シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

失われた「田舎の子育てのアドバンテージ」

 
blog.tinect.jp
 
 リンク先を読みながら、地方で子育てをやっている我が身を振り返って、少し悲観的な気持ちになった。
 
 私は、地方の国道沿いの、イオンやユニクロやニトリから程遠くない郊外に住んでいる。家族で普段の買い物を済ませるには便利だし、東京のような不動産の高騰にも直面していない。
 
 私立中学校にお受験させなければならないわけでもなく、公立高校の進学校を選べば学費はそれほどかからない。高専に進学するならもっと安くて済むだろうし、地元の国立大学を選べば大学でも費用は少なめになる。「子育てを地元で完結させる」ぶんには、地方は子育てしにくい土地だとは思えない。
 
 けれどもリンク先のfujiponさんがおっしゃるように、都会で色々な文物に触れてまわっている子どもたち、早くから進学校に通い、都内や海外の大学へ進学していくであろう子どもたちと比べた時、地方暮らし・田舎暮らしに利点があるかというと、昔ほどアドバンテージが思いつかない気がする。そのことについて、この機会に少し書いてみるにする。
 
 

かつてはあった「田舎暮らしのアドバンテージ」

 
 私が生まれ育った頃、昭和時代の私の田舎には、いかにも田舎らしいメリットがあったと思う。
 
 ひとつは「自然との触れ合い」。
 
 海、山、川、堤防、沼沢地、雑木林。そういったものはすべて遊び場で、私たちは文字どおり自然と触れ合いながら育った。昭和20-30年代はもっと自然が豊富で、身体をフル稼働させるような遊びがもっと多かったという。
 
 そういった自然だけでなく、町全体も遊び場だった。近所の家の裏庭も、空き地も、私有地か公有地かにかかわりなく子どもが遊んで構わず、軒下に出てきた近所のジジババと会話することもよくあった。町内のあらゆる隙間を知り、町内のあらゆる住人を知り、老若男女とたえずコミュニケーションすること自体が、社会性の獲得を後押ししてくれていたと思う。親と対立したとしても、だから孤独になることはあり得なかった。親以外にも年上がたくさんいたし、親の価値観が絶対ではないことを肌で感じさせてくれる年上に囲まれて育ったからだ。
 
 野山を駆けまわり、草野球ができる空き地がどこでも利用できて、町内の年上や年下と豊富な接点が持てたあの頃の生活は、私の社会性の基礎になっていると思うし、これが無ければ、不登校時代の遠回りを挽回できなかったと思う。
 
 

東京の劣化コピーとしての「現在の田舎暮らし」

 
 ところが、現在の私の子どもを見ていると、そういったメリットのことごとくが失われてしまったようにみえる。
 
 海も山も川も沼沢地も、子どもが遊んで良い場所ではなくなった。道路や私有地は子どもが遊んではいけない場所になり、子どもたちは決まった時間に、決まった場所で遊ぶようになった。その公園も、代々木公園や世田谷公園のような広大なものではなく、古い時代の都市公園法に従ってほとんど嫌々作られた、お粗末なものでしかない。そのような狭い公園のうえボール遊びも制限されていて、かつての私たちの頃のような、伸び伸びとした草野球など望むべくもない。
 
 町全体が遊び場ということもなくなってしまった。近所の家の裏庭や空き地に子どもが入ることは、21世紀の郊外では非常識なこととみなされている。それぞれの家の家主がそう思っているだけでなく、子どもも、子どもの親も、そのことを不文律とみなしている。新しく建てられた家屋には、軒下なんてものは存在しない。現代の家屋は、家族がスタンドアロンに過ごすことに最適化されていて、近所の人々と繋がりあうことを前提につくられているとは言えない。
 
 結局、田舎に住んでいるからといって、自然を謳歌する機会も、伸び伸びと草野球をする機会も、地域社会に根付いた社会性をマスターする機会も、あまり無いのである。どうしても自然を謳歌させたかったら、お金を払って自然を謳歌できる場所に行くしかないし、どうしても草野球をさせたければ、お金を払ってスポーツクラブに通わせるしかない。学校と自宅を往復するばかりで、専らゲーム機で遊んでいるような子どもは、田舎ならではのアドバンテージなど望むべくもない。
 
 それなら、塾や稽古事の選択肢が多いぶん、大都市圏のほうが子育てに有利ではないか。
 
 「それは、お前が田舎とはいえ中途半端な郊外に住んでいるからだ。もっと過疎地に行けば自然を謳歌できるはずだ」と反論する人もいるかもしれない。だが、私の知る限りではそうとも限らない。
 
 過疎地に行くと、熊や猪、猿がかなりの頻度で出没する。人の手がほとんど入っていない場所もたくさんあり、切り立った崖や怪しい獣道のたぐいといった、安全面の覚束ない場所がたくさんある。平成時代の親の感覚としては、熊や猪や猿がしばしば出没する場所で子どもを放っておくわけにはいかない。
 
 また、近所の家の裏庭や私有地で子どもが遊ぶ行為も昔ほど許容されない。「子どもといえど、私有地には勝手に入ってはいけない」という意識が、過疎地にもそれなり流れ込んでいるのがわかるからだ*1。それでなくても、少子高齢化が進み過ぎた地域には、子どもにバリエーション豊かな社会的経験を提供するだけのゆとりがない。
 
 かつて、都会の子どものステロタイプとして、「学校から塾への行き帰りに携帯用ゲーム機で遊び、帰った後も自宅で一人で遊ぶ」というものが語られたけれども、結局、どこに住んでいてもあまり変わらないのではないか。子どもが外遊びしなくなったのも、ボール投げの成績が年々落ちていくのも、子どもがゲームで遊ぶのが悪いというより、街全体として、いや社会全体として、子どもを街で遊ばせておいて勝手に経験を積み重ねてもらうことを許容できなくなっている故のように、私にはみえてしまう。
 
 結局、親が子どもにバリエーション豊かな経験を積ませようと思ったら、カネを積んで、経験を買うしかない。
 
 
 [関連]:学力だけじゃない、体力もカネで買う時代 - シロクマの屑籠
 
 

「契約社会の論理」が子どもにも適用されるようになった

 
 こうした、子どもを勝手に外で遊ばせない意識の浸透は、人格形成期の人間関係や社会性の獲得に響くので、私は小さくない問題だと思っている。そして、この意識の浸透はいろいろな切り口で語り得るものだろうとも思う。
 
 この文章では、「社会契約の論理の徹底」という切り口でこのことについて考えてみたい。
 
 かつて、地域社会が社会関係の大きなウエイトを占めていた頃は、地域の子どもはまったき「他人」の子どもではなく、「地域」の子どもでもあった。地域の子どもの遊び場は、地域の共有材だった。親子関係にせよ、地域の年上と年下の社会関係にせよ、その共有のありかたには契約社会のロジックが浸入していなかった。社会学者のテンニースのフレーズを借りるなら、「子育ての相当部分がゲマインシャフトのなかで行われていた」と言えるかもしれない。
 

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト―純粋社会学の基本概念〈上〉 (岩波文庫)

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト―純粋社会学の基本概念〈上〉 (岩波文庫)

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト 下―純粋社会学の基本概念 (岩波文庫 白 207-2)

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト 下―純粋社会学の基本概念 (岩波文庫 白 207-2)

 
 ところが、大都市圏では比較的早く、地方や郊外ではそれより幾らか遅れて、地域社会は希薄化していった。子どもの一人一人は「他人」の子どもでしかなく、「地域」の子どもとはみなされない。私有地という概念が浸透するにつれて、軒下コミュニケーションも裏庭を歩く子どもも少なくなり、子どもの遊び場=地域の共有財という意識はなくなった。道路で遊ぶ子どもや空き地で草野球をする子どもは、許容されなくなった。人々の意識も、街のつくりも、数十年の間にすっかり変わってしまった。
 
 このことは、「子育てが契約社会に完全に組み込まれた」と表現することもできるし、「契約社会化した街から子どもが締め出されて、子どもも契約社会のロジックに従わなければならなくなった」と表現することもできよう。
 
www.cnn.co.jp
 
 先日、アメリカのバス停近くの個人が、庭に子どもが入らないよう電気柵をもうけたニュースがあった。結局電気柵は撤去されたそうだが、契約社会のロジックに従って考えるなら、私有地への子どもの闖入を防ぐために土地所有者が電気柵をもうけても、おかしくないように思える。契約社会のロジックに従って考えるなら、「農家が田畑を荒らす猪を避けるために電気柵をもうけるのと変わらない」と考えるべきなのだろう。
 
 これはアメリカの話だが、周囲の子どもたちを眺めていると、わざわざ電気柵をもうけるまでもなく、「私有地に勝手に入ってはいけない」という意識はインストール済みのようにみえる。外遊びに最適な空き地があっても、ご近所の庭に好奇心をそそるものがあっても、2010年代の子どもはまず侵入しない。少なくとも、私が育った頃の子どもと現代の子どもでは、契約社会のロジックを内面化している度合いがぜんぜん違っているようにみえる。
 
 

契約社会化した子育てに、社会は、あなたはどこまで対処できるのか

 
 こうした社会の変化に対して、行政はそれなり手を打っているようにみえる。
 

 
 首都圏の湾岸マンションに限らず、比較的新しい住宅街には、だいたい広々とした公園が併設されている。契約社会のロジックに沿ったかたちで子どもが遊びやすい空間を確保するためには、「公園」とレッテルづけされた空間を増やしていくしかない。このあたりは、都市公園法の改正、少子高齢化を懸念する行政の思惑、不動産販売業者の戦略などが絡み合っての結果だろうけれども、少なくとも、二十年前ぐらいの住宅街に比べればマシになった。
 

 
 また、上掲の自転車の練習写真のような、近所でやりづらくなった体験を授けるためのイベントや場所も、都市部には存在している。こういった計らいも、契約社会のロジックから逸脱しにくくなった子育ての助けになっているとは思う。
 
 それでも、これらですべてが解決するわけではないし、これらは"恵まれた"都市部で行われていることだ。数十年前のニュータウンがそのままになっている地方の郊外などでは、こうした恩恵に与るチャンスが少ない。
 
 結局のところ、契約社会のロジックのもとでは、ほとんどの部分は親の能力と判断でどうにかしなければならないのである。
 
 「田舎=自然や地域社会のアドバンテージが得られる」という図式が無くなった今、契約社会のロジックに即したかたちで子育てのアメニティが取り揃えられた大都市圏の子育てに、田舎の子育てが太刀打ちできるものだろうか。
 
 我ながら、ちょっと少し先走ったことを文章にしてしまったとは思う。だけど地方で子育てしている者の一人として、最近は大都市圏の公園の芝が青くみえてならないので、今の気持ちを書いてしまうことにした。
 

*1:こうなった背景には、過疎地の私有地に勝手に闖入し、山菜やキノコを根こそぎ奪い取っていったりする余所者がたえないことも関係しているかもしれない

「自分に刺さるコンテンツ」がなくなったっていいじゃないか

 
 https://anond.hatelabo.jp/20180829224019anond.hatelabo.jp
 b.hatena.ne.jp
 ※このブログ記事を書いて数時間後、ブログ記事本体が削除されたのではてなブックマーク上の反応を追加しました。
 
 
 
 
 2018年は季節の移り変わりのテンポが早くて、もう、朝夕はめっきり涼しくなった。
 そのためか、ちょっとメランコリ―なブログ記事に、はてなブックマーカーが殺到しているのを見かけた。
  
 いまどきの人生を四季に例えるなら、20歳までは春、20代~40代は夏、50代~60代は秋だろうか。40代を「夏の終わり」とみるのは早すぎる気がしなくもないけれども、20~30代から見れば、40代は人生の後半にみえるかもしれない。もちろん、50代以降の人には40代はまったく違ったものとしてうつるのだろうけれども。
 
 これについて、ブログ記事筆者の気持ちとはほとんど無関係に、思うところを書いてみる。
 
 

「自分に刺さるコンテンツが無くなっていく」理由

 
 若い頃はサブカルチャーコンテンツに夢中だった人が、30代、40代と進むにつれて夢中になれるコンテンツを喪失していくことは多い。昔はゲームオタクとしてならしていた人が純粋な仕事人間になったり、昔は深夜アニメをよく観ていた人が定番のシリーズものしか観なくなったりするのを、私は何遍も見てきた。
 

 活動的なオタクライフを続けられなくなった人々は、趣味活動から身を引いていくか、昔のコンテンツを懐古するばかりになりました。なかには、無理矢理にでもオタクライフを続けようとした結果、趣味に時間や金銭といったリソースを食われて生活がだんだん苦しくなったり、身体を壊してしまったりする人もちらほら見かけるようにもなりました。
 このように、趣味を楽しむという一事についても、時間の流れは人を変えていきます。若者向けのコンテンツをいつまでも若者の気持ちのままに楽しめる人はそれほどいません。
「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?より抜粋

 大学生ぐらいの頃、「自分に刺さるコンテンツ」を見つけてくるのは難しくない。記憶と経験がまだ少なく、情緒が揺れ動きやすいことが、この場合はアドバンテージになる。
  
 しかし、30代40代になって「自分に刺さるコンテンツ」を新しく見つけて来れる人はそんなにいない。少なくとも、『ガンダム』や『頭文字D』や『ジョジョ』を"永遠の思い出"にしているような30代40代に比べれば少ない。それは、なぜか。
 
 理由の第一は、時間も注意力を十分にコンテンツに差し向けていられなくなったから、というのはあるだろう。
 
 思春期の彼岸には、仕事や子育ての充実した時間が待っている。 
 
 もちろん仕事や子育てには苦痛や我慢も伴うけれども、そのかわり、仕事や子育てをとおしてやり遂げられることも増えてくる。俗に、「働き盛り」という言葉もあるけれども、立場的にも、経験と体力のバランス的にも、40代にできて20代や60代にはできないことが沢山あると思う。だから、コンテンツに時間や注意力を回す暇が惜しいほど頑張っている中年がたくさんいることに違和感は無い。
 
 さまざまなフィールドで活躍している40代の男女から話を聞いていると、彼らがサブカルチャーの体内時計を何年も前に停まってしまっていることにしばしば気付かされる。20代の頃にファンになったアーティストや漫画家だけを追いかけていたり、『ドラクエ3』や『ストリートファイター2』を懐かしむことはできても現代のFPSやソーシャルゲームについては何も知らなかったりする彼らは、サブカルチャー愛好家としては完全に枯れている。
 
 たぶん、それで構わないのだろう。実生活が充実していれば、刺さるコンテンツが無くても生きていくには困らない。せいぜい、同窓会の時に話題にできればそれで事足りるのだから。
 
 そのことに加えて、実生活が充実していようが充実していまいが、忙しさや精神的プレッシャーはオフタイムからゆとりを奪う。本当はもっとコンテンツに向き合いたいと思っていても、帰宅してからの僅かな自由時間を、アルコールを片手にぼんやり過ごすしかない人も少なくはない。疲労はコンテンツへの没入を容赦なく妨げ、コンテンツの印象を散漫にしてしまう。それでも、年を取るにつれて、仕事が終わった後の肉体疲労は堪えるレベルになっていく。ただ疲れているだけで、コンテンツは刺さりにくくなる
 
 世の中には、年を取っても新しいコンテンツを次々に開拓していく人も幾らかはいる。だが、彼らは多数派とは言えないし、「自分にコンテンツが刺さるだけのゆとり」をなんらかのかたちで確保しているとみてとったほうがいいように思う。それは、時間や注意力を確保するための方策だったり、夜遅くに帰宅してから新しいゲームやアニメと向き合えるだけのバイタリティだったりする。まこと、中年になって思うのだけれど、時間と注意力とバイタリティはあらゆる活動のボトルネックだ。最近は、バイタリティに優れた同世代~年上の人が羨ましくてたまらない。
 


 
 ネットライフについても同様だ。
 いまどきなネット愛好家がやっていることを、今の私ができているとは思えない。ブログやtwitterやはてなブックマークといった馴染み深いフィールドでさえ、時間やバイタリティが足りなくなってくると巡回範囲が狭くなる。20代の私はそのことに耐えられなかったけれども、40代の私は、そのことをどこかで諦めてしまっている。見る人が見れば、それはネット愛好家としての堕落とうつるだろう。
 
 
 理由の第二には、すでに多くのコンテンツを経験済みで、それらと比較できてしまう……というのもあるだろう。
 
 ひとつのジャンルを10年も20年も続け、十分にクンフーを積んでいれば、おのずと見る目が肥えてくる。目が肥えると、良いコンテンツを良いと評価するには有利だが、あまりにもたくさんのコンテンツを経験していると、新しく出会うコンテンツはおのずと相対化されてしまう。記憶と経験がまっさらな若者にとって、ひとつひとつの名作や大作は絶対的なものになり得るし、ましてや『君の名は。』や『艦これ』や『UO』のように、界隈のシーンとなってコンテンツが立ち現れてくる場合には、コンテンツの相対化は難しくなる。コンテンツの相対化が難しくなるのは、批評家にとってはハンディでも、「自分にコンテンツが刺さる」には都合がいい。ところが、長いことコンテンツを噛み分け続けていると、コンテンツの相対化の罠にかかりやすくなってしまう。若い頃に絶対的なものとして体験した作品のことを、つい、思い出してしまう。
 
 

「コンテンツが刺さらなくなってからを生きる」

 
 じゃあ、コンテンツが自分に刺さらなくなってはいけないのかといったら……全然そうは思わない。
 

 私ぐらい年代では、昔の人気作品とその続編ばかりを楽しみにしている人がかなりいます。たとえば、『キン肉マン』や『ドラゴンボール』の関連作品だけを追いかけている中年、『宇宙戦艦ヤマト2199』のようなリバイバル作品や、『スターウォーズ』シリーズの新作を楽しみにしているような中年です。彼らは、ジャンルの新しいところを開拓していくだけの情熱や甲斐性を失っていますが、昔馴染みの作品は今でも愛しています。
(中略)
 このような保守的で、時計の針が止まってしまったかのような愛好家の姿は、新しいコンテンツにも目を通している若い愛好家からはまったく誉められないものでしょうし、反面教師にしたいと感じる人もいるに違いありません。
 ですが、サブカルチャーを心底楽しんできた青春時代が終わってからの落としどころとしては、いちばん無理がありませんし、そういった道を選んだからといって、人生の選択を誤っているとは私には思えません。むしろ、自分にとって本当に大切なコンテンツに的を絞ることで、最小の努力で自分の趣味の方面のアイデンティティをメンテナンスし続けられているとも言えます。
「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?より抜粋

 「自分に刺さるコンテンツ」を開拓しない・開拓できない境遇は、少なくとも中年にとっては困るものではなく、むしろ、メリットも大きいように思う。仕事や子育てなどの忙しさを抱え、疲れやすくなった中年が、学生時代と同じ情熱と時間をコンテンツに傾け続けるのは、ハイコストなことでもある。今の自分にとって為すべきことを為しながら、それでいてサブカルチャー領域の自分のアイデンティティをキープする一番たやすい方法は、思春期の頃に自分の心に刺さったコンテンツを愛し続けること・その続編コンテンツや周辺コンテンツを拾い続けていくことだと思う。多くの中年は、それに即した振る舞いをごく自然に身に付けている。
 
 むろんこれはゲームやアニメに限った話ではなく、たとえば『B'z』や『ドリカム』を聴き続ける人も、20世紀のSF小説で時計の針が止まってしまった人も、だいたい同じだ。そういう中年がたくさんいるということは、たぶん、それでも構わないってことなのだろう。「自分に刺さるコンテンツ」がいつまでも見つかり続ける人生もきっと良いものだろうけれど、だからといって「若い頃に自分に刺さったコンテンツ」を頼みとする人生がそれに劣っているとは、私にはどうしても考えられない。また、新しいコンテンツが刺さらなくなったことをもって趣味人や愛好家としての終焉とみなすのも、ちょっと違うと思う。
 
 現在進行形でコンテンツが刺さりまくっている人や、ごく最近までコンテンツが刺さっていた人は、「コンテンツが刺さらなくなってからを生きる」ことを否定的にとらえるかもしれない。けれども、コンテンツが刺さらなくなってからも、新しい地平、新しい心境が待っているので、気にしないで年を取っていけばいいと思う。「フレッシュなことはいいことだ」という思い込みを捨ててしまえば、案外、楽になるんじゃないだろうか。
 

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

 

「ガチャは悪い文明」だとやっとわかった

 
 界隈では「ソーシャルゲームはガチャで派手に儲けている」と耳にするし、それは事実らしい。しかし、私はお金のあまりかからない部類のソーシャルゲームを、あまりお金のかからない遊び方で遊んでいたので、「射幸性」だの「依存性」だのと言われてもイマイチ実感が乏しかった。
 
 
 
 
 
 『FGO』にしてもそうで、ガチャは初期投資の金額だけで十分と感じていた。メインストーリーを進めるにつれてサーヴァント*1がどんどん強くなり、★1~★4のサーヴァントもちゃんと活躍してくれるおかげで詰まる気配が無かった。そのうえ、ストーリーが進むと聖晶石*2がどんどん手に入り、戦力が増強できる。
 
 「メインストーリーで得られる聖晶石と、ごく稀に出てくる★5サーヴァントがいれば、とりあえずゲームストーリーを進めるには問題ない。だから『FGO』は無課金~微課金で完結できるゲームだ。めちゃくちゃ課金してガチャを回している人達は、どこかおかしな遊び方をしている」
 
 そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
 
 

五百個の聖晶石を一気に使ったらおかしくなった

 
 
 ところがそんなに甘くなかった。
 
 おかしくなりはじめたのは、2018年夏のアニバーサリーイベントが始まってからだ。まず、★5サーヴァントが確実に手に入る「福袋ガチャ」で、なんと★5サーヴァントが二体も手に入ってしまった。そのうえ、運営側からものすごい量の聖晶石が振る舞われたこともあって、この時点で聖晶石が五百個ぐらい溜まっていた。
 
 アニバーサリーイベントの最中は、★5サーヴァントをラインナップした「ピックアップガチャ」がいつまでも続く。溜まった聖晶石を使うなら今しかない!……が、さすがに★5サーヴァントは簡単には出てくれない。そうこうするうちに聖晶石が底をつき、ガチャを回したいという渇望と、欲しいサーヴァントのピックアップでも指をくわえて見ているしかない渇愛が残った。
 
 ああ、ガチャを回しまくった先にはこんな景色が広がっていたのか!
 
 そこからは良くない展開だった。
 

 
 ほんの二週間ほど前まで、私は「めちゃくちゃ課金してガチャを回している人達は、どこかおかしな遊び方をしている」と本気で思っていたし、特定の★5サーヴァント欲しさにガチャで大爆死しているユーチューバーの実況などを見ては「馬鹿だなぁ」などと思っていた。
 
 いいや、馬鹿だったのは私のほうだ。
 
 ガチャを回し続けた彼岸には、経験したことのない世界が広がっていた。戦力的には十分なプレイヤーが、どうして躍起になってガチャを回すのか、やっと私にもわかってきた。今なら私も、"葛飾北斎"や"マーリン"のピックアップガチャが来たら爆死するに違いない。
 
 たぶん私は『FGO』の半分も見えていなかったのだと思う。
 
 

「今まで見えていなかった世界」が見えてきた

 
 人がゲームを遊ぶ理由はいろいろだろう。
 が、私の場合、「今まで見えていなかった世界を見る」ことが理由としては大きい。
 
 『スターソルジャー』や『グラディウスII』や『怒首領蜂』をやっていた頃は、少しでも長く生き残って、出会ったことのない敵と戦ってみたいと思っていた。ゲームをやり込むほど新しいステージに進める──それが何よりのご褒美だった。

『シヴィライゼーション4』や『スプラトゥーン2』の場合は、上達しなければ気付かないこと・見えてこないことがたくさんあり、できるだけ上達して、その境地を自分の目で確かめてみたいと思っていた。
 
 そして『FGO』では、未読のメインストーリーを読むことが目的だった。以前も書いたとおり、私は『FGO』をヴィジュアルノベルの末裔だとみなしていて、ストーリーを先に進めるためにガチャを回して、サーヴァントを育成していた。今にしてみれば、それはそれで幸福な『FGO』観だったし、それで十分だったとも言える。
 
 ところが短期間にガチャを回しまくった結果、後頭部がジリジリするような、新しい『FGO』観を私は知ってしまった。
 
 私のtwitterのタイムラインには、『FGO』に課金する人が珍しくない。彼らは、この、執着無間地獄を苦しいと感じているのだろうか? それとも御褒美や喜捨のたぐいと割り切って身銭を切っているのだろうか? どちらにせよ、「ストーリーを進めたい」から「欲しいサーヴァントが欲しい」になってしまった時点で、運営のいい金蔓になってしまったといわざるを得ない。
 
 

「詫び石」は「ドラッグの売人」の手口

 
 どうしてこんなに★5サーヴァントが欲しいなどと思うようになってしまったのか。
 
 色んな理由が思いつく。
 
 サーヴァントが格好良い(またはかわいい)から。それもそうだろう。
 サーヴァントが強い(または使える)から。それもそうだろう。
 
 でも、サーヴァントの魅力だけでは足りない。事実、最初の数カ月はそこまでサーヴァントに執着していなかった。
 
 私がおかしくなったのは、「ガチャをたくさん回す快楽」を覚えてしまったせいだと思う。ため込んだ聖晶石をアニバーサリーイベントで一気に使い込んでから感覚がおかしくなってしまった。
 
 してみれば、運営がことあるごとに石を配って回るのも、お盆と正月に気前の良い福袋イベントを催すのも、「ドラッグの売人は、最初は無料でドラッグを配る」のと同じロジックなのだろう。
 
 「詫び石」というのも、なかなかいやらしいコンセプトだ。プレイヤーに対するお詫びという体裁を取りながら、一人でも多くのプレイヤーを執着無間地獄に堕とすための罠を配ってまわっているわけだから恐れ入る。
 
 メインストーリーを進めていた頃は無料でどんどん手に入っていた聖晶石が、ストーリーが進み尽くすと入手しにくくなるのもいやらしい。無料で聖晶石を手に入れるための手間暇がだんだん厳しくなってくるから、ますます課金したくなってしまう。「ストーリーを進められる戦力が揃えば、聖晶石は要らない」と考えていた頃は、これがガチャへの導線になっているとは気づかなかった。聖晶石を掘るのに手間暇がかかるようになって、ガチャに手を伸ばしたくなるようにデザインされていただなんて。
 
 『FGO』に限らず、我が世の春を謳歌しているソーシャルゲームはどれも、こうやってプレイヤーをガチャへと引きずり込むための仕掛けを用意しているのだろう。『マンガでわかるFGO』には「ガチャは悪い文明」という台詞が出て来るけれども、なるほど、ここまで来てみてやっとわかった。今、ガチャを回している時、私はプレイヤーとして自制がとれている自信が無い。とはいえガチャの恐ろしさを知るというこの体験も、これはこれでゲーム体験であり、辿り着いてみなければわからない世界ではあった。ひと夏の過ちをとおして、私はゲームの世界のことをまた少しだけ知った。
 
 

*1:手駒

*2:ガチャを回すために必要なアイテム

昭和映画を観て、あの頃の野蛮な感覚を思い出した

 

 
 ゆうべ、子ども時代に観た映画が急に見たくなって、Amazonのプライム・ビデオから『ビーバップハイスクール』やら『トラック野郎』やら『男はつらいよ』やら、昭和映画を何本か引っ張ってきた。
  
 汚い街並み。やたら汗まみれの男達。
 酒、たばこ、女。
 ことあるごとに出て来る拳や棍棒。
 映画で描かれる昭和は、もちろん昭和そのものではない。
 それでも、カジュアルに登場する身体的暴力や、男尊女卑を隠そうともしない物語の描かれ方は、やはり昭和ならではで、平成っぽくないとは思った。
 
 

平成時代の子どもには『ビーバップハイスクール』が殺し合いに見える

 
 
 ちょうど映画『ビーバップハイスクール』を見始めた時間に子どもが帰ってきて、一緒に視聴しはじめたが、子どもの反応は強烈だった。ものの数分で「これはひどい」「割りばし鼻に突っ込んだら死ぬ!」「高校生が殺し合いするなんておかしい!」と異常を指摘しはじめた。それでいて、画面に釘付けではあるのだが。
 
 今、『ビーバップハイスクール』を再視聴すると、街並みの汚さにびっくりする。上っ面だけ綺麗になった街の至るところに、バラックのような建物やゴミの山が存在している。登場人物の血や汗も含めて、臭そうなシーンが次々に登場する。そういえば、「朝シャン」をはじめとするデオドラント文化が日本に定着したのは80年代後半あたりだったが、そういった清潔志向は『ビーバップハイスクール』には現れていない。
 
 うちの子どもには、学生同士の「果し合い」が「殺し合い」に見えるらしかった。これが喧嘩であるという発想、これが学生同士の身体的なコミュニケーションであるという発想は、平成生まれの子どもには存在しない。「こんなに乱暴な高校生はおかしい」「中学生はともかく、高校生が喧嘩するのは聞いた事がない」といったコメントは、いまどきの子どもの感想として妥当だと思う。殴る蹴るが身体的コミュニケーションやマウンティングの様式としてまかり通っていた時代を知らない者には、「果し合い」と「殺し合い」は区別のつかないものかもしれない。
 
 警官の振る舞いにも驚いていた。相手が不良とはいえ、学生を殴る警官。果し合いのことを学校には黙っておくと言ってのける警官。『トラック野郎』に出て来る警官もひどい。平然とトラックの装飾を蹴り破っている。子どもは「こんな警官はおかしい」と何度も連呼していて、うん、それもそのとおりなのだが、平成時代では考えられないある種のおおらかさが、子どもには異様にうつるようだった。
 
 

昭和の頃の私は、それらを普通に楽しんでいた

 
 平成生まれの子どもには異様とうつった『ビーバップハイスクール』を、かつての私は楽しんでいた。
 
 私は昭和の終わりごろに、『ビーバップハイスクール』をリアルタイムで観た。『トラック野郎』はそれよりも後に観た。それらが、ちょっとバイオレンスに誇張された喜劇だということはわかっていた。
 
 それでも、トオルとヒロシは恰好良かった。不良たちが面子やなわばりを賭けて争う姿、殴り合う姿に違和感は感じていなかった。汗まみれになりながら殴り合う男たち、キャーと叫ぶ女たち、そういった描写をごく自然に受け取っていた。誇張された表現とわかっていたにせよ、その誇張は、日常の延長線上にあるものだと感じていた。
  
 その後、私は中学校に入学した。地元中学は、校内暴力のピークが過ぎた頃に校内暴力が吹き荒れたような遅れた地域だったので、不良がたくさんいた。教師の大半はナメられ、生徒会より番長が偉く、長いスカートを履いて鎖をジャラつかせる「スケ」が肩で風を切って歩いていた。中学生の喫煙。飲酒。不純異性交遊。近隣の学校との小競り合い。でかい屋敷の息子とその周辺。
 
 私はその中学でいじめに遭って不登校になったわけだけど、不登校になっている間に私を支えていたのは『ウィザードリィ』だけでなく、自分の町内の人間関係だったから、不良的なものを全否定することはできなかった。なぜなら、私の助けになった町内の先輩や後輩にしても、ある部分では不良的で、ある部分では喫煙や飲酒を良いこととしていて、本質はさほど変わらなかったからだ。当時の私にとっての男子学生としてのロールモデルは、たとえば『桐島、部活やめるってよ』に出て来る高校生などに比べれば『ビーバップハイスクール』寄りだった。
 
 私の生まれ育った時代と地域では、暴力がコミュニケーションの手段として日常的で、男尊女卑的で、汗まみれだった。だから私も、そういった感覚の延長線で昭和喜劇の暴力を受け取っていたのだろう。
 
 

昭和映画の世界に「おとなの発達障害」はいない

 
 あの頃の学生のヒエラルキーは、今日のスクールカーストのソレとは違っていた。もっと直截的な暴力、あるいは「ゴリラの胸叩き」のようなものが威力を発揮していて、喧嘩さえ強ければ一目置いて貰える部分があった。精神科医として思い出すと、今だったら発達障害の病名に加えて「行為障害」「素行症」とも呼ばれそうな不良が、あの中学には結構いた。そういえば、『男はつらいよ』の寅さんも、現代なら、発達障害とカテゴライズされてしまうだろう。
 
 現代の、洗練されたスクールカーストのヒエラルキーでは、発達障害はコミュニケーション上の大きな問題になる。しかし、昭和時代の野蛮なヒエラルキーでは、多少の落ち着きの無さや空気の読めなさは、腕っぷしや威圧力でカヴァーできた。昭和時代の学校や世間、とりわけ不良や荒くれ者が影響力を誇れるような学校や世間では、いわゆる「大人の発達障害」は、障害というかたちでケース化しにくく、あまりにも社会から逸脱した者だけが少年非行や犯罪者として摘発されたに違いない。
 
 とはいえ、昭和時代は安易に肯定できるものでもない。
 
 今日、これらの作品を見返してみると、昭和時代には許容されても平成時代には忌避されるもののオンパレードだ。昭和時代の社会状況は、平成時代の社会状況、もっと言うと、先進国で適切とみなされている規範に妥当していない。コミュニケーションの手段として、ヒエラルキーの決定因子として、腕っぷしや威圧を行使することは先進国では正しくないとされている。男性の暴力に女性が屈し、甘んじているのも、先進国にあってはならないことである。
 
 してみれば、発達障害がブームになっていく背景の一部分として、暴力や恫喝の禁止、喧嘩の禁止といった、先進国的な正しさの普及も挙げていいように私は思う。発達障害がブームになっていった背景として、産業構造の変化やコミュニケーション能力を重視する社会への移行がしばしば語られるし、それはそのとおりだろう。ただ、それらの変化には、人間間のヒエラルキーの取り決め方やコミュニケーションの方法に関する、大きなルール変更も伴っていた。コミュニケーションから殴打や威圧が追放され、ヒエラルキーの序列から暴力という要素が取り除かれれば、暴力で弱点をカヴァーしていた人々・暴力で弱点をカヴァーしなければならなかった人々は、それそのままでは社会に適応できなくなる。 
 
 『ビーバップハイスクール』に出て来る不良たちは、発達障害でもなければ行為障害でもなく、昭和時代の不良のカリカチュアだった。しかし、より平穏で、暴力の否定された平成時代の子どもからみれば、コミュニケーションしているのか殺し合っているのか区別のつかない、理解しがたい何かだった。子どもが昭和映画に異質なものを感じ取っているのを見て、ああ、時代が流れて、社会が変わって、人の捉え方も変わったのだと、しみじみ思った。
 
 

「小説家になろう」を読んでいると「どけ、俺が書く!」と言いたくなる

 
 屋外はうだるような暑さのなか、エアコンの効いた部屋でスパークリングワインを飲みながら物語を読むのは至福のひとときだ。疲れた頭でも読みこなせる読み物が、いまどきはweb上にたくさんある。
 
 そんなこんなで、「小説家になろう」を読む。
 
 我が家のPCには「小説家になろう」のブックマーク入れがあって、ここに、なろう小説がどこからともなく集まってくる。のどを鳴らしたくなる作品が入っていることもあれば、水っぽいワインのような作品が入っていることもある。何がブックマークされているのかはわからない。ともあれ、自分で一から探すのに比べればありがたいことではある。
 
 で、エアコンの効いた部屋でスパークリングワインを飲みながら読んでいるせいで、ときどき、「どけ!俺が書く!」と言いたくなることがある。
 
 「中世~近世ファンタジー風に書くなら、透明感のあるワインを居酒屋で出しちゃあ駄目だ、そんなのは最高級品だ」
 
 「蒸留酒?なんで蒸留酒なんてものが出てくるんだ?おまえらは米で作ったどぶろくでも飲んでろ」
 
 「別に冷えた発泡酒を出すなとは言いませんが、せめて冷気魔法を使っているとか、なんか適当な言い訳をお願いできませんかー」
 
 こういう難癖は、テレビに向かってブツブツとつぶやき続ける、孤独なテレビ視聴者のソレと変わらない。
 
 ところが、言い訳なり説明なりがあったならあったで、別の難癖をつけ始める俺がいる。
 
 「冷気魔法で食品を保存できる世界なのはわかりました。でも、この場面で、その説明にくだくだしい説明を書き連ねるよりも、3話前の貴族様のお話しで触れてしまっておけばスマートだったのでは?」
 
 「これが、ヒロインの後輩君の内面パートなのはわかっているんですが、この後輩君の内面、すごく……昭和後半っぽいです……」
 
 「この世界で金属や穀物がユニバーサルに流通しているのは交易網のおかげとありますが、魔物がこんなにいる世界で、交易網をどうやって成立させているんでしょうか?」
 
 小姑のような難癖をつけ始めると、ツッコミどころを楽しめるような作風でない限り、興ざめしてしまう。優れたweb小説の場合は、ツッコミどころを楽しめるか、むしろ優れたデフォルメとみなせて「設定に乗れてしまう」けれども、そういう作品はそんなに多くはない。そりゃあそうだろう、あらゆる書き手が参加している・参加できるのがweb小説の世界なのだから。
 
 

「だったらお前が書けよ」→「どけ!俺が書く!」と言いたくなる

 
 そんなに難癖をつけるぐらいなら、お前が書けよ!と突っ込む人もいるかもしれない。実際、そのとおりだと思う。なろう小説を読んでいると、「どけ!俺が書く!」と言いたくなることがよくある。
 

ダンジョンズ&ドラゴンズ ダンジョン・マスターズ・ガイド第5版(改訂版)

ダンジョンズ&ドラゴンズ ダンジョン・マスターズ・ガイド第5版(改訂版)

 
 魔物と魔法の系統はD&Dに近いものにしていこう。D&Dとわざわざ書かなくても、伝わる人には伝わるし、そのほうが設定のブレが少なくて済むはずだ。
 
地図でみる図鑑 世界のワイン (GAIA BOOKS)

地図でみる図鑑 世界のワイン (GAIA BOOKS)

  • 作者: ヒュー・ジョンソン,ジャンシス・ロビンソン,山本博,遠藤誠,戸塚昭,塩田正志,福西英三,大田直子,緒方典子,宮田攝子,大野尚江,豊倉省子,藤沢邦子,乙須敏紀
  • 出版社/メーカー: ガイアブックス
  • 発売日: 2008/08/01
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 
 ワインは甘みがぜいたく品だった時代に近づけて、糖尿病になりそうな甘いワインをドカドカ出そう。甘くないワインなどというヘルシーな志向が、近現代のテクノロジーを崇め奉るような異世界で珍重されるわけがない。
 
金と香辛料 〈新装版〉: 中世における実業家の誕生

金と香辛料 〈新装版〉: 中世における実業家の誕生

 
 ギルドカードにお金が振り込まれるような異世界なら、クレジットのあり方を根本的に変えなければならないし、通貨として金貨を登場させるなら、金と銀の産出量をいじらなければならず、それなら、惑星の重金属比率が違っている前提で進めたほうが良いかもしれない。
 
 
  
 いまどきは、異世界の物語を書くための「種本」や、先行作品が無尽蔵に存在している。だから、自分にとっての「それらしい」作品を創ろうと思ったら幾らでも資料が存在するし、言い方を変えると、各人にとっての「それらしい」作品は、各人が参考にした「種本」や先行作品によってバラバラになってくるはずだ。
 
 そうなると、他人の創ったweb小説を読むぐらいなら、「自分が手持ちの資料や作品と矛盾しない、自分で創ったweb小説を読んだほうがきっと満足できる」という怪しげな結論に辿り着いてしまう。だからついつい、「どけ、俺が書く!」と言いたくなってしまう。
 
 

でも「参りました。」と言わせる作品だってある

 
 ところが、実際には「どけ、俺が書く!」とはいかない。
 
 時間が無い、体力が無い、甲斐性も無い。ブログをはじめ、自分の領分で自分が書かなければならないことが山積しているのに、web小説に時間をかけるわけにはいかない。そういったお決まりの言い訳を乗り越えて、かりにweb小説づくりにリソースを突っ込んでも、早々、うまくまとまるとは思えない。
 
 web小説づくりは、自分が書きたい設定や世界背景を定めただけではうまくいかないことを、私は知っている。異世界にリアリティを与えようとゴテゴテやってしまうと、「クドクドとした、知識開陳の目立つ腐った何か」ができあがってしまう。だからといって、異世界の説明や風景描写を飛ばしすぎると「スッカラカンの何か」ができあがってしまう。
 
 してみれば、商業的に成功しているweb小説、あるいはライトノベルあたりは、たいてい、本当にうまくできているのだと思う。
 
 その世界の説明に無駄な行数を費やすことなく、知識の押し売りになってしまうことなく、できるだけ少ない文字数で、それでもスッカラカンとは感じさせずに気持ち良く異世界を読ませてくれる作品には、真似できるようで真似しきれない何かがある。ああいうのは、相応のテクニックや才能があればこそなのだと私は思う。作り込まれた異世界を見せてくれるけれども、読者への負担や知識開陳は最小限とし、キャラクターの挙動が異世界のスタイルと調和している作品は、とても素晴らしい。
 
 世の中は広い。優れた書き手はたくさんいる。
 
 だから「どけ、俺が書く!」と言いたくなった時は、「素晴らしい書き手の作品を待とう」と思ったほうが精神衛生に良いのだろう。もっとも、そこを突き詰めてしまうと、web小説なんて読まずに商業化された上澄みだけつまみ食いするのが効率的、ってことになってしまうのだろうけれども。
 
 エアコンの効いた部屋で「小説家になろう」を読んでいる時に、独りでつまらなさがヒートアップしてしまった時に思ったことを書きました。オチはありません。