 
独り暮らしが始まって、東京に出られるようになって、インターネットにも繋がったことで作品に出会う流通経路が一気に変わった。変わったのだけど、どこまでも自分はゲームの人で、特にこの頃はアーケードゲーム至上主義者だった。そこにグサリと刺さったのが新世紀エヴァンゲリオン。思春期で一番影響のあった作品をひとつ挙げなさいと言われたら、エヴァンゲリオンしかない。とはいえ、ここに挙げたそれ以外の作品も、その場の危機を救ってくれたか深い爪痕を残したものばかり。このリスト自体が自分の思春期そのものだ。
 
 
【24】筋肉少女帯
 

レティクル座妄想+6

レティクル座妄想+6

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このリストに音楽を挙げていいのかしばらく考えたけれども、これは間違いなく脳汁を分泌させていたのでリストアップ。時期的には『レティクル座妄想』『ステーシーの美術』あたりが一番好きで、大槻ケンヂの小説やエッセイもまあまあ読んだ。レティクル座の神様は一部始終を見ているだろう。
 
 
【25】バトルガレッガ
  
奇跡のシューティングゲーム、バトルガレッガ。当時の思い出についてはこちら
 
 
【26】怒首領蜂
 
怒首領蜂 ドドンパチ

怒首領蜂 ドドンパチ

  • エス・ピー・エス
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バトルガレッガの次に出会えたおかげで、怒首領蜂ワンコインクリアにリアルタイムに挑めたのは素晴らしい思い出だった。二周目の1ステージをクリアするたびに阿鼻叫喚し、ラスボスの火蜂にはとことん苦しめられた。シューターとしての自分の心・技・体が一番充実していたのもこの頃で、タイミングが良かった。
 
 
【27】エアーコンバット22
 

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『エースコンバット2』ではなく『エアーコンバット22』。ナムコが作った大型筐体ゲームだ。マトモに空を飛べるようになるまでは大変だけど、いったんマスターしてしまうとこれほど自由に飛べるゲームはなかった。当時としては圧倒的に美しいグラフィック、大型筐体ならではのコックピットの手触り、すべてが最高。医学部時代で一番勉強が厳しくてへこたれそうだった頃、300円だけ握りしめてプレイシティキャロット松本に通って、一日3回だけプレイして心が折れないようにしていた。あの頃の自分が壊れてしまわないよう、救ってくれたゲームだ。(ちなみにエースコンバットもいくらか遊んだけれども、制約ばかりでちっとも自由ではなかったし、大型筐体じゃないので没入感が足りなかった)
 
 
【28】斑鳩
  
これも、研修医として忙しい最中にチョビチョビと遊んで、自分の心を繋いでくれた。パズルっぽいシューティングゲームは元々苦手なのだけど、圧倒的な完成度に負けてしまった。好きすぎて、自分の家には(steam版も含めて)3本の斑鳩がある。2018年に「40代になっても斑鳩をワンコインクリアするプロジェクト」に挑戦して、ちゃんとワンコインクリアできたのは嬉しかった。昔ほど反射神経が効かないかわりに、落ち着いたプレイとトレーニングができるようになって、それが斑鳩のようなゲームでは有利に働いた感じだ。還暦にもう一度チャレンジしてみたい。
 
 
【29】ダンスダンスレボリューションシリーズ
  
流行病のように流行ったコナミの音ゲーのなかで、一番遊んだのがDDRことダンスダンスレボリューション。自分はセカンドの頃にいちばんやりこんでいた。と同時に、「このゲームジャンルは早晩行き止まりになるのでは?」と最初に見切りをつけてやめたゲームジャンルでもある。
 
 
【30】ガンパレードマーチ
 
高機動幻想ガンパレード・マーチ

高機動幻想ガンパレード・マーチ

  • ソニー・インタラクティブエンタテインメント
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ガンパレードマーチは、ストーリーが好きな人もいるけれども、自分はあのストーリー、というか設定過剰に胃もたれしてしまった(『月姫』ではそうでもなかったのだけど)。それでもここに挙げたのは、発言力システムをはじめとするガンパレードマーチのシステムを自分の社会適応にフィードバックしたから。ガンパレードマーチのように考え、ガンパレードマーチのように行動するゲーミフィケーションは今でもかなり生きている。このゲームをプレイした期間はけっして長くなかったけれども、このゲームのように考え、行動した時間は恐ろしく長い。今もそうし続けている。
 
 
【31】同級生2
 
同級生2

同級生2

  • バンプレスト
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まともに恋愛をテーマにしたゲームとしては早期のもので、当時の人気エロゲの金字塔と言っても言い過ぎじゃないはず。ときめきメモリアルより、こちらのほうがずっとマトモに恋愛していた(ところで、ときめきメモリアルって、今にして思えば「ルールのごちゃごちゃした、原始的なウマ娘」っぽさがあって、あれは育成ゲームという呼び名のほうが似合いに思える)。とはいえ、このゲームを起動させるたびにnanpa2とMS-DOSで打っていたことも含め、PC-8801~PC-9801時代のエロゲの名残りは残っていて、00年代の恋愛系エロゲに比べれば洗練されていない。ここから自分は『雫』『痕』『Toheart』といったLeafの作品を経て、『One』『Kanon』という具合にだんだん『Air』に近づいていった。で、ついにAirに出会う。
 
 
【32】Air
 
AIR - Switch

AIR - Switch

  • プロトタイプ
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2000年当時、これは間違いなく傑作だった。近々リメイクされると聞いているけれど、ハードウエアの進歩と時代の変化の兼ね合いで、今、これを新規にプレイしても2000年当時のインパクトを受けとるのは不可能だと思う。たとえばAirのオープニングは当時としてはよくできた、かなりインパクトのある出来栄えだったけれども、それを2022年に体感するすべは無い。それと、記憶喪失とか、憑依とか、転生とか、解離とか、そういったものをAirがリリースされた当時と同じコンテキストに基づいて受け取ることもできないので、その点でもAirを当時と同じように受け止める素地は失われてしまった。それだけに、Airが完全な傑作として成立していたのはリリースされて数年以内、せいぜい、ニコニコ動画で鳥の詩が国歌などと呼ばれていた頃ぐらいまでだったと思う。あまりにも時代に寄り添い過ぎて、あまりにも遠くなってしまった。
 
自分はまだ、このブログでAir論を書いたことがないので、どこかで一度は書いてみたい。けれども簡単ではないだろう。
 
 
【33】新世紀エヴァンゲリオン
  
惣流アスカラングレーについてではなく、新世紀エヴァンゲリオンについて書くのは難しい。Airと同じく、じつは作品評そのものは今まで一度も書いたことがないし、書く勇気が無い。これも、死ぬまでに一度は自分の言葉で『新世紀エヴァンゲリオンとはなんだったのか』を書いてみたい。自分はTV版の25話と26話、それと劇場版での惣流アスカラングレーの生きざまと死にざまをとおして人生の角度がすっかり変わった。筋肉少女帯を陳腐化させたのも、惣流アスカラングレーだ。
 
 
【34】新機動戦記ガンダムW
  
ガンダムF91のほうが好きだし、Vガンダムのシャクティとカテジナは素晴らしいキャラクターだとは思うけれども、実のところ、自分の憧れを牽引していったのはウーフェイとトレーズ・クシュリナーダではなかったか。自分にとって最初の消化しやすいガンダムであり、登場人物の一人一人が忘れられないガンダムでもあった。TWO-MIXの主題歌は今でもときどき聴いてしまう。
 
 
【35】風の谷のナウシカ、漫画版
  
「いのちは闇の中のまたたく光だ!」」 死生観に間違いなく影響を与え、その後、自分が仏教を再履修するきっかけにもなった。今でも大好きだ。庵野秀明監督によって映画化されるまで生きていたい。
 
 
【36】進化と人間行動
  
進化生物学や進化心理学に興味を持つきっかけを与えてくれた一冊で、ここから『銃・病原菌・鉄』や『マザー・ネイチャー』や『ホモ・デウス』に広がっていった。それと、精神医学や精神分析の履修にかなり影響を与えていて、それらが進化生物学/進化心理学とどう整合性を持ち得るのかはいつも意識している。
 
 

研修医以降~30代後半まで

 
二十代後半以降に触れた作品なので、自分の人格を作ったというより、すでにできあがった自分が感銘を受けた作品、すごくハマった作品というニュアンスが強いかもしれない。とはいえ、ちゃんと四十代の自分にも繋がっている。
 
 
【37】シヴィライゼーション3,4
 

 
自分にとって、シヴィライゼーション3.4は箱庭療法であり、国際政治のシミュレーションゲームであり、いわゆるmodづくりの最初の素材だった。特にシヴィライゼーション3ではmodづくりに熱中していて、それが当時の自分には必要不可欠だった。シヴィライゼーションそのものはもう遊ばなくなったけれども、ここで海外産のシミュレーションゲームへの免疫を獲得して、国産のシミュレーションゲームをだんだん遊ばなくなっていった。
 
 
【38】Heart of Iron 2
  
軍オタ的な喜びに加えて、modで遊ぶ喜び、それと、国際政治の勉強になった。それと生産性と効率性についてもゲーミフィケーション的にすごくヒントになったと思う。さあ、きりきり生産ラインを動かして、ユニットを並行生産しまくるのだ!
 
 
【39】ラグナロクオンライン
  
いみじくもゲーオタなら、「最初に慣れ親しんだオンラインゲーム」ってやつがあると思う。自分の場合、ラグナロクオンラインだ。ディアブロ2もやっていたけれどもLAN環境下だったので含めない。ラグナロクオンラインでできそうなことはだいたいやった。素晴らしいチャットツールとしても重宝したし、嫁さんとのオンラインデートが監獄1だったという意味でも特別なゲームだった。
 
 
【40】CLANNAD
  
「Fateは文学。クラナドは人生。」と00年代には言われたけれども、実際、クラナドは人生だった! そして自分の人生はクラナドを越えて加速していく。そういうインスピレーションを与えてくれたのがCLANNADだった。私はこの作品に出会えて本当に良かったと思っている。同じ制作陣のAirと比較すると、CLANNADのほうが意図的に奇跡を組み立てた(そしてだいたい成功した)感があって、Airのほうが図らずしも奇跡ができあがってしまった感があるように思う。
 
 
【41】シュタインズ・ゲート
  
本当の意味でヴィジュアルノベルにのめり込んだ、最後の作品(『ひぐらしのなく頃に』はこれよりちょっと前だし、『うみねこのなく頃に』をここにリストアップするなんてとんでもない)。ちょうど人生の岐路に立たされていた時に出会ったので、忘れられない作品になった。
 
 
【42】消費社会の神話と構造
  
20代後半から、自分なりに世界の捉え方を助けてくれそうな書籍を求めていろいろ読みあさったのだけど、そのなかで最初に肌に馴染んだのはボードリヤールの『消費社会の神話と構造』で、今でもときどき読み直す。こういう本を読むようになった背景には、自分が憧れを感じていた精神分析的な考え方が精神医療のなかで退潮気味だったこと、けれども自分が精神科医になったのは操作的診断基準の端末になることではなく、自分なりに人間や世界を知りたかったからだろう、と思う。この本を読む前には現象学とハイデガーの入門本やら、カント・ヘーゲル以前の哲学の入門本やらを読んで、「構造主義やポスト構造主義の本はすぐに読まなくて良かったなー」なんて思っていたけれども、こいつで一発ノックアウト。でも自分のなかではポスト構造主義、ポストモダンは、「かくあるべし」としてはクソでも「社会のある側面はこうなってしまっている」を説明するうえで全然有効というか、むしろ今のフェイクで分断な社会はポストモダンの言葉で翻訳可能だと思ったりする。
 
 
【43】わかる仏教史 
  
仏教再履修のセーブポイントになったのはこの本。蝉丸Pさんからのおすすめ。後々、自分は大乗仏教のもとに生まれて育った人間だとしみじみ感じいることになるのだけど、それも、この時期にインド哲学領域~初期仏教についてあれこれ読み漁る機縁を得たおかげ。生まれの浄土真宗と育ちの真言宗が自分のなかで分裂せずに繋ぎ止められているのも、この本(たち)のおかげだと思う。ありがたい。
 
 
【44】秒速5センチメートル
  
ゲーオタな私のところに新海誠が布教されたタイミングは『秒速5センチメートル』でした。一目ぼれ。後に嫁さんからさんざんキモいと言われてしまいました。主な登場人物は全員好きです。秒速5センチメートル評で一番好きなのは、前島賢さんのレビューだったのだけど、今チェックしたら消えてしまったので、そこにリンクを張った自分の文章のリンクを残しておく。
 
 
【45】魔法少女まどか☆マギカ
  
2010年代を代表するアニメ作品のひとつだろうけど、自分にとって思春期の最期に巡り合った、なんか持っていったアニメ。五人の魔法少女が素晴らしいのは言うまでもない。あと、クレオパトラ、卑弥呼、ジャンヌダルク、アンネフランク、ワルキューレはずるいと思った。キュウべえの「僕たちの文明では、感情は稀な精神疾患でしかない」という台詞は、今でも自分のなかで燃え続けている。
 
 

30代後半~現在

 
年を取り、子育てが始まって、自分の人格を塗り替えるほどのインパクトには出会わなくなった。思春期然とした作品の、思春期然としたところがキツいと感じることも増えた。それでも新しい作品に心動かされたり感銘を受けたりしているので、ゲーオタとして自分は幸せな部類なのだと思う。今回、こうやってリストアップしてみてそのことがわかったのは収穫だった。『宇宙よりも遠い場所』『シドニアの騎士』『ゾンビランドサガ』あたりを選外にできるぐらいには作品との出会いには恵まれている。ありがたいことだ。
 
 
【46】ダライアスバーストAC(と、steam版のダライアスバーストCS)
 

 
横スクロールシューティングゲームの最高峰、ダライアスシリーズはさんざん遊んでいるけれども、今、寝ている時に夢で出てくるのは必ずダライアスバーストAC/CSに基づいているので、これが一番記憶にこびりついていると判断した。実際、一番やりこんでもいる。自分にとってゲームセンターで遊びまくった、最後のシューティングゲームでもある。
 
 
【47】Europa Universalis 3
  
大義名分、正統性、ヨーロッパと新世界、ヨーロッパと旧世界、そういったものについて基本的な考えを与えてくれたゲーム。というより高校で地理選択だった私にやっとヨーロッパ史の流れを教えてくれ、『金と香辛料』や『文明化の過程』などを読む前哨戦になったのがこのゲームだった。意外に重宝したのは、中世~近世のヨーロッパの小国やフランス・イギリス・フランドル・イタリアあたりの地名・州名を憶えたこと*2。この、地名の暗記と地域の歴史把握が社会学方面や歴史学方面の書籍をたやすく読む重要な下地になった。欧米社会について本を読むための基礎教養、その土台を提供してくれたのは間違いなくこのゲームだ。このゲームに出会わなければ、拙著『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』は書けなかったと思われる。
 
 
【48】skyrim
  
「D&Dが最新のゲームエンジンで再現されたらどんな姿になるのか」を具体化したかのような、とにかく打ちのめされたゲーム。このゲームを遊ぶ前と後でロールプレイングゲーム観が完全に変わったし、これがあったから『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』にそれほど動揺しなかった。嫁さんと一緒に、もうメチャクチャに遊びまくった。うちの子どもはマインクラフトよりも先にskyrimに親しみながら育った(が、子どもの前ではいわゆるローフルプレイをしていたので、ボエシアやナミラが邪悪である等々、善悪是非の教育になったと思っている)。続編が楽しみなタイトルだし、我が家の全員が細部に至るまで知っているゲームでもある。我が家はskyrim一家だ。
 
 
【49】艦隊これくしょん 
  
オンラインゲームからソーシャルゲームへの繋ぎとなるゲームだったつもりが、かれこれ7年以上続けている。これは簡単にはやめられないだろう。一部の艦娘の胸がでかすぎることを除けば艦娘はだいたい好きだ(そういう意味では、アズールレーンのキャラクターの造形は自分にはついていけない感じだった)。
 
 
【50】ポケモンGO 
  
我が家にやってきた最初の位置情報ゲーム。子どもと一緒にお出かけできる・今まで知らなかった近所の神社や公園を発見できるという、ありがたいゲームだった。煩わしさがある点はオンラインゲーム同様、いや、オンラインゲーム以上かもしれない。それでもゲームの可能性というか未来について深く考えさせられ、たとえば鳥取砂丘などにお出かけする機会を提供してくれたゲームだ。
 
 
【51】スプラトゥーン2
  
家族全員で挑んだ最初のFPS。子どもと対等にゲームを遊び、一緒に切磋琢磨する機会を与えてくれたのはスプラトゥーン2だった。ゲームとしても面白かったし、家族全員の性格みたいなものが浮き彫りになるゲームでもあった。嫁さんは今でもバイトに明け暮れている。続編が待ち遠しい。
 
 
【52】テラリア
 
テラリア -Switch

テラリア -Switch

  • スパイク・チュンソフト
Amazon
 
ゲームとしてはマインクラフトのほうが有名で、バランスがとれているかもしれない。けれども、このテラリアは記念すべきゲームだ。というのも、子どもから自分へと逆輸入された最初のゲームだからだ。マインクラフトに比べてテンポが速く、グズグズしていると置いていかれる感があるし、高速戦闘に重きが置かれている。でも、そういうゲームを自分の子どもが持ってきたのだ! しかもこれはよくできている。modの拡張性も良好で、modも子どもが持ってきてくれた。
 
 
【53】ハーモニー
  
言わずとしれた健康ディストピアSFの名作。まるでパンデミックを予期していたようでもある。自分的には『虐殺器官』よりもこっちのほうがずっと好き。ハクスリーの『すばらしい新世界』と比べてもこっちがずっと好き。2010年代に読んだ小説のなかでは、一番これに感化されている。なんというか、肌に吸い付くSFなのだ。
 
 
【54】PSYCHO-PASS
  
自分、精神科医だしこういうタイトルの作品は絶対受け入れられないだろうとしばらく避けていたけど、百聞は一見にしかず、たちまち気に入った。伊藤計劃のハーモニーもそうだけど、正直のところ、主人公たちのドラマに感じ入っているのでも、SF然とした未来のテクノロジーにテカテカしているのでもなく、未来の統治のありよう、生活や制度の押しつけられようにテカテカした。以下に挙げる書籍たちとの出会いとハーモニーやPSYCHO-PASSの読解は完全にリンクしていて、(自分史における)2010年代のマイブームを作りだしていた。
 
 
【55】<子ども>の誕生
【56】文明化の過程
【57】監獄の誕生
【58】逸脱と医療化
https://www.minervashobo.co.jp/book/b48541.html
【59】身体の歴史
 
 
それまで(進化)生物学・仏教・精神分析に依存していた人間理解に、制度・習慣・規範・環境からの影響を足してくれた社会学・歴史学方面の書籍たち。さきに挙げた『ハーモニー』や『PSYCHO-PASS』と一緒くたになって、2010年代に自分の考えが変わっていく原材料になった。これらの周囲に、トクヴィル『アメリカのデモクラシー』、スチュアート・ミル『自由論』、パットナム『孤独なボウリング』、落合恵美子『親密圏と公共圏の再編成』、レッシグ『CODE』、マクルーハン『メディア論』あたりがあって、全体として2010年代の自分の好奇心を形作っているのだけど、挙げているときりがないのでそれらは選外にした。でもって、これらを読める状態に準備してくれたのが、少し前に出会った『消費社会の神話と構造』だったり『Europa Universalis 3』だったりする。してみれば、欧米社会についての書籍を咀嚼する準備が整うのまでに自分は三十年以上の歳月と、ヨーロッパ人が作ったゲームとの出会いが必要だったわけだ! そういう意味では『Europa Universalis 3』は実践的な教養ゲームだった。
 
 
【60】反穀物の人類史
  
2022年現在、2020年代の自分の関心は「人間の自己家畜化」というキーワードにまとめられそうで、もちろんそのなかには現代人の生殖(とその困難)、少子高齢化問題も含まれている。ハラリ『ホモ・デウス』やピンカー『暴力の人類史』や『家畜化という進化』や『善と悪のパラドックス』もある程度は人間の自己家畜化に触れているけれども、自分の肌に一番よく合い、強いインパクトを受けたのはこの本だ。(人間の)進化について再履修したい、という気持ちにさせてくれた一冊でもある。
 
 
【61】健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて
  
自分で書いた本をここにリストアップするのは奇妙かもしれないけれども、自分が読みたかった本を自作して、それがほとんど純度を落とさず商業出版されているという、2020年までの集大成。今読むと、もっと書きたかったこと、付け加えたかったことがたくさんあって、まだ自分が前に進みたいってのがよくわかる。でも、それはそれとして自分で書いたこの本を読むと気持ちが昂ってきて、もっと人間を、世界を知りたいという思いがこみ上げてくる。まだ戦いは終わっちゃいない。
 
 
【62】Fate/Grand Order
  
これが入っていないのに気づき、翌日、急遽追加。ゲームやストーリーも良かったけれども、それ以上に、ガチャのある風景、ガチャで脳汁とはどういう境地なのかを教えてくれたのが大きい*3。自分の認識するゲーム世界を間違いなく広げてくれた。ウマ娘プリティーダービーも良いゲームだけど、先に出会ったのがこちらだし、こちらのほうが歯ぎしりした回数が多いので、こちらを挙げるべきだろう。
 
 
※1月26日追記:『攻殻機動隊SAC』も入っていないことに気付いた。これは【63】だと思う。コミック版も読んだけど、ここはアニメ版のSACで。
  

実際にリストアップしてみた感想

 
はじめは5000字ぐらいにスマートにまとめてみせて、「ハハハ、アジコさんはブログ記事をまとめるのが下手だね。こんな風にスッキリまとめると読み手も自分自身も読みやすいんだよ」と澄ましてみせるつもりだったけど、すぐにそんなことを言っていられなくなり、完全に沼ってしまった。結局この記事は19000字ぐらいのボリュームになってしまっている。とはいえ収穫も多かった。「脳汁の出まくった作品」をアジコさんと比較しながら列記していくなかで、以下のような気付きがあった。
  
 
・自分はゲーオタであって、アニオタではない、もちろん漫画オタでもない。これは幼少期から全くブレていない。ノーゲームノーライフ! ゲームプレイそのものが脳汁をもたらす場合と、ゲームをとおして脳内補完した二次創作的なイメージやシミュラークルが脳汁をもたらす場合がある。あと『Europa Universaris3』を筆頭に、ゲーム教養とでもいうべき一大ジャンルとして受け取っている感じがある。生活習慣のゲーミフィケーションという意味でもゆかりが深い。
 
・意外に本の影響が大きく、いつも自分の世界観をこじ開ける経路になっていた。30代以降になってそれが効いている感じ。人間や社会を知りたいという根源的欲求を充たしてくれる最前線は、今は間違いなく本だ。アジコさんと比較した場合、自分は物語よりも論説、科学書などから強いインスピレーションを受ける性質があるみたいだ。やっぱり本は大事だよ。
 
・振り返ってみると、アニメの嗜好はかなり俗っぽく、有名な傑作だけが深く刻み込まれている感じではある。ニッチな作品を素早く感知するセンスを自分は持ち合わせていないし、これからも持ち合わせることはないだろう。
 
・自分にとって「感受性がいちばん豊かな黄金期」は1995~1999年頃と2005~2012年頃と二峰性。それ以前にピークが無いのは、作品にアクセスする経路が乏しすぎたせい。それ以降にピークが無いのは、年を取りすぎてアンテナが弱っているせい。峰と峰の間の時期は、忙しすぎたり元気が無かったりして低調だった。
 
・「脳汁がドバドバ出るほどハマったもの」を本気で列挙しようと思うほど、他人に読ませる文章に仕上げるのは困難になり、自分のための文章に仕上がっていく。商用原稿としては都合の悪いことだけれど、個人ブログの文章としては、これほど似つかわしいものはないように思う。振り返りとしてはとても良い機会だった。
 
 

*1:今、アマゾンでこのゲームの中古品を見ると兵器カタログのついている中古はプレミアがついている。やっぱり好きな人は好きだったんだ!

*2:ポワトゥー、マントヴァ、エノーとかそういったような

*3:ちなみに『月姫』や『Fate/stay night』は選外。これらも楽しんだけれども『Air』や『CLANNAD』ほど決定的な影響を受けず、脳汁を迸らせなかった