「プロブロガー」と「白いたい焼き」 - いつか電池がきれるまで
山野の果実がたわわに実り、天高くブロガー肥ゆる秋、fujiponさんにおかれては益々ご健勝のことと思います。
私の意固地な記事へのreply、ありがとうございました。ほかにも幾人かの方々からご指摘・ご批判・反応・ブックマーク等を賜り、手応えを感じる週末となりました。この手応えを私なりに持ち帰り、これから干し柿にして冬に備えようと思います。
さて、上記リンク先に私の好きなフレーズを発見したので、ちょっと言及したいと思います。
『はてなブログ』に移ってきて、なんかアグレッシブに攻めてるなあ。
「それがあなたの執着ですね!」とか言いたくなってしまう。
「それがあなたの執着ですね!」
ギャー!!!私の執着が見抜かれた~~!!!
……ではなく、もちろん、一連の記事(1)(2)には私の執着が宿っていることでしょう。関心や苛立ちが含まれているのは相違ありません。
だから、表面的なブログ作法的には「執着ですが、なにか。」と回答するのが妥当なのだと思います。だいたい、散々っぱら文章を連ねておいて「私は執着も関心も苛立ちも持っていません!」なんて宣言したら、頭隠してパンツ隠さず、ですよね。口ではどうこう言い訳していても、ブログは正直なのです。
しかし、ここから逆の発想も言えると思うんですよ。
1.「動機がなければブログは綴られない」
当たり前の話ですが、ブログを書く背景には、さまざまな動機があって然るべきです。その背景となる動機がカネなのか執着なのかは、まあ色々でしょう。それこそプロブロガーな人だったらカネが占めるウエイトが大きいものと思われます。
そして野良ブロガーとして生をうけた私達のようなアカウントの場合は、その動機に占めるカネの割合が低く、そのかわりに執着が占める割合が当然大きいと思われるのです。つまり、心理学的動機、あるいは若干は非-金銭的社会的動機ですね。ですから
2.「執着がなければ野良ブログは綴られない」
これはほとんど公理だと思うのです。
さらに突き進んで、野良ブロガーの野良な文章が、もし、人の心を動かす時があるとしたら――特に怒りや笑い以外の感情を呼び起こす局面があるとしたら――私は、そこには深い執着が込められていなければ難しいと思うのですよ。
ブロガーは独立独歩であらねば的な旧時代の思想がまだ力を残しているのかもしれない。Twitterのふぁぼ界隈に比べると、あまりにもかわいすぎる
いわゆるプロのライターの人なら、修辞上のテクニックだけでも人の心を動かせるのかもしれません。あるいは、まとめブログなどであれば、現代ブログ魔法として、コピーアンドペーストと編集の力によって、物量的に人の関心を奪っていくのかもしれません。
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が、それらはライター魔術師や現代ブログ魔法の使い手にありがちな技法であって、古典的な野良ブロガー、素人ブロガーの技法ではないと思うのですよ。
3.「血のインクで綴らなければ古典ブログ魔法は発動しない」
テキストサイトの太古より、野良ブロガーや素人ブロガーは執着のたっぷり含まれた血のインクで文章を綴ってきました。そして、そうした血のインクでしたためられた文章は、ときに人を激しく揺り動かし、苛立たせ、何とも言えない読後感を与えてきたものです。「笑い」や「ウケ」はともかく、誰かの心の郵便ポストに砂20トンを届ける“奇跡”を起こし得たのは、いにしえのテキストサイト主やブロガーが、執着の血をしたたらせていたからではなかったでしょうか。
まあ、そうやって執着という名の血をポタポタと滴らせながら書き綴るブログライフなんて褒められたものではなく、派手に立ち振る舞い過ぎたブロガーはやがて貧血~失血となって三年以内にアカウントを畳んでしまうんですけどね。現代ブログ魔法とは全く別種のリスクが古典ブログ魔法の使い手には確かに存在していました。
これも危ない綱渡りですね。反省すべきですね。
私などは、ブログだけでなく、書籍まで、古典ブログ魔法の術式で書いてきたものですから、血が足りなくなって血が足りなくなって、淡泊で心の籠もらないブログで間に合わせてきた時期もありました。血のインクで文章を書くのって、やりすぎると身体に悪いですよ。この点において、現代ブログ魔法のやり過ぎでフィーバーするのと大同小異なところもあるかとは思います。
俺たちブロガーに10年後があるのかどうかは未定だが、力以外に頼れるものなど何も無いことは決まっている
が、私は野良ブロガーであり、現代ブログ魔法があまり使えない、血の儀式にばかりスキルポイントを振ってしまったブロガーなのですよ。だから己の執着という名の血をキーボードに垂らして、これをある種の触媒として、白熱電球や砂20トンや聖遺物を誰かの心に届けたい、届け、イケー!!と願うのです。
ブログは知るためのメディアであると共に、何かを伝えるためのメディア。その伝える方法は、私やある種のブロガー達のように執着のインクを使った古典的手段であっても、もっとモダンな手段でもいいのでしょう。ただ、私のような人間は、執着が反映された文章を綴って、それでもってネット上で化学変化が起こるのを眺めてみたい、そんな風に思っています。
説得筋をいじめぬきすぎると、これはこれでまたブログの聖杯が遠ざかる
- スルスルと執着を綴りたくなるアカウントはありがたいものです。
で、たぶん執着の話とある程度関係があると思うんですが、ブログ往復書簡を安心してできるブロガーって、ありがたいものだなぁと思います。
現在の私にとって、率直なブログ往復書簡がしやすい相手といえば、fujiponさんと小島アジコさんを思い出します。いつもいつもありがとうございます。ほかにも、『24時間残念営業』のコンビニ店長をはじめ、何人かいらっしゃったんですが、いなくなってしまった相手にはもはや文章は届けられません。
執着で綴った古典ブログ魔法の詠唱を助けてくれるのは、こうした「書きたいことを書きやすい相手」のような気がします。上記の人達以外にも「この人に向かって書くなら、執着や関心や怒りがスルスルと言語化しやすいアカウント」はいて、そういう人の存在はありがたいですね。で、そういう時は、宛先を書いて無くても、念頭に置いていた相手には「伝えたいものがちゃんと伝わる」のが古典ブログ魔法の面白いところかと思います。なんなんでしょうね、ああいう瞬間には「奇跡も魔法もあるんだよ」と言いたくなります。
そんなわけで、今日も明日も、私は執着という名の血のインクでブログを書いて楽しむのでしょう。お騒がせ……かもしれませんが、そういう思念や雑念が飛びかっているのがインターネット、ことに野良臭くて素人臭いインターネット娑婆世界なのだと思うので、これからも私はブログ魔術師を目指して修行に励む所存です。
やっぱりブロガーに必要なのは魔力だよな!(反知性発言)