シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

令和の絶対国防圏

 

 
 令和の絶対国防圏。
 
 もう、タイトルだけで言い切ってしまったような気がするが、令和時代の日本は、絶対国防圏の頃の日本になんだか似ていると思う。
 
 絶対国防圏とは、アメリカの反攻作戦を受けて1943年9月の御前会議で決まった「絶対に守るべき」「ここが破れたら敗戦確定」とみなされた防衛ラインのことだ。
 
 しかし上の地図をみていただいてもわかるように、この絶対国防圏、えらく範囲が広い。絶対国防圏が本土からみて南南東の方向に大きく張り出しているのは、ここにカロリン諸島などが含まれるためだが、こんなに広い範囲を絶対国防するのはかなり無理がある。
 

昭和の歴史〈7〉太平洋戦争 (小学館ライブラリー)

昭和の歴史〈7〉太平洋戦争 (小学館ライブラリー)

  • 作者:木坂 順一郎
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1994/09
  • メディア: 新書
 
 小学館『昭和の歴史7 太平洋戦争』では、絶対国防圏を決定する御前会議について、以下のように記している。
 

けっきょく陸軍の「絶対国防圏」思想と海軍の前方決戦主義という戦略構想の不一致をかかえたまま、九月三〇日の御前会議でつぎのような「今後採るべき戦争指導の大綱」が決定された。
(中略)
 そのため「絶対国防圏」の東側地域に展開していた約三〇万の陸海軍部隊は、置き去りにされ、やがて各地で守備隊玉砕の悲劇があいつぐ素地がつくられた。しかもこの御前会議では、「絶対確保圏を確保する自信があるのか」という原嘉道枢密院議長のきびしい質問にたいし、永野軍令部総長が「絶対確保の決意あるも勝敗は時の運である。……今後どうなるか判らぬ。戦局の前途を確言することは出来ぬ」と答えたため議場がにわかに緊張し、東条首相と杉山参謀総長があわてて打ち消すという一幕がみられた。軍部の最高指導者の一部は、戦局の見通しに自信をうしないはじめていた。

 
 絶対国防圏と名付けたものの、指導部もこれを守り切る自信が無かったようだ。そのうえ海軍は絶対国防圏の外側に固執し、サイパンやグアムの防衛にあまり力を入れていなかった。
 
 あれもこれも守りたい・どれも捨てられない意思決定の結果として、絶対国防圏は絵に描いた餅のような内容になり、アメリカ軍という現実によって粉砕されてしまった。
 
 

令和の絶対国防圏を考えよう

 
 振り返って、令和二年。
 
 平和憲法のおかげで太平の世を謳歌してきた日本国も、いつの間にやら斜陽のきざし。戦争をしていないはずなのに戦争をしているのと同じぐらいの人口が毎年減り続けている。国の借金も戦中に匹敵するスケールまで積み上がり、「子どもや孫のお金を前借りして国の制度が成り立っているも同然」の状態が続いている。
 
 実のところ、絶対国防圏が定められた頃とそれほど変わらないレベルの国難に直面しているのではないか?
 
 地図のうえでは絶対国防圏のラインが引けなくても、私たちの暮らしにはそれに相当するラインがある。
 
 
 医療や福祉を守らなければならない。
 雇用や経済を守らなければならない。
 世代再生産を守らなければならない。
 教育や科学を守らなければならない。
 安全や安心を守らなければならない。
 便利さや快適さを守らなければならない。
 等々。
 
 太平洋戦争中の日本軍がたくさんの守らなければならないものを抱えていたのと同様に、令和時代の私たちの暮らしにはたくさんの守らなければならないものがある。毎年の予算案のやりとりと国債発行額が象徴しているように、どれも大切なものだから、どれも守っていかなければならないと、指導者は考えている。日本は民主主義の国なので、指導者がそう考えているということは、有権者もおおむねそのように考えているということだろう。
 
 いろいろなものが下り坂になっていくなか、あれもこれも守らなければならないと思っている私たちは、大東亜共栄圏という絵に描いた餅を描いていた人々を他人事として構わないものだろうか。
 
 令和の絶対国防圏は、軍艦や軍人によって守られるものではなく、有権者の政治活動をとおして守られるものだ。
 
 では、いったいどこをどれぐらいの優先度で守り、どこの優先度を下げるのかと問われた時、指導者や有権者に、何かの優先度を下げるような政を行い、実践してみせる力があるのだろうか?
 


 
 最近の経済動向や出生率、オリンピック後の見通しについての分析や報告が楽観的であるさまを、ときにインターネットの人々は「大本営発表」と揶揄する。
 
 とはいえ、「大本営発表」を揶揄する私たちも、金融庁から老後資金について報告があれば「老後二千万円問題」と大騒ぎするように、現実を直視することに慣れているわけではない。
 
 「老後二千万円問題」が象徴していたように、たぶん私たちは不確かな未来を直視すると色めき立ってしまう。「大本営発表」を揶揄している一方で、どこかで「大本営発表」に守られている。そして令和の絶対国防圏がなんとなく守られればいいなと、なんとなく思っている。
 
 戦中、太平洋戦争を終える政治決断にたどり着く際には、絶対国防圏が破られるだけでは足りなかった。それでも玉音放送と無条件降伏によって戦争は終わった。なぜなら、アメリカという他国を相手取った戦争だったからだ。
 
 対して、他国と戦争しているわけではない令和の日本には、玉音放送や無条件降伏に相当するピリオドが見当たらない。
 
 今、私たちが死守しなければならないと思っているものが、少子高齢化や国力の衰退によって守りきれなくなるとしたら、令和の絶対国防圏は破れる、と思っておかなければならないだろう。しかし太平洋戦争と違って、これに終わりは見当たらない。
 
 令和時代は、そのような、私たちが絶対に守らなければならないと思っているものが、時間とともにだんだん守られなくなっていくプロセスになるのかもしれない。太平洋戦争の頃、何かを選ぶと同時に何かをあきらめなければならない政治が必要になった時、日本ではそれがうまくできなかった。今もそうかもしれない。だとしたら。
 
 
 [関連]: 
 
 

「不快な奴をブロックして構わない」社会と「アライさん」界隈

 
個人の幸福は「お金」ではなく「不快なやつは全員ブロック」で実現される。 | Books&Apps
 
上掲リンク先は賛否両論のありそうな内容だが、読んで自分の考えを練るのに向いていると思う。これを読み、2019年にtwitter上で湧き出した匿名の「アライさん」界隈のことを私は思い出した。
 
「アライさん」界隈とは、2019年の春ごろにtwitter上に無数に現れた、「○○なアライさん」を名乗る匿名アカウント群だ。アニメ『けものフレンズ』に登場する、ちょっと不器用なアライさんというキャラのアイコンや語り口を借りている。
 

 
ねとらぼの紹介記事では、アライさんを以下のように記している。
 

・借金の返済に苦しむアライさん
・ギャンブルがやめられないアライさん
・大学を中退したアライさん
・薬物依存のアライさん
・性風俗店で働くアライさん etc...
 Twitterにおけるアライさん界隈(かいわい)は、とにかく何らかの困難を抱えている傾向が極めて強い。これは原作のちょっと暴走気味だが元気で明るいアライさん像とはかなりの距離がある。当たり前だが、原作のアライさんは借金にもギャンブルにも薬物にも苦しんでいない。「けものフレンズ」は社会の暗部をえぐるような作風のアニメではない。

 
2020年になっても、アライさんの様子はほとんど変わらない。アライさんの姿を借りた匿名アカウントたちは、それぞれ、日常生活では吐露しづらい内心を書き綴っている。
 
そのことから考えるに、アライさんを名乗る匿名アカウントの筆者たちは、日常生活のなかではそうした内心を十分に吐き出せないのだろう。FacebookやLINEの、日常に紐付けられやすいアカウントにもそういうことは簡単には書けない。実生活で簡単に吐露できることなら、わざわざアライさんのアイコンなど借りる必要など無い。
 
 

「不快な奴をブロックして構わない」社会=「不快な言動が禁じられた」社会

 
こうしたアライさんの境遇を踏まえたうえで、「不快な奴をブロックして構わない」社会について考えてみる。
 
冒頭リンク先で高須賀さんは、ちょっと挑発的に「多様性とはいうけれど、付き合いたい人間とだけ付き合ったほうが幸福になれるのでは?」と問いかけている。
 
現代社会は、多様性を許容しあうことで成り立っている、といわれている。少なくとも社会には、多種多様な価値観や習慣の人々が存在していて、たとえば東京のような大都市には本当にいろいろな人々が存在し、それぞれ暮らしているのがみてとれる。
 
その一方、私たちひとりひとりには人間関係を選択する自由があり、お互いを心地よいと感じる人、気安く付き合えると感じる人同士がお互いを選び合う。そうした選別や選好の結果、社会全体としては多様性が保たれていても、個々人のライフスタイルは多様性を欠いていることがしばしばある。
 
たとえば年収1500万円のホワイトカラーな会社員が、日経新聞を読むような価値観や習慣を持った同僚に囲まれ、似た者同士のような友人や家族に囲まれて暮らしているとしても、おかしなことではない。
 
高須賀さんはそうした実生活のありようを、ちょっときわどく、以下のように綴ってみせる。
 

気の合うパートナーと家庭を築き、人間関係が安定したリベラルな職場で働き、週末は共通の趣味を持つ友人と過ごす。
SNSをやってるのなら、不快な話題を垂れ流す人は全員ブロックすればいい。
不快な話題を垂れ流す人は、あなたを不快に着目させる悪者である。

 
このような選別や選好に基づいたライフスタイルを、まったく多様性が乏しいと腐すのはたやすい。
しかし人間関係が自由選択となった現代社会のなかで、人間関係の選別や選好を行っていない人間が、たとえば東京に、たとえばインターネットに、いったいどれだけ存在するだろう?
 
もちろん程度問題ではあるのだけど。
 
それでも人間関係が自由選択である限り、私たちはどこかで自分たちにとって好ましい相手と付き合おうとし、どこかで不快な相手を敬遠せずにはいられない。コミュニケーションのコストやリスクをできるだけ減らし、コミュニケーションのメリットをできるだけ増やしたいと合理的に考えれば考えるほど、コミュニケーションの対象を選ばずにいられなくなってしまう。
 
SNSにおけるブロックは、そうした選別のなかでは一番わかりやすい。だが現実の人間関係の選別や選好は、ブロックほど明瞭ではない。明瞭ではないからこそ、誰が選ばれ、誰が敬遠されるのかの問題は面倒で、難しい。 
 
私たちの人間関係は自由選択になった。
だが、自由だけがもたらされたわけではない。
同じように他人も人間関係を選択・選好するのだから、私たちは他人に選ばれなければならなくなった。
 
他人に選ばれるよう、他人に敬遠されないよう、意識すればするほど私たちはみずからの言動を自己検閲しなければならなくなる。
 
なかには天真爛漫に振る舞っても他人に選ばれ、敬遠されない幸運な人もいるだろう。
 
とはいえ、そんな人は少数派で、大多数は他人を選ぶ自由を行使すると同時に、他人に選ばれ敬遠されない自分であるよう、努力しなければならない義務を抱えている。
 
「不快な奴をブロックして構わない」社会とは、要はそういう社会である。
 
気に入らない相手や不快な相手を敬遠する自由があると同時に、他人に選ばれなければならず、他人に不快がられないよう努力しなければならない社会だとも言える。
 
そのような社会では、会社同僚はもちろん、友達や家族にすら、選ばれ不快がられないよう、努力しなければならない。そうしなければ誰からも選ばれず、独りぼっちになってしまうかもしれない。
 
天真爛漫に振る舞っても他人に選ばれる人なら、「そんなに神経質にならなくったって大丈夫」と言ってのけ、そうした努力を意に介さないかもしれない。だが世の中には、精いっぱい努力してようやく相手にしてもらえる人、ようやく不快がられずに済んでいる人もいる。いわば、モテにくい人にとって、他人に選ばれるための努力はたいへんな重荷である。
 
そんな重荷をストレートに背負いながら学校や職場に通い続けなければならない人にとって、日常はどれほど息苦しく不自由なものだろうか!
 
 

「アライさん」のブルースはどこにも届かない

 
私たちは「不快な奴をブロックして構わない社会」を生きている。というより、ブロックほど明瞭ではないかたちで選別や選好を働かせあい、それでも社会の多様性というお題目に違反しないことになっている社会を生きている。
 
他方、そうした自由選択が徹底されればされるほど、選ばれるための言動を、不快がられないような言動を、私たちは強いられる。「アライさん」界隈で吐露されるような内心を、他人に曝すわけにはいかなくなる。
 
表向き、私たちの言動は自由だ。
そして実際、街には多種多様な人々が暮らしてもいる。
ところが実生活では、他人に選ばれるよう、不快がられたり敬遠されたりしないよう、努めないわけにはいかない。
 
そういった努力が少なくて済む人には、この社会の自由選択のうまみが意識されやすかろう。だが、そういった努力に苦心惨憺している人には、努力を強いられ、不自由を強いられる辛さが意識されやすい。そして前者の人々が後者の人々と接点を持たないとしても「社会の多様性というお題目」に違反しているとは、みなされないのである。
 
「不快な奴をブロックして構わない」社会を謳歌している人々は、「アライさん」界隈のブルースを不快だからという理由でブロックする自由を持っているし、おそらくそうした自由を行使している。
 
「アライさん」界隈からの声がシビアであるほど、重苦しいものであるほど、その声はブロックされやすく、敬遠されやすく、誰にも届かぬ独白で終わってしまう。
 
しかも無数の「アライさん」たちは、それぞれバラバラで名前も無く、群れてひとつの世論を作ったり、群れ続けてひとつの政治集団を作ったりできないため、「不快な奴をブロックして構わない」社会にモノ申すムーブメントには発展しない。個別の「アライさん」たちは、どこまでも匿名の「アライさん」でしかない。
 
 

簡単に批判できるようで、一筋縄ではいかない

 
こうした「不快な奴をブロックして構わない」社会を批判し、嫌悪することは、一見、簡単そうにみえる。ただし、その際には社会を批判するだけでなく、選好や選別にもとづいた人間関係を築き、まさにそのような社会に乗っかっている自分自身をも批判しなければならないように、私には思える。
 
少なくとも、この社会の恩恵を受けまくって、選別や選好を働かせまくっている個人が、そのことを棚に上げて「不快な奴をブロックして構わない」社会を批判するのは、どこかテクニカルというか、アクロバティックな何かが必要ではないかと思う。私はまだ、そんな技量を身に付けてはいないから、この状況を見ていることしかできない。あるいは、この状況のメカニズムを理解しようと努めることしかできない。それが歯がゆいのだけど、今の自分の考えを言語化してみたいと思い、半熟卵のようなこの文章を残しておくことにした。
 
 

「ブロガーが次々に言及する」文化の衰退と、はてなブックマークの変容

 
 2020年1月6日、はてな匿名ダイアリーに「無知なお前らに最高のゲームを教えてやる(据置編)」というエントリが投稿され、それに触発されて何人かが「自分にとって最高のゲーム」をまとめる出来事があった。
 
 
じゃあ私も「最高のゲーム」を挙げてみる - シロクマの屑籠
90年代から10年代までお世話になったゲームたち!
明けまして俺の年代別最高のゲーム 20/01/07: 不倒城
個人的最高のゲーム(1980年代編) - novtanの日常
 
 
 同じ話題に次々にブログ記事の投稿が連鎖したのがなんだか懐かしくて、嬉しかった。2000年代のブログ界隈ではこういうことが頻繁にあって、誰かが書いたブログ記事に次々にブロガーが言及して盛り上がったものだ。
 
 ひとつの話題にブロガーが次々に言及し、ひとまとまりの議論や、複数名からなる広い視野をかたちづくるのは、当時のブログ界隈のカルチャーだったと思う。
 
 しかし2010年代に入って、こうしたことは稀になってしまった。私が喜んでいるのも、この言及の連なりが久しぶりに起こったからだ。
 
 

なぜ、ブロガーが次々に言及する文化が衰退したのか

 
 ひとつの話題にブロガーが次々に言及する文化が衰退したのは、第一にはブログ以外のメディアが普及したからだとは思う。twitterがスタートした00年代の後半には、もうブログを捨ててtwitterに移動してしまうブロガーをたくさん見かけた。それから十年以上の歳月が流れ、最初から短文に特化したツイッタラーもたくさん生まれた。文章中心ではない、画像や動画がメインのメディアにも人が流れていった。
 
 ごく単純に、ブログをわざわざ書く人、それも、かつての「ブロガーが次々に言及する」カルチャーを覚えている人は少なくなっていると思う。
 
 ただ、それだけとも思えない。
 
 いつの間にか、はてなブックマークが、「ブロガーが次々に言及する」を可視化する装置として機能しなくなってしまった。
 

 
 このスクショは、現在の「はてなブックマーク」の画面の一部だ。【関連記事】という、(株)はてな がチョイスした記事へのリンクが3つ載っていて、その下に【人気記事】へのリンクが8つ載っている。スマホではてなブックマークを見ても、だいたい同じ構造になっている。
 
 はてなブックマークが昔からこんな構造だったわけではない。かつてのはてなブックマークには、【その記事に言及したブロガーのアイコンと、ブログ記事のリンクがずらりと並んでいた】。はてなブックマークは「言及した複数のブロガーの一覧」が眺められる仕様だったため、一人が書いた記事に複数のブロガーが次々に言及しているさまが可視化されていた。これが、ブログ記事を書く動機になっていた人も少なくなかったように思う。少なくとも私は、「みんなが言及しているから自分も何か書こう!」と思うことがたびたびあった。
  
 ところが「言及した複数のブロガーの一覧」がいつの間にか削除され、ブロガーの集いが可視化されなくなってしまった。はてなブックマークは、複数のブロガーがひとつの話題に群れ集う、いわば広場の役割を果たしていたのに、それがなくなってしまったため、ブロガーは昔のように集まれなくなったし、「みんなが言及しているから自分も!」と動機付けられなくなってしまった。
 
 その代わりか、はてなブログには「自分のブログに言及した他のはてなブログを通知する機能」がついている。
 

 
 残念ながら、この通知機能はブログ管理者以外には見えない。これでは昔のはてなブックマークのような、ブロガーが群れ集う広場の役割を果たすことはできないし、ブロガーが群れ集うようなカルチャーが育つこともないだろう。
 
 ブログ以外のメディアが盛んになってきたから「ブロガーが次々に言及する」カルチャーが衰退しただけでなく、そもそも複数のブロガーがひとつの話題に群れ集うための場がひとつ失われたのだから、00年代のようにブロガーが群れ集うことは難しくなっている。
 
 そのうえ、かつての「まなめはうす」のように、個人ニュースサイトがブロガーの群れ集っているさまを一纏めの記事にすることも珍しくなったので、ますますもってブロガーが次々に言及するさまは可視化されにくくなった。
 
 ブロガーが変わっただけでなく、ソーシャルブックマークのアーキテクチャが変わったことによっても、「ブロガーが次々に言及する」カルチャーが失われたと言っておかしくないのではないだろうか。
 
 

アーキテクチャが変われば、メッセージも、意識も変わる

 
 マクルーハンは「メディアとはメッセージである」と言ったものだが、実際、メディアのアーキテクチャが変わればユーザーのメッセージも意識も変わる。
 

メディア論―人間の拡張の諸相

メディア論―人間の拡張の諸相

 
 例えば、はてなブックマーク上から「言及した複数のブロガーの一覧」が無くなれば、ブロガーは、そこに集まろうと動機付けられなくなる。あるいはtwitterを用いればtwitterのアーキテクチャに、Instagramを用いればInstagramのアーキテクチャに合わせてユーザーのメッセージは変わり、さらには意識までもが変わる。
 
 「小説家になろう」などもわかりやすい。ランキングシステムをはじめとする「小説家になろう」のアーキテクチャによって、ユーザーが投稿するコンテンツも、ユーザーの動機づけも、大きな影響を受けている。
 
 こうしたアーキテクチャの変容にともなうユーザーのメッセージや意識の変化は、しばしばユーザーの大半が気付かぬうちに決定され、進行することが多い。
 
 たとえばはてな匿名ダイアリーでは、いつの間にか、【人気記事のアーカイブ】というページが据え付けられている(以下参照)。
 

 
 このページが、いったい何時頃から実装されていたのか私は知らない。しかし、このようなページの有無によって、はてな匿名ダイアリーの書き手のメッセージや動機づけは変わらざるを得ないだろう。
 
 (株)はてな に限ったことではないが、ネットサービスの提供者は、こんな具合にアーキテクチャをいつの間にか変更する。そうした変更のひとつひとつによって、ユーザーのメッセージや意識が変わり、インセンティブまで変わってしまう。ユーザーのメッセージや意識をいつの間にか変えてしまえること、インセンティブまで変えてしまえるということは、(株)はてな に限らず、ネットサービスの提供者は小さくない権力を保持している、と言うこともできる。
 
 この権力の存在、ユーザー側からは意識しづらい。しかしネットサービスの提供者側はかならず意識しているだろうし、それは、はてなブックマークやはてな匿名ダイアリーを運営している(株) はてな とて例外ではあるまい。
 
 「ブロガーが次々に言及する」文化は、アーキテクチャの掌の上に咲いた、時代の仇花だったのだと思う。
 
CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー

CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー

 
 

じゃあ私も「最高のゲーム」を挙げてみる

 
anond.hatelabo.jp
 
 話は聞かせてもらった!
 
 リンク先で挙げられている作品を全部知っているわけではないが、知っているゲームは名作ばかりなので、きっと筆者にとって「最高のゲーム」だと信じることにした。
 
 ただ、最近発売された最高のゲームというには古く、それでいて時代が幅広い。一瞬、「90年代前半のゲームライターを真似た文章」を疑ったけれども、それにしては発売時期がバラけているし、据置ゲーム機と断りを入れているにしてはアーケードゲームの移植作が多かったりする。
 
 愛好家の語る「最高のゲーム」は、愛好家自身がゲームを遊んだ時期、環境によって左右される。好みも違えば、評価のスタンスも違うだろう。プロのゲーム評論家なら、ゲームそのものの楽しさだけでなく、ゲーム史上の位置づけまで考慮するかもしれない。
 
 ……まあ、そんなごたくはどうでも良い。思い入れのあるゲームを「最高のゲーム」として、それぞれが自分の経験からしゃべることのほうが大事で、面白いことだと思う。その人ならではのゲーム体験やゲーム観がかならず「最高のゲーム」に反映されているはずだからだ。
 
 リンク先のリストを見て、私も「最高のゲーム」を挙げてみたくなった。機種や環境の区別をせず、10年単位で区切ってみようと思う。もちろん思いっきり主観的なやつを、だ。「最高のゲーム」は、その人が遊んだ最高の思い出のなかに見いだされるべきだと、私は思うからだ。
 
 

80年代

 80年代はアーケードゲームとファミコン~スーパーファミコンの時代だった。なにより、日本のパソコンゲームメーカーがほとんど最強だった。
 
  
・ゼビウス
 本当にやりこんだ最初のゲーム作品で、ゲームの世界に自分が飛び込んでいく感覚を与えてくれた。反復的な暇つぶしでなく「ゲームの世界」を見せてくれた最初のゲームは間違いなくゼビウス。今でもぜんぜん遊べる。
 
・ドルアーガの塔
 「ゲームの世界」をみせてもらうだけでなく、二次創作や脳内補完することを最初に教えてくれたゲーム。大学生時代からはアーケード版をワンコインクリアするのに燃えた。今でもぜんぜん遊べる。
 
・ザナドゥ
 本当の意味で自分が最初に出会ったロールプレイングゲーム。ドラクエ3やウィザードリィもいいし、同じく日本ファルコムが出していたイースやソーサリアンもいい。が、緻密な戦略性と自由度の意外な高さでいえば、やっぱりザナドゥだと思う。
 
・ゼルダの伝説
 任天堂のゲームはいつの時代も面白いけれど、80年代も傑作だらけだ。でもひとつ挙げろと言われたら、ディスクシステム版のゼルダの伝説を挙げたい。これは、個人的な思い入れの強さによるもので、スーパーマリオブラザーズやエキサイトバイクでもおかしくないとは思うけれども。
 
・提督の決断
 1980年代の光栄は、パソコンゲームメーカーとして世界最高水準だったんじゃないだろうか。個人的には提督の決断を挙げるけれども、信長の野望や三国志、大航海時代も捨てがたい。海戦は今やってもぜんぜん遊べる。
 
・SDガンダム2カプセル戦記
 ねとらぼにも書かれているけれども、隠れた傑作。シミュレーションゲームとしての戦略性と、アクションゲームとしての操作性をここまで両立させたゲームをいまだ知らない。今やってもぜんぜん遊べる。
 
・女神転生2
 80年代のJRPGには傑作がたくさんあるけれど、替えの効かない傑作は女神転生2だと思う。なにしろこの作品、21世紀には絶対リリースされない内容だからだ。JRPGの懐の広さと表現の自由さ加減を体現している。ほかは21世紀の佳作で替えがきくが、これは替えがきかない。
 
 

90年代

 90年代は私にとってアーケードゲームの時代、それも、シューティングゲームを徹底的にやりこんだ時代なので、「最高のゲーム」もそれを反映したものになる。
 
・ファイナルファンタジー4
 ファイナルファンタジーからは、思い入れ的にファイナルファンタジー4を挙げる。スーパーファミコンになってはじめてのファイナルファンタジーだったのでインパクトがあり、なにより、黒魔法のフレアがちゃんと強かったので◎。
 
・ダライアス外伝
 90年代の横スクロールシューティングゲームの最高傑作と言っても間違いではあるまい。今遊ぶと当たり判定の厳しさやバリアの脆さが厳しいけれども、とはいえ奇跡のゲームバランス、当時最高のグラフィックとBGM。
 
・バトルガレッガ
 奇跡のゲームバランスという点では、縦スクロールシューティングゲームのバトルガレッガを挙げるしかない。プレイヤーにかなりの技量を要求するけれども、そこから先の伸びしろがものすごく大きい。今やってもぜんぜん遊べる。 
 
・怒首領蜂
 東方シリーズへと繋がる弾幕シューティングゲームのさきがけとなった作品。後続作品と比べると、ルールがシンプルで弾幕も破天荒ではないので、実は現在でも遊びやすいほう。最高の弾幕シューティングゲームのひとつ。
 
・スターブレード
 ナムコがバブル景気の勢いでつくりあげた、ポリゴン宇宙戦闘ゲーム。奥行きのある特殊ディスプレイのおかげで、ゲーセンでしか絶対に体験できない宇宙戦闘ができた。据置ゲーム機に移植されているけれども、あの奥行きはゲーセン版以外無理。
 
・千年王国の興亡
 第二次世界大戦モノの大戦略系シミュレーションゲームとしては、これがバランス良かった。メガドライブのアドバンスド大戦略は待ち時間が長すぎるし、アドバンスド大戦略98はスケールが大きすぎる。
 
 

00年代

 00年代は、エロゲーなどに端を発したヴィジュアルノベルが完成していった時期、だと思う。それと海外のゲーム会社がいよいよ力をつけてきた。
 
・ガンパレードマーチ
 革新的なゲームデザインとストーリー。オーパーツみたいなゲームだと思う。このゲームデザインのまま2020年代に新作を作っても、ぜんぜん楽しいはず。きれいなグラフィックで遊んでみたい。
 
・CLANNAD
 エロゲーに端を発したヴィジュアルノベルの傑作のひとつなのは間違いない。「Airか、CLANNADか」と問われたら、めちゃくちゃ迷うが、家族や親子について考えさせられるゲームといえばこれしかない。いまだ、替えのきかない作品。
 
・斑鳩
 「完成度の高いシューティングゲーム」をひとつ挙げろと言われたらこれだろう。2018年にリトライしたけれども全く色あせないゲーム体験だった。国宝にすべき日本のゲームがあるとしたら、斑鳩は有力候補だと思う。世界に誇れる日本のゲームだ。
  
・シヴィライゼーション4
 外国のシミュレーションゲームとして、初めてハマったのはシヴィライゼーション3だったけれど、完成度とリピート度ではこちら。適度にアンバランスなので続編よりもこっちのほうが楽しいと感じる。
 
・ヨーロッパユニバーサリス3
 歴史の大河に身を置けるシミュレーション装置。それと、西洋のルールに基づいた残酷無比なパワーゲームを骨の髄まで味わえる。シヴィライゼーションとは全く違った趣がある。
 
・シュタインズ・ゲート
 日本のヴィジュアルノベル文化の到達点にして、00年代の終わりの傑作。今やってみると、00年代文化のタイムカプセルみたいで、その点でも「最高のゲーム」。キャラクターデザインも当時としては先進的だったと思う。
 
 

10年代

 2010年代は仕事が忙しくなり、ソーシャルゲームの影響を良くも悪くも受けてしまった。全体として、2010年代の佳作や傑作はバランスが優れている。ただ、それだけに、昔のような野蛮なゲームは少ない。運任せな要素のあるゲームのほうが野蛮で好ましいとさえ思う。
 
・ダライアスバーストAC
 steamに移植されたダライアスバーストCSともども、横スクロールシューティングゲームとしては最高峰、特にゲーセンの環境では没入感が高い。ステージ構成も2010年代風に練られていて、今でもぜんぜん遊べる。
 
・Skyrim
 素晴らしいロールプレイングゲームだと思う。グラフィックは最新作に劣るけれども、グラフィック以前の世界観や世界デザインが優れていたことがかえって判明した。続編が出たら絶対にやる。世界最高峰のロールプレイングゲームのひとつ。
 
・Minecraft
 Skyrimの少し後に触ってみて、唸らされた。現在でもアップデートが続き、modによる改造のおかげで楽しみはまだ続いている。単純作業の気持ちよさとびっくりドッキリな意外性、その場しのぎと計画性の両面が楽しめるゲームでもある。すごい。
 
・Fate Grand Order
 自分が遊んだソーシャルゲームのなかでは艦これとFGO、どちらも捨てがたい。けれどもヴィジュアルノベルの遺産を受け継いでいるFGOを挙げる。ソーシャルゲーム然とした危険性も含め、推すに値すると思った。
 
・スプラトゥーン2
 FPSの殺伐とした雰囲気を敬遠していた自分にもちゃんとのめりこめて、キャラクターやゲームのデザインも磨かれまくっていた作品。任天堂はこんな素晴らしいゲームを2010年代になってもリリースできるのだから、本当にありがたい。ますますの飛躍を祈念申し上げたい。
 
 

万人に勧められる「最高のゲーム」ではないけれども

 
 90年代にシューティングゲームがたくさんノミネートされていたり、危険性を伴うソーシャルゲームを挙げてあったり、この「最高のゲーム」リストは万人に勧められるものではない。FPSがスプラトゥーン2だけなのは、FPSファンの人からすれば憤慨モノだろう。それでも一人のゲーム愛好家にとって間違いなく最高のゲームばかりを挙げたつもりだし、誰かにはきっとわかってもらえるリストだと思う。
 
 「最高のゲーム」のリストは、愛好家の数だけある。けれども、他の愛好家のリストのどこかが琴線に触れるってことは必ずあるはずなので、私たちはもっと「最高のゲーム」についておしゃべりしたっていいんではないだろうか。
 
 

エヴァンゲリオンの初夢と夢判断

 
 2020年代が始まった。この、区切りの年に見た初夢が『新世紀エヴァンゲリオン』だったことに因縁めいたものを感じたので、ブログの書初めをやってみる。
 
 

1月1日の状況

  
 前日夜にエヴァンゲリオンについてしゃべったり見たりした記憶はまったくない。
 
 ただ、寝る前にたまたまテレビをつけた際、水晶玉子という占い師が「2020年は大きな見地からものを見るような、そんな年になる」的なことをしゃべっていた。夢が醒めてそのことを思い出したので、ここから影響を与えていたかもしれない。
 
 

実際に見たエヴァンゲリオンの初夢

 
 エヴァンゲリオンの夢は、碇シンジと惣流アスカラングレーが並んで登場するシーンから始まった。二人とも学生服姿で、そのデザインは90年代の新世紀エヴァンゲリオンというより、新劇場版のソレに近かった。そういう意味ではアスカは式波アスカラングレーだったのかもしれない。このシーンで、「アスカのほうがデザインが良い」という謎の解説が聞こえてきたが、いったいどういう意味なのかよくわからない。
 
 最初のシーンから変わって、真っ黒な背景のなかに金色の碇ゲンドウの顔が浮かび上がっていた。ゲンドウの顔をなす金色の輪郭は、金の細いネックレスでかたちづくられていて、その持ち主が赤木リツコであることが私にはすぐにわかった*1
 

新世紀エヴァンゲリオン DVD STANDARD EDITION Vol.8

新世紀エヴァンゲリオン DVD STANDARD EDITION Vol.8

  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2019/07/24
  • メディア: DVD
(だいたいこのDVDの表紙みたいな顔を金のネックレスでかたちづくろうとしていた)

 
 少し顔の輪郭がズレている気がしたので私は指で直そうとしたが、なにせ金のネックレスでかたちづくられた顔だから、少し触っただけで顔の輪郭がゆがんでしまう。手こずっているその時、碇シンジの声で「おやじにびびっているからうまく表現できないんだ」と声が聞こえてきた。
 
 そのとき、唐突にBGMとしてタナトスが流れ始めた。ここでいうタナトスとは、新世紀エヴァンゲリオンの劇中で、綾波レイが特攻や自爆をやろうと覚悟を決めたシーンで流れる曲だ。これも夢にありがちなことだが、タナトスが流れ始めてすぐ、私は悲痛な感情で胸がいっぱいになった。ここで、夢から醒めた。
 
 

この夢が意味しているものは?

 
 私にとって、新世紀エヴァンゲリオンのキャラクターやBGMは特別な意味を持ったものであり、象徴的なものだから、この初夢は、私の意識下~無意識のどこかの引き出しを反映していると思われた。だから、それが何なのか考えてみたい。
 
 エヴァンゲリオンでの役回りから、碇ゲンドウは、私の超自我を象徴しているとみなすことにした。超自我とは、「かくありたい」という理想を象徴すると同時に「かくあるべき」「かくあらねばならない」を象徴するものでもある。そこで私は、これを精神医学(とそれを含んだ現代の社会秩序)、と翻訳することにした。
 
 ブログではあまり書かないけれども、私は精神科医という職業人としてはオーソドックスを良しとし、正統な精神医学にリスペクトを感じている。精神医学は、現在の私の「かくありたい」や「かくあるべき」の相当部分を担当していると、思う。
 
 だから夢のなかの私は、そういう超自我を赤木リツコの金のネックレスという、非-正統な品を用いて表現しようとしていた。
 
 非-正統な金のネックレスとは、このブログをはじめとする私の表現活動のことではないだろうか。ブログや表現活動は、堅い職業人には不要のものだ。しかし、私にとっては宝物で、貴重な表現の手段でもある。
 
 対する碇シンジはイド、またはエゴグラム風に言えばFree Childだろう。私のなかのチルドレンが「おやじ(=精神医学と社会秩序)にびびっているからうまく表現できないんだ」と囁いたのである。
 
 その瞬間、タナトスが流れ、私は悲痛な感情にもなっていた。綾波レイが自爆を覚悟した時のような哀しみが伴うということは、自由のままに精神医学や社会秩序を描くことには犠牲が伴うと、夢が警告しているかのようだ。
 
 碇シンジの声をしたイドは、碇ゲンドウの顔をした超自我をしっかり描くよう、はっきり私をけしかけていた。にもかかわらず、描くことには犠牲が伴うという。私という一個人の内面で、これらがせめぎあっている様子を初夢をとおして私は自覚した、ように思った。
 
 

では、どう実践するか

 
 インターネットを始めた頃から、私は個人の社会適応について考え続けてきたが、ここ数年は、個人の社会適応の大前提となる社会秩序のメカニズムやルールを追いかけていた。その一環として、精神医学というシステムが社会というもっと大きなシステムに何を提供しているのか、逆に社会から何を受け取り、どのように両者が噛み合っているのかを、非-医学的な見地から追いかけ続けてきた。
 
 医療者や研究者それぞれの善意や、医療・福祉によって支援されている人々それぞれの救済とはほとんど無関係に、大きなシステムとしての精神医学と大きなシステムとしての社会が関連しあい、秩序の大きな歯車を回している。そう私は思う。だが、そういうマクロな秩序の成り立ちについて考えること自体、けしからんという人がいることも私は知っている。
 
 「それでも、私は考えることをやめない!」と思っていた矢先、私はこの初夢を見てしまった。見てしまったから、私は碇ゲンドウを金のネックレスで描ききろう、と思う。赤木リツコのネックレスが象徴しているように、それは正統なものではないけれども、それでも私が保持している力には違いないのだから。たとえタナトスのBGMを伴うとしても、私は、退かない。
 
 
 個人の社会適応の大前提になっている現代社会を、その成り立ちの一部である精神医学も含めて、描ききって、物語っていこうと思う。それが2020年の私の初夢であり、ブロガーとしての私のマニフェストだ。
 
 今年は、私という色眼鏡をとおしてみえる現代社会の姿を、まっすぐ物語っていくぞ。
 
 
 ※はてなブログの今週のお題「2020年の抱負」※

*1:夢では、特に説明がなくても「わかってしまう」ことがままある