シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

人間を繁殖させられない日本動物園、それとフィンランド動物園

 
 
www3.nhk.or.jp
 
 日本、少子化進んでるってよ。
 
 
 ときの首相が、少子化問題を「国難」と評するようになった。実際、国難だろう。だからといって若い男女を強制的につがいにして、強制的に出産なんてさせられない。
 


 
 個人主義や社会契約のロジックにもとづいて考えるなら、挙児・出産という現象は、当事者の主体性にもとづいたものでなければならないはずである。だから「産め」と強制するのでなく「産みたい」という意志によって、あえて意地悪な言い方をするなら産みたくなる動機付けをする必要がある。いまをときめく行動経済学の言葉でいえば「ナッジ」するなら強制ではないのでいいんじゃないだろうか。
 

 行動経済学的手段を用いて、選択の自由を確保しながら、金銭的なインセンティブを用いないで、行動変容を引き起こすことがナッジである。大きなコストをかけないとそのような政策的誘導から簡単には逃れることができないのであれば、その誘導はナッジとは呼べない。
(中略)
 ナッジは、行動経済学的知見を使うことで人々の行動をよりよいものにするように誘導するものである。
 大竹文雄『行動経済学の使い方』

 いやー、選択の自由を確保しながら人々の行動をよりよいものにするナッジって、とても便利で正しいですねー。
 で、何が「よりよいもの」で「より悪いもの」なのか、それを誰が裁定するの? 官邸のひとですか? 経団連のひとですか?
 
 「ナッジ」についてはさておき、私は東京で少子化が進んでいるのをみるたび、動物園のシロクマの繁殖のことを思い出す。
 

 
 動物園でシロクマを繁殖させるのはかなり大変だという。たとえばこちらのブログ記事に記されているように、動物園でシロクマが繁殖に成功するとちょっとしたニュースになる。札幌市円山動物園のレポートからも、人工的な環境でシロクマを繁殖させることの難しさが窺える。
 
ホッキョクグマの繁殖と環境整備に関する発表/札幌市円山動物園
 
 産室環境も含めて、ストレスケアに細心の注意を払いながらシロクマの繁殖を後押ししているさまがうかがわれる。
 
 これはシロクマに限ったことではない。動物を人工的な環境のもとで繁殖させるのはしばしば大変だ。動物園で餌を与えて生かしておくだけなら簡単でも、繁殖させるのは難しい動物がたくさんいる。
 
 さて、振り返って人間はどうだろう。
 
 忘れてしまっている人もいるかもしれないが、人間だって動物である。少なくとも繁殖するのは動物としての人間だ。その人間が、現代社会では繁殖しづらくなってきている。日本で最も人間が繁殖しなくなっているのは東京とその周辺だが、東京とその周辺は、いかにも人工的な環境というか、人工的な環境そのものである。
 
 東京とその周辺には食料があり、水があり、治安も安定している。現代医療なんてものまである。そういった部分だけピックアップすれば、縄文時代よりもずっと人間の繁殖に適した環境であるはずだ。ところが当地に住む人間だちはあまり繁殖しない。かろうじて繁殖する人間がいないわけではないが、合計特殊出生率が示唆しているように、東京とその周辺という人工的な環境では、人間の繁殖が起こりにくいようなのだ。
 
 東京という人工的環境を動物園になぞらえるなら、"東京動物園"は、どうやら人間の繁殖に不向きな、人間を繁殖させる条件の調整に失敗した環境であるらしい。それは日本という国全体にも言えることで、"日本動物園"は、人間の繁殖に適した環境を提供することに失敗している。
 
 繁殖を度外視し、動物を飼い続けるだけなら人工的な環境でも比較的簡単なのと同じように、東京動物園や日本動物園で人間を飼い続けるのはおそらく難しくない。というか人間がバタバタ死んだりしていないわけだから、ただ人間を生かし続けるという点については東京動物園や日本動物園はよくやっていると言える。
 
 しかし、繁殖という視点でみれば、東京動物園も日本動物園も、人間の繁殖に適した環境を準備できていない、ということになる。繁殖適齢期にさしかかった人間が繁殖したくなるような環境が足りないのかもしれないし、ストレスを与え続けているせいかもしれないし、繁殖に適さない文化的土壌ができあがっているせいかもしれない。が、いずれにせよ人間同士がつがいをつくって主体的に繁殖するのに東京動物園や日本動物園が向いていないのは間違いない。
 
 動物園のシロクマと人間の一番大きな違いは、シロクマが人間に一方的に飼育される動物であるのに対し、人間はみずから環境を調整し、みずからを飼育する動物である点だ。神様が東京動物園や日本動物園を運営しているのでなく、人間自身がそれらを運営し、環境を改変し、よりよく生きられるよう選んでいける……はずである。
 
 ところが昨今の状況をみるに、私たちは人間が繁殖しづらい環境を野放しにしているか、うまく環境を調整できなくなっている。動物園としての日本は合格点とは言えない。とりわけ動物園としての東京、人工的な環境としての東京には明らかに問題があるのに、それをどうにかできないみたいなのだ。
 
 かつて、優生学を否定したいきさつが示しているように、人間が繁殖する権利というのは割と尊いもので、繁殖する権利を剥奪するのは人間疎外であったはずだ。しかるに現代の日本や東京では繁殖したくてもできない人がたくさんいて、繁殖したいという主体的な気持ちが沸きづらい環境もあって、それでも人々は黙々と働き、日々の糧を得るのにあくせくしている。
 
 断種のたぐいが強制的に繁殖をさせないのに対し、主体的な気持ちが沸いてこないから繁殖しないのは疎外ではない、それは自由意志による選択の産物だ、という人がいるかもしれない。
 
 なるほど、近代市民社会の市民の主体性というのは、そういう物差しで人間の行動を測るのやもしれない。だが動物に還って考えた時、人間という動物がこれほど繁殖しない・できないのはやはり珍妙なことであり、疎外ではないだろうか。食料も水も安全も高水準で確保されている人工的な環境にも関わらず、これほど人間が繁殖せず、繁殖できないのだから、私はその事実じたいに引っかかりをおぼえる。
 
 
 

フィンランド動物園も失敗しているようですね

 
 さて、そんな折、ちょっと驚くようなニュースが飛び込んできた。
 
 forbesjapan.com
 
 フィンランドの合計特殊出生率がものすごい勢いで低下しているのである。
 フィンランド動物園も、人間の繁殖に失敗しているみたいですね。
 
 北欧諸国は、しばしば社会制度の優等生、見習うべきロールモデルとして語られることが多い。フィンランドもそのような国のひとつだったはずである。そしてフィンランド以外の北欧諸国が一定の合計特殊出生率を保っているとはいえ、その数字は2.1をだいぶ下回っている。ほかの先進国もおおむねそうだし、実のところ、出生率がすごい勢いで下がっている国は途上国にもたくさんある。韓国、台湾、シンガポールあたりの合計特殊出生率は、完全に人間の繁殖に失敗した動物園といわざるを得ない。経済は発展しているかもしれないが、人間が繁殖できる環境とは言い難く、私なら、それは人間が疎外されやすい環境ではないかと言いたくなる。
 
 人間は動物であるだけでなく、経済的主体だったり法的主体だったりするから、動物としての失敗が人間の失敗と言い切ることはできない、と言う人はもちろんいるだろう。
 
 それでも私は、人間は経済的主体や法的主体である前に、まず動物であり、まず有性生殖生物であるとみなしているから、繁殖という、最もプリミティブな営みが困難になっていたり、おざなりになっていたり、過小評価されていたりする社会環境は不適切であろう、と思う。人間が強制的に繁殖させられるのは悪夢としても、主体的に繁殖したくなるような環境を整えるのが、日本動物園だったり東京動物園だったりフィンランド動物園だったりの運営者の使命ではないかと思う。言い換えれば、有権者である私たちの使命ではないだろうか。
 
 繰り返すが、ときの首相は少子化を「国難」と評した。この国難は、日本、ひいては東京という人工的な環境が人間の繁殖に適さないがゆえに起こっているものだ。
 
 何がどう適さないのか十分に精査したうえで、安心して人間が繁殖できる環境を取り戻せるよう、私たちは環境に働きかけていかなければならないのだと思う。それこそ、シロクマの繁殖につとめている動物園の飼育員のように。