シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

おっさんの懐古アイテムとしてのドラクエ4

 

ドラゴンクエストIV 導かれし者たち

ドラゴンクエストIV 導かれし者たち

 
 「おっさんの懐古アイテムとしての」という修飾語をつけると、ドラクエ4がなんだかかわいそうにに思えてくる。しかし、かつて小学校〜中学校時代にドラクエ4をリアルタイムで経験した私達の世代にとって、どうやったってドラクエ4は未来よりも過去の領域に位置づけられるゲームでなわけで、過去のプレイを回想しながらのリプレイというニュアンスを免れない。「昔はこんなだったよな」と思いながらこの歴史的名作をもう一度噛みしめるのは歳をくった者の特権でもあり、また同時に逃れることの困難なとらわれでもある。
 
 
 ドラクエ4が生まれて初めてプレイしたRPGだったという人達や一番楽しかった頃にドラクエ4をプレイした人達と、ネットゲームなりを生まれて初めてのRPGとしてプレイした人では、ドラクエ4というゲームを巡る背景とか文脈が全然違って来る筈。ここはひとつ、おっさんオタはおっさんオタらしく、懐古厨に徹すればいいやと思うし、そういう形でDSドラクエ4を消費することがそんなにナンセンスなことのようにも思えないので、素直におっさん然と懐古しまくろう。
 
・ゲーム開始
 出だしの音楽や「ぼうけんのしょ」をつくるシーンにまでいちいち「懐かしいなぁ」と思わずにはいられない演出。音楽や演出が素晴らしいのか、思い出が美しいのかは区別がつかない。しかし懐古主義のおっさんにとって、そんなのはどちらでも構わないのだ。
 
・第一章
 難度が下がった第一章ライアン。ボスの「ピサロのてさき」も簡単に倒せるし、2画面で歩き慣れないマップにもすぐに違和感が無くなってくる。「これなら初めてRPGをプレイする人でも安心」とか思ってしまうわけだが、もちろんこれも懐古主義の類であって、おっさんの周りにはドラクエ4が初めてのRPGという若年プレイヤーはあまりいないだろう。あ、子どもにプレイさせるパパというのはあるかもしれないが、そういうパパがドラクエ4を通して「自分自身の黄金期」を思い出さなければならないニーズというのは小さそうではある。
 
 3Dになってもホイミンが微妙にかわいらしくないグラフィックで、ちょっと安堵する。はじゃのつるぎをとってレベルをあげて…というクリアまでの道筋をはっきり覚えていて、それを律儀にトレースしようとする自分を発見。
 
・第二章
 第二章で懐古厨が最初に気にしそうなのは、アリーナ姫がかわいらしいか否か、という問題かもしれない。ファミコン時代の粗末なドット絵に自分達が何を見いだしていたのか、そしてグラフィック描画が向上したからと言ってキャラクターにまつわる夢も美しくなるとは限らないことを実感するには、良い機会となったおっさんも多いかもしれない*1
 
 それはそうとして、クリフトのホイミがMP2である点に驚き、ルーラやリレミトのMP4にも驚かされる。なんだ簡単じゃん!こんなのドラクエじゃない!とか言ってるおっさんもいそうだが、それはそれで微笑ましい光景かもしれない。今更ドラクエ4に難度の高低という評価軸を求める時代でもないでしょうに。尤も、不可逆に減り続けるMPの枯渇を気にしながらダンジョンを彷徨う楽しみを期待していたおっさんが憤慨するというのであれば、その心情には同意できなくもない。かつてのドラクエでもWIZでも、MPの枯渇を気にしながらしみったれた戦闘を行うというのがそれはそれで一つの楽しみの様式だった筈で、21世紀の日本のRPGではあまり楽しまれていない様式でもある点には思いを馳せておきたい。
 
・第三章
 初めてドラクエ4をプレイした人ならともかく、おっさんはまず「はじゃのつるぎを出そう」と思うわけだ。で、はじゃのつるぎを当然のようにゲットするわけだ。別にはじゃのつるぎが無くても第三章は全く問題無いにもかかわらず、先行する知識というレールに乗りかからずにいられない自分自身の硬化脳みそをじっくり堪能しよう。良妻賢母のネネと子どもとトルネコという家族をみやるまなざしも、往事と現在とでは随分違うものかもしれない。
 
 なお、MMOなどで経験稼ぎに慣れてしまった悲しきおっさんの場合、第三章のお金儲けの容易さと時間のかからなさが物足りなく感じるかもしれない。しかしそれは“よく訓練されたRO厨”とでも言うべき物足りなさであって、本来、第三章のお金儲けや武器防具調達クエストは面倒くさいと感じたって良いものだった筈だ。「変わってしまった自分自身を嘆くには良い機会だよね」と嫁に伝えてみたところ、「それは、あなたの自意識の問題で、わたしの自意識の問題ではありません」とピシャっと言われてしまった。うお、おっさん…。
 
・第四章
 音楽を聞いていると沸々と懐かしさがこみ上げてくる第四章。マーニャとミネアのキャラデザインがもともと少し黒っぽい肌であることに違和感を覚えたおっさんも多いのではないだろうか。ファミコン版では、マーニャとミネアはピンクと白色の二色で構成されていたので、ドラクエ4の四コマ漫画劇場とかをみない限りは褐色の肌の姉妹というイメージが膨らむことはあまりない。
 
 ミネアがバギを覚えると、マーニャのギラとあわせてグループ一群に1ターン30〜40のダメージを与えられるようになる。かつてMPをやたらケチりながら経験稼ぎをしていた少年も、21世紀にもなれば、ギラやバギをバシバシ唱えてエビルハムスターなどを虐殺してニヤニヤしているおっさんに見事成長している筈だ。昔はキングレオに頑張って勝とうとしていた人も、今ではイベントフラグという悪知恵に訓化されて素直に負けるのだろうなぁ。
 
・第五章
 シンシアがピンクの服を着ていることに、おっさんならばいちいち反応し、違和感を表明せずにはいられないことだろう。「シンシアは緑色の服じゃなきゃヤダヤダ」というアナタならば、勿論シンシアがいた場所をしらべて「はねぼうし」を手に入れ、防具屋で売り飛ばして「かわのよろい」にしてしまうのだろうなぁ。
 
 だんだん仲間が増えていく過程はおっさんにおいては既に予定調和ではあるが、そこは流石ドラクエ4。きちんと楽しい。とうだいタイガーにラリホーをかけてみたら、死ぬまで寝っぱなしだったのは喫驚だったが、これはファミコン版でもそういう仕様だったのか?今となっては確かめる術もなし*2
 
 で、五章となると、いわゆる馬車のレギュラー/補欠問題が浮上してくるわけだが(参考:イミフwwwうはwwwwおkwwww ライアンですが、場車内の空気が最悪です)、流石に制作者サイドも考えたらしく、ファミコン版の補欠メンバー達の強化が為されている。ブライのヒャダルコはマーニャのベギラマよりも強く燃費も良いため、少なくともメラミをマーニャが覚えるまでは爺が全面に出やすくなった。トルネコも、役に立つアクションをかなりの頻度で繰り出してくれるので、前衛として無視できない戦力に成長した。しかしミネアは…どうなんだろうか。成長系の種はすべてミネア用にとっておいた私は、五章に入るやミネアを種でドーピングしまくり、今回こそ一軍登録を目指すが、「めいれいさせろ」の追加によってボス戦で一層便利になったクリフトの誘惑を前に、早くも気持ちが揺らいでいる。やはり野良占い師では、王宮の神官には敵わないということか。だがまぁ、難度がファミコン版よりも下がっているので、クリフト無し縛りぐらいでトントンの難度と考えれば悪くないかもしれない。
 
 どちらにせよ、ここはひとつコンピュータRPGに触れ始めた頃の新鮮さを思い出しながら、おっさんオタの懐古アイテムとしてのドラクエ4を存分に楽しもうじゃないか。これからいよいよサントハイム城でバルザック討伐戦だ。少年がクリフトで倒したバルザックを、おっさんがミネアで挑むバルザック。この構図自体が既にある種の懐古趣味と言えるわけだが、たまには20世紀の思い出を辿るのも悪いことではあるまい(いつもいつも20世紀を振り返るってのはさすがにアレだが)。おっさんになったドラクエファンには、おっさんなりの楽しみ方がある。懐古趣味だっていいじゃないか。実際、ドラクエ4をリアルタイムに楽しんでいた人達は、もう随分歳をとった筈なんだから。
 

*1:これが記号の塊としてのキャラクターと、それに対してプレイヤーが想像の世界で構成するシミュラークルとを理解するには、ファミコン版の粗末なドット絵のアリーナやマーニャと、本作のアリーナやマーニャを比較すると意外とわかりやすくて良いかもしれない。描写が細かいほうがかえって魅了されにくい・想像力の邪魔をされやすい、ということがあるわけですよ

*2:むにゃむにゃ…手段を用いれば確かめられなくもないけれど。