シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

なるほど「年を取ると一年が短く感じられる」わけだ

 
ブログは何を書いても構わないものだし、以前に書いたことに近いことを書いたって構わない、はずだ。
今日は気分が下がっているので、下がっているまま書こう。
 
「できる事」をどんどん捨てないと生きていけない - シロクマの屑籠

三年前、私は「できる事」をどんどん捨てないと生きていけない、という文章を書いた。人生経験や勉強のノウハウが積み重なって色々なことができるようになったけれども、体力的にも時間的にもゆとりが無くなったから実際には色々な選択肢をあきらめなければならなくなった、という内容だ。
 
それから三年が経ち、私はもう少し人生経験や勉強のノウハウを獲得した。少なくとも文章の書き手としては獲得するものが多かったと思う。ただ、最近は全力で文章を書いていられる時間が短くなった。アニメやゲームに集中していられる時間もだ。スキルフルにはなっているけれども、そのスキルフルになった自分が全力投球できる時間がこの三年間で1-2割ほど減ってしまった。
 
経験やノウハウはまだ伸びてくれるに違いない。けれども、その伸びた自分自身が集中力を発揮していられる時間、文章や趣味や仕事に精魂込められる時間は、間違いなく減り始めていると感じる。
 
少し話は逸れるけれど、こういう集中力を発揮していられない時間のSNSは良くないと思う。ロクなことを書かないし、しようもないトリビアに囚われている。何かをしているつもりで何もしていない。「SNSなんて暇つぶしだ」という人もいるだろう。そうかもしれない。だけど私の人生につぶして構わない暇、浪費してかまわない体力や集中力はあとどれぐらい残されている?
 
これから10~20年経った自分がどのような状態なのか、想像してみる。
 
現在よりも体力が衰え、集中していられる時間が短くなった未来の私は、事実上、一日、一年が短くなる。未来の私にとっての一日は現在の90%か80%で、一年の活動時間は現在の300日ぶん程度になるだろう。経験やノウハウがまだ伸びるとしても、使い物になる活動時間が短くなってしまえば出来ることは少なくなる。ひいては、達成できることも少なくなってしまうだろう。
 
よく、「年を取ると一年が短く感じられる」という言葉を耳にする。これまで私はこの言葉を「社会人の忙しさのせいで一年が短く感じられる人」や「社会に慣れて身の回りの変化に鈍感になってしまった人」のぼやきだと思っていた。そして私はそうではない、とも思っていた。私にとって平成29年や平成30年は、実際、長い長い一年だったから、一年が短く感じられるという言葉は自分には関係ない、と思っていた。
 
ところが去年から今年にかけて、気力も体力も集中力も底をついて動けなくなってしまう時間が増えてくるにつれ、「ああ、こういう『一年が短く感じられる』もあるのか」と納得ができた。バタンキューな時間が増え、そのぶん活動時間が短くなれば一年も短くなってしまうのだ。疲れて動けない時間、痛みと戦っている時間、病院の待合室で待っている時間、そういった時間はどれも「一年を短く」してしまう。
 
年を取るにつれて、健康に関心を持つ人が増える。その理由のひとつは、疲労や痛みや病院通いによって活動時間を短くなり、一年がどんどん短くなってしまうからなのかもしれない。幸運にも健康な人はこうしたことにあまり悩まないまま60歳や70歳を迎えるものだが、そこまで健康ではない人、自分自身の活動時間を気にしている人は、健康に注意を払いたくもなろう。
 
かくいう私も、いつの間にか健康を意識しながら生活するようになった。それでも活動時間は短くなっている。もう昔みたいに、一気呵成に大量の文章を仕上げるなんてことはできない。
 
 

「あとどれぐらいのことが自分にできるのか」

 
私は今までに約1000本のゲームを遊んできて、非公開もあわせて約6000ほどのブログ記事を書いてきた。出版の機会をいただいた書籍は5冊。自分がやりたいことを、だいたいやってきたつもりだ。
 
でも、これから自分の稼働時間がもっと減ってくることを考えた時、自分が何をすべきなのか、何を今のうちにやっておかなければならないのか、いよいよ選ばなければならない、と思う。
 
たとえば私はあと何冊の書籍を作れるだろう? 作る機会を与えていただけるとして、どれだけの時間と体力と集中力をそこに注ぎ込めるだろう?
 
そうやって考えると、もう私にはそれほど時間も機会も残っていないと想定せずにはいられない。これから先、知識やノウハウは増えてもバイタリティが減っていくにつれて、今できることが出来ないことになっていくだろう。もちろん、年を取ったからこそ出来るようになること、気付けるようになることもあるだろうけれども。
 
だとしたら、40代の頃にできることは40代の頃にきちんと挑戦し、そのうえで従容として年を取っていくのが私にできる精いっぱいではないかと思う。いや、そうやってトライできるという保証すらない。一寸先は闇だ。その闇のなかで少しずつ輝きを失いながらまたたくのが私たちの命だと思う。
 
はあ。こんなことブログに書いてなんになる。
 
生き急ぐようなことをブログに書き、実践しているとまた疲れて、これからぐったりしてしまうだろう。じゃあどうすればいいんだ?!(少しキレ気味) あきらめろ? いやいや、これまでに手に入れた経験やノウハウを生かさないのは、もったいない。来世はミジンコやサボテンかもしれないし、そもそも来世なんて無いかもしれないのだから、この有り難い生を生かさないのはいかにももったいない。
 
「もったいない」。 ああ! それが私の執着ですね。執着は人を前進させるエネルギーであり、苦の源でもある。執着は、私の人生のカラーだ。執着を捨てるなんてとんでもない。まだ死ねない、生きて、なすべきことをなしたい。活動時間のある限り。