はじめ、ブログには議論があり、情報交換があった。
簡単に文章をアップロードできること。トラックバックを介して議論や情報交換できること。それそのものがブロガーにとってご褒美であり、そうしたご褒美を嗅ぎ付けた人々がブログに集まってきた。だが、それらをご褒美とは感じなかった大半の人々は、書き続けるモチベーションを獲得するには至らなかった。
続いて、ブログには承認欲求が与えられた。
はてなブックマーク、拍手ボタン、「ポチッと応援よろしくお願いします!」。それらはブロガーにとって新しいご褒美となり、そうしたご褒美を嗅ぎ付けた人々がブログに集まってきた。議論や情報交換よりも承認欲求はわかりやすい魅力だったので、今までよりもたくさんの人々がブログを書くようになった。それでも承認欲求ではメシの種にはならないため、無視する人も多かった。
最後に、ブログに金銭が与えられた。
アフィリエイト。アドセンス。金儲け集会。これらはブロガーの新しいご褒美となり、そうしたご褒美を嗅ぎ付けた人々もブログに集まってきた。金銭ほどわかりやすく、万人に通用する魅力もないわけで、今までブログに見向きもしていなかった人々までもがブログを書くようになった。
どうしてブログでお金を稼がなければいけないの? - Everything you've ever Dreamed
リンク先のタイトルは「どうしてブログでお金を稼がなければいけないの?」である。お金をブログで稼ぐのは非効率だ、もっと優先すべき稼ぎ方やキャリアがあるはずだ、と論じている。
しかし、これはブログを長年続けている人にありがちな物言いであり、さいきんブログを始めた人には届きそうにない。
リンク先のフミコフミオさんにしても、私にしても、長くブログに親しんできたわけだから、ブログの魅力として「簡単に文章をアップロードできる=簡単に表現したいことを表現できる」の割合はかなり高いはずだ。あるいは、ブロガー同士の議論や情報交換もモチベーション源として重要だろう。長いことブログをやってきて、たくさんの人が集まってきたフミコフミオさんのブログにおいては、承認欲求とまったく無縁、ということもあるまい*1。
私も含め、表現欲を充たしたい・承認欲求を充たしたい動機でブログを書き続けている人間にとって、「どうしてブログでお金を稼がなければいけないの?」という問いかけには「お金って動機がなくてもブログは続けられるよね!」という自分達の動機の表明、あるいは価値観の表明が含まれている。金銭目当てにブログを書き綴る人々、内職のひとつとしてブログを書き綴らなければならない人々は、異なる動機・異なる価値観を持った人間、ということになる。
ちなみに個人の感想を申し上げると、私は金銭目当てのブログ運営なんてまっぴらだと思っている。私にとってのブログは娯楽であり、遊び場であり、息抜きの場であり、社交場であり、そうあるべきだ。私のブログは楽しくあるべきで、外部からの依頼で文章を書く時でさえ、表現欲がドライブしている感覚がどこかに宿っていなければやってられない、と私は感じている。
そんな私だから、遊びの感じられないブログ、つまり「仕事をしているブログ」は好きではない。金銭のために仕事をしている感の強いブログほど敬遠したくなる。造花づくりの内職のごとく、一心不乱にブログ記事を生産し続ける姿、山師やパチプロのような感覚でアフィリエイトやアドセンスを狙い続ける姿、どちらも好みではない。
まして、毎月のように“売上”を勘定し“売上目標”を宣言してまわるようなブロガーをみていると、あんたら、“ネットビジネス”していらっしゃるんですねぇ、と思わずにいられない。同人誌即売会のとなりで営業社員の売上報告会を耳にするような、そういう感覚に襲われる。だが、インターネットもブログも自由な空間である以上、同人誌即売会のとなりで売上報告会が行われることを批判する権利は何人にも無いのである。
お金ほどわかりやすい動機はない
で、「どうしてブログでお金を稼がなければいけないのか」だが、私は、この問いを逆さまにしたところに正解があるんじゃないかと思っている。
つまり、「お金が稼げるおかげで、ブログを書き続けられるんです」ってやつだ。
さきに挙げたとおり、初期のブロガーにとってのモチベーション源は、表現欲や議論や情報交換だった。これらは、好きな人にはたまらないご褒美だったが、こういうご褒美を本気で喜ぶ人は案外少ない。ブログ黎明期に執筆家のたぐいが押し寄せたのは、表現欲や議論や情報交換に適していたからだと思う。
その後、ブログは承認欲求を充たせるツールとして認知されていった。承認欲求はほとんどの人にあるわけで、間口はかなり広い。それでも、ご褒美としてはまだ弱い。わざわざネットで承認欲求を求めなければならない人は限られているし、いくら承認欲求を充たしたところで物品と交換できるわけでもない。お金と違って「貯蓄」できないのも融通の利かないところだ。
ところが、アフィリエイトやgoogleアドセンスが使いやすくなり、たとえば“はてなブログ”のようにSEO対策に優れたサービスが登場したことで、ブログのご褒美として金銭が浮上してきた。“プロブロガー”なる肩書きを耳にするようになり、そこまでいかなくても、お小遣い程度の金銭をゲットした的な話は珍しくなくなった。話題が話題を呼び、金銭欲が金銭欲を呼び、ブログを書く動機として金銭を思い浮かべる人は、少しずつ、しかし着実に増えていった。
金銭。
なんとわかりやすい動機だろう!この資本主義社会において、金銭ほど融通の利くご褒美は存在しない。皆、その金銭を稼ぐために辛い仕事をこなし、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車も我慢しているぐらいだから、モチベーション源としての金銭は頭一つ抜きんでている。金銭が足りなくて困窮している人も、お小遣いを増やしたい人も、金銭のためならブログを書きたい、書こうとするだろう。そのようなブロガーには、表現欲とか、議論とか、情報交換とか、そういったご褒美はどうでも良いものだ。
古いブロガーからみると、金銭のためにブログを書き綴る行為は、クエスチョンマークを投げかけたいものに違いない。少なくとも私はそうである。「せっかくの表現の場、愉しみの場を、金銭なんてもので自ら束縛したら、つまらなくなっちゃうじゃないか」と。
いっぽう、金銭に動機づけられた新しいブロガーからみれば、「俺たちは、ブログで労働しているんだ。たくさんブログ記事を書いて、できる限り工夫して、いっぱい金銭を手に入れるんだ!」となるわけで、愉しみのために金銭を顧みないブロガーなど、所詮はブログを遊びにしている手合いに過ぎないのである。
私は自分自身を素人ブロガーだと思っているし、ブログを愉しむために努めているつもりだ。いわば、ブログ遊び人である。他方、金銭のためにテキストを工業生産するブロガーは、プロだのクリエイターだの綺麗な言葉で飾るよりも、労働者ブロガーと呼び習わすのが実地に即していると思う。だって、金銭のために頑張っているんでしょう?それって労働じゃないですか*2。
フミコフミオさんは、「ブログで稼ぐなんて非効率」と言う。そのとおりだと思うし、造花のごときブログ記事をまき散らすブログが検索上位を占めるようになれば“お天道様”*3が許さないだろう。
だが、世の中には「とにかく今すぐ現ナマが欲しい」ブロガーもいるし「ブログを書く以外に内職のしようがない」ブロガーだっているだろう。そういった人達にとって、「ブログで稼ぐなんて非効率」「ブログで稼げる期間は短いぞ」といった指摘は余計なお世話とうつるに違いない。将来性があろうがなかろうが知ったことじゃない、今、金銭が手に入るのは間違いない以上、やむにやまれぬ事情を抱えたブロガーは、とにかくもブログ記事を工業生産しなければならない状況に置かれているのだろう。
「はたらけばじゆうになる」
かつて、「文章を書く」とは、知識階級や支配階級の手段であったり高等遊民の手慰みであったりした。支配のツールにあらずんば道楽のツールだったのが「文章を書く」だったわけだが、インターネットが普及し、ついに誰もが文章を書くようになった結果として、文章は金銭を得るための簡単な手段たり得るようになった。それは、すごく豊かなことかもしれないし、すごく貧しいことかもしれないが、どちらにせよ内職の一手段としてブログが選ばれる時代が到来したのは確かである。ツルハシのかわりにスマホを!造花のかわりにブログ記事を! “Work shall set you free!! ”
だから、金銭という世界で一番わかりやすい動機に救われているブロガーってのはたくさんいると思う。彼らは、目先の金銭に心を奪われて足元を掬われているかもしれないし、自由を得ようとして不自由を抱え込んでいるのかもしれない。だが、ブログを愉しみとしてやっている私だって、その愉しみによって足元を掬われているかもしれないから、どっこいどっこいではある。
結局、執着の文法が変わったからといって、ブログをやり過ぎるのアブナイってのは変わっていないし、その自覚をもって、慎み深く、しかし堂々と、ブログってのは書くものだと私は思う。あなただってそうでしょう?フミコフミオさん。
飽きてきたのでこのへんで。