シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「都合のいい偶然だけ持って来い」

 
偶然は、きらいですか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
 
偶然はきらいですか、というブログタイトルを読んだ時、私は脊髄神経の早さでこう思った──「都合のいい偶然だけ持って来い」
 
あらゆるものを見通す弥勒菩薩の視点でみれば、この世には偶然はなく必然しかない。そういえば『HoLic』の侑子さんもそんなようなことを言っていた気がする。
 
しかし私たち人間は偶然に対して身構えることも、偶然をリスク回避の精神でマネジメントすることもできる。リンク先のいぬじんさんも、そうした偶然の管理に必ずしも否定的ではない。
 

簡単じゃないものを、できるだけ細かく分解して、なんとか制御してみようとする試みを否定する気はまったくない。
それが人類を発展させてきた。
一方で、よくわからないものを、よくわからないものとして扱って、その不確実性や偶然性を受け入れながら生きていくということも、同じくらい役に立つような気がする。
どっちも大事。
そして、どっちも大事でもない。
とにかく、今のぼくにとっては、答えを急いで出そうと焦ることは、あまりいい結果につながらない気がする。
ここで起きる色んな偶然を受け入れながら、かっこわるく、恥ずかしく、不安で、あせっていて、びびっている自分のままで、しばらくやっていけばよい、と思う。

 
メソッドとして「偶然の管理」は存在し、一般論としては現代社会ではそれが必要だ。原子力発電所は1000年に一度の災害に備えなければならないし、河川管理者もゲリラ豪雨に備えなければならない。株式をやっている人だって、突然の暴落などに定めし備えていることだろう。
 
でもリンク先でいぬじんさんがおっしゃっているのはそういうことじゃない。最悪の偶然に備えて何重にも構えよ、といった話とはまた別に、偶然を楽しむ心について述べておられる。確かに、そういう偶然の愛し方はあるのだと思う。後で書くようにそれはいいものだなとも思う。が、簡単ではありませんよね。
 
私はリンク先のいぬじんさんの構え方に比べると、たぶん偶然への耐性が乏しい。耐性が乏しいからリスクマネジメントなるものに文句を言いながら頼ってしまっているし、物書きとして破壊的な人生を突き進む覚悟が欠如しているし、色々カッコつけられずにいる。だせえ。私が大乗仏教を信奉しているのも、突き詰めれば、偶然へのこらえ性がないからかもしれない。偶然を偶然として受け取るのが嫌なものだから、因縁・因果の流れは本当はあるんだよとか、さきに挙げた侑子さんの「偶然は存在しない、あるのは必然だけ」みたいな言葉に魅力を感じたりする。
 

 
要は、人為によって偶然をギリギリまですり減らしたいと執着しているわけだ、私は。
だせえ。
 
それでも偶然を楽しめる瞬間も確かにある。棚から牡丹餅、とはっきりわかる場面だけでなく、もっとくだらない、しょうもない、どうでもいい偶然を楽しめる瞬間。そういうのは大切に拾い上げていきたい。そういうのも人生の風景なのだろう。
 
 

最近、ヘビによく出会うんですよ

 
ところで私は最近ヘビによく出会う。
秋になったからでしょうか。
 
先日は出勤途中、歩いている目の前を大きなアオダイショウが横切って行った。だいたい下の写真くらいの、鳥を飲み込めそうなサイズのやつだ。
 

 
私はヘビが結構好きだ。ちょろちょろと動いて、爬虫類独特のつぶらな目をしている。トカゲの肌がひんやりしてすべすべしていることを思うに、ヘビの手触りもそんな感じなのだろう。まだ暑くなってないアスファルトをゆったりと横切るそいつを見て、私は「どうかお元気で」と声をかけた。
 
ところがそこから数分進んだところで、今度はアオダイショウがおせんべいになっているのを見てしまった。もちろん別のやつで、今度は子どもサイズのものだった。このあたりはアオダイショウがよく出る場所なんだろうか? 人間社会の片隅でアオダイショウをやっていれば、自動車に踏まれておせんべいになってしまうことだってあるだろう。偶然はいとも簡単に生き物を殺してしまう。
 
それから数日後、今度はマムシに出会った。これもあまり大きくないサイズで、職場の近くの花壇からにょきっと顔を出して、何食わぬ顔をして私の前を横切っていったのでじっくり観察できた。アオダイショウに比べて少し頭がまるっとしていて、「毒蛇は頭が三角のかたちをしている」という言い伝えのとおりではないにせよ、頭部の形状が違っている気がした。
 
私はマムシと今までにも縁があって、4歳ぐらいの頃に初めて近所で出会ったヘビがマムシだった。当時はヘビがちょっと怖かったので、模様だけ確認して大急ぎで家に帰り、爬虫類の図鑑をみてそれがマムシだと知って後から怖いなと思った。その後、初めて捕まえたヘビもマムシだった。保育園の近くにいたそれはやっぱり少し小さめのサイズだったので、私は棒切れを使ってそれを紙の箱に入れて、自宅に持って帰って「すぐに捨ててきなさい」と言われてしまった。大人たちは毒蛇だから危険だと言うしそれは本当なのだけど、紙の箱におさまったマムシはペットのようだった。そんな風に思えたのも、運が良かっただけなのかもしれないけれども。
 
そうしたわけで、ヘビを見かけるたび、じっと眺めてしまう。本当は写真も撮っておきたいのだけど、我を忘れて眺めているうち、だいたい逃げられてしまう。
 
地方の国道沿いに住んでいると、猪やらハクビシンやらニホンザルやら、物騒な哺乳類にしばしば遭遇するけれども、それらに比べればヘビなんてかわいいものだ。毒を持っているマムシ、いちおう毒を持っているヤマカガシは一応危険かもしれないが、哺乳類の連中の明確な害獣ぶりに比べればぜんぜんマシである。そして爬虫類特有の、つぶらな目をしてしゅるしゅると移動していく。
 
だから私は、野生の哺乳類に出会う偶然を不吉と感じる一方で、野性の爬虫類に出会う偶然を吉兆と感じる。ニホントカゲやヤモリもいい。ニホントカゲ、特に小さめのやつは実にきれいな色をしている。ヤモリは窓ガラスをよじ登るあの足がかわいらしい。ヤモリは害虫を駆除し自宅に幸運を招くと信じている。そういう迷信には、あやかりたい。
 
偶然の話をしていたのだったっけ?
気が付けば、爬虫類かわいいになってしまっていた。爬虫類に出会う偶然を得るためには、爬虫類の出そうな場所に出かけなければならないし、歩く距離を増やし、乗り物で移動する距離を減らしたほうがいいのだろう。秋はそういう出会いの多そうな季節だ。里山をたくさん歩いて、良い出会いに恵まれたい。哺乳類の害獣連中には合わなくていいです。