シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。現在、忙しいうえブログは実験モードに移行しています。

おれは嫁さんの自作パソコンみたいなもの

 


 
 
 「おれは嫁さんの自作パソコンだ」──結婚する前後に身に付けたソーシャルスキルや世間知に助けられていると感じる時、私はそんな風に思う。
 
 私は2005年末からこのブログを書いているけれども、書いている頃から、嫁さんに社会適応のことをたくさん教わってきた。服装選びやブログの書き方は100%自分流だが、社交辞令や一般的な慣習については嫁さんから教わる部分が大きかった。いわゆる「お勉強」の領域では私のほうが詳しかったけれども、「世間知」の領域では嫁さんのほうがハイテクノロジーだったので、嫁さんの指南をとおして私は世渡りの弱点をたくさん直した。
 
 嫁さんは恋愛市場で高値がつく前の段階の、弱点だらけだった私を見出して育ててくれたと言える。
 
 
 完成品の男性を選んだのでなく、私という、どうみても未完成品の男性を見定め、自分で組み立てていったのだから、私は嫁さんの自作パソコンのようなものだと思う。
 
 パソコンを買う際、ヤマダ電機やヨドバシカメラでクオリティの高い市販品を買おうとすると高くつく。自作のパソコンはそれに比べれば安い。
 
 そのかわり、自作パソコンは自分でパソコンを組み立てなければならないし、自分が求めるとおりの機能や信頼性を持ったパーツを自分で見定めなければならない。そもそも、組み立てる技能と甲斐性がなければパソコンができあがらない。
 
 たぶん、男性(女性)も同じなんだと思う。
 恋愛市場で完成品のパートナーを探し求めるなら、それにふさわしい「定価」を支払わなければならない。「定価」というか、「対価」だ。
 
 しかし、未完成品のパートナーはこの限りではない。少なくとも、未完成品の男性は完成品の男性に比べて「売れない」。私自身の経験と周囲の話を総合すると、どうやら女性の大半は、恋愛市場に出ている男性の現在の完成度しか見ていないようで、未完成品の男性のポテンシャルや発展性を見ている人はそれほど多くないようにみえる。無理もないことかもしれない。だって、パソコンを自作するのに技能や甲斐性が必要なのと同じで、未完成の男性を育てるのはそれなり面倒でテクニカルなことだろうからだ。
 
 うちの嫁さんは、その面倒でテクニカルなことをやってのけた。
 
 恋愛市場で高値がつく前の段階で私を拾い上げて、結婚前も、結婚後も、忍耐強く育ててくれたと思う。嫁さん偉い。そしてありがとう。私が自分で言うのもなんだが、結婚したあたりから私の社会性はかなり向上して、困ったことに、結婚前よりもモテるようになった。結婚してからモテたって何も良いことなんて無いのだが、自分が嫁さんに育ててもらったという実感は沸いた。
  
 「これは、ちゃんとクリエイトすればそこそこモノになる未完成品だ」と見抜いて未完成男性であった私を自作した嫁さんは、未完成品のポテンシャルを見抜く目があったうえに、男性を自作する技能と甲斐性があったのだから、たいしたものだと思う。ときどき辛辣なことを言うことはあるけれども、そのことも含め、ありがたい限りだ。
 
 

未完成品同士が自作しあう結婚

 
 パートナー選びに際して、完成品を求めるのはハードルの高いことだと思う。
 と同時に、自分が完成品でなければパートナーたりえないと考えるのもしんどい。
 
 実際には、未完成の人間が2人寄り添って、お互いを育てて、お互いに育てられて、完成品に近づいていくパートナーシップのほうが現実的ではないかと私は思う。人生には完成とか完璧という言葉は馴染まないから、成長、と言い換えたほうが語弊が少ないのかもしれない。
 
 私は嫁さんの自作パソコンみたいなものだが、嫁さんだって私から影響を受けて変わってきているから、嫁さんもまた、私の自作パソコンみたいなものだ。そうやってお互いに最適化した者同士がネットワーク接続して、生活や社会適応のあれこれを助け合っていくのは、こういってはなんだが、とても面白いゲームだと思う。
 
 いい結婚をしたいと思っている人は、完成品の異性にばかり目を向けるのでなく、未完成品の異性にも目を向けて、お互いに自作しあう──いわば最適化しあう──のもアリなんじゃないだろうか。少なくとも私たちは、そんな風にやってうまくいっている。