シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

男性役割、いや、競争社会や上昇志向から「降りる」ことの難しさ

 
https://anond.hatelabo.jp/20200507171805
 
「男性の役割から降りても救いはない」という匿名ダイアリーの記事を読み、早口で喋りたい気持ちになったので書いてみる。
 
筆者は男性役割から降りた・障害者となった、と記しているが、この「男性役割」という言葉を「競争社会」や「資本主義的上昇志向」に入れ替えてもほとんど文意は損なわれないか、むしろそのほうが似合っているようにも思える。
 
というのも、いまどきは男性だけでなく女性も、他人に選ばれるため・良い収入を得るため・より良いポジションを得るために公私を問わない競争のただなかにあるからだ。直接お金に換算できないものも含め、バリューを求めて人々は競争し、その競争を生き抜くよう訓練される。幼稚園や稽古事に通う幼少期も、学力やモテをめぐって競争する思春期も、社会に出た後も、だいたいそうだ。
 
女性には「競争社会」や「資本主義的上昇志向」から降りる道筋があるよう、筆者にはみえているのかもしれない。が、私にはそう思えない。男性と同じように競争しなければならない部分に加え、女性独自の競争もあり、あれはあれで大変そうだ。
 
ともあれ、筆者は競争原理を勝ち上がれなかった心中と、現在の境遇を語る。収入という点でも社会的なポジションという点でも、自己肯定できない様子がうかがえる。察するに、医療や福祉からサポートを受けていても競争社会のドグマから自由になったわけではなく、それが心にまだまだ張り付いているようにみえる。
 
 
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この匿名ダイアリーを発見したのとちょうど同じタイミングで、books&appsに私の記事がアップロードされた。
 
最近の新人は「好青年」と「才媛」ばかり。けれど素直に喜べない私。 | Books&Apps
 
こちらの記事は正反対に、競争社会から降りていない人々、資本主義的上昇志向に乗り続けている人々のことを書いている。
 
いまどきの新社会人は、研修医でも他業種の新人でもキラキラしていて、ハキハキしていて、要領が良い。彼らを迎える先輩や上司にとって嬉しいことだろうし、顧客もそういった新人を求めているだろう。一見、とても素晴らしいことのようにみえる。
 
だが裏を返せば、社会人一年生はキラキラできて、ハキハキできて、要領が良くなければならないということでもある。
 

 就職活動やAO入試といった選抜プロセスは、コミュニケーション能力があってハイクオリティで粒ぞろいな人間であることを事実上、これから社会人になる学生に対して強いている。口では多様性を褒め称えてやまないこの社会は、実利の絡む就職という場面では、一律な規格で若者を選別しているのである。
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

 
現代社会は多様性を尊重しているという。趣味やライフスタイルなどについてはそのとおりかもしれない。他方、人間に期待される振る舞いや社会人に期待される能力といった分野では、むしろ一律なクオリティをクリアするよう求めてやまない。要求されるクオリティの振る舞いや能力をこなせなければ、競争社会や資本主義的上昇志向についていけなくなり、社会への適応が難しくなる。
 
ついていけなくなった者に対し、医療や福祉によってサポートが提供されることもある。サポートはたいてい有用だが、冒頭の匿名ダイアリーの筆者のように、競争社会や資本主義的上昇志向が心に内面化されたまま、競争社会の辺縁に再配置され、そこで臍(ほぞ)を噛んでいる人もいる。
 
競争社会と資本主義的上昇志向がますますハードになるとしても、サポートが行き届いていれば社会の側は次のように主張できる──「とはいえ、実際にサポートが行われ、セーフティーネットは用意されている。彼も路頭に迷っているわけではないでしょう?」*1
 
社会の側はこのように主張できるし、それでもって社会はある種の正当性(または、この秩序に対する批判をかわす大義名分)を獲得する。 
 

 現代の医療や福祉は、患者を精神科病院へ長期入院させて不自由を強要したりはしない*2。ひとりひとりの人権を重視し、経済的・社会的に自立した個人として自由に生きられるようサポートしている。そのうえで「大人の発達障害」に象徴されるような幅広いリーチをも獲得したことで、より多くの人々の社会適応をサポートする力を得た。
 ただし、医療や福祉がサポートしている自由な生とは、結局のところ資本主義・個人主義・社会契約が徹底していく現代社会への社会適応を自明視したもので、そうでない社会適応を暗に含んだものではない。サポートされる患者は、社会適応のキャパシティに応じて一般雇用~障害者雇用~福祉的就労~最も重いサポートといった、秩序への適応の度合いにもとづいた同心円のどこかへ再配置され(図)、その同心円のなかにある限り、現代社会への適応を自明のものとした枠組みからはみ出して生きることはできない。 
 

 
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

 
たとえ医療や福祉がサポートしてくれたとしても、ここでいう秩序の同心円──競争社会や資本主義的上昇志向を基調とする秩序のなかにできあがった、社会適応の同心円──から逃れることはできない。その人の社会適応の度合いや障害の度合いによって、個人は社会の中心へ、または辺縁へと再配置される。医療や福祉は、人々をこの同心円のどこかに再配置するが、この秩序の同心円の外側のどこかへと案内してくれることはない。
 
もっと単純に言うなら「医療や福祉は、競争社会や資本主義的上昇志向のオルタナティブではない」といったところか。
 
 
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ある領域で多様性が認められているのも、医療や福祉がサポートを提供しているのも事実であり、どちらも好ましいことに違いない。だけれど、実際に認められている多様性とは、競争社会や資本主義的上昇志向を受け入れられ、ついていける人々が自由になれるような多様性であって、それらが受け入れられない人々やついていけない人々も自由になれる多様性とは違っているのではないか。
 
その前提をクリアできていない人に対し、医療や福祉、行政が積極的にサポートを提供してくれるとはいえ、提供されるサポートの方向性はおおむね競争社会や資本主義的上昇志向に基づいていて、被-サポート者は秩序への適応の度合いに応じて同心円のアドレスのどこか*3へと再配置されていく……。
 
社会のなかで自明視されている通念やイデオロギーの外側なんて、みだりに出るものではないと人は言うだろうし、私もそう思う。とはいえ、社会がますます私たちに競争や上昇志向を促し、ハイクオリティな振る舞いを要求し、げんにそのように振る舞う新社会人が生産されると同時に、ついていけなかった人々を医療や福祉が請け負うこの構図には、逃げ場やオルタナティブがどこにも見当たらない。障害者雇用や障害年金といった制度の適用となったとしても、それは秩序の同心円のどこかのアドレスに再配置されたということであって、社会のなかで自明視されている通念やイデオロギーから解放されるわけではない。
  
冒頭の匿名ダイアリーの筆者も、私のレトリックでいうなら「秩序の同心円のなかで再配置された」ということになる。そして匿名ダイアリーに心情を吐露せずにいられないことが暗に示しているように、心のなかでは競争社会や資本主義的上昇志向にいまだ囚われている*4のだと想像する。
 
 
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私には競争社会や上昇志向から「降りる」ことがとても難しいように思えてならない。それらは社会のなかであまりにも当たり前になっていて、多様なライフスタイルの必要条件にもなっていて、私たちの心に内面化され、超自我の一部にすらなっているものだからだ。医療や福祉も、そういった通念やイデオロギーから私たちを解放してくれるのでなく、むしろ秩序の内側へと再配置してやまない。
 
だとしたら、いったいどうやって降りればいいのか。いったいどこにオルタナティブが存在するのか。

私にはまだわからない。だが、現代人ならではの生きづらさについて考える際には、この降りづらい競争社会や逃れがたい資本主義をスルーするのは片手落ちもいいところだろうし、本来、もっと議論があってしかるべきだろう。
 
ここ数年、私はそういうことを考えながら本を書いていた。
答えは出せないかもしれない。
が、問いかけることならできる。
 
 

 
 
 

*1:注:国によっては、路頭に迷わせるに任せている場合もあるので、この国の医療や福祉は立派なものだと思う

*2:注釈32:現代の精神科病院は、患者を「収容」したりはしない。ごく少数の重症かつ難治の患者や、昭和時代の収容的入院の影響で退院が困難になってしまった患者は長期入院しているが、それらはあくまで例外である。できる限り早く患者を退院させ、社会へ戻すよう現場の医療者は努力をしているし、厚労省も診療報酬制度をとおしてそれを支持している。現在の日本の診療報酬制度では、平均在院日数が3カ月以内という、従来よりも早いペースで患者の入退院が進行している精神科病棟[精神科救急入院料病棟、精神科急性期治療病棟]には高い診療報酬が支払われる。病院経営者にとってこの診療報酬は無視しがたいもので、近年は多くの精神科病院が、このような入退院の早い病棟を運営するようになっている。

*3:再配置が行われる時、そのアドレスは中心というより辺縁であることが多い

*4:おそらく男性役割と呼ぶものも含めて