シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ワインがホームランを打つ、とはどういうことか

 


 
ワインが三振するとは、ホームランを打つとはどういうことだろう。
 
たとえば「ブルゴーニュは三振かホームラン」と言った時、込められたニュアンス、期待、狙いは飲む人によって違いそうではある。「酸っぱかった。よって三振」「苦みがあった。よって三振」「ワイン会で一杯飲んでみた時、並び立つワインたちのなかで目立たなかった。よって三振」みたいな評価をする人だっているかもしれない。それは辛口じゃないかと私などは思う。でも、ワイン愛好家にも色んな人がいるし、それこそ、神の雫的なワインをもってホームランとみなす人だっているかもしれない。
 
それでも、ワイン愛好家が10人いたら9人は「あっ これはホームランですね」って答えるワイン*1はあるように思う。今、ワイン界でものすごい値上がりをみせているワインの作り手たちは、ワイン愛好家の大半がホームランだと答えるようなワインをつくっている……と期待されている。
 
考えてみれば、打率9割、ホームラン率4割のワインの作り手がいるとしたらどうなるか。異常だ。そりゃあ値段が高くなるだろう。お金に糸目をつけないタイプのワイン愛好家は、ワインにホームランを、それも場外ホームランを期待し、まるでソーシャルゲームの廃課金者のようにワインに課金する。そのようなワイン廃課金者にとって、せいぜい最大飛距離70m程度の1500円のワイン、草野球チームのようなワインなんて眼中にないだろう。「そんなワインはうちのチームでバッターボックスに立つ資格なし」と思っている愛好家も多いに違いない。
 
それは、仕方のないことかもしれない。
ワインには世界市場があり、グローバル経済のなかで世界じゅうのワインが売買され、比較されている。そうしたワインたちが、個性や来歴さまざまとはいえ、横並びに比較されるのだから、最大飛距離300mのワインと最大飛距離70mのワインでは需要は決定的に異なる。でもって本当にカッ飛ぶワインは、品種がメルローであれシャルドネであれピノ・ノワールであれ、本当にカッ飛ぶ。その瞬間が忘れられないから、「ホームランよもう一度」とワイン愛好家は鵜の目鷹の目でワインを手に入れようとする。
 
と同時に、ドラフト一位のようなワイン、スター選手のようなワインを大枚はたいて買ってきて蔵に寝かせるのだから、かならずホームラン打てよ、シングルヒットなんかじゃだめだ、とワインにかける期待、いやプレッシャーは無限に高まっていく。
 
「ブルゴーニュは三振かホームラン」とは、ブルゴーニュワインが値上がりしたことにより、ワイン愛好家がブルゴーニュワインに寄せる期待とプレッシャーがいやがうえにも高まっていることの反映、という部分もあるかもしれない。だってそうだろう。10年前は8000円で買えたワインが、コロナ禍の前には16000円に、今では23000円になっているとして、10年前と同じ気持ちでそれを飲めるものだろうか? 
 
エチエンヌ・ソゼ ピュリニーモンラッシェ ラ・ガレンヌ 2018
 
たとえば、おまえのことだよ!
エチエンヌ・ソゼのラ・ガレンヌ!
 
クオリティのわりにはお値段控えめだったこのワインも、急激に値上がりして二万円台だ。3倍弱の値段になったワインに、以前と同じ気持ちで相対するのは非常に難しい。そして3倍弱の値段になったからといって品質が3倍になっているわけではなく、ときには、そのワインボトルがくたばっている可能性だってゼロじゃない。勢い、こういう値上がりしたワインを抜栓する時には神にも祈るような気持ちになる、ああ、神様、どうかこのワインにホームランを打たせてやってください。それが駄目ならせめて三塁打、いえ、二塁打を……。
 
こんな心境じゃ、まともに味なんてわからなくなっちゃいそうだ。
 
現在のブルゴーニュワインは、このように難しい遊び場になってしまったので、特に一級や特級を比べ飲みして、その優劣を論じてみせるのは左団扇で暮らす人でなければ無理だろう。昔は、ブルゴーニュワインに50万も突っ込めば一定の理解も期待できたかもしれないが、いまどき、50万程度ではたかがしれている。
 
さようなら、ブルゴーニュワイン。
世の中には、もう少し手が届きやすくて、奥行きさまざまなワインのジャンルがある。それに「ホームランか、三振か」だなんてワイン人生は精神衛生に悪すぎる。そのうちアメリカドルを飲むような気持ちにもなっちゃうかもしれない。もっとテンション下げてワインと向き合いたい。
 
 

身の丈の範囲で、作り手の三振~ホームランを嗜む

 
そんなわけで、あまり値上がりせず、あまり値の張らないワインの領域で遊ぶっきゃないと思うことがずっと増えた。
 
ワインと向き合う。世界の有名ワインをまたにかけて飲む。それは愛好家の夢だけれど、ひとつの地域、ひとつのワインの作り手の毎年の出来不出来に一喜一憂するのも、それはそれで楽しい。
 
たとえばアルザスはトリンバックの一番安いリースリング。
 
トリンバック リースリング 2020
 
こういう大量生産される白ワインでも、年によって様子はかなり違っていて、「今年はホームランだ」「今年は三振だ」と思ったりできる。この、2020年産の楽天レビューには「旨味より酸味が勝っておいしくない」と記されているし、実際、酸味が勝っておいしくないと私だって思う年があるのだけど、そうやって、年によって風味が違うさまを比べるのは案外楽しい。ワインってナマモノだなとも思う。このあたり、ヴィンテージという概念のあるワインならではの遊びだと思う。
 
高騰著しいブルゴーニュワインでも、一番お手頃な「ブルゴーニュルージュ」「ブルゴーニュブラン」なら、この遊びをなんとか続けられる。近頃のブルゴーニュルージュやブルゴーニュブランは、上位クラスのような特大ホームランは打たないとしても手堅くつくられていて、それでいて、年によって顔貌が変わって面白い。特級や一級がべらぼうに値上がりしている一方で、裾物のブルゴーニュは比較的値上がっておらず、値上がったぶん、ちゃんと旨くなっていると思う。豪華絢爛とはいかないが、とてもよくできたワインたちだ。なにより「ホームランか、三振か」なんて気持ちにならなくて済むのが良い。
 
確か、ワイン評論家のマット・クレイマーは、「高価なワインを飲む時にはさっさとデキャンタに入れてしまうのがいい、高価なラベルが見える状態だと気が気でならないから」みたいなことをどこかで書いていたと記憶している。いや、わかる。逆に言うと、そういう気持ちを起こさないようなワインが本来の自分の財布のサイズに合ったワインであって、たとえば私にとってそれはフェヴレのメルキュレだったり手頃なキアンティクラシコだったりするのだろう。
 
フォンテルートリ キアンティクラシコ 2019
 
そういった自分の身の丈に合ったワインが、あるときは二塁打を打って、あるときはピッチャーゴロを打つような、そんな世界でもワインは楽しく、それがアナログな鑑賞であることを想起させてくれる。そしてワインはライブ鑑賞にも近い。ボトルと一対一で向き合えば独演会になるし、食事と一緒にやればアンサンブルやオーケストラになる。
 
もちろんたまには奮発し、何某のグラン・クリュやら一級やらに相対するのもいいけれども、そういう時に無心にボトルと向き合うためには、財布を肥やすか、心を肥やさなければならない。そしてもし、高価なワインが三振した時にはちゃんと三振だと言えて、かといってシングルヒットを打っても三振と言わないよう、逆にシングルヒットをホームランだと呼ばないよう、修身しなければならない(いや、しなくていいけど私はしたい)。そのための方法は色々あるだろうが、とりあえず普段のワインとの向き合い方に関しては、自分が消耗しないで済む価格帯のワインのうちに気安い銘柄を見つけておいて、その銘柄と一緒に歳月を確かめていくことではないかと思う。
 
なんの話をしていたんだったか?
そうだった、ワインがホームランを打つとはどういうことか、って話だった。
それは、やっぱり難しい問いだ。
極端なことを言えば、意中の異性と一緒にワインを飲み、そのワインがいたく気に入ってもらえたならそのワインはホームランを打ったことにならないか? 
 
ワインのテイスティングとは違う話に着陸してしまった。が、コンテキストも含めてのワインがホームランを打つ、という視点は捨てがたく、一緒に飲む人、購入する際の財布の状態とも無関係ではない。「良いワインを開けるなら、良い人と、良いイベントの時に」というのも、要はそういうことなのだろう。願わくは、自分自身がワインがホームランを打つ状況に開かれていますように。
 

*1:ここでいうワインとは、そのボトル・そのグラスの中身に関しての話だ。どんなに名高い銘柄のワインでも、諸条件整わなければ本領を発揮しないことはままある