家族みんなで一カ月ほど遊んで非常に楽しかったので、『ゼルダの伝説 Breath of the Wild』(以下、本作)について、遊んだ感想を書き残しておきたくなった。
筆者の立ち位置
ゲームの感想は、どういうプレイヤーがどういう経緯で遊んだかが重要だと思うので、少し書いておく。
私はファミコン時代からずっとゲーム漬けだったが、任天堂の熱心なファンではない。『ゼルダの伝説』シリーズは、ファミコンディスクシステム時代はやり込んだけれども、スーパーファミコン版以降の、謎解きを強制する雰囲気が好きになれず、敬遠していた。

- 出版社/メーカー: 任天堂
- 発売日: 2008/05/01
- メディア: Video Game
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ところが、数年前にプレイした『リンクのボウガン』が期待以上に面白かった*1。しかも、「本作は、ファミコン版の『ゼルダの伝説』に先祖返りしている」という噂を聞いたので、すごく久しぶりに買ってみたのだった。
なお、私はいわゆるオープンワールド型のRPGをやりこんでいるわけでもない。『Oblivion』や『Skyrim』は大好きだが、『アサシンクリード』や『Fallout4』は遊んでいない。シューティングゲームを中心にまんべんなく遊んできた、中年ゲーマーの感想であることを断っておく。
「うへー!日本人の仕事だ!任天堂臭い!」
この『ゼルダの伝説 Breath of the Wild』の第一印象は、「これは、任天堂臭いゲームだ!」だった。
nintendo switchの、オモチャ然とした、しかし良くできているコントローラーからして任天堂臭い*2。ゲームをスタートし、リンゴやドングリを拾って焚火にくべたり、斧で木を切り倒したりしていると、それだけでも楽しい。が、早くも、「ほら、リンゴを取ってくださいね? はい、次はお料理の時間です。 さて、次は木を伐りましょう……」と見えないチュートリアルに誘導されてゲームを遊んでいる感がある。
もちろん、昨今のゲームにはしばしばチュートリアル機能がついているし、チュートリアルとは、そういうものだろう。本作の導入部は、そのチュートリアルの手つきが自然、かつ、行き届いていて、よほどひねくれたプレイヤーでない限り、必要な行動を適切な順番で体験できるよう、計算された造りになっていた。プレイヤーの行動を、制約によってではなく、専ら意欲によって牽引する、その手つきの完成度がハンパない。
「うへー!日本人の仕事だ!任天堂臭い!」とは思ったが、感心せざるを得ない。
ちなみに、ここでいう「任天堂臭い手つき」とは、スクエア&エニックスのチュートリアルの手つきとも、ベセスダのチュートリアルの手つきとも違っている。うまく言えないのだが、たとえるなら、本作のチュートリアルは、ちょっとお節介なおばさんが、ニコニコしながらゲームの手引きをやっているような雰囲気がある。他社のゲームでチュートリアルをやっていても、“お節介おばさん”を連想することはない。だが、本作のチュートリアルは、任天堂っぽいBGMや演出も相まって、“お節介おばさん”をどうしても連想してしまう。
で、ゲームを先に進めても、行く先々で、この、“お節介おばさん”の意志というべきか、無言の干渉というか、そういったものを私は感じ取ってしまったのだった。
本作『ゼルダの伝説 Breath of the Wild』は自由度の高いオープンワールドなゲームと言われている。それは事実として間違っていない。プレイヤースキルの非常に高いプレイヤーにとっては、とりわけそうだろう。
だが、一般プレイヤーである私にとっての本作は、見た目ほど自由度の高いゲームではなかった。いや、自由度そのものは高いが、「おまえは、ハートの器も装備も不十分だから、ここから先には進んじゃ駄目だよ」という任天堂の見えざる意志に遮られながら、あるいは任天堂の意志に逆らいながら、ゲームを進めていくような感覚が先立った。
モンスターの体力や攻撃力。
手に入る装備。
崖の高さ。
絶妙な地形配置。
シーカータワーや祠の位置関係。
などなど。
それらのオブジェクトの絶妙な配置の結果として、本作は、プレイヤーが十分にゲームに慣れるまでは、無茶がしにくく、しなくても良いようにようにつくられている。
「登りにくい崖があったら、それは後回しにしても構わないし、後回しにすべきなのです。勝てない敵に出くわした時は、避けて通るか、余所をあたってみましょう。それより、あちらにシーカータワーが見えるでしょう? あちらに登りましょうよ?」
……そんな、チュートリアル担当の“お節介おばさん”の声が聞こえるような気配が、ゲーム全体に漂っている。オブジェクトの配置があまりにも行き届いているからこそ、極端に難しいことに出会うたびに、「この難しさは、任天堂による意図的な配置だから、きっと今すぐやらなくても良いのだろう」……などと考えてしまう。
この、すべてのオブジェクトが意図的に配置されている感覚は、よくできたショッピングモールをぶらつく時の感覚に似ている。一見、無駄にみえる構造物やデザインにも必ず理由があり、ショッピングモール内部の人の流れは、そういったデザインや配置によってコントロールされている。徹底的に計算された空間では、本心のままにぶらつこうとすればするほど、構造物やデザインによって流されていく。
はたして、カカリコ村やハテノ村を目指した私の序盤の冒険は、どこまで自由意志によるものだったなのか? どこから、任天堂がオブジェクトを配置してデザインした、コントロールに基づいた冒険だったのか?
そこらへんが曖昧なまま冒険が進んでいくので、私は「これは任天堂の仕業だ!」「これも任天堂の差し金だ!」とつぶやきながらゲームを進めていた。そのうち、子どもも同じことを言うようになった。すまない。
後述するように、実際に本作はオープンワールドゲームではある。だが、考え抜かれ、配慮され尽くしたデザインのために、特に序盤は、プレイヤーの行動に介入してくる“お節介おばさん”の意志をひしひしと感じた。本作の被-コントロール感は、外国産のゲームではあまり感じない類のもので、一昔前の国産ロールプレイングゲームにありがちな、ストーリーラインに束縛された感覚とも違っていた。
どうあれ、このゲームのサブタイトルは「Breath of the wild」よりも「Breath of the Nintendo」のほうが似合っているように思った。あるいは「おばさんの吐息」とすべきか。
それだけに、任天堂を、デザイナーを信頼できるゲームでもある
こう書くと、私が本作を気に入っていないと早合点する人がいるかもしれないが、そうではない。
オブジェクトの配置が緻密で、すべてが有意味にデザインされていると感じるから、プレイヤーである私は、ゲームデザイナーを信用して、もたれかかることができた。
・手ごわいモンスターに出会ったら、その難易度にみあった成果があると想定できる。
・到底勝てそうにないモンスターは、避けて通っても構わないと考えられる。
・怪しげな地形には、必ずなんらかのご褒美やミッションが存在すると想定できる。
ハイラルの世界は、優秀な“お節介おばさん”によってデザインされている。ということは、あらゆる地形、あらゆるオブジェクトは有意味なはずだし、実際、そのとおり有意味だ。たとえば、高山の頂上にはコログが隠れているし、いかにも怪しい現象が起こる場所には、かならず祠が隠されていた。アイテムも、手に入った場所で使ってしまって構わないし、むしろ、手に入るアイテムは「ここで、このアイテムを使えなさいな」という“お節介おばさん”からのメッセージとみなして構わない。
20世紀のゲームに比べると、21世紀のゲームは、ゲーム世界の造物主の意図、つまりゲームデザイナーからのメッセージの信頼度が高くなっていると感じる。だとしても、本作の信頼度は群を抜いていて、地形・モンスター・アイテムの配置をメッセージと解釈して、裏切られたと感じることがほとんど無かった。
任天堂の息遣いを「被コントロール性が高い」とみれば、これは短所かもしれないが、「造物主の意図を信頼できる」とみれば、これは長所だ。それだけ、プレイヤーに気を配っているということでもあり、それだけ、もてなし上手だとも言える。
最後は、“お節介おばさん”を越えていく
ところが、プレイヤーがゲームに慣れてくると、今度はコントロールを越えたくなる。
がんばりゲージを増やすアイテムをメチャクチャに使って、高い崖を登りたい。もの凄く強い敵に、無鉄砲に突撃してアイテムを奪いたい――そういう「無茶」がしたくなった頃には、このゲームは、ちゃんと無茶をさせてくれた。もてなすようにプレイヤーをコントロールしていた枷を、遂にぶち破って好きなようにうろつく自由が、だんだん手に届くようになってくる。
もちろん、これもこれで任天堂のゲームデザイナー陣によってデザインされた、一種の「おもてなし」なのだろう。だが、まあいい、とにかくも充分に戦いのノウハウを身に付け、アイテム等の使い方を心得たプレイヤーが、自分の力で自由になる感覚を得られるのは、素晴らしい体験だった。そして、この頃になって来ると、はじめは使いこなせないと思っていた戦闘アクションも、いつの間にか身に付いている。
「はじめは使いこなせないと思っていた戦闘アクションが、いつの間にか身に付いていて、できるようになっている」というのは、とてもゲームっぽいカタルシスだと思う。そして、任天堂という会社は、ファミコン時代から、そういうカタルシスをいつだって提供してくれていたのだった*3。
ゲームプレイに慣れないうちは、“お節介おばさん”のゆるやかなコントロールのなかでゲームを遊ばせてもらい、プレイヤーに実力がついてきたら、オープンワールドを自由に遊ばせて、思う存分に戦闘アクションを楽しませてくれる手腕手管には、本当に感心するしかない。ゲーム体験として、これほどのものが一体どれだけあるだろうか?
すっかり文章が長くなってしまい、昼間っからワインを呑んでわけがわからなくなったのでこれぐらいにするが、とにかく、本作『ゼルダの伝説 Breath of the wild』は面白く、任天堂的なコントロールのしっかりしたゲームで、最終的にはオープンワールドを満喫させてくれる作品だった。「おもてなし」の精神がちりばめられ、プレイヤー自身の上達が肌で感じられる、真性のゲームらしいゲームでもある。まず、傑作と言って良い水準なんじゃないだろうか。
まだ終わっていないクエストもあるし、今後、ダウンロードコンテンツも追加されるというので楽しみだ。興味はあるけれどまだ購入していない人は、買ってみていいと思う。この、任天堂らしいハイラルの土地を、転げまわって欲しい。

Nintendo Switch Joy-Con (L) / (R) グレー
- 出版社/メーカー: 任天堂
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