シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

エヴァンゲリオンの初夢と夢判断

 
 2020年代が始まった。この、区切りの年に見た初夢が『新世紀エヴァンゲリオン』だったことに因縁めいたものを感じたので、ブログの書初めをやってみる。
 
 

1月1日の状況

  
 前日夜にエヴァンゲリオンについてしゃべったり見たりした記憶はまったくない。
 
 ただ、寝る前にたまたまテレビをつけた際、水晶玉子という占い師が「2020年は大きな見地からものを見るような、そんな年になる」的なことをしゃべっていた。夢が醒めてそのことを思い出したので、ここから影響を与えていたかもしれない。
 
 

実際に見たエヴァンゲリオンの初夢

 
 エヴァンゲリオンの夢は、碇シンジと惣流アスカラングレーが並んで登場するシーンから始まった。二人とも学生服姿で、そのデザインは90年代の新世紀エヴァンゲリオンというより、新劇場版のソレに近かった。そういう意味ではアスカは式波アスカラングレーだったのかもしれない。このシーンで、「アスカのほうがデザインが良い」という謎の解説が聞こえてきたが、いったいどういう意味なのかよくわからない。
 
 最初のシーンから変わって、真っ黒な背景のなかに金色の碇ゲンドウの顔が浮かび上がっていた。ゲンドウの顔をなす金色の輪郭は、金の細いネックレスでかたちづくられていて、その持ち主が赤木リツコであることが私にはすぐにわかった*1
 

新世紀エヴァンゲリオン DVD STANDARD EDITION Vol.8

新世紀エヴァンゲリオン DVD STANDARD EDITION Vol.8

  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2019/07/24
  • メディア: DVD
(だいたいこのDVDの表紙みたいな顔を金のネックレスでかたちづくろうとしていた)

 
 少し顔の輪郭がズレている気がしたので私は指で直そうとしたが、なにせ金のネックレスでかたちづくられた顔だから、少し触っただけで顔の輪郭がゆがんでしまう。手こずっているその時、碇シンジの声で「おやじにびびっているからうまく表現できないんだ」と声が聞こえてきた。
 
 そのとき、唐突にBGMとしてタナトスが流れ始めた。ここでいうタナトスとは、新世紀エヴァンゲリオンの劇中で、綾波レイが特攻や自爆をやろうと覚悟を決めたシーンで流れる曲だ。これも夢にありがちなことだが、タナトスが流れ始めてすぐ、私は悲痛な感情で胸がいっぱいになった。ここで、夢から醒めた。
 
 

この夢が意味しているものは?

 
 私にとって、新世紀エヴァンゲリオンのキャラクターやBGMは特別な意味を持ったものであり、象徴的なものだから、この初夢は、私の意識下~無意識のどこかの引き出しを反映していると思われた。だから、それが何なのか考えてみたい。
 
 エヴァンゲリオンでの役回りから、碇ゲンドウは、私の超自我を象徴しているとみなすことにした。超自我とは、「かくありたい」という理想を象徴すると同時に「かくあるべき」「かくあらねばならない」を象徴するものでもある。そこで私は、これを精神医学(とそれを含んだ現代の社会秩序)、と翻訳することにした。
 
 ブログではあまり書かないけれども、私は精神科医という職業人としてはオーソドックスを良しとし、正統な精神医学にリスペクトを感じている。精神医学は、現在の私の「かくありたい」や「かくあるべき」の相当部分を担当していると、思う。
 
 だから夢のなかの私は、そういう超自我を赤木リツコの金のネックレスという、非-正統な品を用いて表現しようとしていた。
 
 非-正統な金のネックレスとは、このブログをはじめとする私の表現活動のことではないだろうか。ブログや表現活動は、堅い職業人には不要のものだ。しかし、私にとっては宝物で、貴重な表現の手段でもある。
 
 対する碇シンジはイド、またはエゴグラム風に言えばFree Childだろう。私のなかのチルドレンが「おやじ(=精神医学と社会秩序)にびびっているからうまく表現できないんだ」と囁いたのである。
 
 その瞬間、タナトスが流れ、私は悲痛な感情にもなっていた。綾波レイが自爆を覚悟した時のような哀しみが伴うということは、自由のままに精神医学や社会秩序を描くことには犠牲が伴うと、夢が警告しているかのようだ。
 
 碇シンジの声をしたイドは、碇ゲンドウの顔をした超自我をしっかり描くよう、はっきり私をけしかけていた。にもかかわらず、描くことには犠牲が伴うという。私という一個人の内面で、これらがせめぎあっている様子を初夢をとおして私は自覚した、ように思った。
 
 

では、どう実践するか

 
 インターネットを始めた頃から、私は個人の社会適応について考え続けてきたが、ここ数年は、個人の社会適応の大前提となる社会秩序のメカニズムやルールを追いかけていた。その一環として、精神医学というシステムが社会というもっと大きなシステムに何を提供しているのか、逆に社会から何を受け取り、どのように両者が噛み合っているのかを、非-医学的な見地から追いかけ続けてきた。
 
 医療者や研究者それぞれの善意や、医療・福祉によって支援されている人々それぞれの救済とはほとんど無関係に、大きなシステムとしての精神医学と大きなシステムとしての社会が関連しあい、秩序の大きな歯車を回している。そう私は思う。だが、そういうマクロな秩序の成り立ちについて考えること自体、けしからんという人がいることも私は知っている。
 
 「それでも、私は考えることをやめない!」と思っていた矢先、私はこの初夢を見てしまった。見てしまったから、私は碇ゲンドウを金のネックレスで描ききろう、と思う。赤木リツコのネックレスが象徴しているように、それは正統なものではないけれども、それでも私が保持している力には違いないのだから。たとえタナトスのBGMを伴うとしても、私は、退かない。
 
 
 個人の社会適応の大前提になっている現代社会を、その成り立ちの一部である精神医学も含めて、描ききって、物語っていこうと思う。それが2020年の私の初夢であり、ブロガーとしての私のマニフェストだ。
 
 今年は、私という色眼鏡をとおしてみえる現代社会の姿を、まっすぐ物語っていくぞ。
 
 
 ※はてなブログの今週のお題「2020年の抱負」※

*1:夢では、特に説明がなくても「わかってしまう」ことがままある