シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ずっと横になってたい。しんどい。

 
ここしばらく、帰宅してからは布団のうえでゴロゴロしてほとんど過ごしていた。世間的にはそう見えないかもしれないが、私の主観ではゴロゴロしていた。活動性が恐ろしく低い一週間だったと思う。
 
やる気がないから、大部の原稿を書く力が残っていない。慣れない創作に取り組んでみる意欲もないし、そうしたものを支えるひらめきも浮かんでこない。新しいアニメを観よう/新しくゲームを始めようという気にもなれず、そもそもディスプレイを長く眺めているのがいやになってしまう。いろいろわけあって上野千鶴子の全盛期の著作物を調べたいのだけど、そんな重たい読書の気も進まず、既読書の写経だけやっている。
 
anond.hatelabo.jp
 
これを読んだ時も、写経について書きたかったんだけど、おっくうになってやめてしまった。昔ならそんなことは決してなかったけれども。今、ここでついでに書くと、写経は何も書く気が起きない時にやるのもアリだと思う。自分の好きな本の、好きなところを写経する。すると気持ちが落ち着くし、筆者や訳者のソウルをわけてもらえるような気持ちになれる。でもって、そういうことを年余にわたって繰り返していたら、ほんの少し、書く力が高まるご利益もあるかもしれない。
 
私には明確に気分の波があって、バイタリティも創作意欲もすごく高くていてもたってもいられない時期、猫を殺しそうなほどに好奇心が高まる時期がある。だいたいそれが2か月ほど続くと、そうでもない時期、義務でやらなきゃいけないことだけこなす時期が巡ってくる。この、後者の義務でやらなきゃいけないことだけこなす時期は毎年のことだけど、今年の9月はとみにそれがひどく感じられる。メランコリーだ。
 
 

これは(たぶん)精神疾患ではない、なぜなら社会に適応できているからだ

 
そんなわけで、主観的にはメランコリーだ。頭痛で突っ伏している嫁さんに代わって家事などやっていたが、それも常より重たく感じる。義務に引きずられて義務だけやってる感じだ。
 
とはいえ、私のこれは精神疾患に該当しないのだろうと思う。なぜなら、しんどくても社会に適応できているからだ。
 

 
どういうことかといったら、この雑な模式図に書いたとおりだ。
 
社会や世間は、私たちに一定以上のレベルの活動性や意欲や作業能力を期待していて、これが社会や世間の期待を下回る程度や頻度や長さが著しければうつ病をはじめとする気分障害に相当すると診断されることになる。それと双極症(双極性障害)のように、活動性や意欲が高まりすぎる時期があるのもそれはそれで良くないことになっている。双極症の場合、気分が高まりすぎる時期があるのに加えて、気分が低くなりすぎる時期もあり、どちらもコントロール不能になりがちな点も良くないこととして挙げられる。
 
とにかく、精神疾患として診断されるかどうかに際して社会や世間の期待する気分の水準をどれだけクリアできているかは、いつも重要なポイントになるし、それはいろんな精神疾患の評価尺度などを眺めていてもそうだろうなと思う。うつ病の評価尺度には気分の主観的な部分が並んでいるが、それらは社会や世間が期待する活動性や意欲の基準をみたすにあたって必須らしき項目が多く、また一部は社会や世間の求めるものに応えきれているかいないかに関わるものもある(希死念慮や生活の充実や自分が役に立つ立たないといった項目、等々)。で、うつ病の患者さんでは、これがごっそりと削られ、まさに社会や世間の期待する気分からかけ離れてしまっている。
 
じゃあ今の自分はどうだろうか。
朝が憂鬱で起きるのがしんどかったり、常に比べて動悸が起こりやすかったりするが、まだ活動できている。元気はないが一応生活は回っているし職業的にも来週以降も働くことは可能だろう。試みに、職場でSDSという簡便なうつ病の自己評価尺度をやってみたら、47点と出た。47点ならなんとか正常範囲だ。まさに、このグラフのとおりの状態だったといえる。
 
じゃあ、私などは何に相当するのか。ただの気分にむらっけのある人だろうか。
 
いまどき、どこまで知られているのかはわからないけれども、気分循環症(チクロチミー)というものがあった。いや、今でもICDやDSMにも記載されている。これは双極性障害のII型にすら該当せず、気分変調症(ディスチミア)のようにずっと気分が低空飛行していて実質的に遷延性うつ病と大してかわらない状態なわけでもない、そういう状態を指す病名だ。いや、病名というのはICDやDSMに記載されているから、という意味で昔の医局の昔話のなかでは、チクロチミーは必ずしも精神疾患のド真ん中とはみなされていなかったよう記憶している。
 
してみれば、気分にむらっ気があって、時折テンション高い時期と低い時期がありつつも、社会や世間が期待する活動性や意欲の最低ラインを下回ることがあまりなく、それでいて双極性障害のようにコントロール不能の状態に陥ることもない人は、このチクロチミーに相当する、という理解でもいいのかもしれない。
 
今の私は横になっていたいし、しんどいけれども、15分ほどでこの文章を打てるぐらいには活動性が残っている、来週も週末まで何とか走り抜けきれるだろうか? うん、たぶん。twitterを読むことは激減するが、イヤになったことを連投するぐらいはするかもしれない。そうしたわけで私の気分の波は今回も医療化することなく、誰も知ることなく過ぎ去っていく。いや、私の挙動をよく見ている人と私の担当編集者は「気分が下がっていたんですね」と読み取るやもしれないが。
 
上掲の雑な模式図を眺めながら、思う。
 
もし、真ん中に引いた赤い線が上下したらどうなるだろうか。
社会や世間がもっと高レベルの活動性や意欲を期待するようになったら、私は双極症や気分変調症の仲間入りをするのかもしれない。逆に、社会や世間がもっとダウナーな個人をも許容するようになったら、オレンジ色のライン、比較的軽症のうつ病や気分変調症をはじめ、幾つかの精神疾患は医療の担当外とみなされるようになるのかもしれない。自殺念慮や自殺企図の問題などがあるので、どんなに赤い線が下がっても重症のうつ病などが医療の担当外とみなされることはなかろうし、重症度の高い双極症も同様だろう。とはいえ、どこからが精神疾患でどこからがそうでないかの線引きに際しては、結局社会や世間からどれぐらいの活動性や意欲が期待されているのかが無視できない要素のひとつだと思う。
 
たとえば常にポジティブでなければならず、常にクリエイティブでなければならない文化では、この赤い線はぐっと高まり、より多くの人が医療による助けが必要とみなされるようになるだろう。逆に、色んなことがアバウトで、なあなあで、働きアリの2割が働かないみたいなライフスタイルが残っている文化では、この赤い線がぐっと低くなり、医療による助けが必要とみなされるのは重症度の高い人に限られてくるに違いない。
 
そんなことを考えながらゴロゴロしていると、まあ、こうしてゴロゴロしていることをネガティブにとらえるべきでもあるまいよ、という気持ちになってきた。完全に気分の虜になっている病態の人ならいざ知らず、そうでなく、社会や世間の期待などという曖昧なものに基づいて自分のコンディションを云々することに、しょうもなさとやるせなさを感じる。もちろんそれこそが今は肝心cd、社会や世間の期待に私は応えなければならないのだ、という気分の人もいるかしれないが、それもそれで気分の虜になってしまっている人なので、お大事にすべきだろう。でも、そうでもない限り、横になっていたい時は横になっていていいし、しんどい時はしんどくてもいいのかなとふと思う。
 
で、ここまで書いてふと気づいたのだけど、10日ほど前から、マルチミネラルのサプリメントを切らしていたことに気づいたので、とりあえず買ってくることとする。
 
 
※以下は個人的なつぶやきで、常連のかただけお読みになってもいいのかな、な短文です。
 

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