シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

今、私が承認欲求と所属欲求について書きたいこと

 
承認欲求と所属欲求については、これまで、たくさんのことが語られてきた。
特に承認欲求については90年代から四半世紀近く、手垢がつくまで語られまくったと言える。
 
それはなぜだろう?
ひとつにはマズローが90年代の段階でよく知られていたからだろう。マズローの心理モデルは学術畑では陳腐化していたが、自己啓発やビジネス書界隈ではまだまだ知られる存在だった。今でも知られている。その先駆けとなったのは自己実現欲求だ。自己実現という語彙をとおしてマズローは広く知られ、次いで承認欲求が知られるようになっていった。
 
マズローで一番有名なのは承認欲求だ、と思ったらたぶんそれは間違い。歴史的にみれば自己実現欲求のほうが広く知られたのだと思う。それが、00年代から特に承認欲求が知られるようになり、インターネットやSNSの普及とともに主流になっていった。昨今、マズローの言葉が引用されるとして、その多くは承認欲求だろう。
 
言葉の流行り廃りの流れに沿って考えると、私たちは 1.自己実現欲求という言葉が流行るような時代を生きた後→ 2.承認欲求という言葉が流行るような時代を生きたことになる。
 
私もそういう時代の流れのなかにあって、00年代は承認欲求という言葉をよく使ってきたように思う。でもしばらくして承認欲求だけではおかしい・所属欲求をもセットで論じなければおかしい、と考えるようになり、それからは承認欲求と所属欲求の双方を視野に入れて語るよう意識するようになった。
 
以後、私は所属欲求についても言及するよう心掛けながら今日に至る。で、それを書籍化するようご依頼を受けてまとめたのが拙著『認められたい』だった。
 

認められたい

認められたい

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長らく、この『認められたい』でマズロー方面は終わりかなと思っていた。ところが2020年代の世の中を眺めるうち、この方面、もう一度語り直したほうがいいんじゃないかと思うようになってきた。もしこれから承認欲求と所属欲求について語るとしたら、それは時代背景を踏まえて強調点や着眼点を変えなければならないと思う。
 
以下は、そのための走り書きのようなものだ。
 
 

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