シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきたシロクマ(熊代亨)のブログです。

『ふろむだ本』は現代の魔術書だ。だから使う側には力量が求められる

 

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

 
 
 最近、ふろむださんの書籍が早くも四刷を迎えたと知った。このこと自体が、書籍に書かれた内容を証明しているように思えてならない。運や実力に加え、書籍に書かれている「錯覚資産」をうまく生かしたからこそのヒットだろう。見事というほかない。
 
 

実力や運を呼び込むためにも「錯覚資産」が必要

 
 ふろむださん( id:fromdusktildawn さん)は、2006年頃から『分裂勘違い君劇場』という人気ブログを運営していた。現在の基準で考えると異様な長文ばかりだったけれども、読む人を楽しませ、巧みにちゃぶ台をひっくり返してみせて、たくさんのファンを作った。00年代の有名ブロガーの一人だと思う。
 
 その ふろむださんが2018年に書籍を出版するという。はたして、読みやすくアレンジされ、イラストでわかりやすく説明した、たくさんの人にリーチする書籍になっていた。それでいて『分裂勘違い君劇場』のテイストは残っている。そのあたりのパッケージの出来栄えに、見事なものだなぁ……と思わずにいられなかった。
 
 
 
 
 「錯覚資産」、つまり人間を勘違いさせる力は、人間社会に遍在している。
 
 錯覚というと、視覚上の錯覚が有名だが、ものごとの優劣や取捨選択の判断でも人間の脳は錯覚を起こしている──ふろむださんは、さまざまな研究結果を引用しながらその性質を紹介し、その錯覚が遍在しているという前提で人間社会を見据えて、人生を豊かにしていきませんかと提言している。
 
 人間の脳は、知名度やルックス、言葉遣い、肩書きなどによって、気付かぬうちに影響を受けてしまう。実力優先とみなされる場面でも、その実力の優劣を判断し、取捨選択を決めるのは人間だから、その手の錯覚や勘違いがまかり通っている。たとえ錯覚や勘違いによって獲得したチャンスだとしても、そのチャンスによって実力が育まれるから、最終的には、錯覚や勘違いを生かした人間のほうが実力面でも上回ることになりがちだ。
 
 だから実力重視な人も「錯覚資産」をバカにしてはいけない。「錯覚資産」はチャンスの運び手であり、運が舞い込んでくる確率にも影響を与える、きわめて重要なファクターである──こういったことを、ふろむださんは懇切丁寧に説明している。
 
 文中、ふろむださんは本書を「実用書」と位置付けているが、実際、この「錯覚資産」を軽んじていた人には「実用書」たり得るだろう。「錯覚資産」というコンセプトの根拠を疑う人は、文中に出て来る実験や心理学者について調べてみてもいいかもしれない。いずれにせよ、これから力を手に入れたいと思っている人、チャンスや実力を掴みたいけれどもうまくいっていないと感じている人にはオススメできそうな本だし、おそらく、そのような人が想定読者層なのだろう。また、知名度やルックスや言葉遣いや肩書きを軽蔑してかかっている人にも、いい薬になるかもしれない。
 
 

「錯覚資産」を増やして破滅する人もいる

 
 さて、褒めてばかりでは芸が無いので、この本には書かれていない、けれども私自身が気を付けていることについて書いてみる。
 
 「錯覚資産」が実力や運を呼び込む重要なファクターなのは述べたとおりだし、「錯覚資産」それ自体も大きな力を持っている。有名であること・ルックスが優れていること・肩書きが立派であることは、虚構といえば虚構だが、他人に影響を与えるという意味では、やはり「力」には違いない。いや、他人だけではない。自分自身にもその「力」は少なくない影響を与える。
 
 本書の後半には、ふろむださん自身がtwitterを使って「錯覚資産」を増やし、本書の出版に備えていたプロセスが描かれている。実際に本書が売れているところをみるに、嘘いつわりのない成功譚なのだが、私は、ふろむださんの成功は「錯覚資産」以外の要素によって裏打ちされている、と思う。
 
 私は、「ふろむださん自身に、「錯覚資産」を増やしてもブレない心の強さ、いわば『力量』や『器量』があったから成功した」という風に解釈したのだった。
  
 私もインターネットを長くやっているので、いろいろなアカウントの栄枯盛衰を眺めてきたつもりである。
 
 眺めるに、インターネットで急成長するアカウントは、「錯覚資産」を膨らませる術に長けている。たとえばtwitterで短期間に数万単位のフォロワーを獲得するようなアカウントは全員、「錯覚資産」を膨らませていると言って構わないだろう。意識してやっているようにみえる人もいれば、本能的にそうしているようにみえる人もいる。
 
 しかし、そうやって「錯覚資産」を手に入れた者の未来が明るいとは限らない。
 
 むしろ、比較的短期間に手に入れた「錯覚資産」を活かしきれなかった人や、それが仇になってしまった人のほうが多いぐらいではないか。
 
 
 繰り返すが、「錯覚資産」は力である。
 
 インターネットを活用するような分野では、とりわけそうだろう。しかし、力はそれを御する「力量」や「器量」を持たない人間には危険なものでもある。
 
 手に入れた力を暴走させ、手を広げ過ぎて心身を損ねる者もいれば、手に入れた力にのぼせあがり、致命的炎上をやらかしてしまう者もいる。あるいは、力を行使して自分がやりたいことをやっているのか、力に振り回されてやりたくもないことをやっているのか、わからなくなってしまう者もいる。
 
 よく、ファンタジーロールプレイングゲームの寓話として、力量も器量も足りない魔術師が、偉大な力を持ったマジックアイテムを手に入れて、結局、マジックアイテムに振り回されて破滅するものがあるが、これは、「錯覚資産」にもだいたい当てはまると私は思う。
 
 「錯覚資産」は、いわば現代の魅了魔術であり、現代のコミュニケーション錬金術でもある。「力量」や「器量」の十分な人がこれを駆使すれば、大きなことを成し遂げられるだろう。しかし、その人の「力量」や「器量」をオーバーするような「錯覚資産」を手にした場合、思うように力を行使できないか、膨張した「錯覚資産」に振り回されてしまいかねない。
 
 また、実力と「錯覚資産」によって膨張した見かけ上の総合力とのギャップが大きくなり過ぎても、錯覚資産の運用難易度は変わってくる。「錯覚資産」の伸びと実力の伸びは、あるていどシンクロしていたほうが良いように個人的には思う。実力とかけ離れた「錯覚資産」を運用できるのは、この方面で天才的素養を持っている人だけである。
 
 だからこそ、私はふろむださんが「錯覚資産」を手ずから運用して本書をベストセラーにもっていった手つきに、感服せずにはいられなかった。「錯覚資産」を構築する手つきも、「錯覚資産」を使いこなしてみせる力量も、私はふろむださんにはかなわない。むろん、10年前の私に比べれば、現在の私のほうが成長していて、取り扱える「錯覚資産」のキャパシティも大きくなってはいるだろう。だとしても、である。
 
 

ディフェンシブな「錯覚資産」の運用もいいのでは

 
 というわけで、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』を読んで力がみなぎってきた人は、その力を自分がどこまで生かせるのか、あるいはどう生かすのか、熟慮して欲しい。私は、本書は実用的な現代魔術の書物*1だと思っているが、強い力には、それにふさわしい力量や器量が必要だ。たとえば私のように力量や器量が不足していると感じる人は、「錯覚資産」を無制限に追い求めるのでなく、とりあえずコントローラブルな水準に抑えておいて、自分の力量や器量、あるいは実力が育ってくるのを待つのも一手だと思う。力がみなぎってきたからといって、制御不能なレベルまでパワーアップしなければならない人なんて、それほどいるまい。「錯覚資産」を意識しつつ、制御可能な水準でディフェンシブに運用するのも、本書の使い方のひとつだと思う。
 
 ともあれ、「錯覚資産」という力の存在を知っているのと知らないのとでは、渡世の難易度は大きく変わるので、そのあたりに疎い人にはおすすめしたい。
 
 

*1:錯覚を活用するという意味でも、やはり、本書には魔術書という言葉がふさわしい