- 作者:デビッド・A・シンクレア,マシュー・D・ラプラント
- 発売日: 2020/09/01
- メディア: Kindle版
去年の秋に発売された『ライフスパン 老いなき世界』という本のことを再び考え始めてしまった。一読し、twitterで感想未満のコメントを少しつぶやいた後は、なるべく考えないようにしていた。が、2021年になって人類の自己家畜化について調べているうちに、『老いなき世界』のことを思い出してしまった。一区切りつけるために、読書感想文みたいなものを書いてみることにした。
1.アンチエイジング技術の最先端を紹介する本として
まず断っておくと、この『ライフスパン 老いなき世界』という本はイデオロギーや思想信条の本ではない。筆者のデビッド・A・シンクレアはハーバード大学医学大学院で遺伝学の教授として終身在職権を得ていて、そのほか海外の多数の大学でも教鞭をふるっている。その筆者がアンチエイジングについての最新の知見を一般向けに書いたのが本書、ということになる。
一般書とはいうけれど、なかなか歯ごたえのある本で、酵素や化学物質や遺伝子の名前がたくさん出てくる。医学や生物学に触れたことのない人は読むのが大変かもしれない。そのかわり論じられている内容は高度で、そこらの新書の追随を許さない。図表もすごくいい。最新の医学・生理学の知見を、できるだけわかりやすく・正確に説明するためにたいへんな努力がはらわれていると思う。
たとえば本書は、老化の重要ファクターとしてエピジェネティクスを紹介し、そこで「DNAはピアノで、エビゲノムはピアニスト」といった表現をしている。細胞のデジタル情報であるDNAの損傷が老化ではなく、そのDNAを修復すると同時にそのDNAを"弾く"エピゲノムが酷使され、うまく機能しなくなっていくことで老化を語る表現はうまいと思った。DNAが損傷するとエピゲノムが損傷を修復しにかかるが、その間、エピゲノムはほかの仕事ができなくなるしエピゲノムそのものも酷使されていく。喫煙や紫外線などは、まさにそのようなプロセスを進行させる。こういった話が、豊富な実証研究をもとに提示されるさまが好ましく思えた。
また、よくできた一般向け学術書はしばしば、筆者とその研究チームが成し遂げた研究プロセスの興奮を思い起こさせるものだが、本書もその典型だ。老化を研究していったシンクレア教授とそのチームの創意工夫や発見を追いかけることができる。そういう意味では本書には物語性も備わっていて、オーストラリアから渡米し研究を重ねるシンクレア教授の物語と加齢研究のプロセスがうまく重なりあっている。
それでいて、本書にはライフハック的・自己啓発書的な性質まである。どこまで正しいのか・どこまで他人にも適用できるのかわからないと断ったうえで「筆者自身がアンチエイジングのためにやっていること」を紹介しているのだ。なんというサービス精神! 健康長寿のためにさまざまな心がけをしている人には、魅力的な内容だろう。なにしろ加齢研究の権威が書いた「筆者自身がアンチエイジングのためにやっていること」なのだ。そこらの怪しい健康本とは重みが違う。
2.しかし「老いなき世界」の格差を軽視していないか?
このように『ライフスパン 老いなき世界』は、ライフハック本としても、一人の科学者の研究譚としても、生命科学の啓蒙書としても優れている。一般向け学術書としては想定読者が広く、この訳書を出した東洋経済新報社はさすがと思わずにいられない。
ただ、私のようなひねくれ者は、この本で記される「老いなき世界」を素直に寿ぐことはできなかった。少なくとも、怖がる余地がいろいろあるように読めた。
私のようなひねくれ者を想定してか、筆者は本書のさまざまな箇所で老化の克服を肯定し、そうでない考え方をナンセンスとみなしている。そして後半ページのかなりのボリュームを「老いなき世界」によって起こる諸問題とそのソリューションの紹介に費やしている。そうした文章の端々には、生命科学研究ぜんたいのプレステージが拡大するようなポジショントークが見え隠れしていているが、それはいい。筆者は学界の頭目のひとりなのだから、ポジショントークを展開するのは妥当なことで、正しいことで、そうでないよりはマトモであるに違いないからだ。
では、本書で解説されている「老いなき世界」によって起こる諸問題とそのソリューションは十分なものなのか?
「老いなき世界」が実現すれば、シルバー民主主義が著しくなるかもしれない。人口爆発してしまうかもしれない。貧富の格差。健康でない人生の引き延ばし。そうした問題をひとつひとつとりあげ、それに対するソリューションや反証を筆者は挙げている、ようにみえる。そうした例証や反証をみて安心する人も少なくないだろう。
ところが私は最後まで安心できなかった。最後まで頁をめくって「老いなき世界」への懸念が深まったとさえ言える。筆者は、「老いなき世界」によってすべての人の繁栄と、世界の持続可能性と人間の尊厳が大きく高められる未来がやってくると語る。が、とても、そんな気持ちにはなれなかった。生命科学のテクノロジーが世界の持続可能性や人類社会の繁栄に貢献すること自体は私も疑わない。だが、それですべての人の繁栄と人間の尊厳が大きく高められる未来が本当にやってくるのだろうか?
筆者は、健康な状態でもっと長く生きて、研究者としてやりたいことがたくさんあるとも語る。違いあるまい。これだけ業績をあげ、研究したいことがまだまだあり、アメリカ社会の頂点付近に位置している筆者にとって「老いなき世界」が望ましいのはよくわかる話だ。業績のある人々、輝かしい事業とともにある人々、アメリカ社会を主導している人々がそれを望むのもわかりやすい。
そして「老いなき世界」のテクノロジーは、たとえばアメリカのような社会では社会の頂点付近に大きな恩恵を与えるが、下々には恩恵がなかなか降りていかない。
筆者はカナダの医療制度などを挙げ、アンチエイジングも含めた医療がすべての人にいきわたることで恩恵の平等があってしかるべき、と語る。あーはん、そうですね。そうでしょうとも。いつかアメリカにもその日が来るといいですね。
だがアメリカの医療制度は不平等のきわみにあり、日本の医療制度に比べるなら「あこぎ」と言いたくなるほどの医療格差がまかり通っている。アメリカに比べるなら完全平等と言っても言い過ぎではない日本ですら、実際には医療格差、医療へのアクセシビリティには格差がある。そうしたなか、進行していく「老いなき世界」のテクノロジーが誰を最初に利して、誰を最後に利するのか(いや、場合によっては利することなく見捨てるのか)は想像にかたくない。
現実を顧みれば、テクノロジー大国かつ一人あたりの医療保険費も世界一のアメリカでは、平均余命が短くなっている。自由の国であり、と同時に自由競争に破れた自国民には酷薄で、移民制度のおかげでそれでも別に困らず、それらすべてを肯定する強力な思想や通念が浸透しているアメリカに「老いなき世界」が実現したら何が起こるのか、筆者はまじめに想像する気があるのだろうか?
平等な医療制度がすんなり実現する社会ならば、「老いなき世界」が極端な不平等に彩られることはないかもしれない。しかし実際には、歴史や文脈に根差した思想と通念が横たわっていて、平等な医療制度がなかなか実現しない。現在のアメリカで医療の恩恵のトリクルダウンが実現しているとは言えないことを踏まえるなら、「老いなき世界」の恩恵もトリクルダウンが実現せず、ひどく不平等なかたちで実現するように思えてならない。
もしそうなら「老いなき世界」とは、富裕者がどこまでも若返り、富裕者がどこまでも長生きし、貧乏人が早く老いて、貧乏人が早く死ぬ世界にまっしぐらではないだろうか。
著者は、老いなき世界が来たらそれによって人類はうまくいくと信じているとしばしば述べる。それなら、まさに老いなき世界へと進歩してきた数十年間の先進国において、高齢者たちとその政治は、うまくいくと信じるに値する方向へと社会を変えてきたはず。で、若者を勇気づける社会にできていますか。
— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2020年9月22日
実のところ、そのようなエイジングの格差はすでにある。富裕者はアンチエイジングに時間もお金も意識もかけ、貧乏人にはそのような時間もお金も意識も欠けている。限りなく平等に近い医療制度を実現している日本においてすら、そうした格差を私はしばしば垣間見る。アメリカにおいては推して知るべしだろう。
そうした現況のなかで平等な医療制度をソリューションとして語るのは(それも、アメリカ社会の頂点付近にいる人が語るのは)、おためごかしとして理想を語ってみせているようにみえてならない。そうでないなら、理想を現実のものにするための諸問題について端折りすぎだという気がしてしまう。少なくとも、アメリカの医療制度にまともにアクセスできない人は端折りすぎだと感じるのではないだろうか。
筆者は遺伝学教授であり社会学教授ではないのだから、そうした端折りかたを批判するのはお門違いではある。本書はアンチエイジング技術の最先端を紹介する本なのだし。しかしエイジングの問題はセンシティブな、社会全体に深甚なインパクトをもたらす問題でもあるわけだから、学界をリードする人が「絵に描いた餅」をもって足れりとするのを見ると、私は怖くなってしまう。
これが、20代の若い科学者がそういう風に考えて書いているならまだわかるのだけど、50代になったベテラン科学者、それも学界のリーダーがこのように未来を展望していること、そのこと自体が私には怖い。「老いなき世界」の恩恵を真っ先に享受する人々、本書を買い求める人々にはどうでもいいことなのかもしれないが。
3.健康長寿=幸福 ほんとうに?
それともうひとつ。
これは、所属しているコミュニティや宗教観の違いのせいかもだが、私は、筆者の「健康な生はかならず幸福と結びついている」という価値観についていけない。
たぶん今の世の中には、「健康な生はかならず幸福と結びついている」と考える人が結構たくさんいるように思う。健康かつ幸福な人で、旧来の宗教と距離を取っている人がそう考えることに不思議はない。それに健康はさまざまな活動の必要条件だから、健康と幸福が無関係だなどとは私だって思わない。
だけど健康に生きること、それも健康に長く生きることを幸福とイコールでくくってみせ、そこに疑問の余地を持たないのはどうよ? と私は思ってしまう。本書には全体的に健康に生きることと幸福とをイコールで結ぶ雰囲気が漂っている。アメリカの健康保険制度について述べている箇所で筆者は、
オーストラリアの例からもわかるように、誰もが長く健康に生きるようになれば、誰もがより良い暮らしを送れるようになる。
このような筆致を用いている。誰もが長く健康に生きるようになれば、誰もがより良い暮らしを送れるようになる。この文字列にまったく疑問を持たない人は、現代社会ではもはや少数派ではないだろう。
私はそうではない。長く生きるとは、長く楽しむことであると同時に長く苦しむことでもある。たとえば富裕で地位も名誉も獲得した人なら、長く生きることと長く楽しむことはイコールに近づいていくのかもしれない。だがほとんどの人はそうではない。貧乏で地位も名誉も獲得できないまま老いていく人で、長く生きることと長く楽しむことをイコールに近づけていけるのは、聖者のような特異体質の持ち主だけだ。
この社会の支配者として長く健康に生きることを、幸福とイコールで結びつけることならわりと簡単だ。それは『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のアンデッドモンスターでいえばヴァンパイアやリッチの「老いなき世界」、権勢をふるう側の「老いなき世界」といえる。しかしこの社会の被-支配者として長く健康に生きることは、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のアンデッドモンスターでいえばゾンビやスケルトンの「老いなき世界」ではないか?
権勢によって動かされ、壊れるまでずっと魂に平安の訪れない「老いなき世界」。
死ぬまで生産性や効率性に追いかけまわされ、健康と幸福が義務にすらなった「老いなき世界」。
経済力や影響力を行使する人が長く生きるのと、経済力や影響力に翻弄される人が長く生きるのでは、その意味合いはまったく違う。リッチやヴァンパイアと、ゾンビやスケルトンが同じ不死でもまったく異なっているのと同じように。
にもかかわらず、どちらも同じく良いことのように語ってみせるのは、すべての生がポジティブであるべきという奇妙な固定観念に囚われた、裏表のなさすぎる考え方の所産であるように思う。それが、いまどきのイデオロギーに妥当する通念(または態度)であることは理解はできるし、そのような通念こそがグローバル社会において正しいのかもしれない。だが、事実ではないよ、これは。事実ではないけれども事実として扱わなければならない正しさの谷がここにある。
そうでなくても私は在家の仏教徒だから、生きることに苦楽の両面をみずにいられない。生きること、特に健康に生きられることのポジティブな面を否定するわけではないが、苦しげな面、ネガティブな面を否定することも、またできない。この世に産み落とされた赤ん坊は、まず大きな声で泣く。それは母親に対する適切なシグナリングであると同時に、生老病死を四苦とみなす(釈尊の)教えが妥当である、最初の兆候でもないだろうか。
人生や若さに限りがあり、"お勤め"に終わりがあることは、私はそんなに悪いことではないと思う。楽しいことも苦しいことも生ききった高齢者の顔貌は尊い。生きるとは、幸福と不幸、楽しさと苦しさのアマルガムであるはずで、ポジティブな成分だけを勘定して幸福とみなし、長生きすればポジティブな成分が増える=無条件に良いことに決まっている、とみなす考え方は人生の半分から目をそらせていると私なら思う。
このような、人生の半分から目をそらせる死生観はアメリカだけのものではない。もはや死生観とはいえず、"生生観"とでもいうべき通念が支配的になっている。そしてありとあらゆるネガティブなことは加齢も含めて疾患とみなされ、治療の対象となっていく。アンチエイジングや疾患の研究そのものは医学や自然科学の対象だが、その成果をどのように社会が受け止め、私たちの通念と合体させていくかは社会学や政治学の対象でもある。でもって私は、本書から透けてみえる死生観や幸福観、その前提にひっかかりを覚えずにはいられない。医学や自然科学の大前提としての通念と政治が、本書の通奏低音として(さも当然のような顔つきで)横たわっていると感じる。
筆者と通念を共有する人には、そうした通念や政治は無色透明な、ノンポリ的なものとうつるだろうが、あいにく私は通念を共有していない。通念を共有しない人には、この引っかかりは小さくないし、軽視されてはたまらないものだと確信している。
4.色々な人に読んでもらって、考えてもらいたい一冊ではある
すっかり長い文章になってしまった。
読書感想文としては長すぎるし、私の執着がダダ洩れになってしまっている。根っこからポジティブな人なら、本書を読んでこんな風に反応することはあるまい。しかし私は不平等のまかりとおるこの世界を生き、ポジティブとネガティブの混じり合った人生を生きて死ぬので、強い違和感をおぼえてしまった。アンチエイジング技術の最先端を知りたい人や不老不死の恩恵にあずかりたい人にくわえて、現代社会の、ポジティブ一辺倒な人生観や世界観に違和感をおぼえる人にもこの本をお勧めしてみたい。自然科学の一般向け学術書に現代社会の通念がこびりついている好例だと、私なら感じる。