シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

書籍を作り終えて憂鬱になり、「何者かという問い」に呪われている

 
 6月に出す新著についての作業工程がだいたい終わって、脱力状態になった。新しい本が発売される前の一か月ほどは、いつもこんな感じだ。少し憂鬱にもなる。
 
 そうしたなか、手斧アイコンの方のはてなブログで「何者かという問いは呪いである。」という文章を読んだ。
 
 何者かという問いは呪いである。 - てのひらを、かえして
 
 「何者か」という問いは、たいてい「何者でもない」という答えを導く。「いや、自分は何者かである」と答えられたとしても、どこか土台がグラリとする感覚はなくならない。四十年以上生きてきて、いくつかの点では何者かになったはずなのに、まだリンク先の文章を読んでグラリとしている。そんな自分自身を、自嘲せずにはいられない。
 
 今の私にとっての「何者か」は欲の残骸、未練、そんな感じのものだろうか。
 
 "何者にもなっていない若者の焦り"みたいなものでなく、"もう選べない可能性への未練"と、"できあがってしまった自分に対する不安"。私がウェブサイトやブログを書き始めた頃は「まだ何者でもないけど何者かになってやるから!」みたいな気概があった。今はそうじゃなくて「あの者にも、この者にも自分はなりきれなかった……」と、自分の領分や身の程をこえたところに未練を感じている。自分の領分や身の程を自覚していること自体、若い人には奇妙に思えるかもしれないが、まあ中年にもなって、自分の領分や身の程をクルクルひっくり返せるわけでもなく。
 
 領分や身の程を自覚しているってことは、もう自分は本当は何者かになっていて、その領分や身の程こそが自分自身なのだろう。ところが隣の何者かの芝は青くみえる。あの人素敵だな、あの人上手だな、そういうものを見た直後に「おまえ何者?」と疑問を挟むと、良くない気持ちがもたげてくる。そこには嫉妬もあるだろう。情けないことである。
 
 はてなブログには、phaさんやgoldheadさんのような、洒脱な文章をすらりすらりと書くブロガーがいる。
 ああいう「何者」かになりたいと思った時期もあったが、なれなかった。
 
 つい先日、精神科医の斎藤環先生の興味深いnoteを読んで、似たようなことを感じた。
 
 “感染”した時間|斎藤環(精神科医)|note
 
 斎藤環先生の文章を読むのはしばらくぶりだったが、私が憧れた人の文章がそこにはあった。ブログを書き続け、自分の書籍も書くうちに「私は斎藤環先生と同じにはなれない。だから同じを目指すべきでもない。自分は自分の道を行くしかない」と気づいたはずなのに、こうして文章を読んでしまうと「斎藤環先生みたいになれなかった自分」という未練を思い出す。
 
 昔、口の悪いはてなブックマーカーが、斎藤環先生と私を比べて「どうして差がついたのか… 慢心、環境の違い」と述べていたことがあった。ああそうとも、世代も環境も、頭脳も違ったのだろうよ! そのかわり私にしか書けないもの・私が書きたいことを追いかけてきた先に、悲願の新著が作れたのだから後悔は無い……と言いたいはずなのに、まだどこかで未練があるらしい。
 
 私は本業として精神科医を勤めながらほうぼうのオフ会にでかけ、ブログを書き、それらが不可分になった書籍を書くのが夢だったし、実際にそのような書籍をついに書ききった。
 
 しかし、本当に書きたかった書籍を書ききってしまった今は、そのブロガー兼精神科医という自分の領分が、砂上の楼閣に思えてならない。実際それがあと何年続けられるものなのか、続けさせてもらえるものなのか、わからなくなってしまっている。それでいて、私には洒脱な文章なんて書けないし、アルファツイッタラーのような閃きも備えていない。アカデミックな肩書を育ててきたわけでもない。だとしたら、この、鈍重なるp_shirokumaという人間はいったい何者なのか。
 
 ああそうか、こういう気持ちになっているから「何者かという問いは呪いである。」という冒頭の問いに反応し、言及してしまったわけですね私は。
 

「インターネットの妖怪」はなることよりあり続ける方が大変で、あり続けることを諦めたときに「俺は果たして何者だったのか」との自問自答がひどくなりそうだ

https://b.hatena.ne.jp/NOV1975/20200515#bookmark-4685700307171768130

 私がいま自問自答しているのも、まさに「インターネットの妖怪」、自分風に言い換えれば「はてなブロガーとしてのシロクマ」をどうすべきか迷っているからだろう。
 この先、ブログでいったい何をやるのか? 自分はこれからどうしたいのか?
 わからなくなっている。
 わからなくなってしまったから、「何者」という言葉を、呪われたルービックキューブみたいにこね回している。
 
 

ゲームの想像や妄想に溺れながら生きるのは(中年には)難しい

 
 
「昔のゲームの方が想像力を刺激されて良かった」は本当か|てっけん|note
俺たちは、ゲームを遊ぶ時に何を「想像」していたのか: 不倒城
 
ゲームをよく知っている人たちが、ゲームを遊ぶ時の想像・想像力について文章を書いてらっしゃった。
 
ここで私がゲームを遊んでいる最中のことを書いても二番煎じ、いや三番煎じになってしまうので、どちらかといえば私は、ゲームをプレイしていない時に想像していたこと、その想像を膨らませる際に役立ったものについて書いてみようと思う。
 
 

1.ドラゴンクエスト3,4の場合

 
ドラゴンクエスト4を初めてプレイした時、私の想像はドット絵のなかで完結していたと思う。アリーナ、クリフト、トルネコ、ミネア、マーニャたちが冒険していれば、もうそれだけで良かった。戦闘があり、メインストーリーがあり、カジノがあれば満ち足りていられた。ドラゴンクエスト3を初めて遊んだ時も、あの粗いドット絵の物語世界がすべてだった。何かを足す必要も、何かを引く必要もなかった。
 
ところがドラゴンクエスト3,4の場合、プレイした後に公式ガイドブックや「ドラクエ4コマ」に触れることによって想像の質と量が大きく変わった。
 

 
公式ガイドブックや4コマの"漫画絵"を眺めているうちに、ドラゴンクエスト3と4の世界はだんだん変わっていった。はじめに、ファミコンから離れている時にドラクエ世界をぼんやり想像するとき、キャラクターの図像が"漫画絵"で浮かぶようになった。その後、ドット絵の向こう側に"漫画絵"を思い浮かべるようにもなり、ドット絵の見え方が変わった。ちなみに、こうした変化の一部は漫画『ダイの大冒険』によっても促された、と思う。
  
いちばん大きく変わったのは、ドラゴンクエスト3の女賢者だ。ドット絵で完結していた頃、ドラゴンクエスト3の女賢者のグラフィックは正直よくわからない感じだった。ところが公式ガイドブックの女賢者の"漫画絵"に馴らされていくうちに、ドット絵が"漫画絵"に引き寄せられるようになってきた。正直よくわからない感じだった女賢者のグラフィックが、かわいくなってしまった。
 
ドラゴンクエスト3の"漫画絵"には熱心なファンが結構いたはずで、たとえば、女僧侶の二次創作絵は今でもときどき見かける。これは、ゲームそのものが刺激した想像力というより、ゲームの場外で育まれた想像というべきかもしれないが、とにかく、ゲームの外で想像力や妄想力が拡張されて、ゲームプレイに逆流した人は私以外にもいると思う。
 
 

2.ザナドゥの場合

 
 
パソコンゲームの大傑作、ザナドゥは小中学生の私にはあまりにも難しく、ただ生き残ること、少しでも前進することに無我夢中だった。プレイの真っ最中に想像力がどうこう言っていられるゆとりなんて無かった。
 
そのかわり、ザナドゥをやっていない時間に私はザナドゥについて書かれた書籍(取り扱い説明書も含む)を繰り返し読んでいた。ザナドゥは高価なパソコンゲームだったので、長らく、友達の家でしか遊べなかった。そのせいで私はゲームそのものをプレイする時間より関連書籍を眺めている時間のほうがずっと長かった。
  

 
自分のプレイを思い出しながら関連書籍を眺めると、モンスターの恐ろしさも、マジックアイテムの素晴らしさも特別なものとして感じられた。レッドポーションは必要不可欠な回復アイテムで、アワーグラスはすさまじい効果のアイテムなのだ! ザナドゥの取り扱い説明書には、モンスターの知性の程度や所持品について、かなり細かな解説がつけられていて、想像力に彩りを添えてくれた──「そうか、今日は腹の減り具合ぐらいしかわからないモンスターに食われて死んだのか!」
 
ゲームプレイと関連書籍と取り扱い説明書の相乗効果で、私はザナドゥというゲームを「本格的なファンタジーロールプレイングゲーム」として体験した。そして次の冒険こそ、もっと迷宮の奥深くにたどり着きたいと毎日のように夢想した。そうした夢想のひとときは、プレイしている時間と同じぐらいか、ひょっとしたらそれ以上に豊かだったかもしれない。
 
 

3.アドバンスド大戦略の場合

 

 
「あれは私のドイツ電撃作戦だった」。これに尽きる。このゲームを始めた頃、私は第二次世界大戦の戦闘機や戦車にまったく興味を持っていなかったが、ゲームのキャンペーンモードを始めてしばらくの頃──だいたいポーランドを撃破し、フランス戦が始まるぐらいの頃──に取り扱い説明書の兵器解説を読んでしまい、虜になってしまった。つい先日までただのゲームの駒に過ぎなかったユニットが、にわかに精強なドイツ機甲部隊のような気持ちになって、びっくりするほど入れ込んでしまった。
 
アドバンスド大戦略のユニットは、進化させにくく全滅しやすい。長い長い時間をかけて辛抱強く育てていかなければならない。アドバンスド大戦略の待ち時間が恐ろしく長いこともあって、私はユニットたちと寝食を共にするような気持ちになった。失いたくない将兵を率いて、ますます難しくなる戦争に向かっているという想像がいつも燃えたぎっていた。

「手ごわいシミュレーションゲーム」という言葉だけでアドバンスド大戦略を説明することは不可能だ。愛するユニットが全滅するたびに心が痛むぐらいには、私はアドバンスド大戦略に物語をみて、想像力を肥大化させていた。そして手塩にかけて育てたユニットたちがウラル山脈で全滅していくのを見て、すっかり打ちのめされた。
 
ゲームがある程度難しく長い時間を必要としたこと、取り扱い説明書の兵器解説がよくできていたこと、私がまだ若くすれていなかったこと、そういった色々な条件が重なったおかげで、私はアドバンスド大戦略をそのようなゲームとして受け取った。ウラル山脈でのあの出来事は、生涯忘れないだろう。
 
 

ここまでを振り返って思うこと

 
 
この文章を書き始めた段階では、この後、4.としてSkyrimを、5.としてStellarisを挙げて、「今も昔もゲームは想像や妄想を刺激してくれる」なんて間違いの少ないことを書こうと思っていた。
 
が、書いているうちに気が変わった。 
ここから私は、「だけどあの頃にはもう戻れない」ことについて書く。
 
あらかじめ断っておくが、新しいゲームが想像や妄想を膨らませる力を欠いている、と主張したいわけではない。たとえば私にとって、Skyrimで殺生がしづらかった思い出も、Stellarisで宇宙探索や宇宙艦隊の夢に溺れた思い出も、どちらも素晴らしく、プレイ中は想像と妄想が膨らみまくっていた。
 
けれどもドラゴンクエスト3,4やザナドゥやアドバンスド大戦略の頃にはあって、今は欠けているものがある。
 
それは、「ゲーム世界やゲームのキャラクターについて想像していられる時間、妄想していられる時間」だ。
ゲームの想像や妄想に溺れていられる時間が、圧倒的に足りない。
 
新しいゲームだからといって、グラフィックが立派だからといって、想像や妄想が膨らまないなんてことはない。小中学生の頃と同じぐらい想像や妄想を膨らませ続けるのは不可能だと、気が付いてしまった。
 
ドラゴンクエスト3,4やザナドゥやアドバンスド大戦略の頃は、ゲーム機から離れている時もゲームのことばかり考え、ゲームの想像や妄想に溺れながら生きていられた。学校でも勉強部屋でも上の空のまま、眠りにつくまでゲームの想像や妄想に溺れていられた。そうすることによって辛い現実から距離を置けるというメリットもあった。
 
今の私には、そんなことは絶対に不可能だ。授業中にゲームの想像や妄想に溺れるのは簡単だったが、仕事中にそんなことはできないし、すべきでもない。帰宅してからも、家族があり、付き合いがあり、手元にあるゲームたちは可処分時間を奪い合っている。
 
2020年になっても、まだ私はゲームプレイヤーとして現役のつもりでいるし、これからも新作ゲームを開拓していくだろう。けれども、新しいゲームをあれこれ遊ぼうと思えば思うほど、ひとつのゲームに立ち止まり、ひとつのゲームにかんする想像や妄想に浸っていられる時間は短くなってしまう。
 
 


 
新旧のゲームのどちらが想像力を刺激するのか、それを議論することにも意味はあろう。けれどもゲームが好きでしようがなかった少年少女もいつかは大人になり、"事情"を抱え、可処分時間を失っていく。体力や集中力にも余裕がなくなっていくだろう。そういう後退戦のなかで「昔のゲームのほうが想像力が刺激されて良かった」という思い出ができあがってしまうのは、いかにもありそうな成り行きではないだろうか。
 
小中学生の頃からゲームを愛してきた者の一人として、私は、あの一日じゅうゲームのことばかり考えていられた、想像して妄想して上の空に過ごしていた日々を懐かしく思う。この先、どんなに素晴らしいゲームに巡り合ったとしても、あの頃と同じような、想像と妄想に耽溺した日々を取り戻すことは、できないんじゃないだろうか。
 
新旧のゲームを比べるよりも、中年の"事情"のほうが私には差し迫った問題と思えたので、予定を変え、帰らぬ日々のことを詠嘆することにした。そして少し寂しい気持ちになった。

 
 

熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第一章(下)を公開します

 
 
熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第一章(上)を公開します - シロクマの屑籠の続きです。
 
 
  
【「誰が救済されるべきマイノリティなのか」という問題】
 
 
もうひとつは、こうした救済の対象は、医療や福祉が可視化したもの、あるいは世間の人々が可視化したものに限られる、という点である。
 
世の中には、障害者やマイノリティとすでに認定され、医療や福祉がサポートし、社会全体で配慮すべきとみなされている属性やカテゴリーがいくつもある。重度の精神障害や知的障害、身体障害は昭和時代からそのような対象だったし、大人の発達障害のように、最近になって対象に加わったものもある。マイノリティの側でいえば、たとえばLGBTのように、最近になって配慮すべき対象としてとみに知られるようになったものがある。
 
だが裏を返せば、弱者やマイノリティと認定されなければ、あるいは医療や福祉の対象と認定されなければ、医療や福祉は援助してくれないし、世間の人々も配慮すべきとみなしてくれない、ということでもある。
 
たとえば境界知能と呼ばれる一群が存在する。医療や福祉の現場で用いられる知能検査で、おおよそIQ70~84と算定されるものが境界知能にあたる[15]。IQ70未満の知的障害にしても、障害程度の比較的軽い人々(軽度知的障害)はしばしば社会のなかでは見過ごされ、援助の対象になっていないが、それよりIQが高い境界知能の人々は、それ以上に医療や福祉の援助の対象となっていない。
 
では、この境界知能の人々は、美しい国の秩序にうまく適応できるのか? テキパキと働かなければならず、コミュニケーション能力を求めてやまない令和時代の正規雇用の座を、他の人々と同様に勝ち取っていけるものなのか?
 
かなり難しいのではないか、と私は考える。私が精神医療の現場で遭遇する境界知能の人々の場合は、なんらかの精神疾患にかかり、なんらかの不適応を呈している。そうした人々は、能力にそぐわないものを社会から求められた結果としてメンタルヘルスを損ねていたり、不適応を呈していたりする。先天的な素因に加えて、恵まれない環境に曝されてきたとおぼしき人々も多い。
 
子どもにも大人にもハイクオリティが求められがちな現代社会において、境界知能の人々の立場は脆弱だ。なぜなら彼らは、高学歴や高収入にアクセスすることが難しいだけでなく、消費という次元でも食い物にされやすく、搾取されやすい人々だからである。クレジットカードのリボ払いやオンラインゲームの高課金といった消費の罠を見抜けず、それを社会契約のもと、個人の自己責任とされてしまうのが彼らである。
 
IQ70~84の境界知能は、その統計的定義からいって全人口の一割以上が該当する[16]。実際問題として、これらの人々をまとめて医療や福祉が背負うのは、今日の制度下では非現実的だろう。とはいえ、社会がますます美しく、ますます便利で、親にも子にも就労者にも、サービスの提供者にも消費者にもハイクオリティが期待される風潮のなかで、最も割を食いやすく、最も搾取されやすく、にも関わらずサポートの対象とされにくいのは彼らである。現代社会が期待するとおりの子育てをやってのけられないのも彼らかもしれないし、ヘイトスピーチやネット炎上といった、情報リテラシーからの逸脱に陥ってしまいやすいのも彼らかもしれない。
 
社会全体が雑然としていた昭和以前の社会には、そうした人々でも働ける仕事がまだあり、第四章で触れるとおり、子育ての際に親子に求められるクオリティの水準も今日とは違っていた。そうした人々を騙し、搾取する人はもちろん昭和以前にもいたが、消費者にお金を使わせるべく行動経済学を駆使し、動機付けをコントロールしようとする巨大情報企業を相手取らなければならない場面は無かったはずである。
 
境界知能の人々は、こんな具合に社会の矢面に立たされている。しかし、より重度の知的障害者や精神障害者、身体障害者に比べれば目立ちにくく、みずからの活きづらさや疎外を言語化することも組織化することもできないままでいる。美しい国の秩序からはみ出してしまいがちな彼らは、その生きづらさや疎外をディスカッションや運動をとおして自己主張できないし、従って、救済されるべき弱者としてクローズアップされることもない。
 
社会が進歩するにつれて、子どもや女性の権利が尊重されるようになり、障害者へのサポートも進んできた。身体障害者の国会議員が選出されれば、障害者として困っているさまが可視化され、真剣にディスカッションされることは、2019年に参議院議員となった木村英子氏と舩後靖彦氏の例を見ればよくわかる。
 
しかし障害者と認定されにくい人々、マイノリティとみなされにくい人々はこの限りではない。障害者やマイノリティと誰にでもはっきりわかる人々や自分たちの生きづらさや疎外を自己主張できる人々はサポートの対象たりえるが、障害者やマイノリティとしてわかりにくい人々や自分たちの生きづらさや疎外を自己主張できない人々は、サポートの対象たりえない。いや、それどころか「そこには生きづらさや疎外など存在しない」とみなされてしまう。
 
そういう意味では、身体障害者の国会議員は誰の目にもわかりやすく、生きづらさや疎外を認知されやすく、そのうえ生きづらさや疎外を自己主張できる人々であった。これと同じことを境界知能の人々、それこそ低賃金労働に甘んじ、消費の罠やネット言説の食い物にされがちで、知的なディスカッションの苦手な人々が為しえるだろうか。また世間の人々は、そのような人々が国会議員として選出されることを歓迎するだろうか。
 
 
【際限のない健康志向】
 
 
医療や福祉が救済をとりなし、「一億総活躍社会」に向かう美しい国というだけあって、もちろん健康には細心の注意が払われている。
 
60歳は還暦と呼ばれ、かつて、これが人生の一区切りとみなされていた。還暦を過ぎても生き続ける人がいないわけではなかったが、還暦の前に亡くなる人は大勢いたし、だいたいそれぐらいが人間の一生であるというのが人々の通念だった。
 
現在では、そのように考えている人はほとんどいない。還暦はキャリアの終わりや余生のはじまりですらなく、第二の人生の始まりとみなされるようになった。昭和時代に60代で死ぬことは、「老人の死」「年齢相応の死」とみなされていたが、令和時代に60代で死ねば「そんなに若いのに」と気の毒がられる。実際、平均寿命は平成の30年間も伸び続け、2018年の記録では日本の平均寿命は女性が87.32歳、男性が81.25歳となっている [17]
 
なぜ、これほどの長寿が達成できたのか。それは、人々が健康リスクに注意を払うようになり、医師による指導や治療をきちんと受けるようになったからだ。昭和以前は健康リスクに注意を払っている人はそれほど多くなかったが、いまどきの高齢者はコレステロールや血圧に注意を払い、適度な運動やバランスのとれた食事を心がけている。喫煙者は、昭和以前は世の中の多数派だったが平成時代の終わりには少数派となり、手狭な喫煙エリアへと隔離された。
 
こんなに誰もが健康リスクに注意を払い、健康にお金を払う社会はいまだかつて無かった。この現代の様子を数十年前の人々に見せたとしたら、過剰な健康志向と、それによって実現した健康長寿ぶりに目を見張ることだろう。
 
第三章で詳しく触れるが、健康や長寿は多くの人が求めてきたものだから、基本的にこれは良い変化に違いないし、健康が脅かされれば個人の自由な生活が制限されるわけだから、個人の自由を成り立たせるうえでも重要な変化だったと言える。
 
だが、本当に良いことずくめだったのだろうか。私たちはかつてないほど健康で長寿になったと同時に、健康で長寿にならなければならなくなったのではないか。
 
メタボリックシンドロームやロコモティブシンドロームといった概念が行き渡っていなかった頃の日本人は、もっと健康に対していい加減な態度をとることができた。平均寿命が短かった頃の人々は、もっと自分の身体を自分の好きなように取り扱っていたし、好きなように取り扱うことがいけないことだとは思われていなかった。
 
だが、現代人は健康に対して注意深くなければならなくなっている。健康にまつわるあらゆるものに気を配るあまり、健康が人生の手段ではなく、人生の目的になってしまっている人々などはそのきわみである。彼らの人生は、健康に、乗っ取られている。
 
そこまで極端ではないとしても、健康を義務のようなものとして捉えている人は少なくあるまい。健診のたびに医師から指導を受け、メディアにも健康を勧めるメッセージが溢れる現代社会のなかで、健康に背を向けて生きることは簡単ではない。いつまでも健康でいることは現代人にとって望ましいだけでなく、期待されることでもあり、たとえば平均寿命あたりまで生きるのは当たり前だと、多くの人々は漫然と考えている。
 
元来人間は、もっと簡単に生まれて、案外簡単に死んでいくものだった。少子化の進む現代では、前者はそう簡単でもなくなったが、後者については今でもそうである。人目につきにくく、日常生活のなかで意識しにくいだけで、現代人も病気や事故であっさり死ぬことはある。
 
ところが、生死も病気も病院や施設に隔離され、健康が社会の隅々にまで浸透していくにつれて、私たちはあたかも健康でさえいれば死なないかのような思い込みのなかで生きられるように──そして生きなければならなくなった。
 
有史以来、最も健康長寿となった現代社会の通念には、死生観というものが見当たらない。どうしても生きて何かを成し遂げなければならないことがあり、その目的のために健康に気を配っている人は現代社会では少数派だ。大多数は、とにかく健康でいなければならないという強迫観念にもとづいて、あるいは健康が当たり前だからという漫然とした思い込みのうちに、健康に時間とお金を費やし続けている。
 
だが健康は太古の昔からの通念ではなかったはずである。昭和時代から令和時代にかけて少しずつ浸透し、いつの間にか常識と言って良い水準にまで肥大化し、権利というより義務に近い色彩を帯びるようになった通念なのだが、あまりにも当たり前になっているものだから、だれもこれに反対することはできないし、そもそも、過去の健康観や死生観を思い出すことも難しくなっている。
 
そうした通念のもと、私たちはますます健康長寿になり、ますます多くの医療費を必要とし、ますます多くの老後資金を貯えなければならなくなっている。どうしても生きなければならない目的があって健康長寿を目指すのでなく、健康長寿を当然とみなし老後資金を貯えるために身を粉にして働く現代人の生きざまは、過去の人々には不可解なものとうつるだろう。あるいは後世の人々からみても、この目的と手段のひっくり返ったような二〇二〇年の健康をめぐる風景は、健康のためのテクノロジーや知識に通念が引っ張られた、アンバランスな一時代として顧みられるのではないだろうか。
 
 
【個人の自由を追いかけて孤独になった私たち】
 
 
それでも社会は進歩し続け、街は清潔になり、暮らしも快適になり、私たちは長生きするようになり、より多くの自由を享受しているはずである。
 
自由について考えるこの本では、そうした自由の享受をさしあたって賛美しておきたい。
 
ただし、ここでいう自由の享受とは、「過去にあったさまざまな不自由からの自由」を受け取っているという意味だ。たとえば前世紀から批判されてきた家父長的制度は、イエ制度や地域共同体の衰退もあいまって、国内ではごく限られた領域で、ごく少数を抑圧しているに過ぎなくなった。だが家父長的制度を解体したからといって、現代人が何者からも自由になったわけではない。
 
昭和以前の社会、典型的には農村社会では、生まれたイエや身分や地域によって仕事も人間関係もほとんど決まっていた。そのような制度や通念にそぐわない人、たとえば、個人として自由に仕事や人間関係を選びたいと願っている人は、そのような願いを徹底的に抑圧され、葛藤を抱えずにはいられなかった。
 
令和時代はどうだろう。生まれたイエや身分や生まれた地域によって仕事や人間関係を強制されることは少なくなった。農家や床屋の子どもが、親と異なる職業に就くことは珍しくもない。交通機関の発達とインターネットのおかげで、距離による制約も大幅に解消した。
 
だが、過去の不自由から自由になったのと引き換えに、私たちはイエや身分、あるいは地域共同体をつてとして仕事や人間関係を獲得できなくなった。人的流動性の高い社会のなかで、みずから仕事や人間関係を勝ち取らなければならなくなった。
 
仕事に関しては、さきに述べたとおりである——いまどきは、コミュニケーション能力や淀みなく働く能力などが自由な仕事選びの大前提になる。流動性の極度に高まった社会のどこででも働いていくためには、実際そのような能力が必要にもなろう。
 
と同時に、社会人にハイクオリティが期待されるようになり、リストラや派遣労働が一般化したことによって、昭和時代には正規雇用になれたかもしれない人が非正規雇用に甘んじる事態が日常茶飯事となってしまった。
 
能力に恵まれていれば仕事を選べる社会が、能力に恵まれていても仕事が選べない社会に比べて自由なのは間違いない。だがこの自由は、社会人に期待される要求水準が高まり、職業選択の自由の前提条件が厳しくなっていった進歩の歩みについていけることを大前提としたものではなかったか。
 
令和時代の社会人に期待されるクオリティに達しない人は、この職業選択の自由の恩恵をほとんど受けられない。
 
友人や恋人や知人といった、私生活の領域でも似たような問題が起こる。現代社会では、友人や恋人や知人を自由に選ぶことができる。とりわけ首都圏には人材が集まり、網の目のように交通機関が整備されているため、人間関係の選択肢はほとんど無限に近い。インターネットの普及によって出会いの選択肢はますます増え、男女関係も含め、インターネットを経由して誰かと知り合うことは今では珍しいことではない。
 
しかしこのようなハイレベルな自由がいきわたったことで、私達は、自己選択にもとづいて友人や恋人や知人を選ばなければならなくなった
 
人間関係が自由選択になったということは、人間関係が自己責任になったということでもある。人間関係の不首尾を「他人のせいにできなくなった」と言い換えてもいいだろう。人間関係がイエや身分や共同体に束縛されていた昭和以前の社会であれば、人間関係の不首尾を宿命や生まれのせいにできた。自分を呪うのでなく、宿命や生まれを呪っていれば良かった。
 
対照的に、現代社会には人間関係を宿命のように束縛するしがらみが乏しい。唯一、親子関係がそれに相当するとは言えるものの、NHK「中学生・高校生の生活と意識調査」を見ても、いまどきの親の大半は、子どもの自由選択を尊重しようとしている[18]。このような意識の親元で育てられた子どもが、成人後の人間関係を親のせいにするのは難しい。たとえ人間関係に用いることのできるリソースが遺伝的負因や家庭環境によって左右されているとしても、である。
 
と同時に、私たちは友人や恋人や知人として選ばれなければならなくなった。付き合う相手を自由に選べる以上、他人もまた付き合う相手を自由に選ぶ。たとえ自分が付き合いたいと思っていても、相手も同じ気持ちかどうかはわからない。人間関係の自由とは、付き合いたくない相手とは付き合わない自由でもあるからだ。
 
たとえば大多数の東京の市民のような、人間関係が自由選択であるという通念を共有している者同士は、無理矢理に相手を付き合わせるのは良くないと自覚しているし、自分が誰とどれぐらい付き合えるか、おおよその〝市場価値〟を自覚してもいる。すっかり内面化されたこの通念は、たとえばストーカーに関する法整備が示しているように、ある程度は法制度によって支持されている。そしてインターネット上では、SNS上におけるフォロー数/フォロワー数といったかたちで人間関係の〝市場価値〟が数値化されるようになった。
 
人間関係が自由選択になり、市場的側面を深めている以上、そこからあぶれ、疎外される人々が現れるのは必然的なことだった。人間市場のなかでたくさんの人間関係を獲得する人がいる一方で、まったく人間関係を持てずに孤立を余儀なくされる人もいる。孤立していなくても、自分の望む人間関係と現実とのギャップを感じる人は少なくない。
 
「人間関係の自由のもと、自由に人間関係をつくる」という通念は、子ども時代から親に教え込まれるだけでなく、テレビでもインターネットでも良いこととみなされ、喧伝されているから、これを通念として内面化しないで済ませられる人はきわめて少ない。だからこの通念は、現代人の権利であると同時に義務であり、道徳でさえある。
 
このような通念にもとづいて行動し、人間関係にも恵まれれば、さしあたり幸せには違いあるまい。だがもし人間関係に恵まれず、孤立に至ってしまったなら、社会関係資本[19]を欠いてしまうだけでは済まず、義務や道徳の不履行にも心を蝕まれ、劣等感や罪悪感を抱え込む羽目になるだろう。
 
確かに私たちは旧来の不自由から自由にはなった。しかし現代社会の通念と、その通念にそむいた時の劣等感や罪悪感からは自由とは言えない。そうした義務や道徳の不履行に不安をおぼえる人々は、人間市場で勝ち上がるべく、フェイスブックやインスタグラムに好もしい投稿を心がけてやまない。そうした取り繕った投稿から、不安が透けてみえることがあるとしても、である。
 
 
【街の構造が私たちの認識や行動を管理している】
 
 
私たちに不自由を与えているのは、もちろん通念やそれに由来した劣等感や罪悪感だけではない。
 
私たちの快適な暮らしの土台となり、人と人とを結びつけているインフラ全般は、私たちに通念を押し付けたりはしない。けれどもいつの間にか、私たちの認識や行動に影響を与えている。
 
たとえば東京の電車や地下鉄はとても複雑で、短い運転間隔で運行されているが、それでも電車は時間通りにやって来るし、定められたホームにきちんと停まる。東京に住む人々にとって、これは当たり前のことではあるけれども、当たり前であるがゆえに、「電車は時刻どおりに、定められたホームにきちんと停まるもの」という認識が気づかぬうちにできあがっていく。
 

 
その電車や地下鉄に向かうまでの道のりも、数多くの標識と決まりごとによってガイダンスされている。通勤通学でよく馴染んだ路線でも、普段は利用しない路線でも、頭上の標識を確かめれば目的地に辿り着ける。地下道で右側を歩くべきか左側を歩くべきかも、すべて記されているから、初めての地下道でも道を間違えにくいし、ラッシュの時間帯でもちゃんと移動できる。
 
電車や地下鉄に限らず、東京では万事がこうだ。約束事どおりに交通機関が運行され、標識やガイダンスのとおりに移動し、実際そのとおりに目的地に辿り着ける。街は、人の住む場所、売買する場所、ここは公園、ここは図書館といった具合に、標識や看板で記されているとおりに区画が定められている。
 
もちろんこうした特徴は東京に限ったものではないし、昔から、都市というのは多かれ少なかれそういうものではある。だが現在の東京は、過去のどの街と比べてもそれが徹底されていて、間違いや隙間が少ない。
 
東京では、何も記されていない曖昧な場所がなかなか見つからない。たとえ空地があったとしても、そこには「私有地 立ち入り禁止」といった看板が立っているし、東京の市民はそうしたことをよく弁えているので、立て看板がない空地ですら、私有地や公有地に違いないと判断してむやみに立ち入らない。まして、そこで寝転がったり立小便をしたりすることなどない。
 
東京での生活は、標識や看板やガイダンスで記されたものに完全包囲されていて、記されたとおりに生活しなければならない、とも言える。どんな場所にも、文章や記号でその場所の役割やその場所でとるべき行動指針が記されていて、東京の市民はそのとおりに行動しなければならないし、実際、やってのける。外国人が驚く、渋谷のスクランブル交差点の秩序だった人の動きも、大混雑しても機能する新宿駅や池袋駅にしても、それらは標識やガイダンスによって人の流れをさばいていると同時に、そうした標識やガイダンスに馴らされている人々が大多数を占めているから機能しているとも言える。
 
こうした暮らしは東京ではあまりにも当たり前になっているし、この当たり前に馴れてしまったほうが東京では生きやすくもある。だが、記された約束事に依存した認識と行動に馴れれば馴れるほど、私たちは標識や表記に頼らずに対象を見たり触ったりすることが難しくなるし、街のインフラのなすがまま、されるがままということになる。
 
 
【認識や行動を制御するインターネットの構造】
 
 
インターネット上では、こうしたことがもっと徹底していて、何も表記されていない曖昧な場所がどこにも存在しない。
 
私たちはインターネットを、そのページやアプリを、コードが記しているとおりに眺める。というよりコードに記されていないものは眺めようがないので、インターネットで目にうつるものはすべて、誰かがプログラミングしたコードの結果として現れる。早くからインターネットを始めていた人々は、そうしたプログラムやコードを個人で書き、それぞれがウェブサイト(ホームページ)を作っていたが、現在はSNSやアプリや検索エンジンのプラットフォーマーが、インターネットで私たちの目に映るものを、ひいてはネット上の私たちの認識や行動を実質的に形づくっている。
 
インターネットで私たちが目にするもののなかには、個人になんらかの行動をとるよう促すものも多い。たとえばネット通販でアウトドア用品を頻繁に買う人のスマホやPCには、アウトドア商品の広告が繰り返し表示され、ますます買いたくなるよう仕向けてくる。ネット検索にしても、ユーザー自身の履歴に基づいて検索結果が偏るよう、現在の検索エンジンはつくられている。たいていのネットユーザーはそんなことを気にもしないでインターネットを眺め、表示される検索結果をあてにしている。
 
SNSも同様だ。現在のSNSは、好みの思想信条のアカウントや情報を集めるには非常に適しているが、好みではない思想信条のアカウントや情報に目を配るにはまったく向いていない。たとえば自民党の政策に反対している人がツイッターを覗く時、タイムラインに並ぶのは同じく自民党の政策に反対している人々の文章や動画ばかりで、自民党の政策に賛成している人々の文章や動画はなかなかタイムラインには現れない。よしんば賛成者の文章や動画が目に留まるとしても、それは反対者が否定的な文脈でリツイート(シェア)したものとしてタイムラインに現れてくる。
 
SNSのインフラ、ひいてはインターネットのインフラは、自由に考え、ディスカッションするのに最適化されているとはまったく思えない。むしろ、インターネットのインフラは私たちが持っている特定の思想信条を強めたり、特定の行動を促すようつくられている。
 
そうしたインフラに依存したネットライフの果てに、極端な思想信条を常識や正義だと思い込んでしまう人々が現れ、マスメディアが「分断」と呼ぶような、政治的妥協やディスカッションのまったく困難な社会状況が生まれている。
 
他方、インターネットのインフラに依存し、流されてゆく人々をよそに、グーグルやフェイスブック、リクルートといった大企業は個人の売買情報や位置情報などをかき集め、これからのビジネスのために──つまり私たちの認識や行動をますます制御し、より効率的にマネジメントするために──努力を積み重ねている。
 
こうした状況のもと、いったい私たちはどこまで自分の自由意志によって認識・行動していると言えて、どこまでインフラに誘導されるままに認識・行動させられていると言わざるを得ないだろうか。
  
 
 【現代の自由、ひいては不自由とは】
 
 
本章で挙げてきたものはすべて、私たちの生活を快適かつ便利にし、高度に発展したメガロポリスを成り立たせ、昭和以前の不自由からの解放に貢献してきたものである。インターネットにしてもそうだ。これらの進歩によって私たちは自由になって、きっと、幸せにもなっているはずだった。
 
だが2020年の現実を振り返れば、過去の不自由や不便を克服してくれた進歩が私たちに新しい不自由をもたらし、簡単には逃れられなくなっているようにもみえる。過去には進歩的とみなされ、現在では当たり前の通念となった諸々は、私たちの認識や行動を、通念のテンプレートへと嵌め込んでいるのではないだろうか。そのことに新しい生きづらさを感じている人、通念どおりに社会適応するために背伸びを余儀なくされる人、なかには力尽きてしまう人もいるのではないだろうか。
 
インターネットにしてもそうだ。インターネットがまだ少数の研究者と先駆者だけのもので、皆が自分でプログラミングしていた頃、そこを自由な表現の場、自由な思想とディスカッションの場、日常生活から距離を置ける防空壕のような場とみなしていた人は多かったように思う。ところが誰もが当たり前のようにインターネットに接続するようになると、そこはビジネスと政治の草刈り場となった。巨大情報企業やプラットフォーマーによって個人の認識や行動が蒐集され、誘導(ナッジ)され[20]、情報弱者がインフルエンサーによって簡単に食い物にされるのが、2020年のインターネットの現実だ。
 
これほど不自由な今日のインターネットのなかで、しっかりと自分の頭で考え、物事を認識し、自由に行動を選択できていると言える人がいったいどれぐらいいるだろうか?
 
東京のような、あらゆるものが標識や表記に覆われている街で暮らすのも、それとあまり違わない。標識や表記のなすがままに歩き、ショーウインドーのディスプレイや広告に気を惹かれ、インスタ映えする場所で立ち止まり、タピオカミルクティーが流行ればタピオカミルクティーに群がる私たちは、多忙で移り気な現代社会を案外楽しんでいる。だが、こうした日々のなかで、私たちの認識や行動は、どの程度まで自由だと言えて、どの程度まで不自由だと言わざるを得ないものなのか?
 
私たちはどこまでも清潔で健康で道徳的な社会に生きていて、昭和以前の人々よりもずっと自由でハイクオリティな暮らしを営んでいるはずである。
 
だが、そのハイクオリティな暮らしが進歩的なものから一般的なものになり、守って当然の道徳として私たちに内面化されていくなかで、まさにそうした進歩自身が私たちの認識や行動を束縛しはじめているとしたら。と同時に、ハイクオリティな暮らしを支えるための街やインターネットのインフラが、私たちの認識や行動を操作するようになり、気づかぬうちに管理し始めているとしたら。
 
こうした、進歩のもうひとつの顔は20世紀以前からあったことではある。だが、従来と大きく違っているのは、通念や習慣がこれほど社会のなかに徹底していたことなど無かったし、法制度がこれほど守られるようになったことも無かったし、私たちの認識や行動に影響を与える街やインターネットのインフラがこれほど強力になったことも無かった点である。
 
どんな進歩も、どれほど良いことも、あまりにも当たり前のこととして徹底されれば、人々に葛藤をもたらし、ともすれば閉塞感を与えるものではないだろうか──この美しい国と一億総活躍社会をそのような目で振り返った時、私は、この秩序ならではの生きづらさや、私たち自身が気づかぬうちに背負わされている課題に思いを馳せずにいられない。
 
そしてこれらの新しい生きづらさや課題を作り出している現代社会のメカニズムがどのようなものか、確かめておきたくなるのである。
 
 



 
『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第一章は以上です。第二章「精神医療とマネジメントを望む社会」から先は拙著をご覧ください。
 
<おことわり>
・これは、版元さんから承諾をいただいて当ブログにアップロードしたものです。
・出版直前のプロトタイプ原稿です。
・行送りや漢数字など、ブログ用に整形してある部分があります。
・オレンジ色の注釈は、ブログ版では略してあります。
 
 

熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第一章(上)を公開します

 
 

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

  • 作者:熊代 亨
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 
6月17日発売予定の『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』の第一章を公開する許可をいただいたので、公開します。
 
第一章では、現代社会に対して私がどういった問題意識を持っているのか、紹介しています。それらを踏まえたうえで、第二章から先は (2)メンタルヘルス・(3)健康・(4)子育て・(5)清潔・(6)コミュニケーションと空間設計 について詳説していきますが、(2)~(6)は興味のある章から読んでいただいても大丈夫だと思います。第七章は、最後にお読みいただく前提で書かれています。
 
ひとつのブログ記事には長すぎるので、第一章を(上)と(下)の2回にわけてアップロードします。
 
 



 
 

第一章:快適な社会の新たな不自由

 
 
【美しい国と美しい都市】
 
 
ときの首相は、日本のことを「美しい国」と呼んでいる。
 
実際、日本は美しい国である。というより美しいまでに街に秩序が行き届いている。ゴミのポイ捨て、歩きたばこ、物乞いといった、美観や道徳のさわりになるものを目にすることが本当に少ない。
 
なかでも東京は、巨大な、にもかかわらず美しい街である。とてつもない数の人々が猛烈に活動している街だというのに、現在の東京は美しい街並みを保っている。数十年前の東京は、光化学スモッグが垂れ込め、水道からはドブのような匂いがする街だったが、現在の東京は緑にあふれ、ゴミや吐しゃ物やネズミが目に付くことも少なくなった。不快なものが絶無になったわけではないにせよ、ほとんどのエリアで奇跡のような清潔さが保たれている。
 
先進国の諸都市と比較しても、東京の秩序は抜きんでている。2019年に英雑誌『Economist』で発表された世界の安全な都市ランキングでは、東京が1位、シンガポールが2位、大阪が3位にランクインしていて、欧米の大都市を圧倒している[1]
 
だが、本当の驚きは、東京の人口スケールや人口密度を考えに入れたうえでランキングを見直した時にあらわれる。
 
近郊地域も含めた、いわゆる東京都市圏の人口は世界一を誇っている。人口密度も先進国としてはトップクラスだ。東京と同じぐらい安全な街は、欧米にもあるだろう。だが、これほどの人口を抱え、それでいて同じぐらい安全で、同じぐらい秩序だった街は世界のどこにも存在しない。
 
街を歩き比べてもそれが実感できる。パリやローマの住民に比べると、東京の人々、とりわけ住宅街の人々は赤信号を律儀に守る。電車は時刻表どおりに、停車位置をぴったりと守ってやって来るし、乱暴な自動車運転も滅多に見かけない。渋谷駅前のスクランブル交差点の風景は、都民には当たり前のものかもしれないが、3000人近い人々が整然とすれ違うさまは外国人には驚くに値するもので、ちょっとした観光スポットとなっている[2]
 
暴走族や盗みに遭遇することも少なくなった[3]。平成11年には5798人を数えたホームレスの数も、平成29年には695人まで減少している[4]。酔っ払いの喧嘩や行列への割り込みも、今では滅多に見かけない。
 
人口規模や人口密度まで考慮するなら、現在の東京がこれほど快適で安全、清潔、道徳的であること、つまり秩序が行きわたっていることに、私たちはもっと驚いて良いはずである。
 
こうした驚きは、日本という国全体についても当てはまる。というのも、こうした安全、清潔、道徳的な秩序は、そのほかの大都市圏と地方都市、ほとんどの郊外にも当てはまることだからだ。
 
だが、こうした美しさや秩序をさかさまに考えるなら、東京という街では守らなければならない道徳上の決まりごと、秩序を守るための約束事が多い、とも言えるのではないだろうか。
 
歩行者通路に右側通行と標識されていたら、右側通行をきちんと守り、赤信号も横断歩道も標識どおりに遵守する東京の人々。朝夕のラッシュの時間、騒然とした満員電車に揉まれてはいても、「次の電車をお待ちください」というアナウンスには忠実な東京の人々。
 
東京は巨大な人口を擁しているだけでなく、世界的な乗降客数を誇るターミナル駅をいくつも抱え、朝夕のラッシュアワーは猛烈に混雑する。それでも人の流れが混乱せず、交通秩序が保たれているのは、人の流れをさばきやすい動線が街にデザインされているだけでなく、東京に住む人々の行儀の良さ、標識や信号をきちんと守る割合の高さのおかげでもある。
 
裏を返せば、その東京の交通秩序からはみ出して生きるのは簡単ではない、とも言える。ラッシュアワーの人の流れに逆らって動くのが難しい、という物理的な困難さはもちろん、社会的・心理的な困難さもある。
 
つまり、誰もが行儀良く移動し、秩序に従う人が圧倒的多数を占め、そうしたことが当たり前になっている東京という空間のなかでは、その当たり前からはみ出して生きるのは目立つことで、気持ちのうえでも簡単ではなく、そもそも、当たり前の外側を意識することすら難しいのではないだろうか。
 
清潔さや美しさについても同じことが言える。東京に住む人々は皆、清潔な恰好をしているし、行儀の良い、道徳的な振る舞いを身に付けている。閑静な住宅地やタワーマンションにおいては、とりわけそうだと言える。
 
閑静な住宅地やタワーマンションに住むなら清潔な恰好をしていなければならないし、行儀の良い、道徳的な振る舞いを身に付けていなければならない、ということでもある。ゴミひとつない美しい街は、美しくない者を浮かび上がらせる。臭いの少ない街・騒音の少ない街は、臭いのする者・騒がしい者を目立たせる。のみならず、そうしたはみ出し者にばつの悪い気持ちを抱かせもする。
 
こうした東京の秩序や美しさは、そこに適応しきっている人には何のデメリットもないどころか、住み心地の快適さを提供するだけのものだ。東京の秩序や美しさによく適応している人には、こうした秩序や美しさが人を不自由にしたり窮屈にしたりするなど、思いもよらぬことであろう。
 
だが世の中には、なかば無理をして、背伸びをするように行儀良くしている人もいるのではないだろうか。清潔でさっぱりとした身なりを整え、静かに振る舞うこと、行儀良く振る舞うことが苦手であるのを、不承不承、一生懸命にカバーしている人もいるのではないだろうか。
 
あるいは普段は東京の秩序や美しさに溶け込んではいるけれども、経済的余裕や心理的余裕が無くなったとたん、清潔な恰好や道徳的な振る舞いができなくなってしまい、街の景色にそぐわなくなってしまう人もいるかもしれない。
 
東京ほど顕著ではないが、日本社会の大半もそのような秩序や美しさから成り立っていて、それぞれの街、それぞれの郊外にふさわしい行儀良さや道徳的な振る舞いをほとんどの人が身に付けている。
 
なるほど、まさに美しい国。この美しさが景観と秩序を守っているのだろう。だがこの美しさは社会的圧力を帯びていて、そこの住まう私たちを美しさの鋳型へ、行儀良さの鋳型へと押し込んでいるのではないだろうか。そこからはみ出せばはみ出すほど街の景観から浮かび上がり、罪悪感や劣等感を抱かずにいられなくなるのではないだろうか。
 
 
【どこまでも行儀の良い子どもたちと少子化】
 
 
そんな東京の街中で出会ういまどきの子どもたちは、やはりというか、皆とても行儀が良い。いや、地方郊外のショッピングモールで出会う子どもたちも、私自身の子どもにしても、昭和時代の子どもに比べれば驚くほど行儀が良く、聞き分けも良い。
 
いまどきの子どもは交通規則を守り、バスや電車では高齢者に席を譲る。小学校低学年のうちから、まるで模範児童のように「ありがとうございます」とも口にする。子ども同士で取っ組み合いの喧嘩をすることも減ったし、立ち入り禁止の場所で危険な遊びをする子どもも少なくなった。昭和時代の道徳番組『みんななかよし』の登場人物たちと同じかそれ以上に、いまどきの子どもは行儀良く振る舞っているようにみえる。
 
そういえば、昭和時代の百貨店では迷子の子どものアナウンスがよく流れていたが、いまどきのショッピングモールではあまり耳にしなくなった。週末のスーパーマーケットでお菓子をねだって泣く子どもも、なかなか目にしなくなった。子どもならではの無秩序さ、無軌道さを見かけなくなったことも、この美しい国を成立させる無視できない要素と言えるだろう。
 
こうした私の肌感覚を裏付けるように、統計上、未成年者の逮捕・補導数[5]や犯罪被害に遭った子どもの数[6]は大幅に減少している。少子化によって件数が減っているだけではなく、子ども1000人あたりの検挙数や少年被害数も減少しているのだ。マスメディアが未成年の犯罪と犯罪被害をセンセーショナルに報じるのとは裏腹に、令和時代の子どもは、かつてないほど秩序からはみ出さずに暮らしている。
 
 


 
 
平成時代の後半につくられた真新しいニュータウンと、その周辺の公園で見かけるのは、身なりの良い恰好をした子どもが行儀良く遊ぶ姿である。昭和時代に私たちがやっていたような、あるいは『あばれはっちゃく』などの昭和のテレビドラマで描かれていたような、危険な場所で危険な遊びにふける子どもは見かけない。
 
子どもの犯罪と犯罪被害が減り、行儀が良くなったことは、少なくとも表向き、喜ばしいことのようにみえる。
 
だが、昭和時代に「やんちゃに」「わんぱくに」育った私の目には、子どもたちが大人の取り決めた秩序からはみ出さずに行動しているさまが異様なことのようにみえる。そして子どものはみ出しに対する現代の大人たちの目線が厳しすぎるようにも思える。
 
子どもとは、もっと大人の思いどおりにならない存在で、大人の通念や習慣からはみ出して動きまわる存在で、ときにはあっさり死んでしまうこともある存在ではなかったか。また、思春期を迎えれば、もっと大人や秩序に反抗し、もっと寄り道をしながら成長していくものではなかったか。
 
今、子どもの世界でクローズアップされているのは子どものはみ出しや反抗ではない。親からの虐待の問題であったり、子ども同士のいじめの問題であったり、子ども自身の心理発達に関する問題(発達障害など)であったりする。これらは昭和時代には社会の側からなかなか観測できない問題だったが、今日の秩序のなかでは浮き彫りになりやすく、医療や福祉のメスが入ることで明るみになったものだ。
 
現代の基準で考えるなら、昭和時代の人々は虐待やいじめを十分に認識していなかったし、発達障害についてはほとんど何も知らなかった。教育や福祉や医療の専門家がそれらを認識している場合でさえ、今日ほど敏感ではなかったはずである──具体的には、虐待はワイドショーのトピックスになるぐらい過激なものが虐待とみなされ、いじめは金銭を巻き上げられたり傷害事件に発展したりした事例がいじめとみなされ、発達障害は重症度の高い自閉症や知的障害だけがサポートの対象とみなされていた。いじめの定義の変遷[7]や児童虐待防止法の法改正[8]などをみるにつけても、過去と現在で、それらの定義に変化があることがみてとれる。
 
では、定義が変わった2020年の日本ではどうなったのか。
 
虐待の通知件数は空恐ろしい勢いで増大している。いじめにしても同様だ。子どもの心理発達についても、自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder:ASD)、注意欠如多動症(Attention Deficit Hyperactivity Disorder:ADHD)、限局性学習症(Specific Learning Disorder:SLD)などがスペクトラムという新しい装いとともに知られるようになり、医療の専門家はもちろん、教師や親にも知られるようになった。精神科で発達障害と診断される患者は大幅に増え、発達障害を背景として通級指導を受けている子どもも大幅に増えた[9]
 
街が安全で清潔で快適になっていくのと並行して、また、街で見かける子どもが秩序に適合していくにつれて、そのような子どもを育てるプロセスに医療や福祉のメスが入れられるようになり、と同時に、子どもの心理発達にまつわる諸問題が多くピックアップされるようになり、医療や福祉によるサポートの対象とみなされるようになったのである。
 
この、秩序のいきわたった街で暮らす子どもは、そのような街にふさわしい、秩序からはみ出さない子どもでなければならない。もちろん、秩序からはみ出さない子どもとは、秩序からはみ出さない大人の原材料でもある。ところがすべての子どもが2020年の日本の秩序に無条件でついていけるわけではなく、たとえば発達障害と診断されるような子どもは医療・福祉によるサポートを受けなければ、学校への適応、ひいては職場への適応が危ぶまれることになる。
 
そして虐待の通知件数が物語っているように、美しい街にふさわしい子育てを親は実践しなければならない。虐待やネグレクトが昭和時代よりも敏感に察知されるようになり、それらが良くないと誰もが認識するようになり、福祉によるサポートがなされるようになったのは進歩に違いなかった。そのぶん、親の資質が厳しく問われるようになった、とも言える。2020年の親たちは、昭和時代の親よりも厳しい世間からの検閲を受け、と同時に、自分自身に内面化された良心や道徳心による検閲をも受けなければならない。
 
教育費が高騰し、東京を中心として待機児童問題が起こっている[10]のを見るにつけても、令和時代の子育ては大変そうにみえる。そうしたわかりやすい大変さに加えて、実は、美しい街とそこに住まう私たちは、ほとんど無意識のうちに親子に高いハードルを課していて、そのハードルの高さが公共の道徳にかなっていると考えている。公共交通機関のなかで泣く子をあやす母親の申し訳なさそうな素振りや、保育園や児童保護施設の建設に反対する住民の声[11]のうちに、安全で快適な街と、そこで常識や通念になっている私たちの道徳のありかたを考えるヒントがないものだろうか。
 
子どもも親も、この秩序にふさわしい振る舞いを期待され、そこからはみ出すような子どもや親は、医療や福祉、ときには司法をとおして軌道修正されなければならなくなっている。
 
 
【コミュニケーション能力の低い人は求められない国】
 
 
子どもですらこうなのだから、社会人は推して知るべしである。
 
海外渡航するたびに実感させられるが、日本のサービス業のクオリティはほかの先進国よりもずっと高い。もちろん海外でも、高級レストランや高級ホテルに行けば、高度に訓練された従業員のサービスを受けることはできる。だが、コンビニやスーパーのレジ打ち、居酒屋や安ホテルの従業員が提供するサービスを比較すると、日本の水準は際立っている。特別に高い給料をもらっているわけでもないにもかかわらず、日本の庶民向けサービスの従業員はテキパキと効率的に働き、笑顔を絶やさずサービスしている。
 
製造業、運輸業、建設業の従業員にしてもそうだ。きちんと働き、礼儀正しく、盗みや怠勤とも無縁な人々。公務員や銀行員も、権威や立場をかさに威張り散らすようなことはない。医療の世界も例外ではなく、昔は型破りなドクターや威張り散らすドクターがいたものだが、最近の若いドクターは粒ぞろいで、コミュニケーション能力が軒並み高い。
 
日本は、OECDに加盟している先進国のなかでは生産性に劣る国なのだという[12]。実際、一人当たりGDPが日本より高い国はいくらでもある。しかし、これほど粒ぞろいで、これほど愛想良く、これほどコミュニケーション能力のある人々を揃え、ハイクオリティな庶民向けサービスが当たり前になっている国が、他にどれぐらいあるだろうか。
 
匿名掲示板やツイッターにふきだまる恨み節や、精神科で耳にする悩みを聞くにつけても、本当は、テキパキとは働けない人や不愛想な人、コミュニケーション能力が足りない人がいなくなったわけではない。少なくとも私は、そういった不揃いな人々が実在していることを知っている。
 
にもかかわらず、そのような人達が気持ち良く働けるポジションは社会のなかにそれほど多く見当たらない。テキパキしていないほど、不愛想であるほど、コミュニケーション能力が足りないほど、不揃いなほど、活躍の場は制限され、私たちの日常から目につきにくい場所へと追いやられていく。
 
粒ぞろいでコミュニケーション能力が高く、テキパキと働く人々からなる職場──おそらくそのような職場はいわゆるホワイトな職場で、ストレスにも気を遣っている職場でもあろう──に勤めている人々は、このような社会のありかたにあまり疑問を感じないだろうし、自分たちにとって働きやすく、ハイクオリティなサービスの享受しやすい現状をともあれ肯定するだろう。
 
だが、不揃いでコミュニケーション能力が高いとは言えない人々にとって、この社会は働きやすいとは言い難い。そのような人々でも、そこそこの金銭を支払えばハイクオリティなサービスは受けられるから、社会の恩恵を受けていないとは言えない。しかし、まさにその金銭を手に入れるために気持ち良く働けるポジションを社会のなかに見つけようとした時、彼らはどこにどれだけ見つけられるだろうか。
 
昭和時代の日本では、今日ではテキパキと働く人によって占められている仕事の少なくない割合が、もっと不揃いで、もっとコミュニケーション能力の低い人に占められていたと私は記憶している。レストランの従業員、駅員、公務員、そういった職業の人々と彼らが提供するサービスのクオリティには、他の国と同じようなむらがあり、もっと非効率に職場が回っていた。
 
「テキパキとしていない、コミュニケーション能力の低い人でも働けるポジションの広さ」という視点で考えるなら、昭和時代の日本や他の国のほうが、まだしも優しい社会だったと言えるのではないだろうか。
 
大学生の就職活動という、まさに学生が社会人の仲間入りをしていく場面でも、粒ぞろいなクオリティが問われている。というのも、就職活動では誰もが同じリクルートスーツに身を包み、誰もが同じようなエントリーシートを書き、テンプレートどおりの振る舞いを期待されているからだ。実際、経団連による新卒採用のアンケートを確かめてもそれが窺える[13]──働く大人たちから期待され、選考の対象となっているのは、第一に「コミュニケーション能力」であり、「主体性があって」「チャレンジ精神に富み」「協調性があって」「誠実な」新卒者であることを、いまどきの大学生たちは前もって知らされるし、AO入試組は大学入試の段階からそれらを試されている。
 
就職活動やAO入試といった選抜プロセスは、コミュニケーション能力があってハイクオリティで粒ぞろいな人間であることを事実上、これから社会人になる学生に対して強いている。口では多様性を褒め称えてやまないこの社会は、実利の絡む就職という場面では、一律な規格で若者を選別しているのである。
 
こうしたプロセスをとおした学生の選別、そして矯正のプレッシャーは、現代では当たり前のこととみなされているが、たとえば私が記憶している限り、一九八〇~九〇年代の就職活動の風景はここまで画一的ではなかったし、サービスを提供する側もサービスを享受する側も、これほどのクオリティを求めてはいなかったはずである。海外諸都市の風景と比較すると、日本の社会人の働きぶりはやけにハイクオリティで、粒が揃い過ぎている。これもまた、この美しい国ならではの過剰さではないかと私にはうつる。
 
かつて、衆議院議員の山口壮氏が「美しい国」を逆さまに読めば「憎いし苦痛」だと皮肉ったことがある[14]が、実際問題、こうしたハイクオリティで粒ぞろいな要求をクリアできない人々にとって、この「美しい国」は「憎いし苦痛」と言わずにいられないものであろう。まさにそのような恨み節が匿名掲示板やツイッターの裏路地にはふきだまり、精神科というフィールドでも、そうした社会への適応に苦労している人々の声を聞くのである。
 
 
【労働者に期待される能力のハイクオリティ化】
 
 
社会の最前線で働く人々のクオリティが高まれば、高まったクオリティについていけなくなる者が出てくるのは必然である。
 
経団連のアンケートからは社会人に期待される高い要求水準が窺われるが、私にはそれが「美しい国にふさわしいのは優れた人間だけである」と言わんばかりの要求にみえる。
 
一方、ときの首相は「一億総活躍社会」を唱え、どんな人でも活躍できる、いや、活躍しなければならない社会をも提唱している。
 
では、社会から期待される要求に満たない人々は、どこでどうやって活躍すれば良いのか。
 
たとえば工場勤務なら、いわば裏方業務だから大丈夫と考える人がいるかもしれない。携帯ショップや市役所の窓口業務に比べれば、より少ないコミュニケーション能力で務まるのは事実だろう。
 
だが工場勤務ならコミュニケーション能力が全く問われないわけでもない。同じ職場で勤め続けるために、上司や同僚や部下とのコミュニケーションに応じなければならない場面もある。いまどきは雇用の流動性が高まっているため、勤め先が変わる可能性も高い。勤め先を変えるにも、新しい勤め先に適応するにも、しばしばコミュニケーション能力が問われる。コミュニケーションを円滑に進められなければ、工場勤務者といえどもトラブルに見舞われたり不遇をかこつことになりかねない。
 
かりにコミュニケーション能力が問われないとしても、淀みなく働く能力、ひとつの部署で業務に集中し続ける能力、複雑な操作や精密な作業をやってのける能力などは多くの職種で求められるところだ。休み休みしか働けない、業務に集中できない、複雑な操作や精密な作業をやってのけられないとなると、職域はますます狭くなり、ますます活躍できなくなってしまう。
 
実のところ、コミュニケーション能力や淀みなく働く能力といったものは、私生活でも問われるものではある。が、私生活については後に触れることにして、ここではサービス業以外の職域でも、働く者に期待される能力のハイクオリティ化が進んでいることを確認しておく。
 
本人の才能や適性によって選択の余地はあるにせよ、前世紀に比べて高いクオリティが就労者に求められているのはどこも同じだ。社員に生産性の高さを期待すると同時に、むやみに残業させるわけにもいかなくなった時流のなかでは、企業は一定時間内に一定のアウトプットを約束できる人間を、決まった人数だけ雇わなければならない。ホワイトな企業であろうとすればするほど、社員に対して安定したアウトプットを期待せざるを得ない。
 
ハイクオリティ化していく社会についていけない者は、たとえば職場でメンタルヘルスを損なうと、精神医療の場に辿り着いて治療を受ける。治療がうまくいって職場復帰する者、ハローワークを経由して別の職場に辿り着く者も多い。医療と福祉は、働く個人に健康問題が生じた時にその個人を回復させ、仕事への復帰を手助けする役割を担っている。
 
医療と福祉の役割はそれだけに留まらない。いくら復帰を試みても復帰がかなわない人もいれば、より重大な病気によって職域が大きく制限されてしまう人もいる。そのような人々を福祉的就労へと結び付け、活躍できる余地のある場所へと再配置するのも医療や福祉の役割のひとつだ。
 
たとえば障害者雇用や福祉的就労といった制度は、ハイクオリティ化し続ける社会に素のままでは太刀打ちできない事情を持った個人でも活躍できるよう、取り計らってくれる。かつては比較的重い精神疾患の人がこれらの制度の対象となっていたが、最近は、発達障害と診断された人が従事しているケースを見かけるようにもなっている。
 
医療や福祉は、福祉的就労すら困難な人々にも手をさしのべる。しかるべき疾患が診断され、たとえば就労不可能であると判断されるに至った場合には、障害年金制度の対象となる。
 
だから「美しい国」で働く人々をサポートし、「一億総活躍社会」を現実のものにするべく、医療や福祉は大きな貢献をしている。そのことに加えて、人々が障害者への理解を深め、差別や偏見が解消されていくことによって、ますますこの問題は解決に向かっていく。
 
こういった医療や福祉のソリューションが最も効果をあげているケースをひとつ挙げるとしたら、子ども時代のうちに発達障害と診断され、その診断にみあった手当てや教育を受け、その特性にフィットした仕事を見つけ、じゅうぶん配慮された環境で働けるようなケースだろう。こうしたケースは間違いなく当事者の救済になっているし、そこまで満額回答な救済には至らないとしても、医療や福祉の救済はおおむねそのような方向で為されている。
 
だが、このような救済には少なくとも二つの問題点がある。ひとつは、そこで為される救済の方向性は、この、就労者にハイクオリティを求めてやまない社会、誰もが活躍しなければならない社会の基調に回収されてしまうことだ。
 
それが精神障害のようなハンディであれ、あるいはホームレスのような状況であれ、救済は、この社会の基調路線に沿った方向へと為されずにはいられない。つまり、できるだけ経済的に自立した、現代の社会人として望ましい方向へとハンディや状況を変えていくことが、被—救済者には期待されている。実際、医療や福祉の制度にはしばしば「自立支援」という言葉がついてまわるが、裏を返せば、医療や福祉の制度が被—救済者に期待する方向性とは、経済的に自立した個人、それも現代の秩序に妥当するような個人なのであって、そうでない方向性ではない。
 
医療や福祉は確かに人を救う。診断・治療・サポートといった次元では、個人の多様性に寄り添うよう、最善が尽くされていると言っても良いと思う。その一方で、被—救済者が向かうべき方向を、それこそ「自立支援」という言葉に暗に示されるような方向性へと均一化し、正規雇用—障害者雇用—福祉的就労—障害年金からなる「一億総活躍社会」という社会のアドレスのどこかへと再配置する役割を(自覚的にか、それとも無自覚のうちにか)引き受けている。
 



 
『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第一章(上)はここまでです。<下>に続きます
 
<おことわり>
・これは、版元さんから承諾をいただいて当ブログにアップロードしたものです。
・出版直前のプロトタイプ原稿です。
・行送りや漢数字など、ブログ用に整形してある部分があります。
・オレンジ色の注釈は、ブログ版では略してあります。
 
 

男性役割、いや、競争社会や上昇志向から「降りる」ことの難しさ

 
https://anond.hatelabo.jp/20200507171805
 
「男性の役割から降りても救いはない」という匿名ダイアリーの記事を読み、早口で喋りたい気持ちになったので書いてみる。
 
筆者は男性役割から降りた・障害者となった、と記しているが、この「男性役割」という言葉を「競争社会」や「資本主義的上昇志向」に入れ替えてもほとんど文意は損なわれないか、むしろそのほうが似合っているようにも思える。
 
というのも、いまどきは男性だけでなく女性も、他人に選ばれるため・良い収入を得るため・より良いポジションを得るために公私を問わない競争のただなかにあるからだ。直接お金に換算できないものも含め、バリューを求めて人々は競争し、その競争を生き抜くよう訓練される。幼稚園や稽古事に通う幼少期も、学力やモテをめぐって競争する思春期も、社会に出た後も、だいたいそうだ。
 
女性には「競争社会」や「資本主義的上昇志向」から降りる道筋があるよう、筆者にはみえているのかもしれない。が、私にはそう思えない。男性と同じように競争しなければならない部分に加え、女性独自の競争もあり、あれはあれで大変そうだ。
 
ともあれ、筆者は競争原理を勝ち上がれなかった心中と、現在の境遇を語る。収入という点でも社会的なポジションという点でも、自己肯定できない様子がうかがえる。察するに、医療や福祉からサポートを受けていても競争社会のドグマから自由になったわけではなく、それが心にまだまだ張り付いているようにみえる。
 
 
 *          *          *
 
 
この匿名ダイアリーを発見したのとちょうど同じタイミングで、books&appsに私の記事がアップロードされた。
 
最近の新人は「好青年」と「才媛」ばかり。けれど素直に喜べない私。 | Books&Apps
 
こちらの記事は正反対に、競争社会から降りていない人々、資本主義的上昇志向に乗り続けている人々のことを書いている。
 
いまどきの新社会人は、研修医でも他業種の新人でもキラキラしていて、ハキハキしていて、要領が良い。彼らを迎える先輩や上司にとって嬉しいことだろうし、顧客もそういった新人を求めているだろう。一見、とても素晴らしいことのようにみえる。
 
だが裏を返せば、社会人一年生はキラキラできて、ハキハキできて、要領が良くなければならないということでもある。
 

 就職活動やAO入試といった選抜プロセスは、コミュニケーション能力があってハイクオリティで粒ぞろいな人間であることを事実上、これから社会人になる学生に対して強いている。口では多様性を褒め称えてやまないこの社会は、実利の絡む就職という場面では、一律な規格で若者を選別しているのである。
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

 
現代社会は多様性を尊重しているという。趣味やライフスタイルなどについてはそのとおりかもしれない。他方、人間に期待される振る舞いや社会人に期待される能力といった分野では、むしろ一律なクオリティをクリアするよう求めてやまない。要求されるクオリティの振る舞いや能力をこなせなければ、競争社会や資本主義的上昇志向についていけなくなり、社会への適応が難しくなる。
 
ついていけなくなった者に対し、医療や福祉によってサポートが提供されることもある。サポートはたいてい有用だが、冒頭の匿名ダイアリーの筆者のように、競争社会や資本主義的上昇志向が心に内面化されたまま、競争社会の辺縁に再配置され、そこで臍(ほぞ)を噛んでいる人もいる。
 
競争社会と資本主義的上昇志向がますますハードになるとしても、サポートが行き届いていれば社会の側は次のように主張できる──「とはいえ、実際にサポートが行われ、セーフティーネットは用意されている。彼も路頭に迷っているわけではないでしょう?」*1
 
社会の側はこのように主張できるし、それでもって社会はある種の正当性(または、この秩序に対する批判をかわす大義名分)を獲得する。 
 

 現代の医療や福祉は、患者を精神科病院へ長期入院させて不自由を強要したりはしない*2。ひとりひとりの人権を重視し、経済的・社会的に自立した個人として自由に生きられるようサポートしている。そのうえで「大人の発達障害」に象徴されるような幅広いリーチをも獲得したことで、より多くの人々の社会適応をサポートする力を得た。
 ただし、医療や福祉がサポートしている自由な生とは、結局のところ資本主義・個人主義・社会契約が徹底していく現代社会への社会適応を自明視したもので、そうでない社会適応を暗に含んだものではない。サポートされる患者は、社会適応のキャパシティに応じて一般雇用~障害者雇用~福祉的就労~最も重いサポートといった、秩序への適応の度合いにもとづいた同心円のどこかへ再配置され(図)、その同心円のなかにある限り、現代社会への適応を自明のものとした枠組みからはみ出して生きることはできない。 
 

 
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

 
たとえ医療や福祉がサポートしてくれたとしても、ここでいう秩序の同心円──競争社会や資本主義的上昇志向を基調とする秩序のなかにできあがった、社会適応の同心円──から逃れることはできない。その人の社会適応の度合いや障害の度合いによって、個人は社会の中心へ、または辺縁へと再配置される。医療や福祉は、人々をこの同心円のどこかに再配置するが、この秩序の同心円の外側のどこかへと案内してくれることはない。
 
もっと単純に言うなら「医療や福祉は、競争社会や資本主義的上昇志向のオルタナティブではない」といったところか。
 
 
 *          *          *
 
 
ある領域で多様性が認められているのも、医療や福祉がサポートを提供しているのも事実であり、どちらも好ましいことに違いない。だけれど、実際に認められている多様性とは、競争社会や資本主義的上昇志向を受け入れられ、ついていける人々が自由になれるような多様性であって、それらが受け入れられない人々やついていけない人々も自由になれる多様性とは違っているのではないか。
 
その前提をクリアできていない人に対し、医療や福祉、行政が積極的にサポートを提供してくれるとはいえ、提供されるサポートの方向性はおおむね競争社会や資本主義的上昇志向に基づいていて、被-サポート者は秩序への適応の度合いに応じて同心円のアドレスのどこか*3へと再配置されていく……。
 
社会のなかで自明視されている通念やイデオロギーの外側なんて、みだりに出るものではないと人は言うだろうし、私もそう思う。とはいえ、社会がますます私たちに競争や上昇志向を促し、ハイクオリティな振る舞いを要求し、げんにそのように振る舞う新社会人が生産されると同時に、ついていけなかった人々を医療や福祉が請け負うこの構図には、逃げ場やオルタナティブがどこにも見当たらない。障害者雇用や障害年金といった制度の適用となったとしても、それは秩序の同心円のどこかのアドレスに再配置されたということであって、社会のなかで自明視されている通念やイデオロギーから解放されるわけではない。
  
冒頭の匿名ダイアリーの筆者も、私のレトリックでいうなら「秩序の同心円のなかで再配置された」ということになる。そして匿名ダイアリーに心情を吐露せずにいられないことが暗に示しているように、心のなかでは競争社会や資本主義的上昇志向にいまだ囚われている*4のだと想像する。
 
 
 *          *          *
 
 
私には競争社会や上昇志向から「降りる」ことがとても難しいように思えてならない。それらは社会のなかであまりにも当たり前になっていて、多様なライフスタイルの必要条件にもなっていて、私たちの心に内面化され、超自我の一部にすらなっているものだからだ。医療や福祉も、そういった通念やイデオロギーから私たちを解放してくれるのでなく、むしろ秩序の内側へと再配置してやまない。
 
だとしたら、いったいどうやって降りればいいのか。いったいどこにオルタナティブが存在するのか。

私にはまだわからない。だが、現代人ならではの生きづらさについて考える際には、この降りづらい競争社会や逃れがたい資本主義をスルーするのは片手落ちもいいところだろうし、本来、もっと議論があってしかるべきだろう。
 
ここ数年、私はそういうことを考えながら本を書いていた。
答えは出せないかもしれない。
が、問いかけることならできる。
 
 

 
 
 

*1:注:国によっては、路頭に迷わせるに任せている場合もあるので、この国の医療や福祉は立派なものだと思う

*2:注釈32:現代の精神科病院は、患者を「収容」したりはしない。ごく少数の重症かつ難治の患者や、昭和時代の収容的入院の影響で退院が困難になってしまった患者は長期入院しているが、それらはあくまで例外である。できる限り早く患者を退院させ、社会へ戻すよう現場の医療者は努力をしているし、厚労省も診療報酬制度をとおしてそれを支持している。現在の日本の診療報酬制度では、平均在院日数が3カ月以内という、従来よりも早いペースで患者の入退院が進行している精神科病棟[精神科救急入院料病棟、精神科急性期治療病棟]には高い診療報酬が支払われる。病院経営者にとってこの診療報酬は無視しがたいもので、近年は多くの精神科病院が、このような入退院の早い病棟を運営するようになっている。

*3:再配置が行われる時、そのアドレスは中心というより辺縁であることが多い

*4:おそらく男性役割と呼ぶものも含めて