2023年も残り一か月になろうとしている。
今年、私はとにかく働いて、創作して、2024年を迎えるための諸準備に追われて、気が付けばブログ18周年だった10月も通り過ぎてしまった。赤ん坊が高校を卒業するぐらいの年月にわたってブログを書き続けるぐらいにはブログが好きなんだから、なにか自分の記憶に残る文章をまとめたいと前々から思っていた。が、中年の多忙と疲弊はそれすら許さないのですね。
この、はてなブログ(旧はてなダイアリー)のブログである『シロクマの屑籠』は、私を当初予測よりずっと遠いところにいざなってくれた。20代の終わりにブログを書き始めた時、私はブログが自分の人生をこんなに変えてしまうとは想像していなかった。しばらくして「ブログだけじゃ足りない、本も書いてみたい」と思うようになってからも、じゃあ、ブログも本も書くようになったら何が起こるのか・逆に何が起こらないのかを想像できていなかった。そしてブログという媒体が何にとって代わられるのか、未来のインターネットはどんな風になっていて未来の日本社会でどんな流行り言葉が流行っているのかも想像できずにいた。
5年、10年、15年と歳月が経つにつれていっさいが変わっていった。社会の変わりようについては後編にまとめるとして、全編では私自身についてまとめようと思う。私と私の人生はブログと生活し続けるうちにすっかり変わってしまった。
といっても、たいして変わらなかったこともある。たとえば収入はブログをとおしてたいして変わっていない。本を書くこと、出版社をとおして書籍を出していただくことも、そんなにお金がもうかることではなかった。名誉はどうだろう? わからない。でも私の感覚としては、たとえば大学病院で研究や後進の育成に努めている同業者、研究業績で名をあげている同業者に比べれば、名誉といえるものがブログや書籍づくりをとおして転がり込んできたとは感じていない。臨床活動の重要性に比べた場合も同様だ。ブログを18年書いたからといって、同業者のかたがたと比較して秀でた何かを手に入れたとは思えない。二足の草鞋を履いたことで収入・名誉・貢献といった面で後塵を拝したという印象が残るし、寒い夜にはその印象が骨身にこたえることもある。
けれども18年続けて何も得られなかったわけでもない。
18年前のブログ記事を読むと、一生懸命にたくさんのことを喋ろうとしていたり、たいしたことでもないのにもったいぶった短文で何かを言ってみせたようにふるまっていたり、いろいろ恥ずかしい。それが多少マシになった。美文家のかたがたと比べて、相変わらず地を這うムカデのような文章だとは思うけれども、それでもかなりマシになったとはいえる。なにより、10万字前後の書籍サイズの構成を組み立てたり組みなおしたりするのがずっとマシになった。他人の書いた書籍を見る目が変わったのも大きい。新書、文庫本、学術書、小説などを読む時の読み方が決定的に変わった。その変化こそ、この18年で一番大きな変化だったようにも思う。読むスピードが若干早くなり、特に「資料として書籍を読むモード」なるものがようやく誕生した。関心を持ち過ぎてしまった書籍はけっきょく昔ながらのスローペースになってしまうのだけど、それでも私にとっては大きな進歩だった。
反面、18年の歳月は私を老いさせてしまった。
18年前の私の文章は稚拙でもエネルギーに満ちていて、疲れを知らぬ勢いでブログを書いて書いてかきまくっていた。この点にかけて、私よりたくさんブログを書いていた同時代のブロガーはたぶんあまりいないし、いたとしても現在までブログを書き続けている者は絶無だろう。無知ゆえになんでもかんでも言及して、その言及をとおして世の中のことやオタクのことや人間心理のことを知ったり意見交換したりすることに無類の満足を見出していた。そういうことの相手をしてくれるブロガーが無数にいた時代だったのも良かった。私は思春期の最後の余力をブログに捧げたと言っても間違っていないと思う。
それが今では、月に4~5本ブログ記事と呼べるかどうかも怪しいものを書き、それで手一杯というありさまだ。もちろん水面下ではいろいろな文章を作り続けているし、books&appsさんへの寄稿記事の作成もあるし、ワインブログもあるから実際にはそれなり手は動かしている、とはいえそんなのは言い訳にしかならない。00年代にはキラウエア火山の溶岩流のようにとめどなくわいてきたブログ記事とブログ愛は、今では阿蘇山火口の間欠的な噴火ぐらいのものになってしまった。
若いから書けたこと・たぶん年を取ったことで書きづらくなったこともある。せっかくブログを書いているのだから、間違いをおそれず自分が書きたいことを書きたいように書く、まだ確証がとりきれていない実験的なことを実験的に書いてみる、等々を忘れないようにしているけれども、10年以上前に比べればなんだか抑制的になってしまった。それは後編で書く社会の変化やネットの変化に由来するだけでなく、私自身が臆病になったり怠惰になったりしたせいなのだと思う。かつて、あるブロガーが別のブロガーを怠惰と呼んでいたのを私は見たことがあるが、そのブロガーが怠惰と呼んだそれに現在の私は該当していると思う。もし、ブログを言論のメディアの一端と考え、運用するなら、いまの私はもう少し勤勉になるべきではないか?
けれども、もうそれも無理なのだろうなとも思う。ブログを自由な言論の場所としてもっと尖った運用をしてみたいという思いがないわけではないけれども、それはもうすぐ50歳を迎える身には冒険的に過ぎる。たぶんはてなブログの運営のかたは、ブログを自由な言論の場所として用いることに最大限の配慮をしてくださるとは思っているけれども、とはいえ、あまりご迷惑はかけたくないしかけるべきでもないだろう。それに、言論ってのは尖ればいいってもんじゃないことを、この18年間で私は強く感じた。自由な言論、なかでもラディカルな主張ってやつは、やるのは簡単だがうまくやるのは恐ろしく難しい。同じ内容を主張するでも、もっと穏当な主張を時間をかけて練り上げていくこと、じわじわと草の根的にやってネットの言説空間のなかで言霊としての流通率を高めていくことのほうが安全で、効果としても勝るのではないか、とさえ思えてきた。怠惰は、ここでは巧遅ときちんと鑑別されなければならない。南無八幡大菩薩、どうか私に有効性のある巧遅を。
多くの有望な書き手がブログをやめてしまったり、やめないとしてもたびたびブログの本拠地を変えてしまったりしているなか、それでも私は18年も同じ場所でブログを書き続けることができた。これはすばらしい幸運だったと思う。ちょうど今日、はてなダイアリーをはてなブログに転換する作業にたずさわった方の「父さんまたブログを書こうと思うんだ」という記事を拝見したけれども、この場を借りて、筆者の大西さんには「ブロゴスフィアにおかえりなさい!」という挨拶と「息を吐くようにこれまでブログが書けたのはあなたがたのおかげです、ありがとうございます」という謝意を伝えたい。
未来のことはなにひとつわからない。でも、諸事情が許すなら、私は20年目も25年目もこうして『シロクマの屑籠』を更新し続けたい。自分の考えをいったんまとめたり、他人の目をくぐらせることの可能な備忘録として運用したりできるのはブログの強みで、ブログ以外のいろいろな媒体で試してみてもいまひとつしっくり来ないからだ。それに幾人かの常連さんはこのブログを今でも結構読んでくださっている。ブログがそうした場所であり続ける限り、きっと私はブログでしか書けないことを書く能力を失いはしない。そんな風に思える2023年を迎えることができたのが、ほんとうはブログを18年続けていて一番幸福なことなのかもしれない、と思う。
2005年のp_shirokumaよ、これを見てみるがいい、おまえは18年もブログを書き続けて、相応の代償を支払うと同時に相応以上のものを手に入れた。それでいて、まだ書く気持ちを失っていないのだぞ、おれたちの冒険はここからだよ、な!