今年は、googleの検索結果が「まとめサイト」や「キュレーターサイト」に占められて使い物にならない、みたいな話をたくさん聞いた。そういえば私自身も、google検索が完全には頼りにならない、いや、検索するのが面倒になったと最近感じていた。
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2013年の頃、私は「google検索は、検索する人間の能力に応じて、熟練者には森羅万象を、ビギナーにはありきたりなものをみせる」と書いていた。だが、うまい検索ワードを思いつく能力が落ちてきたのか、ここ一年ほどは役に立たない記事を拾うことが増えて、自分のgoogle検索の腕前の衰えを嘆いていた。
だが、それだけではなかったらしい。google検索が「まとめサイト」や「キュレーターサイト」に“汚染”されていた部分もあったかもしれない。
そうしたなか、私がインターネット上の情報源として本当に頼りにしていたのは、結局「人」だったと思う。
はてなブックマークのお気に入り機能からは、選りすぐりのはてなブックマーカー達が、欲しい情報を持ってきてくれる。長年かけて選んだ人達だけあって、彼らのブックマークがもたらしてくれる記事や情報は、私が必要としているもののことが多い。また、それ以外のブックマーカーも、ときに気の利いたURLを貼り付けてくれたりして、なかなか参考になる。
twitterだってそうだ。何年もかけて選び抜いた約400人の情報源は、自分自身にとって価値ある情報を次々にツイート、またはリツイートしてくれる。フォローしている人達の外側にも、直接フォローはしていないけれども「この人が見つけてきたものには注意すべし」なアカウントがひしめいている。twitter検索も相まって、twitterもありがたい情報源になった。
そしてニュースサイト。今年はniftyのホームページ閉鎖の余波を受けて「まなめはうす」が更新停止となったが、いざ更新が止まってみると、いかに自分が情報源にしていたのかを痛感させられた。私は「かとゆー家断絶」「まなめはうす」「かーずSP」を専ら使っていたが、そのうち二つが止まってしまった。ニュースサイト管理者には、それぞれの“癖”があり、それぞれのサイトならではの偏りがある。そのことも含めて、本当の意味で彼らはキュレーターと呼んで良い活躍をしている(していた)のだと思う。機械がではなく、人が、情報を選りすぐっていたのだ。
人に頼って、機械に頼って、また人に頼って
google検索に初めて触った時、私はたちまちgoogleの虜になった。リアクションが早く、yahoo検索やgoo検索では引っかからないものも拾い上げてくれるgoogle検索は、夢のような道具だった。インターネットを見渡す視界が一気に広がったように感じた。個人サイトのリンク集を“ネットサーフィン”する習慣は、googleを使い始めた頃から無くなっていった。そして検索ワードを工夫するとgoogle検索がそれに応えてくれるとわかるにつれて、「googleを適切に使えば調べものはだいたいできるし、新しいこともカヴァーしてくれる」と感じるようになった。そういう感覚は、はてなブックマークやtwitterを使い始めてからも、すぐには変わらなかった。
ただ、2010年代のいつ頃からか、私はgoogle検索にもどかしさを感じるようになった。googleでは検索しきれない情報が気になるようになった。それは、私が検索ワードの工夫を怠るようになったからかもしれないし、既に「まとめサイト」や「キュレーターサイト」にgoogle検索が汚染され始めていたせいかもしれない。あるいは、ネットのオープンな領域に記されていないような情報を私が欲しがるようになったせいかもしれない。
なんにせよ、google検索という機械に頼っていたはずの私は、再び情報源として人に頼るようになっていった。はてなブックマーク。twitter。個人のサイトやブログ。自分自身にとって本当に大事な情報は、そういった情報を握っている人を探し出し、彼らをフォローしたほうが手っ取り早い気がしてきた。少なくともインターネット上で期待するような情報は、google検索という機械をとおして探すだけでは足りない――とりわけ、2016年のような状態では。もし、インターネット上で情報面で事欠かないようにしたいなら、自分にとって必要な情報を握っている人を発見し続け、フォローし続けるのが肝心だと思う。
言い換えると、はてなブックマークのお気に入りを自分で整理すること、twitterやSNSのフォロー範囲をきちんと手入れすること、そしてネットサービス単位や企業単位で情報源の価値を判断するのでなく、人単位やアカウント単位で情報源の価値を判断し、そのような人やアカウントをフォローするようなかたちで視界をカスタマイズすることが、これからも必要なんだろう。これまでと同様に。
もちろんgoogle検索はこれからも必要だ。それでも、google検索がもたらすものにも偏りがあって、大企業までもが「まとめサイト」「キュレーターサイト」といったもので検索源を上流から“汚染”している現状では、地道に人を追いかけなければ、インターネットから得られる恵みはごく限られてしまうだろう。
今年は「キュレーター」という言葉が広まり、いつの間にかネガティブワードと化したけれども、はてなブックマークやtwitterでは一人一人がキュレーターみたいなものだし、本来、ネットのキュレーターってのはそういうものではなかっただろうか。そして、その一人一人のキュレーターを評価し、自分自身にとって最適な情報源として編成していく責任――いや、権利と呼ぶべきだろうか――は私達自身にあったはずだ。結局、情報は自分で追いかけなければそれなりのものしか入って来ないし、大事な情報は人が持ってくる。だから来年も、「ありがたい記事」や「自分にとって必要なネットサービス」を追いかけるのでなく、「ありがたい人」「自分にとって必要な人」を追いかけて、フォローしていきたいと思う。
インターネットでは、情報を探すより、人を探したほうが手っ取り早いのかもしれない。