シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「はてなダイアリー」の気持ちを思い出したい

 


 
そうですね。こんな時だからこそ日記のようにブログを書きたい、SNSでみんなと不安をシェアしながら囀るより、自分の場所に籠って自分のことを書けたらいいですね。せっかく自分のブログがあるんだし。
 
その昔、「はてなダイアリー」というサービスがあった。まだブログという言葉が広まるか広まらないかの頃に誕生したサービスで、まさにダイアリーとしか言いようのない使い方をしているユーザーがたくさんいたという。私も、自分のはてなダイアリーを持ってからは日記のような文章をたくさん書いていた。いつしか、私は内向的な日記から常連さんに読んでもらうための文章へ、見知らぬ不特定多数が読むという前提の文章へと少しずつ変わっていったけれども、本当は、もっと自分の足元をよく見つめて、自分の足元についての文章を愛していたはずだった。
 
こういう世間が荒波にもまれて落ち着かない時には、自分の足元に咲いている花の色・新緑のにおい・馴染みの中華屋の日替わりメニューなどにフォーカスを絞ったほうが、自分自身のためであると同時に、ひょっとしたら世間様にも迷惑でないのかもしれない。
 
もし世間や社会に言及するとしても、見知らぬ不特定多数が読む前提は捨てて、もっと内向きの、自分自身の脳内を整理しなおすための文章に閉じこもったほうがためになるのかもしれない。
 
ウェブに書く日記は、紙のノートに書く日記にある程度似ているが、ある程度違っている。自分のほうを向いていること、第一の読者が自分自身であることは紙のノートと変わらないが、「誰かが読むかもしれないという緊張感」が与えられる点が違っている。
 
この「誰かが読むかもしれないという緊張感」が無いと、私の場合、文章が緩んでしまったり、同じ接続詞を連発してしまったり、単なるメモになってしまったりするので、この緊張感がどうしても必要だ。私は書き性なので、紙のノートにもワードファイルにも非公開のブログにも文章を書いているけれども、それらの文章は後になって読んで嬉しいものではなく、メモの水準を出ない。やっぱり「シロクマの屑籠」に記した文章が後で読んで嬉しい、思い出深いものになる。
 
はてなダイアリーが栄えていた00年代には、この「誰かが読むかもしれないという緊張感」に加えて、トラックバックを経由して他人の日記と繋がりあう可能性が期待できた。自分が書いた日記に他のブロガーが書き足してくれたものを、再び自分のブログに持ち帰るサイクルが現在よりも起こりやすく、ブログとはそういうものだという期待があった。
 
はてなブログになってからも、一応、よそのはてなブログからの言及は通知されるのだけど、ブログとはそういうものだという期待は衰退してしまったように思う。それでも、一定の緊張感を伴った日記としての機能は残っているわけだから、個人的なことを、個人的なままに書き記すぶんにはブログの有用性は失われていない。
 
もしかすると、noteを使って非公開かつ有料でやれば似たような有用性が、ひょっとしたらそれ以上の有用性が得られるのかもしれない。けれども有料の媒体には独特の磁場が働くことを思うと、はてなブログとは違った文章が吐き出されるのが目に見えている。私は一応noteのアカウントを持っているので、今後、オマケとしてnoteをやるかもしれないけれども、noteが私のメインの日記帳になることは多分無いと思う。
 
他人のはてなブログを覗きに行くと、繁盛しているブログは良くも悪くも見知らぬ不特定多数が読むという前提に加工された文章になっていて、もちろんそれは目的に適ったスタイルだというのはわかる。その一方で、それほど繁盛していないブログには日記然とした文体とたたずまいがしばしば残されていることがある。そういう日記然とした文体とたたずまいに、いとおしいほどの煩悶や狂おしいほどの自意識が記されていたら嬉しくなってしまう。ただ、嬉しくなったからといってソーシャルブックマークやSNSに紹介できるような時代ではなくなった。本当にいとおしいものや狂おしいものは、そっとしておかねければならないのが今という時代のインターネットだから。
 
冒頭引用ツイートの平民さんは、私よりもずっと日記然とした文章が巧くて、神戸市のイベントやらなにやらがあってもスタイルが崩れなくて、立派なブロガーだなぁと思う。ほかにも、スタイルを崩さずにブロガーをやってらっしゃる人、ブログは引退しても文体やたたずまいを変えずにネットのどこかで花を咲かせてらっしゃる人はいる。私も彼らを見習いたいけれど、私は彼らほど文章が巧くないし、彼らに比べれば軸がブレブレでもあるので、さんざんブログが好きと言いつつ、いい加減なやつだなと思ったりもする。
 
まあでも、今は「はてなダイアリー」の気持ちをできるだけ思い出すようにつとめて、個人的なブログを気儘に書いていきたいものです。こうやって自分自身に語りかけ、言い聞かせて、私という人間がここにいて暮らしていることをも取り戻していこうと思う。
 

アマゾンPrimeでPSHYCHO-PASSシーズン3を観た

 

前編(Ziggurat Capture Part 1)

前編(Ziggurat Capture Part 1)

  • メディア: Prime Video
 
 
3月27日から、アマゾンPrimeで『PSYCHO-PASS』のシーズン3、その完結編にあたる(Ziggurat Capture Part 1~3)が視聴できるようになったので、さっそく視聴した。
 
完結編が公開される前のシーズン3は、ちょっとびっくりするような終わり方だった。というのも、ストーリーがまさに加速しそうなところで幕引きとなって、「続きは劇場版をご覧ください」ときたからだ。
 
人気作や話題作の続編が劇場版になるのはよくあることではある。とはいえ、たいていはTV版の終わりにストーリーの区切りをもうけるというか、TV版だけでもひとつの完結した作品として楽しめるよう、多かれ少なかれ配慮を示すものだけど、この『PSYCHO-PASS』のシーズン3はそういう配慮の気配が欠落していた。
 
それでも『PSYCHO-PASS』が好きだったので、「仕方ない、映画館で続きを観るしかない……」と思っていた矢先、アマゾンPrimeが完結編を公開してくれたのでありがたく視聴させていただいた。おかげで私は、この完結編少し遅れて放送されたTV版のような感覚で受け取った。以下は、その前提で書いている。
 
 

『PSYCHO-PASS』の世界を舞台にした刑事モノドラマとして

 
『PSYCHO-PASS』シリーズは、シビュラシステムという、ひとりひとりの犯罪傾向や職業適性を評価するシステムが社会を統治している近未来を舞台にしている。
 

 
この、シビュラシステムを巡っての色々が『PSYCHO-PASS』シリーズのメインストーリーになるが、それぞれのシーズンにはカラーの違いがあり、シーズン1では「誰もがシステムに統治される社会の功罪や矛盾」が事細かく描かれていた。シーズン1はシビュラシステムの謎に迫っていく内容だったので、そういう描写はストーリーに必要不可欠のようにみえた。
 
対して、今回のシーズン3はシビュラシステムそのものの謎に迫るのでなく、シビュラシステムの周りで起こる事件をグルグルと追いかけているようなところがあって、なんだか刑事モノドラマを眺めているような気分になった。喩えるなら、『相棒』の二時間特番を見ている気分に近かった。
 

 
シビュラシステムの謎や社会の矛盾を真正面から描くのでなく、刑事たちの活躍を追いかける作風は、シーズン1の作風からは遠い。これが気に入らない人がいるのは理解できることだし、私もそうなりかけた。
 
それでも、刑事モノドラマのようなアニメだと割り切ってからは、お金のかかった美しいグラフィックや見栄えのするアクションシーンを素直に楽しめるようになり、案外すんなりと咀嚼できている自分に気が付いた。
 
シーズン1のような、考えこませる作品としては合格点ではないとしても、グラフィックやアクションで魅せてくれる"のどごしの良いビールのような"作品としてはよくできているのではないだろうか。
 
今作は、『PSYCHO-PASS』の世界を舞台にした刑事モノドラマ、それか、お金のかかったスピンオフ作品とみなすぶんには非常に贅沢なつくりなので、そう割り切って視聴するぶんには、シーズン1のファンもそんなに腹は立たないのではないかと思う。少なくともアマゾンPrimeに加入しているなら、一見の価値はあるんじゃないだろうか。
 
このシーズン3を眺めている限りでは、『PSYCHO-PASS』の続編やスピンオフはまだ作れそうにみえる。私は『PSYCHO-PASS』の世界観、あの、どうみてもディストピアっぽい世界のなかで人間たちが苦悩したり喜んだりしている様子に魅了されているので、どういう趣旨のものであれ、続編やスピンオフがつくられるなら嬉しいし、趣旨にあわせて楽しみたいと思う。 
 
 

"「萌え」の時代から「推し」の時代へ"について

 
オタクの"界隈"で「萌える」という言葉を見かけなくなって久しい。
かわりに、「推し」という言葉を見かけるようになった。
このことについてtwitterの片隅で幾つかの意見を見かけ、私も何か書き残したくなったので、先週の続きとして書いてみる。
 
「推し」という言葉は、どちらかといえば実在アイドル方面で用いられてきた言葉だったと記憶している。アニメやギャルゲーのキャラクターに対して「萌える」という言葉が頻繁に使われていた90年代後半~00年代中盤にかけて、「推し」という言葉は"界隈"ではマイナーで、いわゆる二次元の美少女キャラクターは専ら「萌える」対象だった。
 
「萌える」という言葉は『電車男』が流行した2005年以降はニュアンスが単純化していったけれども、もともとは多義的なニュアンスを含んだ言葉だった。
 

「萌える」という表現がオタク達のボソボソオタク談義のなかで広がった要因のひとつに、「エロい」とかに比べて恥ずかしさや性的願望を何とかオブラートに包みたい、包みこもう、という必死の願望&努力があったんじゃなかったかと俺は考えている。例えば俺が「茜に萌える」「琴音に萌える」っていう時には、オタク仲間との会話のなかで贔屓キャラを何とかプッシュしたいんだけど(セクシャルな願望を萌えキャラは牽引したりしてるものだから)恥ずかしかったり勘繰られるのが嫌だった。そういう時に「萌える」ってのはなかなか便利な言い回しで、「愛してる」とも「ヤりたい」とも言えず、まして「俺の女」だなんて到底言えっこないオタク的状況下において重宝した。
[参考]:弛緩した「萌え〜」からは、萌えオタ達の複雑で必死な心情が伝わってこない - シロクマの屑籠

 
2006年に書いた上掲リンク先にも記したように、「萌える」という言葉にも「推し」に近いニュアンスは含まれていた。ただし、それだけではない。美少女キャラクターに惹かれていることや性的願望を抱いていることへの気恥ずかしさのようなニュアンスもしばしば込められていて、実際のところ、そういった複数のニュアンスの混合物として「萌える」という言葉がしばしば用いられていた。
 
00年代の中盤以降、"界隈"で「俺の嫁」という言葉が優勢になった時期もあったが、ときには「萌える」という言葉に「俺の嫁」に近いニュアンスを込めている人もいた。そういった、「萌える」という言葉の多義性や融通性は、前後の文脈や語勢などから判断するものだった。
 
ああ、こうやって振り返ってみれば「萌える」という言葉が衰退したのもよくわかる。"界隈"で多義的に使われていた「萌える」という言葉は、『電車男』以降のブームに際して、単純化されなければならなかった。なぜならオタクでない人でも「萌え~」と言えるようになるためには、文脈や語勢とは無関係に使用可能な、単純化された言葉でなければならないからだ。
 
多義性や融通性を前提とした魅力を湛えていた「萌える」という言葉は、ブームをとおして単純化され、単純化されたからこそ死語にならなければならなかった。
 
他方、「推し」という言葉は00年代あたりから"界隈"でも見かけるようになり、10年代以降も用いられている。私もいつの間にか、二次元-美少女キャラクターに「推し」という言葉が用いられることに違和感を感じなくなっていた。それでも「萌える」という言葉を使っていた頃の自分たちの感覚と、「推し」という言葉にはギャップがあると感じてはいるし、私自身は「推し」という言葉をあまり使わない。
 
  


 
matakimikaさんのおっしゃっていることと、私がこれから書くことは一致しているかもしれないし、一致していないかもしれない。
 
当時の「萌える」という言葉には、他人に打ち明けても構わない部分と、打ち明けにくい部分、オブラートの内側に秘めたままにしておく部分があったように思う。「萌える」という言葉の話者のうちに美少女所有願望があってもおかしくなかったし、「萌える」オタクと対象キャラクターには一対一の関係というか、最終兵器彼女的というか、セカイ系的というか、とにかく、オブラートの内側に抜き差しならぬものが隠れていてもおかしくなかった。控えめに言っても、そういう抜き差しならない願望が潜んでいてもおかしくないという暗黙の了解が、「萌える」という言葉のもうひとつの側面だった。
 
「推し」はどうだろう? ひとりのオタクが特定の二次元-美少女キャラクターを「推す」時、「推し」のキャラクターと一対一の関係、セカイ系的な抜き差しならなさは存在するだろうか? たぶん、存在しないのではないかと思う。「推し」という言葉を用いながら美少女所有願望を内に秘めるのは簡単そうではない。代わりに、「推し」にはみんなでそのキャラクターを応援するような、一対多数のような、あるいは御神輿をワッショイするようなニュアンスが潜んでいると感じる。
 
もちろん在りし日の「萌える」オタクたちも、みんなで同じキャラクターに「萌える」と表明しあう時には、御神輿をワショーイするような感覚をシェアすることもあった。「萌える」という言葉の交歓に際して、そういうシェアリングが欠如していたわけではない。が、そういうシェアや交歓の最中でさえ、ハートのなかには自分とキャラクターだけの世界があり、実在の人間に注ぎ込むには過剰で迷惑なパトスがたぎっていてもおかしくないのが「萌える」ではなかったか(にもかかわらず、一方でオタク同士のシェアや交歓をも許してくれる多義性があったからこそ「萌える」という言葉が重宝したのではなかったか?)。
 
ここまで書いてきたことは、"界隈"を眺め続けてきた個人の感想でしかない。だけど個人の感想としては、「萌える」という言葉が衰退し「推し」という言葉が広く用いられるようになったなかで、あの、表向きは奥ゆかしい気持ちの表明のようにみえて、じつはオブラートの下に溶岩が潜んでいるか液体ヘリウムが潜んでいるかわかったものじゃない「萌える」のニュアンス、あるいは美少女所有願望も含めた、実在の人間に投射するにはあまりにも身勝手で過剰でベタベタっとしたニュアンスが消えてしまったような印象を受けなくもない。
 
「尊い」って言葉も、こういう身勝手なエモーションとはちょっと違うように感じられますね。
 
"界隈"からそういう身勝手で過剰でベタベタっとした気持ち自体が消え去ってしまったわけではないことは、さまざまな二次創作からも語りからも窺える。とはいえ、そういった気持ちを簡潔に表明して、それでいて角の立たない表現として「推し」や「尊い」が機能しているとは、あまり思えない。
 
「推し」や「尊い」といった言葉では汲み取りきれないニュアンスは、別の言葉や別の表現に託さなければならなくなっているんだろう。まあ、だからどうしたという話ではあるけれども、「萌える」が流行っていた時代と「推し」や「尊い」が流行っている時代では"界隈"のエモーションの取り扱いの作法も違ってきているのかなーという想像はやはり膨らむわけで、これを書き残しておくことにした。
 

ウイルスまみれの世界でグローバル化とは何だったのかを考える

 
 
今日は不安な気持ちを言語化して、頭のなかを整理しようと思う。
 
新型コロナウイルス感染症がパンデミックとみなされて、いくらかの時間が経った。この間、人の行き来は少なくなってマーケットは素人にはよくわからないことになっている。実体経済はきっと冷え込んでいることだろう。ただ、マーケットの値崩れも含め、これらの出来事はグローバリゼーションと関連のある出来事、というかグローバリゼーションの負の側面や反動として起こっているようにもみえる。
 
グローバリゼーションが進めば、良いことも起これば悪いことも起こる。シルクロードで往来が盛んになった時や大航海時代を思い出せば、それは連想されてしかるべきだった。たぶん誰かが「グローバリゼーションには良いことだけでなく悪いことだって起こるんだよ」と警告してもいただろう。けれどもベルリンの壁が崩壊し、旧東側諸国までもがグローバリゼーションの環のなかに加わった時、あるいは増長しきった西側諸国が「新世界秩序」などという言葉を口にしながら湾岸戦争に興じていた時には、グローバル化の負の部分にハラハラドキドキしていた人はあまりいなかったように思う。
 
やがて、グローバリゼーションの環のなかに中国が加わって急激な経済成長を遂げた。世界じゅうの人々が中国の人々とモノの売買をして、人の行き来をして、たぶん、お金持ちになった。皆がお金持ちになったわけではないけれども、国全体、社会全体、世界全体としてはお金持ちになったはずだった。
 
1.まずグローバリゼーションに対する反動が、人の手によって起こった。
 
グローバリゼーションを良いこととしている人々の大半はあまり意識していなかった(というより意識できなくなっていた)かもしれないが、グローバリゼーションは人やモノを媒介するだけでなく、イデオロギーをも媒介する。資本主義や個人主義や社会契約の考え方に慣れ親しんだ人にとって、グローバリゼーションは無色透明な純-経済的な現象と思えたかもしれないが、そんなはずがない。回教圏からびっくりするような反動が起こった。旧来型の戦争は起こらなかったが大規模なテロは起こり、アメリカがイラクを蹂躙し、その周辺では今も火種がくすぶっている。
 
やがて先進国の内側からも、グローバリゼーションに倦み疲れた人々の声があがってきた。確かにグローバリゼーションは国全体、社会全体、世界全体のお金を増やした。しかし誰もがお金持ちになったわけではないし、誰もがグローバリゼーションについていけたわけでもない。世界経済や経済成長のほうばかり見ていた富裕層やテクノクラートたちはグローバリゼーションの恩恵にありつけない人々を「能力のない人々」とみなし、世話をするよりはお荷物とみなすようになった。グローバリゼーションが能力主義という正しさによって補強されている限りにおいて、グローバリゼーションについていけない人々は、救無能や怠慢のゆえに低賃金に甘んじている自己責任な人々として矮小化されてしまう。
  
そういう風にグローバリゼーションから取り残され、グローバリゼーションを主導する人々から軽んじられた人々もまた、さまざまに声をあげた「世界は豊かになったかもしれないが、俺たちの生活に未来はない」。そうしてツイッター大統領が誕生したりイギリスが大陸から切り離されたりした。世界全体が豊かになること、それ自体に彼らが反感を持っていたとは思えない。しかし、グローバリゼーションに適応している人々が肩で風を切って歩いている一方で適応しづらい自分たちが顧みられず、顧みられなくても構わないということになっている社会の論理には本能的に反感を抱いていたようにみえる。そしてグローバリゼーションの仕組みは容赦なく労働力を値切っていく。彼らがへそを曲げるのも無理はない。
 
 
2.続いてグローバル化の負の側面が感染症となって現れた
 
人の行き来が盛んになれば、経済が発展すると同時に病原菌も媒介されやすくなる。
もちろん防疫に気を遣う人々はそのことを知っていたから、エボラ出血熱やデング熱などには細心の注意を払っていた。家畜の感染症に対してもそうだ。
 
21世紀に入ってSERSやMERSが起こり、今回のCOVID-19がパンデミックになった。「人の行き来が盛んになった時、ローカルな風土病が世界を席巻する」というパターンは天然痘やペストを思い出せば歴史の定番だが、実際にパンデミックになってみるまで専門家以外は気楽に構えていただろう。少なくとも私は全く身構えていなかったので不意を打たれたし、世界でもそういう人はたくさんいたことを示唆する兆候は多い。
 
東アジアで始まったのも、21世紀のパンデミックとして似つかわしかった。中国は世界的な人口密集地帯であると同時に、あまりにも急速に経済発展し、あまりにも急速に人の往来が盛んになった。秘境をいくつも抱え込み、清潔習慣や衛生観念の立ち遅れた人々をも大量に抱えていたはずの地域が、日本よりもずっと早いスピードで経済発展を成し遂げ、全土を高速交通網で覆ったというシチュエーションは、ローカルな病原体が拡散するにはとても都合が良かったのではないだろうか。
 
中国に限ったことではないけれども、あまりにも急速に発展した新興国では、経済発展や交通網の発展に清潔習慣や衛生観念の習得が追い付けないのではないか? 日本ですら、1980年代にデオドラント革命が起こった時、真っ先にそれに適応したのは若い世代で、その若い世代の加齢とともに清潔習慣や衛生観念が徹底していった。そして日本ほど軟水資源に恵まれた国は他所にはあまり無い。
 
清潔習慣や衛生観念が徹底していくスピードよりも、人の行き来が盛んになって病原体が媒介される頻度や程度が上回るようになれば、なんらかの感染症が流行するのは道理。今回流行したのはたまたま2019~2020年にかけて、病原体は新型コロナウイルスだったけれども、実のところ、これが起きなかったとしてもいつかどこかでなんらかの病原体が大流行していたのでは、という思いはぬぐえない。なぜなら、実際に大流行が起こるまでは、人々は経済活動に無我夢中のままで、急速なグローバリゼーションの進行にこのようなリスクが胚胎されていることに関心も予算も差し向けていなかっただろうからだ。
 
 
3.では、これからどうなるのだろう。
 
John__Bullshitさんは、以下のようなことを記していたし、それは、いかにもありそうなことのように思える。
 

 
 
パンデミックが起こったとはいえ、グローバリゼーションの恩恵にあずかっている人も多いわけだから、グローバル化が全面的に否定されるとは思えない。それでも、一連の反動によって調整局面に入ったとは言えるし、考えてみれば、ツイッター大統領の誕生やイギリスのEU離脱などのかたちで政治的には先に調整局面に入っていたとみることもできる。たまたま疫学的・経済的な調整局面が後になっただけのことで、野放図に肯定され、副作用や弊害をあまり顧みてこなかったグローバリゼーションがようやくこれから調整されていくのだろう。
 
そうした調整に伴って、社会の道理──何が正しくて何が正しくないのか、どのような振る舞いが正当とみなされ、どのような振る舞いが不当とみなされるのか──も変わる。グローバリゼーションを正当化してきた思想や倫理もいくばくかの修正を迫られるだろうし、そういう修正をやってのけられるか否かが知識人たちに問われるのだろう。一番単純なことだけ言えば、清潔習慣や衛生観念が世界レベルで変化し、そうした習慣や観念の変化に伴って、期待される現代人像がますます漂白されていくかもしれない。
 
どうあれ、いかに名残惜しくても2019年までのグローバリゼーションはこれでおしまいだ。おしまいと言って、それほど間違ってはいまい。これから、経済も人の往来も私たちの暮らしの習慣や観念も、たぶん思想までもが変貌していく2020年代が始まる。
 

キャラクターにときめいていられるのは若いうちだけ(だったのでは)

 
今週と来週は、「萌える」という、使われなくなったオタクのスラングについて書く。
 
昔、オタクの"界隈"には「萌える」という言葉があった。
 
自分の好きなキャラクターに対し、思慕が高まったり胸がときめいたり心を寄せたくなるような、そういった気持ちを「萌える」と言った。はじめのうち、「萌える」とは色欲丸出しの表現とは一線を画した、奥ゆかしさや恥じらいを伴ったオタクスラングだったけれども、『電車男』がヒットして秋葉原が脚光を浴びたあたりから、奥ゆかしさや恥じらいが失われ始め、その後、スラングとしては死語になっていった。
 
だが、「萌える」というスラングが消えていったからといって、キャラクターへの思慕やときめきや色欲のたぐいが死に絶えたわけではない。SNSやイベントやオンラインゲーム上では、そうしたキャラクターへの思慕やときめきや色欲がさまざまなかたちで表現されている。それらの表現に触れる時、私は懐かしく思う。「ああ、自分もこんな風に好きなキャラクターを好きだと言っていたなぁ……」、と。
 
と同時に、自分がキャラクターに対して思慕が高まったり胸をときめかせたり心を寄せたりできなくなってしまったことにも気づく。異性のキャラクターにあんなにときめいていられたのは若いうちだけだったのか。
 
 

あの気持ちはどこか遠くへ行ってしまった

 
十年以上前まで、私にもキャラクターにときめく気持ちはあったし、それこそ、「萌える」と呼べる気持ちは確かにあった。
  
その宛先は、惣流アスカラングレーだったり姫川琴音だったり涼宮ハルヒだったりした。感情移入や高揚感、親しみや色欲もあった。「このキャラクターにはどうにか幸福であって欲しい」という願いもあった。作中、または二次創作のなかで、そういったキャラクターが笑ったり頬を赤らめていたりするのを眺めていると、いろいろな感情がこみあげてきた。そういった感情があったから、キャラクターに対して自分自身が前のめりになっていた。
 
ところが三十代の半ばあたりから、そういった前のめりな思慕や感情がなくなってきた。
 
『シュタインズ・ゲート』や『まどか☆マギカ』や『インフィニット・ストラトス』の頃まで、そういった気持ちがどこかに残っていたが、『艦これ』や『ガールズアンドパンツァー』、さらに『ゆるキャン△』の頃になると、もうそういう気持ちはすっかりなくなっていた。
 
世の中には、キャラクターに心を寄せるのでなく、かなり遠い距離から見守りたい・眺めていたいオタクもいると聞く。じゃあ、自分の境地がそうなったかというと……たぶん彼らとも違う。
 
『艦これ』のキャラクターたちに対する気持ちが典型的だけど、今の私は、昔なら思慕が高まったりときめいたりしていたかもしれない女性形態のキャラクターたちに対して、若干の保護者的気分と、さばさばした気分をもっている。遠い距離から見守りたいわけではない。思慕やときめきにもとづいて想像力を膨らませるでもなく。どちらかといえば「こいつ世話しないと」みたいな気持ちに近い。
 
ほかのゲームやアニメのキャラクターたちに対しても似たり寄ったりで、「おいおい、危なっかしい娘さんだな」とか「ふう、どうにか切り抜けた」とか「頑張った頑張った」といった気持ちが先立ってしまう。
 
こういう、保護者的気分とさばさばした気分のミックスを何と呼ぶのか私は知らない。ただ、これが「萌え」だとはちょっと思えない。たぶん「推し」とも違う。
 
十余年以上前、自分がキャラクターにときめくことが困難になるとは思っていなかったし、同世代のオタクたちも、年を取った時の心境の変化を想定していなかった。ところが年を取ってみると、キャラクターにときめくための何かが足りなくなって、キャラクターを好きになることはあってもそれ以上のエモーションで心を湿らせられなくなった自分に気づいてしまった。
 
この文章を書いている途中で、心のなかで「それは、あなたがときめくのに必要な若さを失ったからですよ」という声がした気がした。そうかもしれない。そしてキャラクターに心をときめかせ、パトスを迸らせていられた私の一時代は、それはそれで幸せだったのだと思う。
 
今まさにキャラクターにときめいている人は、今という時間とキャラクターに心を寄せている自分自身の気持ちを大事にして、良い思い出を作って欲しいと思う。