シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ワインを買っているんじゃない。「奇跡」のガチャを回しているんだ。

 
 ワインに魂を奪われて十年近い歳月が流れた。
 
 この間に千種類以上のワインを飲んでまわり、自分がどんなワインが好きで、どんなワインが苦手なのか、だいたいわかるようになった。私は、酸味がしっかりしていて、あまり重くなくて、華やかな香りがして、果実味のしっかりしたワインが好きだ。
 
 「それって、ぜいたくな注文じゃない?」と言う人もいるかもしれない。それでも、何百もワインを買い続けていれば、いい加減、「我が家の定番」「これさえ買えば間違いなし」みたいな品は浮かび上がってくる。
 
カレラ シャルドネ セントラルコースト
 
ルイジ・リゲッティ アマローネ ヴァルポリチェッラクラシコ
 
 たとえば、この二つのワインは自分的には「85点」をつけられるワインだ。そんなに値段は高くないし、日本でもかなり流通している。お客さんが来た日の夕食に出しても恥ずかしくないワインだ。
 
 

高級ワインに期待するのは「おいしさ」じゃない。「奇跡」だ。

 
 だが、私をワイン狂いにしてしまった真犯人は「おいしい」ワインではない。もっと高価で、もっと気まぐれな連中が私の趣味生活をおかしくしてしまった。
 
 高級ワイン。
 
 一本1万、一本3万、一本10万といった価格帯のワインには、「奇跡」が詰まっていることがある。
 
 “「奇跡」が詰まっていることがあるというのがミソで、高級ワインに「奇跡」が詰まっている保証なんてどこにも無い。少なくとも経験した限り、一本数万円のワインが「85点」を下回ることなんてしょっちゅうだ。だからこそ、「どのワインショップで・どの輸入業者のワインを・どんな価格で買うか」を気にするようになったが、気にしたからといって、ハズレを掴まない保証は無い。
 
レ・マッキオーレ メッソリオ
 
 とあるヴィンテージのこのワインは、痩せて、苦くて、いつになっても香りが立ち昇ってこなくて、それはそれは残念な品だった。このメーカーの別のワインは素晴らしかったこともあるし、このメッソリオの世間的な評価も高いはずなのだが、自分が買ったボトルは最低最悪だった。畜生!
 
 
グロ・フレール・エ・スール リシュブール
 
 「ロマネ・コンティ」のすぐそば、ワイン愛好家では評価の高い“リシュブール”という特級畑のワイン。ところが、飲んでみても「78点」ぐらいの品というか、香りはまずまずだけど、渋みがバサバサしていて打ち解けず、いつまでたってもおいしくならない。そこらの1万円ワインを下回る残念さ! 地団太を踏んで悔しがった。このとき以来、このメーカーさんのワインは買えなくなってしまった*1
 
 
 それでも、高級ワインは、ときどき、「奇跡」を起こす。
 
 
 ワイン雑誌は、よくワインを「91点」「99点」といった100点満点で採点しているけれども、私がワインを採点するなら、『ドラゴンボールの戦闘力』方式が良いと思う。
 
 
ドメーヌ・ルフレーヴ ピュリニー・モンラッシェ
 
 たとえば、初めてこのワインを飲んだ時の私は、「これは100点!いや!300点ぐらいだ!」と感動した。とにかく普通じゃない。もう「おいしい」とか「おいしくない」とか、そういう次元を超越している。酸がキラキラしていて、ふんわりと包容力があって、味も香りもブッ飛んだワインだった。このワインを飲んだ瞬間に、私のワインの評価尺度は100点満点から300点満点に切り替わった。大枚をはたいて高級ワインを買う人の気持ちがちょっとわかったような気がした。そうか、高級ワインは味の評価尺度、採点の枠組みそのものをブチ壊してしまうのか。
 
 
ルイ・ラトゥール シュヴァリエ・モンラッシェ
 
 それからしばらくして、今度はこいつに出会った。キラキラとか包容力とか、もう、そういう語彙では説明のつかない「存在自体が奇跡」のような代物で、一体どうやったらこんな味と香りの白ワインができあがるのか見当もつかなかった。プリズムの光のごとく、味と香りが七色にゆらめいて、どれだけ飲んでも飽きる気配が無い。というより、ワインに魅了されて他のことはどうでもいいというか、いつまでも“鑑賞”し続けたい気持ちになって、酔いがまわらない。
 
 このワインによって、私のワイン評価尺度は300点満点から5000点満点に変更された。残念ながら、この5000点を超える白ワインには未だ出会ったことはない。1800点とか、4800点の白ワインには出会えているのだけれども。
 
 
DRC リシュブール
 
 赤ワインで奇跡を起こしたのは、ロマネ・コンティ社の特級畑“リシュブール”だった。上のほうで紹介したように、この“リシュブール”では別のメーカーで手痛い目に遭っていたので、いっそ、最高級品で勝負しようと思ってこいつを購入してきた。
 
 このワイン、最初の30分間は木樽の匂いがするばかりで、口当たりがベトベトする以外は特徴の乏しい「60点」のワインで、「うわーまたもやハズレだー!死んだー!」と覚悟していたけれども、時間が経つにつれて味も香りも急成長して、数時間後には「神の雫」としか言いようのない、崇め奉りたくなるような神秘が目の前に現れて、部屋じゅうが奇跡の香りに包まれた。めちゃくちゃ高価なワインだったけれども、このとき、私のワイン評価尺度は5000点満点から20000点満点に変更された。ここまでのワインには、もう二度と巡り合えないかもしれない。
 
 

起こらないから「奇跡」っていうんですよ

 
 こんな具合に、高級ワインは評価尺度を根底からひっくり返すような「奇跡」を起こす。高級ワインには当たりはずれがあって、飲み物としてのコストパフォーマンスは最低最悪だ。しかし、たまさか100点満点を限界突破すると、“どうして地上にこんな飲み物が存在するのか?”“このワインの味と香りに、果てがあるのか?”と問いかけたくなるような、「奇跡」が目の前に現れる。
 
 私にとって、高級ワインを買う行為は、この「奇跡」をお招きするためのギャンブルに近い。今風の言い方をするなら、“「奇跡」のガチャ”ってやつである。高級ワインのボトルには、「奇跡」が詰まっているかもしれないし、詰まっていないかもしれない。確かめるには、実際に買ってみて、保存してみて、飲んでみるしかない。でも、やめられない。なぜなら、「奇跡」を目の当たりにしてしまったから。「神の雫」に出会ってしまったから。年に1回でもいい、どうか、ワインの神様、「奇跡」をこの手に!!
 
 残念ながら、「奇跡」は頻繁には起こらない。20000点満点になってしまった今、この点数を超えるワインに出会うのは(経済的にも)不可能に近い。
 
 それでも構わない!
 
 おいしいワインを手堅く選びたいなら、100点満点の内側で鉄板のワインを選んでいればいい。だけど“「奇跡」のガチャ”を回すなら、手を突っ込むしかない! 裏切られても! 痛めつけられても! ギャー! 痛ってええええええ!!
 
 
 
 
 ※おことわり※
 この文章に登場するワインの銘柄・畑名は実体験に基づいていますが、リンク先のワインショップ、およびヴィンテージは実体験と異なっています。私には、リンク先のワインショップの同銘柄の保存状態や「奇跡」の度合いはわかりかねることを、お断りしておきます。

 

*1:たぶんメーカーさんに罪はない。飲むのが早すぎたか、別の要因。