短文
性善説を展開している人々のうちに、『自分自身に内在するろくでもない人間像や暴力性に対する不安を防衛せざるを得ないなどという』個人的事情を抱えている人が少なくないことに留意せよ。彼らの性善説の由来が、かなり性悪であることに諦念せよ。
怠惰に勝る敵は無し。
「人間の賢さを侮ってはならない」といった警句はあちこちで耳にするが、 「人間の愚かさを侮ってはならない」という警句を耳にすることはあまり無い。 世の中には、自分や他人に存する賢さを過小評価して失敗した者も多いが、自分や他人に存する愚かさを過…
なぶればうさぎも食いつく 日本の諺より
意見の相違を手探りで確認することで、ようやく目の前に自分とは相容れない何者かに気付く盲人の群れ――それが人間なんだとしたら? 意見の相違に気付かない者や、意見の相違を認めない者は、自分以外の人間を知ることが無い、ということになる。彼の真っ暗な…
女性は、業の深さも生殖上の成否も分散が小さい。 男性は、業の深さも生殖上の成否も分散が大きい。
「君があの獲物を啄まないのは、君がカラスじゃないからじゃなくて、ただ単に弱いからじゃないのかな。」 「君があのネズミを食い尽くさないのは、君が無欲だからじゃなくて、ただ単にそのほうが得だからじゃないのかな。」 こうした基本をさっさと迂回し、…
時々、幸福を「喜怒哀楽の喜楽だけの状態」と定義づけて、それを追い求めている阿呆がいる。彼らが「喜楽が続くことが幸福」という明確に誤った固定観念を捨てない限り、永遠に地獄でのたうち回ることは避けられない。
243 :名無しさん@6周年:2006/06/28(水) 19:11:38 id:YP4yAtbl0 男は若いときほどガツガツする 女は年をとるたびガツガツする
ありがたや エロゲの箱の物陰に アスカは今だ おはしますなる (元ネタは、高野山の御詠歌だったり)
多年草の「搾取」がしっかりと根を下ろすのは、何と言っても情動反応と論理的思考の狭間または隙間だろう。ここに根を下ろした「搾取」は、バランス感覚に乏しい人々からどんどん養分を吸い上げる。そして真っ赤な毒々しい花を、おおっぴらに、誇らしげに咲…
「あなたを信じているんです」という言葉にしばしば宿る、厚かましさや欲深さに、そろそろ嫌気が差してきた。
世の中には、考察や議論こそが諸々の変化を引き起こす最善かつ最初の一手だと思い込みたがる人がいる。何事もまず委員会を設置してから解決しようとでもいうのだろうか。実際のところ、手足をまず動かすことが最善かつ最初の一手として最も効果的なことが幾…
哲学のない宗教は迷信に陥り、宗教の無い哲学は無味乾燥な無神論になる。 ヴィヴェーカーナンダのことば(近代インド宗教思想家)
“ユートピア”を夢見るために必須の素養は、人間および自分自身に存する粗野な性質から目を逸らすだけの野蛮さ、または鈍感さである。
若い内に死ねば大作家、晩節汚して凡作家 という水準の人がいないだろうか?作家界隈に限らず。
私達の住む社会において、利得と損益に関わる短期〜長期的判断を下さなければならない場面が増加すればするほど、判断力の優劣に伴う勝敗は蓄積しやすく貧富の差も拡大しやすい、と推測することができる。
一個人にとっての「意味」なるものの殆どは、その個人にとっての文脈によって形成される。
あなたの書いた文字列をみた瞬間。 わたしと、あなたの、執着を、今ここに。
・娑婆世界の万物は、流転している。 ・とりわけ人の創りだしたものは変化しやすい。 ・人の思うところや自分の思うところは、殆ど一所に留まらない。 ・一切は均一ではない。不均一性や不平等性に娑婆は被われている。 ・不均一性や不平等性は、なくならな…
喜怒哀楽はすぐに生まれてすぐに消える感情だが、嫉妬や羨望や執着は長くくすぶる場合が多い。この時間的ギャップもまた、人間の適応シーンに多くの悲喜劇を生み出してきた。
上手い話には裏がある。 日本の諺より
必ずしも文化的に優越しなければならない道理なんてありません。 ですが身近な人達やお近づきになりたいあの娘に、文化的に見下される事態は避けたいものです。
人を見たら泥棒と思え。 (現在、出自不詳)
終の日まで不平等。
言葉で腹は膨らまねぇ。 理念で喉は潤せねぇ。
人間の身体は、日々摂取する食べ物と飲み物に含まれる原始や化合物によって構成されている。つまりあなたが何者なのかは、あなたの食卓に並んでいる献立をみる事で知ることが出来る、というわけか。 ああ、あなたはシュークリームで出来ているんですか。すご…
蛇のように聡く、鳩のように素直でありなさい。 マタイ福音書より
大切なのは、布団の中でロマンを夢見ることではない。 ロマンに向かって実際に歩いていくこと、どちらの方向にソレがあるかを見定めることである。
個々の人間が営むギャンブルや恋愛のスタイルは千差万別である。 しかし、スタイルや手管がどうあれ、営みの目的は常にひとつである。 自分自身の利得を最大化し、損失を最小化すべく、全ては試みられる。