シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

戦略的に知名度を稼いでいるアカウントも、自分の承認欲求を無視してはいけない

 
若いの、そこは私達が十年以上前に通った道だ - シロクマの屑籠
では、君が失敗したら思いっきり笑ってさしあげようぞ。 - シロクマの屑籠
 
 去年、インターネットでたくさんの人から注目を浴びてキラキラしようとしていた二十代の皆さん、お元気ですかー?
 
 上記の記事で言及した若人のブログは、残念ながら更新が止まってしまったようです。ですが、ブログは辞めても、世間のどこかで人生を大切に耕していらっしゃることをお祈りします。
 
 でも、ブログをやめて正解だったのかもしれませんね。
 
 インターネット上でPVを稼いで、たとえばアルファブロガーとか、アルファツイッタラーとか、インフルエンサーとか煽てられて、単著を出版したりして、果たして、本当に人間は幸せになれるものでしょうか?
 
 また、たくさんの人から注目を集めても耐えられるだけの“器”だったのでしょうか?
 
 

いまどきのネットde知名度な人達は、みんな手際が良い

 
 動画配信でも、SNSでも、ブログでもそうですが、今日のインターネット生態系では、有名になること・PVを稼ぐこと・多数のフォロワーを擁することは、いろいろな利益や権益に結びついています。
 
 一番わかりやすいのはアフィリエイト収入やアドセンス収入のたぐいですが、先だって食べログで起こった、うどんが主食氏の騒動をみてもわかるように、目に付きにくいかたちでマージンや権益をいただくケースもあるでしょう。
 
 また、知名度が得られることで出版のオファーが来たり、寄稿の依頼をいただいたり、そういったチャンスが舞い込んでくることもあります。
 
 かつて私は、こういった知名度が実益に直結する状況は、ネットで自己表現する人が増えてくればいつか飽和し、一人一人が得られる実益が限りなく薄い状況に置き換わっていくのではないか、と想像していました。ですが、それは完全な間違いだったようで、ネット上で知名度を稼いでスターダムを駆け上がっていく道筋は、いまだ健在です。
 
 だから、今、ネットの階段を駆け上がっていく人々の歩みは理に適ったものにみえるし、いまどきは、承認欲求を充たしたくて知名度を集めるだとか、日陰者同士で群れているうちに有名になってしまうだとか、そういう経緯の人は少ないのだろうな、と私は想定しています。たとえ日陰者っぽいアカウントで知名度を稼いでいる場合でさえ、そのキャラを生かした戦略にもとづいて、したたかに知名度を稼いでいると捉えたほうが説明できる振る舞いが多いのです。
 
 二十代前半とおぼしきアカウントでも、“なかのひと”を素のまま出すのでなく、キャラとして妥当なメンションを、戦略的に投稿しているさまに、私は驚嘆せずにいられません。知名度を確立するのに最適なキャラを戦略的な投稿によって立てていく技能は、2010年代の主だったネットプレイヤーはみんな上手だと思います。
 
 

まとわりつく称賛や注目が、歯車を狂わせていく

 
 じゃあ、そうやってネットの階段を駆け上って、凄まじい勢いで知名度を稼いでいった若い皆さんが、みんな無事息災かといったら、そうは見えません。
 
 ある人は、知名度を維持することに疲れ果てて消耗して。
 ある人は、だんだん発言が“社会的”になり、論争の坩堝で消耗して。
 ある人は、善き有名人であろうと努め過ぎて、神経を消耗して。
 
 これらのある部分までは、「ネタが尽きてきた」「その人の面白さがその程度だった」といった言葉で説明できるでしょう。
 
 でも、それだけでもありますまい。
 
 ネットでたくさんの「いいね」を集めて、たくさんのPVやフォロワーに取り囲まれた状態が、ネットで知名度を稼いできた人達の精神を、少しずつズラして、狂わせていくのではないでしょうか。
 
 誤解されたくないのであらかじめ断っておきますが、私は、今日日のネットde知名度な人達が、承認欲求を主なモチベーション源にしている、と言いたいわけではありません。
 
 そうではなく、ここで言いたいのは、たとえば金銭収入のために戦略的に知名度を稼いでいる人でも、知名度を稼ぐプロセスで不可避的に集まってしまう不特定多数からの称賛や注目によって、だんだん感覚が狂ってきたり、つい、下手を打ってしまうことがあるんじゃないか、ということです。
 
 ほかの言い方をするなら、承認欲求がメインのモチベーション源ではないネットユーザーでも、不特定多数からの称賛や注目に集中的に曝されると、承認欲求に引っ張られて歯車が狂ってしまう可能性があるんじゃないか、ということです。
 
 これまで私は、承認欲求が目当てでネットで危険行為や大袈裟な投稿を繰り返すのは危ない、と繰り返し主張してきました。
 

認められたい

認められたい

 
 
 しかし、承認欲求が主だったモチベーション源ではない人でも、凄いスピードで知名度を稼いだり、不特定多数からの注目に曝され続けたりすると、気がつかないうちに承認欲求を充たしやすい方向に引っ張られてしまって、投稿の手許が狂ったり余計な言質を漏らしたりすることが、けして珍しくないように見受けられるのです。
 
 

自分の心の動きを見て、危ないと思ったら止まるんだ

 
 いまどきは、「承認欲求に飢えているからネットで有名になりたい」などとというピュアな若者は、珍しい存在ではないかと思います。だからといって、それよりずっと多いであろう、実益重視で、戦略的に知名度を稼ぐ人達が、自分自身の承認欲求を無視していいかと言ったら、そうとも思えません。
 
 むしろ、そういった戦略的に頑張っている人達こそ、時々は自分の心の動きを省みて、自分が承認欲求にどれぐらい引っ張られているか、自分の執着がどの方向を向いていて、どれぐらい度し難いものになっているか、定期点検をしたほうが良いのではないかと思います。
 
 そして、もし、自分の心が承認欲求に囚われはじめていて、ちょっと足元が浮ついていると気付いたら、まず、いったん止まることです。欲に目がくらんで足元が浮ついている時にインターネットをやっていると、だいたいロクなことがありません。浮ついた気持ちのまま知名度を稼ぎ続けるぐらいなら、立ち止まって、身の安全を点検すべきでしょう。
 
 人は、自分が承認欲求に引っ張られてズレてしまわない範囲でしか知名度を稼ぐべきではなく、その許容量が、ネット人士としての“器の大きさ”なのだと私は思います。どれだけ知名度を稼いでもビクともしない、鋼のような心の持ち主は、立ち止まることなく、まっすぐに知名度のスターダムを駆け上がって構いません。が、何度かバズって気持ちが浮ついてしまうような脆弱な心の持ち主は、自分の承認欲求に囚われ過ぎないよう、折に触れて立ち止まりながら、自分の気持ちを落ち着かせながら、インターネットに臨むのが良いと思われます。
 
 この文章は、誰に向けて書いたのかよくわかりませんが、急に書きたくなったので書きました。
 
 
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