シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

帰ろう、はてな村(的などこか)へ。

 
インターネットの大海原とそこでの消耗、消耗の回避についてざっと意見申し上げてみます……という体裁で書きたいことを書かせてください。
 
書くのが「怖い」とか「めんどくさい」という気分になることが多くなってきた - いつか電池がきれるまで
Twitterとは、何だったのか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
 
 
お二方の文章を読んで私はこう思いました。「帰ろう、『はてな村』へ」。今のブログでは書きづらくて、今のツイッターが危なっかしくて神経を遣うとしたら、私たちはもっと小さな場所に籠って、自分の言いたいことを言ったり、自分が書きたいことを追求したりしたほうがいいのではないでしょうか。
 
 
 

井の中の蛙、というけれど

 
「井の中の蛙大海を知らず」って、何か良くないことを指摘する際に用いられがちな言い回しですね。しかし、ときには井の中の蛙でいること・いられることも大切で、なんなら必要ではないでしょうか。
 
例えばこのはてなダイアリー(はてなブログ)では、過去に「はてな村」という幻想が成立して、相互認識しているブロガーたちが内輪感覚で繋がっている時期というか現象というかがありました。それを当時のブロガーたちは「はてな村」と呼び、その内輪感覚やローカルルールが嫌われたりもしていました。しかし内輪にいた人々は結構自由に文章を書いていたように思います。平和だったとは言えないかもしれないけれども、自由には違いなかった。まだ十年も経たないぐらいの過去ですから、冒頭リンク先のお二方なら覚えておられるでしょう。
 
あるいはツイッターも。00年代のツイッターは本当に自由で、なんでもアリで、それでいて炎上リスクの小さな何処かでした。Favoriteが五つ以上たまると「ふぁぼったー」で投稿が赤く表示されたのも懐かしい思い出ですね。お金にならない。宣伝にもならない。そのかわりつぶやく自由があり、憂鬱や苛立ちや科白が堆積するに任せる場所としてのツイッター。色んな人と繋がれるとはいえ、まだまだ政治家や専門家や芸能人と繋がれる場所だとは思いにくかった、開いていて閉じていたあの空間としてのツイッター。
 
「はてな村」や当時のツイッターは、まさに井の中の蛙の空間でした。あるいは湾や入り江や汽水域のようなものでしょうか。グローバルな大海に一応繋がってはいるけれども、意識としても実装としても現実としてもたかが知れていて、身内的で、だからといってFacebookとも違っているインターネットの数ある小さな井戸、または水たまりでした。そこで私たちは自由に、ゲコゲコと、かえるのうたを歌っていたわけですね。
 
しかしインターネットはそうではなくなりました。とりわけツイッターはあまりにも繋がって、繋がりすぎるせいで万人の万人に対する監視と宣伝と立場と政治の場所になってしまいました。現在のツイッターにはアメリカ大統領や大実業家のアカウントがあります。大企業や省庁のアカウントもあります。インターネットがあらゆるものを接続するのは過去も現在も同じといえば同じかもしれません。それでも使われ方や内実は随分違ってきたでしょう?
 
今では、まったく無名の泡沫アカウントでも大統領や省庁や大企業のアカウントのつぶやきを聞くことができ、そこに返信することもできます。そして炎上する可能性もあれば炎上に加担する可能性もあります。そういった諸点を踏まえるなら、過去の「はてな村」や過去のツイッターと同質とはいいきれません。
 
そうしたわけで、実際、私たちの仕草も変わってしまいましたね。ツイッターで政治やビジネスをしている人はそのように。そうでもない人もそうでないように。どちらにせよ、井の中の蛙の振る舞いではありません。シャチやホオジロザメが回遊している、大海を前提とした振る舞いです。そこは、経済的・政治的・芸能的・文筆的にビッグな人々が餌を求めて徘徊し、群れをなし、おこぼれにあずかろうとするスカベンジャーが蠢くような生態系です。この大海原において、言葉はどこまでも届くし誰の目に留まるかわかったものではありません。自由ではあるでしょう。けれども大海の自由は、井の中の蛙の自由とは質的に違っています。できること・やって構わないこと・似合っていることが違い過ぎている。
 
 

書くことを養うのは大海ではなく井戸や入り江だったのでは?

 
お二方は、この繋がりすぎて遮蔽物の乏しいインターネットで言葉を紡ぐことに倦んでいるようにも、消耗しているようにもお見受けしました。私も本当はそうで、2022年になってインターネットの大海での活動を意識的に減らしています。そこで何かを語るだけでなく、何かを見ることも減らしました。そういう神経を遣う生態系に滞在し続けては、インスピレーションは高まらないと思うので。
 
本当は、ツイッターなどを主戦場にしている人たちも結構消耗しているんじゃないでしょうか。もちろん、そこでシャチやホオジロザメをやらなければならない人には相応の理由がありますから、消耗するからといって回遊しないわけにもいかないでしょう。とはいえ、大海を泳ぐこと、それ自体がインスピレーションを養い、自由な着想や奇想天外なアイデアを生み出すとは、私にはあまり思えません。
 
過去の、インターネットが楽しかったと感じていた場所と時間を思い出すと、そこは大海ではありませんでした。そこは井戸や入り江や汽水域に例えるべき場所や時間だったはずです。匿名掲示板や相互リンク文化のウェブサイトも含めて。そういう場所や時間だったから、私たちは楽しんで、インスピレーションの火花を散らしやすかったのではないでしょうか。
 
ならば、答えはもう決まったも同然。
今のインターネットに書くことに倦んでいる人は、帰るのがいいと思うのです。
帰ろう、はてな村へ。
あるいはゲコゲコと鳴いていた懐かしい井戸へ。
大海の塩水と甘い淡水の混じり合う汽水域へ。
 
不特定多数に対してステートメントを出すための場所と、インスピレーションを養うための場所は、分けて考えなければならないのが今のインターネットではないかと私は思います。では、井戸や入り江や汽水域に相当するのはどこなのでしょうか?
 
それはredditやdiscordやtelegramかもしれない。LINEやmixiやマストドンかもしれない。いやいや、近所の居酒屋でも本当は良かったはず。残念ながら、ブロガー居酒屋はなかなか存在しないのですが。でも、オフ会ならできるかもしれません。居住地の都合などあるのでオフ会もオフ会でハードルがありますが、インスピレーションを養えそうな者同士で打ち解け合うオフ会ならば、火花が散りやすく、エンカレッジされやすいように思います。
 
もちろん、大海然としたインターネットに何かを書き置くことにも意味はあるでしょうし、書くことだってあるでしょう。でもそれだけではインターネットは塩辛くて神経を遣ってしまいそうだから、自分のインスピレーションや感情や意欲を養うどこかが今は不可欠のように思います。考えてみれば、世の文筆家や漫画家や小説家にしても、大海としてのインターネットだけでインスピレーションや感情や意欲を養ってきたとは、あまり思えません。そうでない何処かも含めてアウトプットと自分自身の内界との帳尻が合っていたのではないでしょうか。
 
ここではない何処かで養生中のp_shirokumaからは、以上です。
 

生きるって本当はこういうことだ──『すずめの戸締り』雑感

 
※途中からネタバレがあるので、気になる人は引き返してください。
 

 
雨降る日曜日、すずめの戸締りを観に行くことになった。事前に知っていたのは新海誠が監督だということ、それだけだった。
 
ぜんぶ見終わって、とても良い映画だったけれども自分のストライクゾーンとは違うと感じた。つまんなかったわけでも、感情的に癇に障ったわけでもない。まったく楽しい二時間だった。新海誠監督はこんな作品を日本社会に押し出せる/押し出すようになったのですねと驚いた。尺のテンポもキャラクターも良かった。創作のきわみにある人とその制作陣は、こんな創作ができちゃうのかと痺れまくった。舌を巻くしかない。
 
前作『天気の子』や前々作『君の名は』に引き続いて、この作品の舞台や出来事にああだこうだ言う人が出てくると予測される。制作側としては、そのように批判する人が出てくることも織り込み済みの仕事なのだろう。そうした、批判を織り込み済みであろう描写があちこちに登場して、なにより、物語の核心にあたるエッセンスを描くことそれ自体も一定の批判が不可避に思えた。しかし、そういった批判に無自覚なほど制作側が無神経にみえたかといったら、そうではない。丁寧だったと思う。丁寧に、批判をする人が癇に障るであろう描写や物語をやってくれたな、と私は感じた。私はそれって良いことだと思う。新海誠監督は、日本じゅうの人が見るアニメ映画の監督さんになってもなお、八方美人はやってない感じだった。
 
それでも自分のストライクゾーンとは違うと感じたのは、この作品が想定しているお客さんのリストというか、この作品のターゲットに自分自身が含まれていない気がしたからだ。この作品が想定しているお客さんとは、昔だったら『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』を見に来るようなお客さんの、2022年バージョンのように私には思えた。もちろん90年代と2022年はイコールではないし、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』を見に来ていたお客さんと『すずめの戸締り』を見に来るお客さんも同じではない。いずれにせよ、この作品がターゲットに捉えているのはきっとすごく広い人々だ。間口が広いから、私だってその広い人々の一部になることは可能ではある。それでもなお、この作品がじっと見つめているその目線の先に、私はいない気がした。
 
じゃあ、この作品がじっと見つめている目線の先に、誰がいたのか?
 
作中、たくさんの人々が登場する。九州。四国。関西。関東。それぞれの地方の人々が描かれていた。この作品がじっと見つめている目線の先にいるのは、第一に、それぞれの地方で描かれていた人たちじゃなかっただろうか。それは、看護師を志す高校生だったり、教師を目指す大学生だったりする。脇役にも、公務員や自営業の人々、農林水産業の人々が登場したが、彼らはどのように描かれていただろうか?
 
ネタバレなしで書くのはやっぱり難しい。
ここからは、ネタバレありで書いていくので、観てない人はここで回れ右をしてください。10行以上ほどあけてから、書きたい放題に書き散らそうと思います。
 <ネタバレなし、ここまで。>
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 <ネタバレあり、ここから。>
 
 
ここからネタバレありで書いていく。ネタバレが困る人は、今からでもいいので引き返していただきたい。
本当に、気兼ねなくネタバレするので。
 
 
 
この作品は、東日本大震災の津波で母を失い、宮崎県のおばのもとで育てられた岩戸鈴芽(以下、すずめ)が常世と現世を繋ぐドアを閉じる生業をやっている草太に出会い、自分が開けてしまったそのドアを一緒に閉じる場面からテンポアップしていく。すずめは東日本大震災後の幼少期にも常世とのドアを開けてしまったことがあり、その影響でドアが見えてしまい、ドアから現世に向かって溢れ出る地震の源、作中ではみみずと呼ばれている存在も見えてしまう。常世と現世、みみずと地震の存在、さらに災害を抑える要石でもある神猫の右大臣と左大臣が登場することから、この作品では、地震は「戸締りすべき常世と現世の間のドアから溢れ出るみみずによって引き起こされるもの」とみなされていることがわかる。みみずが溢れ出はじめた段階では地震の規模は小さい。しかし、みみずが十分すぎるほど溢れ出て、地表に倒れ込むほどになると規模が大きい地震になってしまうことが、宮崎県でみみずが倒れ込んだ時の描写からみてとれる。
 
『すずめの戸締り』では、このみみずが溢れ出てしまう描写が宮崎→愛媛→兵庫→東京と西から東へと描かれていく。宮崎や愛媛で描かれているということは、日本のどこにでもみみずは現れる=地震災害は起こるということだろうし、兵庫が選ばれたのは阪神大震災の起こった土地だから、東京が選ばれたのは過去に関東大震災が起こり、今後も大規模地震災害が発生する可能性の高い土地でもあるからだろう。作中、東京の皇居近くの地下のドアからみみずが溢れ出る場面があり、地震が起こったら百万人が死ぬとか誰かが言っていた。この作品では東京は猥雑に描かれてはいない。そのかわり、実は明日をも知れない、いつ地震災害が起こってもおかしくない土地として描かれている。日本列島全体もそうだ。描かれる日本の景観は、どれも美しい。しかしその美しい景色のそこかしこに廃墟があり、失われた過去があり、地震災害が起こるものとして描かれている。
 
最後に一行は、震災被害地の東北にたどり着き、そこで常世に向かったすずめは要石になってしまった草太を救い出すと同時に(草太と共同で)地震災害を防ぎ、常世からも帰還した。その過程で震災以来のすずめの色々が救われ──ところで、あれを救われたと言って片づけてしまうのはなんとなくしっくりこない。供養? それも違う気がする。うまい語彙が見つからなかったので、ここでは仮に救いという語彙をあてがっておく──、すずめ達は日常へと帰っていく。それが、この物語のいわば主旋律だろう。
 
では、この物語のベース、通奏低音はどんなものだったのか?
うまく書ききれるか自信がないけれど、それは「生きるって本当はこういうことだ」だと私は思う。
 
本作品に出てくる生のありようは、現代社会において否定されていたり、遠ざけられてしかるべきもの、防がれてしかるべきものと看做されているものをいろいろ含んでいる。
その際たるものが地震災害による死だろう。死はあってはならない。死は防衛されなければならない。現代社会において死が存在して構わないのは、たとえば病院や施設において人間が最善を尽くしたうえでの旅立ち、そこまでいかなくても秩序だった、ゴロリと現れないような死だ。
 
私たちは事故死や災害死をあってはならないものとみなし、もちろんそれを避けるために最善を尽くしている。しかし作中で示されるように、本当はそれらを防ぎきることなんてできない。ひょっとしたら地震災害のない、いわばみみずの現れない土地なら可能なのかもしれないが、こと、日本列島に住んでいる限りは自然災害とは背中合わせである。田舎に住んでいても大都市圏に住んでいてもだ。
 

かけまくもかしこき日不見の神よ 遠つ御祖の産土よ 久しく拝領つかまつったこの山河 かしこみかしこみ 謹んで お返し申す

 
草太のこの詠唱は、そんな日本列島に住んでいる者の自然に対する態度、ある意味アニミズム的な、『天気の子』の気象神社の神主さんの言葉を連想させる。地震災害も豪雨災害もけっきょくは人智を超えてくる。自然を服従させてきたテクノロジーと思想を西洋から拝借している私たちは、それでもなお、自然はコントロール可能であるべきで、実は自然の一部でもある自分自身の命までもがコントロール可能であるべきだと思いたがっている。しかし現実にはまったくそうではない。災害のるつぼであるこの日本列島では、とりわけそうだ。
 
と同時に、すずめの振舞いもまた、生きるってのは本当はこういうことだ、を思い出させる。
 
すずめは家出をする。親に心配をかける。東京では交通規則を守ることができない。服が破れ、靴も履かないでコンビニに入り、そのまま電車に乗る。東京の人々はそれを見て「やばい」とひそひそ話をするだろう。血まみれになった足の血を洗い落とすシーンが私にはすごく良かった。確かに「やばい」。すずめはしばしば「命を失うのは怖くないのか?」とも問われてもいる。そしてすずめは答える。怖くはない、と。
 
のみならず、スナックでは皆が酒を飲み、芹沢はたびたび煙草を吸う。おいおい、命を失うのは怖くないのか? これらは全て、現代社会の生のありようとして褒められないものかもしれないし、リスクを想起させるもの、生のために避けるべきことかもしれない。
 
では、すずめの行動は、人々の営みは、否定的に描かれていただろうか?
まったくそうではない。肯定的に描かれていた。もちろん、すずめのように東京の道路で車道を横断するのが好ましいと描かれていたわけではない。すずめの行動は危険だった。けれども、全体としてのすずめの行動のありようは良いものとして描かれていた。少なくとも腫物に触れるような描かれ方からはかけ離れていた。すずめの行動のありようを腫物のように扱う者がいるとしたら、それは、彼女を見て「やばい」とひそひそ話をする者だろう。
 
と同時に、この災害の国に暮らす人々の営みも、明るく描かれていたように思う。もっとしみったれた、悲観的な営みを描くことだってできただろうけれども、『すずめの戸締り』は、それらをも肯定的に描く。スナックで皆が酒を飲むことも、芹澤が煙草を吸うことも、すずめがおばと言い争いになるシーンもだ。人が生きるということには、そういう部分だって含まれているんじゃないか、そういう問いが『すずめの戸締り』にはないだろうか。震災の後に生きること、この災害の絶えない国で生きていること、明日をも知れない今を生きていくこともだ。
 
この、「生きるって本当はこういうことだ」を肯定的に描いてみせ、希望を示すこと、それが今作『すずめの戸締り』の通奏低音で、前作『天気の子』ではあまり聞こえてこず、前々作『君の名は』でもそんなに強く聞こえてこなかったものだった。私は、ここが本作のいちばん濃いエッセンス、主題に限りなく近いものだと想像する。
 
このあたりが、同じく自然災害が登場する『天気の子』や『君の名は』とも異なっているところだし、『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『雲の向こう約束の場所』などのテイストを期待して観に行ったら肩透かしを食うところではないかと思う。たとえばセカイ系という語彙は、この作品にはおさまりのわるい語彙だと思う。要石になった草太を救う/救わないの逡巡は端折られていたし、結局、要石の役割は右大臣と左大臣という神猫が引き続き引き受けることになる。もっとセカイ系くさい物語にすることもできただろうけれども、それはオミットされたのだろう。ということは、セカイ系というスコープで本作の良し悪しを推しはかるのは、筋違いではないだろうか。
  
本作の生の描かれ方、「生きるって本当はこういうことだ」の描かれ方は、現代社会において人間が定めた死生観、特に自然を飼い馴らしてきたテクノロジーと思想の延長線上に生きている人、リスクマネジメントに基づいて自他の生きるということを思科するのが専らの人には not for me ではないかと思う。また、新海誠監督はそのような人のほうを向いて本作を作ったのではなく、まさに今「生きるって本当はこういうことだ」のように生きている人々、いわば、すずめやルミや芹澤のように生きている人のほうを向いて本作を作ったのではないだろうか。
 
ここまでを読んで、じゃあすずめやルミや芹澤のように生きていない人ってどういう人だい? と思った人もいるだろう。答えるなら、それは本作で描かれている「生きるって本当はこういうことだ」から隔絶された死生観を内面化し、また、そのように生きることが許されていた人々だと思う。それは、色々な意味でへいわぼけした世代のことであり、東日本大震災以降の社会の様相を通常運転とみることができない人々のことでもある。私には、今の人々は氷河期世代などと比較しても、すずめやルミや芹澤のように生きているようにみえる。一面としては、今の若い世代は未成年犯罪を犯すパーセンテージも低いし、食習慣もより健康的だし、団塊世代や団塊ジュニア世代と比較してもリスクマネジメントに基づいた生活を身に付けているが、その一方で、自他の命がたやすく失われるものであり、脆くてはかない基盤のもとに生きていること、そうした死生観にたったうえで生を謳歌することを知っているようにみえる。そういった反映として、すずめが愛媛や神戸を発つ時、千果やルミとすずめは今生の別れであるかのように印象的な挨拶を、約束を交わしていたのだろう。
 
こういう作品が大手を振って上映される時代とは、不幸な時代なのかもしれない。それでも、いつの時代でも人は生き、生きていく限り希望はある。災害が発生する国でも、先行きが見通せなくても、人は笑い、幸福を求め、また会おうと約束しあって別れるだろう。そういうことを『すずめの戸締り』は訴えかけているように私にはみえて、それはそれで好ましいものだった。私は引き返しのできないほど年を取ったが、それでもすずめのように生きたい。でも、私はすずめのように真っ直ぐ生きられているだろうか? そういう自問がよぎる。ああ、そうやって考えてみれば、自分のストライクゾーンではなくても、この作品は私になんらか効果があった作品だったわけだ。生きて、生きて、いつか私は死ぬのだろう。その日まで、良く生きたい。──そんなことを私はこの作品から受け取ったのかもしれない。
 
 

 

ひつじ雲を見上げ、今日も明日も生ききろうと思う

 
 

 
 
秋も深まり、高い山では紅葉が始まろうとしている。夕暮れ時のひつじ雲。今年度ももう後半になった。空を見上げながら、人生の残り時間を思う。
 
『山月記』を書いた中島敦は「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い」という言葉を残したというが、ひとことで何事をなすと言ってもさまざまだ。仕事で業績をなすこと、子どもを育て養うこと、創作や学術の世界で書籍や詩集や論文をなすこと、芸事やスポーツの世界で活躍すること、等々。今のネットでは過小評価されがちだが、地域や親族に対して何事かをなすことも、私には何事かの範疇と思える。挙げればきりがない。
 
で、人生の後半にさしかかった私があのひつじ雲を見上げる時、ああ、何事につけても時間が足りない、という気持ちを禁じえない。焦燥感にとらわれるほどではないけれど、一日24時間では足りないなとよく思う。
 
朝は早く起きて座学をするかスプラトゥーン3の基礎練習をするか。ソーシャルゲームのログインボーナスも一応取っておく。年をとるにつれて朝には強くなった。そのかわり、楽しい深夜を失ったのだが。朝は気が急かないのもいい。一日は、始まったばかりだ。
 
昼は働く。もちろん仕事は大切だ。仕事は、特に難しいことを考えなくても何事かをなしたことに自動的に導いてくれる。だから職場・企業・組織とはありがたいものだし、そこで仕事を作ってくれる立場にある人の業績は素晴らしいと思う。仕事をとおして私たちは社会になんらかの貢献をなし、なんらかの報酬を得る。とはいえ、現役でいられる期間、今の仕事を今のようになせる時間には限度がある。中年なら誰しも、その限界に一度は思いを馳せたことがあるはずだ。
 
仕事や家のことを済ませ、余裕があれば、貴重な時間を他の何事かに充てられる。私は欲張りなので、余暇は無限に欲しい。学ぶこと・家族と過ごすこと・ブログも含めた書くということ・この世を見てまわること。本当はもっとできたらと思う。午後も10時を回ると、そうしたことが不十分なうちに一日が終わったことを寂しく思う。そこから想像するに、きっと私は人生の終わりを悄然と迎えるのだろう。
 
欲をかきすぎているのかもしれない。しかし人は欲にドライブされるまま生きて、何事かをなして、やがて死んでいく生き物だから、ある程度は諦めながらも前のめりに私は生ききってみたいと。きちきちのスケジュールは私を老化させるだろうが、それは仕方がない。私は人生を行使し、身体に刻まれていく皺を引き受けざるを得ない。
 
 

人生で何度目かの高3の夏休み

 
2022年前半の私は道に迷い、自分のやりたいことがわからなくなっていたが、数か月ぶりにようやく体勢を立て直してきた。そのインターバルを経て再び思い出した──これは有限の時間なのだ。自分の人生から入道雲が消え、ひつじ雲が浮かぶようになっても、その有限の時間のなかで私は何事かをなさなければならない。それは客観的な意味での何事かというより、私自身にとっての何事かだ。とはいえ、私のことだから前者と後者を結びつけようと工夫するだろうけど。
 
思秋期といえども、働く身といえども、これは高校三年生の夏休みにも等しい時間だ。私は、人生には高校三年生の夏休みみたいな時間が何度もあると思う。何度も高校三年生の夏休みを引き寄せるような人生を生きてみたいし、私はそう生きようと願望する。もちろん人生は一度きりだから、人生そのものが高校三年生の夏休みだと比喩してもいいのだと思う。どうあれ私は今日も明日も生ききろうとするしかない。明日のことはわからない。それでも自分にできる何事かに向かって最善を尽くすしかない。
 
高校三年生の夏休みを忘れがたいものにする秘訣は、その入口で決めた目標を達成できるかどうかではなく、目標を意識しながら駆け抜けた時間を真摯なものや真剣なものや没入したものにすることではないかと思う。きっと人生も、今この瞬間も、同じではないだろうか。空が茜色になっても、だんだん日が落ちる時間が早くなっても、そのように日々を過ごしていけたらと思う。
 
 
追記:

ひつじ雲を見上げ、今日も明日も生ききろうと思う - シロクマの屑籠

高3の夏休みが何の比喩だかわからなくて、何度か行きつ戻りつして、「ああ、受験勉強で頑張ることが当然の世界に生きてた人なんだなあ」と思い至った。数百年後の国語教師が注釈をつけるんだろうな。

2022/11/04 09:47
b.hatena.ne.jp
高3の夏休みが何の比喩だかわからなくて、何度か行きつ戻りつして、「ああ、受験勉強で頑張ることが当然の世界に生きてた人なんだなあ」と思い至った。数百年後の国語教師が注釈をつけるんだろうな。

多少は勉強した。でも、それだけじゃない。同級生たちと海に出かけたことも、片思いの相手にそんなにお近づきになれなかったことも、暑い夏だったことも、全部含めての高3の夏休みだった。誰かから見てそれがどう見えたのかは知らない。それでも当時の私にとって高校三年生の夏休みは思い出に残る、人生の軌跡の鮮明な時間だった。そういう風に、高校生三年生の夏休みを一度きりの思い出として思い出す人は今でも多いんじゃないだろうか。そのような前提のもと、この文章は、今という時間だって本当はさほど違わないしやるっきゃないよね、という気持ちのもと書いたものでした。
 
 

おれたち、黙って死んでくれると思われてませんか?

 
togetter.com
 
上掲リンク先は、「氷河期世代が高齢になった時、若い世代のために切り捨てられる」的な話題のtogetterだ。私のタイムラインではよく見かける話で、実際、氷河期世代が高齢者になった時、今までどおりの社会保障が支えづらくなるのは多くの人が予想していることだ。
 
将来に限らず、就職氷河期世代、ロスジェネ世代とかロストジェネレーションとか呼ばれた人たちは、バブル崩壊後の影響をモロに受けて就職難に遭遇し、結婚や家族を持つ機会も逸し、これからは社会保障費のお荷物とみなされようとしている。それはそのとおりなのだろう。そんなわけで、当の氷河期世代はツイッター上で自分たちの不遇や見捨てられようとしている未来を悲観してみせる。
 
 

「おれたちを生かさないとただじゃおかないぞ」と氷河期世代は行動したか?

 
氷河期世代の境遇が不遇だったのはわかる。
では、その不遇な氷河期世代は「おれたちは不遇だから見捨てるな」「おれたちを生かせ」「おれたちを生かさないなら、ただじゃおかないぞ」と団体行動できていただろうか?
 
それを確かめる前に、昭和時代の日本人と、現在のフランス人に目を向けてみたい。
 
昭和時代も中頃の日本人は、しばしばストライキをした。団体行動権、ってやつだ。ストライキに限らず、団体行動はいろいろあった。日米安保を巡る運動、全共闘運動、等々。運動の成否はさまざまだったが、とにかく昭和の人々は徒党を組んで運動し、行動した。適法も違法も含めてだ。
 
現在のフランス人についてもそれが言える。フランスに限らず、ドイツやイタリアでもストライキは頻繁で、規模も大きい。労働者は団体行動する。黄色いベスト運動も凄かったし、新型コロナウイルス関連の規制に対しても、なかなか大きな規模のデモが行われ、為政者をうんざりさせていた。
 
こうした団体行動は、社会や経営者や為政者に対してどれぐらい有効だっただろうか? その成否や正否はさておき、為政者をうんざりさせる程度の意味、メッセージとしての意味はあったのだろう。そういった団体行動をとおしたメッセージを過去の日本人、あるいは現在のヨーロッパ人はやっていた。
 
で、氷河期世代にそれが出来ていたか?
 
私の記憶する限り、氷河期世代は団体行動をとおして為政者をうんざりさせたり、社会にモノ申したりはしていないよう回想する。
 
バブル世代という言葉が生まれる前、シラケ世代という言葉が生まれた。全共闘などの政治の季節が終わった後、政治運動などに関心を持たない個人主義的な若者につけられた言葉だ。
 
とはいえ、世代で区切って考えるなら、このシラケ世代なりバブル世代なりは恵まれていたほうだ。もちろんバブル景気の前には不況の時期もあったがバブル景気崩壊以降の長い停滞に比べればそこまでではなかった。個別の悲喜劇はあったにせよ、世代全体でみれば政治運動などしなくても豊かな個人生活を享受しやすい世代だったと言える。
 
対照的に、氷河期世代はそうではなかった。就職先に困り、結婚や家庭に困り、これからは老後に困ろうとしている。世代全体でみれば割りを食った世代だ。政治運動すべき、ストライキすべき、団結行動し社会に圧力をかけていくべき、そういう理由が若い頃からたっぷりあったはずの世代だ。シラケ世代より前の日本人か、現代のフランス人なら、きっと行動していたんじゃないだろうか。
 
ところが氷河期世代は何もしなかった。
氷河期世代がストライキを起こした、団体行動を取った、ロスジェネ一揆を起こしたという逸話は寡聞にして聞かない。
ごく一部の人が文章をとおして何かを言っていたかもしれない。
もう少し多くの人がツイッターで何かをさえずったいたかもしれない。
それだけだ。
 
 

なぜ、何もできなかったのか。

 
ではなぜ、氷河期世代は団体行動できなかったのだろう。
 
シラケ世代以降、個人主義と政治の敬遠は進み続けてきた。それだけではない。なにやら、団結すること・群れて行動し争うこと自体、次第にタブーになってきたのではないかとも思う。たとえば政治運動やストライキに対する氷河期世代以降の冷ややかなまなざしを見ても、それは想像されることだ。
 
個人主義化が進んでいくなかで、デモやストライキや一揆が社会通念にそぐわなくなっているようにもみえる。それはシラケ世代以降の思想の産物だろうか? そうかもしれない。個人主義、多様性のある生、それらは耳障りの良い言葉だが、それらをとおして実は私たちはアトム化した個人になってしまい、分断することばかり上手になってしまい、共通のイシューに関してまとまることができなくなってしまったようにもみえる。
  


 
個人主義や多様性のある生、それらに親和的な社会通念やインフラは良いものとされてきた。だけど、それらを実現する社会通念やインフラをとおして、私たちが集団の利を活かせなくなっているとしたら……。巡り巡って、個人でしかものが言えず、集団ではものが言えない、そんな人間に私たちが変わってしまったのだとしたら……。
 
私たちは、為政者やエスタブリッシュメントの側にとって非常に都合の良い人間につくりかえられてしまったのではないだろうか。
 
 

為政者やエスタブリッシュメントにしてみれば、笑いが止まらないでしょう

 
かくして日本人は、団体行動できない、社会に対して群れてものが言えない国民になった。主語を氷河期世代から日本人に変えたが、これは間違いではない。団体行動できない・社会に対して群れてものが言えないのは、氷河期世代よりも若い人々だって大同小異だからである。
 
日本人が団体行動できなくなり、デモもストライキも違法適法の集団行動もできなくなったことで、日本は飛行機や電車やサービスが止まることが少なく、騒がしくなく、秩序だった国になったとは言えよう。そのかわり、どんなに生活が苦しくなっても、社会がおかしいとみんなが思っていても、政治的に有意味な、社会的圧力になるような集団的運動のことは忘れられてしまった。そういう方法で為政者やエスタブリッシュメントにメッセージや警告や出すすべを忘れてしまった。
 
これって、体制側の、為政者やエスタブリッシュメントからすれば笑いが止まらないことじゃないだろうか。
 
モノ言わぬ大衆、ツイッターで不満をさえずることしか知らない大衆ほど、為政者にとって都合の良いものはない。ツイッターでさえずる声は確かによく響く。しかしそれはバラバラの言葉であり、アトム化した個人の声の点描、烏合の衆以下でしかない。こと日本の場合、ツイッターでのさえずりは為政者がうんざりしたり脅威を感じたりするようなものではない、ということだ。
 
なかには個人単位で社会に対してモノ申そうとする人もいるだかもしれない。テロリズムを起こす個人などはその極端な例で、そういった事例は21世紀以降の日本にもそれなりある。
 
しかし個人単位で社会にテロを起こしても、それは個別の犯罪や精神鑑定の対象として、個人化されてしまう。個人的なテロリストがどんなに社会的メッセージを行動に仮託したとしても、結局それは個人的な行動上の問題として、司法や医療をとおして処理され、体制に回収されてしまう。かりに、総理大臣経験者が凶弾に斃れるほどのテロだったとしても、個人が個人としてそれを行っている限り、それは個人的なものでしかない。体制はびくともしない。それどころか、個別のテロは体制側の対策を生み、かえって体制を強化したり利することさえあるかもしれない。
 
政治は、個人のスタンドプレーでは動かない。個人の行動は、しょせん個人の行動でしかないから司法や医療に回収されて脱ー政治化されてしまう。だから集まること、集まって行動しメッセージを出していくことが大切なのだが、それが私たちにはできなくなっている。
 
だとしたら、私たちは、黙って死んでくれる都合の良い大衆だと思われっぱなしではないだろうか。
 
為政者やエスタブリッシュメントも世代交代を繰り返していくので、氷河期世代がその枢要を握ることだってあるだろう。しかし、氷河期世代の為政者やエスタブリッシュメントも、大衆がなんにもモノを言わなくて、なんにも行動しなくて、黙って死んでくれる都合の良い大衆であり続けるなら、気兼ねなくゆでガエルをゆでるコンロの火力をあげることだってできるだろう。それは氷河期世代だけの問題ではない。為政者やエスタブリッシュメントだけの問題でもない。黙ってゆでられることしかできなくなった私たち全員の問題でもある。昭和の日本人やフランス人のように行動できなくなって、黙って死んでくれると為政者やエスタブリッシュメントに思われてしまいやすい私たち全員の問題でもある。
 
「おれたちを生かさないとただじゃおかないぞ」を失ってしまったのは、本当はとんでもなく大きな損失だったのかもしれない。
 

ワインがホームランを打つ、とはどういうことか

 


 
ワインが三振するとは、ホームランを打つとはどういうことだろう。
 
たとえば「ブルゴーニュは三振かホームラン」と言った時、込められたニュアンス、期待、狙いは飲む人によって違いそうではある。「酸っぱかった。よって三振」「苦みがあった。よって三振」「ワイン会で一杯飲んでみた時、並び立つワインたちのなかで目立たなかった。よって三振」みたいな評価をする人だっているかもしれない。それは辛口じゃないかと私などは思う。でも、ワイン愛好家にも色んな人がいるし、それこそ、神の雫的なワインをもってホームランとみなす人だっているかもしれない。
 
それでも、ワイン愛好家が10人いたら9人は「あっ これはホームランですね」って答えるワイン*1はあるように思う。今、ワイン界でものすごい値上がりをみせているワインの作り手たちは、ワイン愛好家の大半がホームランだと答えるようなワインをつくっている……と期待されている。
 
考えてみれば、打率9割、ホームラン率4割のワインの作り手がいるとしたらどうなるか。異常だ。そりゃあ値段が高くなるだろう。お金に糸目をつけないタイプのワイン愛好家は、ワインにホームランを、それも場外ホームランを期待し、まるでソーシャルゲームの廃課金者のようにワインに課金する。そのようなワイン廃課金者にとって、せいぜい最大飛距離70m程度の1500円のワイン、草野球チームのようなワインなんて眼中にないだろう。「そんなワインはうちのチームでバッターボックスに立つ資格なし」と思っている愛好家も多いに違いない。
 
それは、仕方のないことかもしれない。
ワインには世界市場があり、グローバル経済のなかで世界じゅうのワインが売買され、比較されている。そうしたワインたちが、個性や来歴さまざまとはいえ、横並びに比較されるのだから、最大飛距離300mのワインと最大飛距離70mのワインでは需要は決定的に異なる。でもって本当にカッ飛ぶワインは、品種がメルローであれシャルドネであれピノ・ノワールであれ、本当にカッ飛ぶ。その瞬間が忘れられないから、「ホームランよもう一度」とワイン愛好家は鵜の目鷹の目でワインを手に入れようとする。
 
と同時に、ドラフト一位のようなワイン、スター選手のようなワインを大枚はたいて買ってきて蔵に寝かせるのだから、かならずホームラン打てよ、シングルヒットなんかじゃだめだ、とワインにかける期待、いやプレッシャーは無限に高まっていく。
 
「ブルゴーニュは三振かホームラン」とは、ブルゴーニュワインが値上がりしたことにより、ワイン愛好家がブルゴーニュワインに寄せる期待とプレッシャーがいやがうえにも高まっていることの反映、という部分もあるかもしれない。だってそうだろう。10年前は8000円で買えたワインが、コロナ禍の前には16000円に、今では23000円になっているとして、10年前と同じ気持ちでそれを飲めるものだろうか? 
 
エチエンヌ・ソゼ ピュリニーモンラッシェ ラ・ガレンヌ 2018
 
たとえば、おまえのことだよ!
エチエンヌ・ソゼのラ・ガレンヌ!
 
クオリティのわりにはお値段控えめだったこのワインも、急激に値上がりして二万円台だ。3倍弱の値段になったワインに、以前と同じ気持ちで相対するのは非常に難しい。そして3倍弱の値段になったからといって品質が3倍になっているわけではなく、ときには、そのワインボトルがくたばっている可能性だってゼロじゃない。勢い、こういう値上がりしたワインを抜栓する時には神にも祈るような気持ちになる、ああ、神様、どうかこのワインにホームランを打たせてやってください。それが駄目ならせめて三塁打、いえ、二塁打を……。
 
こんな心境じゃ、まともに味なんてわからなくなっちゃいそうだ。
 
現在のブルゴーニュワインは、このように難しい遊び場になってしまったので、特に一級や特級を比べ飲みして、その優劣を論じてみせるのは左団扇で暮らす人でなければ無理だろう。昔は、ブルゴーニュワインに50万も突っ込めば一定の理解も期待できたかもしれないが、いまどき、50万程度ではたかがしれている。
 
さようなら、ブルゴーニュワイン。
世の中には、もう少し手が届きやすくて、奥行きさまざまなワインのジャンルがある。それに「ホームランか、三振か」だなんてワイン人生は精神衛生に悪すぎる。そのうちアメリカドルを飲むような気持ちにもなっちゃうかもしれない。もっとテンション下げてワインと向き合いたい。
 
 

身の丈の範囲で、作り手の三振~ホームランを嗜む

 
そんなわけで、あまり値上がりせず、あまり値の張らないワインの領域で遊ぶっきゃないと思うことがずっと増えた。
 
ワインと向き合う。世界の有名ワインをまたにかけて飲む。それは愛好家の夢だけれど、ひとつの地域、ひとつのワインの作り手の毎年の出来不出来に一喜一憂するのも、それはそれで楽しい。
 
たとえばアルザスはトリンバックの一番安いリースリング。
 
トリンバック リースリング 2020
 
こういう大量生産される白ワインでも、年によって様子はかなり違っていて、「今年はホームランだ」「今年は三振だ」と思ったりできる。この、2020年産の楽天レビューには「旨味より酸味が勝っておいしくない」と記されているし、実際、酸味が勝っておいしくないと私だって思う年があるのだけど、そうやって、年によって風味が違うさまを比べるのは案外楽しい。ワインってナマモノだなとも思う。このあたり、ヴィンテージという概念のあるワインならではの遊びだと思う。
 
高騰著しいブルゴーニュワインでも、一番お手頃な「ブルゴーニュルージュ」「ブルゴーニュブラン」なら、この遊びをなんとか続けられる。近頃のブルゴーニュルージュやブルゴーニュブランは、上位クラスのような特大ホームランは打たないとしても手堅くつくられていて、それでいて、年によって顔貌が変わって面白い。特級や一級がべらぼうに値上がりしている一方で、裾物のブルゴーニュは比較的値上がっておらず、値上がったぶん、ちゃんと旨くなっていると思う。豪華絢爛とはいかないが、とてもよくできたワインたちだ。なにより「ホームランか、三振か」なんて気持ちにならなくて済むのが良い。
 
確か、ワイン評論家のマット・クレイマーは、「高価なワインを飲む時にはさっさとデキャンタに入れてしまうのがいい、高価なラベルが見える状態だと気が気でならないから」みたいなことをどこかで書いていたと記憶している。いや、わかる。逆に言うと、そういう気持ちを起こさないようなワインが本来の自分の財布のサイズに合ったワインであって、たとえば私にとってそれはフェヴレのメルキュレだったり手頃なキアンティクラシコだったりするのだろう。
 
フォンテルートリ キアンティクラシコ 2019
 
そういった自分の身の丈に合ったワインが、あるときは二塁打を打って、あるときはピッチャーゴロを打つような、そんな世界でもワインは楽しく、それがアナログな鑑賞であることを想起させてくれる。そしてワインはライブ鑑賞にも近い。ボトルと一対一で向き合えば独演会になるし、食事と一緒にやればアンサンブルやオーケストラになる。
 
もちろんたまには奮発し、何某のグラン・クリュやら一級やらに相対するのもいいけれども、そういう時に無心にボトルと向き合うためには、財布を肥やすか、心を肥やさなければならない。そしてもし、高価なワインが三振した時にはちゃんと三振だと言えて、かといってシングルヒットを打っても三振と言わないよう、逆にシングルヒットをホームランだと呼ばないよう、修身しなければならない(いや、しなくていいけど私はしたい)。そのための方法は色々あるだろうが、とりあえず普段のワインとの向き合い方に関しては、自分が消耗しないで済む価格帯のワインのうちに気安い銘柄を見つけておいて、その銘柄と一緒に歳月を確かめていくことではないかと思う。
 
なんの話をしていたんだったか?
そうだった、ワインがホームランを打つとはどういうことか、って話だった。
それは、やっぱり難しい問いだ。
極端なことを言えば、意中の異性と一緒にワインを飲み、そのワインがいたく気に入ってもらえたならそのワインはホームランを打ったことにならないか? 
 
ワインのテイスティングとは違う話に着陸してしまった。が、コンテキストも含めてのワインがホームランを打つ、という視点は捨てがたく、一緒に飲む人、購入する際の財布の状態とも無関係ではない。「良いワインを開けるなら、良い人と、良いイベントの時に」というのも、要はそういうことなのだろう。願わくは、自分自身がワインがホームランを打つ状況に開かれていますように。
 

*1:ここでいうワインとは、そのボトル・そのグラスの中身に関しての話だ。どんなに名高い銘柄のワインでも、諸条件整わなければ本領を発揮しないことはままある