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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

承認欲求を托鉢する時代は終わり、現金を托鉢する時代がやって来た。

執着

 
 

  
 「最近のブログは~」などと書いていると魑魅魍魎が寄ってきそうだが、ここは、あえて打擲や火焔を恐れず大きな主語のまま突き進もう。
 
 今朝も触れた話題だが、最近のブログ界隈には、拝金主義の匂いがプンプン漂っている。プロなブロガーの幾人かにみられるような、澄ましたブロガースタイル・泰然としたブロガースタイルは身綺麗だが、そうでないブログが増えてきた。
 anond.hatelabo.jp
 
 おまえは そこで うんこ もらしてろ。
  
 見苦しい錢勘定や“収入アップ所信表明”を読んでしまうたび、私は「この人達、ブロガーとしての体裁ってやつをどんな風に考えているんだろう?」と思ってしまう。
 

  • ブロガーの執着は、承認欲求から現金へ

 
 さて、9年前に私は『自意識の托鉢』という短文を書いたことがある。短文なので丸ごと引用しよう。
 

 
「自意識くださーい。」
「自意識恵んでくださーい。」
 
 今日も今日とて、アルファブロガーの前で、ニュースサイトの前で、経を唱えて托鉢に励む。鉢を差し出し、ときに幾ばくかの自意識を恵んで貰う。彼の場合、最近は欲深になったらしく、300PV/dayぐらいの“米”を食わなければ飢餓感に陥るようだ。仏教の托鉢が執着から距離をとる手続きなのに対し、ネット上/はてな上の自意識托鉢においては、執着はますます深くひどくなっていく。だが、今日も托鉢をやめることができない彼と、私と、あなた。
 
「自意識くださーい。」
「自意識恵んでくださーい。」

http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20060817/p1

 
 こんな具合に、自意識を充たしたがるブログがはてなダイアリー内外には沢山存在していた。自意識を今風に言い換えるなら、承認欲求でだいたい合っているだろう。テキストサイト時代~ゼロ年代のインターネットにおいて、アクティブユーザーの主たるモチベーション源は承認欲求だった。
 
 でも、現在の“ブログフィーバー”はそうじゃない。
 自意識の托鉢・承認欲求の托鉢は終わり、現金の托鉢が始まった。
 
 さきの短文を現状に即して書き換えると、以下のようになるだろう。
 

「現金くださーい。」
「アドセンス収入恵んでくださーい。」
 
 今日も今日とて、アルファツイッタラーの前で、googleの前で、経を唱えて托鉢に励む。鉢を差し出し、ときに幾ばくかの現金を恵んで貰う。彼の場合、最近は欲深になったらしく、3000円/dayぐらいの“米”を食わなければ飢餓感に陥るようだ。仏教の托鉢が執着から距離をとる手続きなのに対し、ネット上/はてな上の現金托鉢においては、執着はますます深くひどくなっていく。だが、今日も托鉢をやめることができない彼と、あなた。
 
「現金くださーい。」
「アドセンス恵んでくださーい。」

 
 9年前の私は、“自意識の托鉢”は注意を要するものだと思っていた。少なくとも、面と向かって承認欲求をガツガツするのはあじきない行為で、もしブログで承認欲求を充たすにしても、それなりの節度やデリカシーがあって然るべき……というのが私の考えだった。今でもそうだ。
 
 だが、こんにちの“現金の托鉢”はどうか!
 
 もちろん、心得のある人は節度を保ちながら広告収入を稼いでいる。そのようなスタイルやポリシーには敬意を払いたい。だが、節度もデリカシーも感じられないような“現金の托鉢”が巷にはあふれている。現金という、承認欲求以上に身も蓋も無いゲンブツを托鉢するなら、それに見合った節度やデリカシーがあって然るべきだと私は思うのだが、昨今の“ブログフィーバー”においては私のようなモノの考え方は“時代遅れ”のようである。
 
 ええ、時代遅れ、なんでしょうね、私は。
 
 私はつい、インターネットから実利を得る行為を「托鉢」に喩えたくなるけれども、PVを現金化する高速道路で生まれ育ったブロガーからみれば、それは「托鉢」ではなく「ビジネス」なのだろう。「ビジネスブロガー」にとっては、収益報告のたぐいは会社の収支報告のようなもの・自らの信用を獲得するためのアッピールのつもりなのかもしれない。そこに、理解の断絶の溝が存在している予感はある。
 
 あるいは「生活の糧としてブログやYouTubeを利用したい一部の人達」からみれば、生きるための戦場としてインターネットが存在し、そこにデリカシーや節度を持ち込むのは小癪なこととうつるかもしれない。「ブログは遊びじゃないんだよ!」ってやつだ。
 
 それらの反論は、ある程度納得できるものではある。だが、たとえビジネスや生きる糧としてブログをやるとしても、長い目でみれば、やはり節度やデリカシーを身に付けておいたほうが良いだろうし、長生きして成功しているプロなブロガーには、それなりの以上の節度やデリカシー、なにより用心深さが伴っているようにみえるのだが。
 
 インターネット上で承認欲求を托鉢する時代は終わり、現金を托鉢する時代になった……というより個人ビジネスとしてインターネットが利用される時代が到来した。それはいい。しかし、承認欲求よりも生々しいゲンブツをやり取りするようになっている現況には、それに見合ったattitudeと用心が必要だろう――収支報告的なものをやるにしたって、“やりかた”というものがあるのではないか。
 

  • 節度は人のためならず。

 
 まあ、十代の男子や女子が「現金だ現金だワーイ!」と騒いでいるぶんには、見ていても微笑ましい。だが、社会的経験を問われる年頃のブロガーやネットユーザーが節度もデリカシーもかなぐり捨てて現金を拝み倒すのは、なかなかに凄絶である。その凄絶さを見ている人は見ていると思うので、気を付けたほうが良いと思う。